──昼休み。
 修学旅行が近いと言う事もあってか、みんな妙に浮き足立って、話題に華を咲かせていた。
 ──そんな中。
 彼女、山岸マユミはいつものように、そっと教室を抜け出した。
 彼女が向かうのは図書室だ。
 第三新東京市立第一中学校、その図書室はおよそ図書室の名には相応しくない蔵書量を誇っていた。
 国立図書館、とまでは言わないが、少なくとも市営の図書館の蔵書量は越えていた、その内容もかなり多彩で、文庫本から豪華本まで、サイズの違いも様々だった。
 ──マユミは適当な本をチョイスした。
 四・五冊、胸に抱いて棚の間を歩き回る。
 その顔は実に満足げだった。
「あれ?、山岸さん」
 親しげな声に顔を向ける。
「碇君」
 マユミは何故か動揺を見せた。
 目眩いを感じる、いや、光景がダブって見えた、それはデジャヴだ。
 彼女は護魔化すように言葉を発した。
「碇君、どうしたんですか?、こんなところに……」
 シンジもシンジで、ちょっと困った顔をした。
「どう……、って、別にさ……」
 ぽりぽりと。
「自由行動でさ、何処を回るかって話になって、それで観光名所が載ってるような本が無いかって、探しに来たんだけど」
 じっと、マユミの胸を見る、正確にはその胸にいだかれている本の束をだ。
「持とうか?、重そうだし」
 あ、いえ、大丈夫です……、そう口にしかけて、マユミは思いとどまった。
「じゃあ……、お願い出来ますか?」
「うん」
 差し出し、受け取ってもらう、しかしシンジの手が自分の手を包むようにした時、マユミはまた違った何かしらの感慨を受けたようだった。
 本の重みは預けても、マユミは手を引き抜かなかった。
 奇妙に、佇む構図が出来る。
「山岸さん?」
「……」
 マユミは暫くしてから、おかしくなったのかふっと笑った。
「いえ……、前にも、こういうことがありましたよね?」
 マユミの手の柔らかさに居心地を悪くする。
「前?」
「はい……、『前』は、ぶつかってしまったんですけど、あの時のわたしは、人の手なんて触れられなかったから……」
 ああ、と納得する。
『前』がいつのことをさしているのか、ようやく思い至ったからである。
「あの時は……、恥ずかしかったんです、恐怖症と変わらないくらいに」
「山岸さん……」
 シンジはふぅと吐息をつきながら、強引に本を奪い去った。
「あのね?、あんまり……、こだわらない方が良いと思うよ?」
「はい?」
 怪訝そうにするマユミに説明をする。
「『前』とか『昔』とか、そういうことにさ」
 本棚にもたれかかった。
「結局さ……、そういうのって、『前世の記憶』と同じじゃないかなって、思うんだ」
「……」
「レイにも言われたんでしょ?」
「はい……」
 うん、と頷く。
「でもさ……、『前』を知っているから、今度は上手くやろう、今度こそちゃんとしようって、それはそれで良いことなんだろうけど、ずるいかもしれないけど、考えとしては『普通』だと思うし、けどね……」
「……」
「それはさ、結局『以前』にこだわるってことなんだよね、その枠組みの中で行動することしか考えてないってことなんだから、分かる?、他にも可能性はあるんだ、まだ未体験の道だって沢山在るのに、『前』の道筋をわざわざやり直すなんて、そんなのもったいないとは思わない?」
 ……そうでしょうか?、と首を傾げる。
「わたしには……、贅沢に思えます」
「うん……、もちろんそうなんだけどね、決めるのは山岸さんだし、けどさ」
 明るく笑って……
「未来ってのはさ、末広がりに可能性が増えていくもんなんだよね、なのに自分で『ここ』って道を決めてしまうのはどうかと思んだ、こういう展開になるって分かってるから、そう対応していく……、それだけじゃあ結局、僕達はやり直してるだけで、この世界での僕達ってものを放棄してる事になっちゃうと思うから」
 放棄、と復唱したマユミに言い募る。
「違うかな?、だって僕達は『この世界』に生まれた僕達なんだよ?、この世界は『あの世界』とは違う世界なんだ、そこには違う楽しみや、喜びがある、前の自分を本当の自分にしちゃうんじゃ、それらを見逃してしまうんじゃないのかな?」
 じゃあ、とマユミ。
「わたしは、ここに来ない方が好かったのでしょうか?」
「さあ、それは分からないけどね」
 顔を伏せるマユミに、極端だなぁと苦笑する。
「『今』を生きている僕達にとって、『前』は過去であると同時に『経験』でしかないんだよ、それを糧に成長するのは良いことさ、けれど姑息に問題を回避するための『逃げ場』を求めて、こだわっちゃいけない、そう思うんだ」
 はぁ、とマユミは顔を上げる。
「碇君は……、凄いですね」
「そうかな?」
「そうです、わたしは……、ダメですね」
 自嘲する。
「結局、変わっていないのかもしれません、本の世界に重ね合わせるみたいに、わたしを助けてくれた『あの人』にもう一度逢える事を願ってました」
「……憧れて?」
「そうです……、だから」
「でもね?、山岸さん」
 シンジはマユミが硬直してしまって凝固するくらいに顔を近づけた。
「知ってる?、僕って、贅沢なんだ」
 赤くなり、俯くように目を逸らすマユミ。
 その顔が髪に隠される。
「山岸さん」
 まるで粉に紛れた飴の玉を探すように、シンジはマユミの髪の狭間へと潜り込んでいく。
 そして……
「僕はね?、甘えん坊なんだ……、色んな女の子に、甘えてる、アスカ、マナ、レイ、それにホーリィ」
 マユミの唇に、くすぐったい息が吹きかけられた。
 ──彼女の唇は、ぷくりとしていて、硬かった。


NeonGenesisEvangelion act.42
『変調:pro・logue −外典 第三章 第二節−』


「これがエヴァンゲリオンか……」
 ゲンタは直に見るエヴァの『大人しさ』にほっとしていた。
 首が痛くなるような状態で見上げている、対象は初号機だ、ケージの冷却水は抜かれている。
 各部の電装系のチェックが行われている、特に問題の多い初号機は、部品の交換回数もまた桁外れに多かった。
 何故なら、疲労度が非常に高いからである。
 人造人間であるエヴァンゲリオンにも、当然のごとくもっともリラックスした状態というものが存在する、普段冷却水に沈めているのも、浮力に頼るためである。
 それでも縄のように体を束縛している装甲はきついもので、肉体は締め付けに対して常に抵抗を行っている。
 その抵抗によって、機械類は疲労していくわけである。
 青葉が口にした装甲の交換とは、対処療法では済まされないところにまで陥ってしまっているからだった、ただでさえ人員の補充がままならない状態であるというのに、一気に管理する機体が倍増した。
 地上武装施設の管理、再建築、本部施設の再建、その上エヴァ各機に、新型兵器開発の任、他にもだ。
 この忙しさの余りに、キレる整備員が続出している、喧嘩など日常茶飯事だ。
 特にストレスをかけているのは、ここが地下だと言う事だろう、施設内、特にケージの様な場所に居ると、時間の感覚が失われてしまう。
 気がつけば三十時間以上経っていた、そんなことはざらだった。
 苛立ちが募り、攻撃的になって当然、しかし喧嘩すらするなと言うのであれば、他に八つ当たりの対象が欲しくもなろう。
 だから、ゲンタは邪魔にならないように、誰にも声を掛けないでいたのだが……、この忙しい時に、暇を持て余しているように突っ立っていれば、それだけで十分目立ってしまう。
 いつ怒鳴ろうかと、ハイエナ達が彼を狙う、そんな空気を察したのか?、白衣の女性がゲンタの存在に気が付いた。
「山岸……、ゲンタ監査官?」
 相手をしてくれる人間が居るとは思ってなかったゲンタであったが、予想外の呼び掛けに警戒した。
 知らない人物から、名前を口にされたからである。
「あなたは?」
「失礼、赤木リツコです」
 握手を交わす。
「山岸です、……お忙しいようで、邪魔をするつもりは無かったのですが」
「いえ、かまいませんわ、わたしがおらずとも優秀な子がいますから」
 マヤ、とげきを飛ばす。
「後は任せるわ」
「はひ〜〜〜」
 よたよたと……、ファイルだの機械だのコードだのと、何の目的で何を運んでいるのか、恐らく本人も分かっていないのであろうが……、ともかく。
 色々な物を抱いて目を回し、右往左往しているマヤに不安を覚えた。
「大丈夫……、だと思いますわ、多分」
「……そうですか」
 見なかったことにするゲンタである。
「しかし……、エヴァとは整備に手間が掛かるもののようですな」
「他の機体はそうでもないのですが、初号機に関しては特別ですから」
「特別?」
「テストタイプである初号機には不都合が多いと言う事です、弐号機以下の機体は人の制御が働くように、ブラックボックスはなるべく削る形で対処してありますが」
「……その差が、あのような力の差となっている?」
「かもしれません、それは検証待ちですが、下手に実験も出来ない有り様なので」
 話を戻す。
「プロテクトやリミッターによる制御を行ってみたのですが、片端からショートするなり、『摩耗』するなりするもので、その検査と交換作業だけで莫大な手間を取られることになってしまって……、下手をすると夕べ交換した部品が今日もうダメになっている、そんな状態に陥っています」
 なるほどとゲンタは納得した。
「それが作業員達の疲弊に拍車を掛けている?」
「はい、初号機さえ安定してくれれば、もう少しは余裕を……、いや、休みを与えてあげられるのですが」
 ふうむと。
「抜本的な対策は?」
「初号機の装甲は、ある程度『先』を見越しての共通規格が組み込まれていました、その意味でもテストタイプなのですが……、そう言ったものを切り捨て、他機のような汎用性を失う事になっても、専用の『拘束具』をもって制御する事が決定しています」
 素人考えで説明を求める。
「その場合、他機のように装甲の流用、交換が出来なくなる……、専用の装甲のストックを今から作るにしても、予算も、時間も足りないのでは?」
 それに関しては、とリツコ。
「諦めるしかありませんわね、やるしかないと結論が出てしまったのですから」
 ゲンタはそれ以上、その点については言及しなかった。
 資料は読んでいる、初号機は確かに現状で最強の兵器である。
 中途半端な真似をして、常に恐れ、運用に二の足を踏み、生かし切る事が出来ないよりは、多少の問題を孕もうとも、活用出来る道を模索していくべきなのだ。
 安定性を高めればいつでも実戦に投入出来るが、それが出来なければ不良品の爆弾も同じである。
 いつ爆発するか分からず、使えず、弾薬が尽きた時に初めて、自棄を起こして投入する、そんな扱いがやっとだろう。
 その結果が自爆に繋がるかどうかは問題ではない、問題は、そのような綱渡りに繋がるかもしれない問題を、棚上げしてしまうことにある、覚悟を決めて使うのではなく、それでは状況に流されて用いるだけになるからだ。
 その点においてリツコの言う判断は正しいと思えた、どれだけ文句を言われようとも、やることをやっていたならば『使える』のだ。
 冷静に。
「ここに来て初めて安堵しましたよ」
「安堵ですか?」
 怪訝そうなリツコに対して苦笑を見せる。
「はい、……学者が軍隊の真似をやっているようなネルフには、どこか学芸会の匂いがしていたものでね、ごっこと言っても良いかもしれない、演じる事で主役を張っていると満足している、そんな雰囲気がする……、しかしここは」
 見渡す。
「職人が職人として働いている」
 なるほどと納得する。
「それで安心、ですか」
「そうです、軍人は軍人として働くための修練を積んでいます、しかし学者にはミサイルの撃ち方は理解っても、撃つタイミングまでは掴めませんよ、違いますか?」
「……かもしれませんね」
「どこか薄っぺらなんですな、組織として……、経験がないから」
「しかしもう数度の実戦を経験していますわ」
「いきあたりばったりで対処した、それだけでしょう?」
「……」
「セカンドインパクト以降の混乱で、各国の軍隊は非常に戦闘経験が豊富です、人材は幾らでも居る、せめて連携だけでも行えれば……」
 それに対しては、リツコは悲観的に言葉を放った。
「無理でしょうね」
「何故?」
 薄く笑って……
「ネルフは……、嫌われていますから」
「それこそ……」
「各国の思惑も絡みます、国連は混乱期にやり過ぎましたわ、問答無用の武力介入がどれだけ軋轢を生み出したかは……、言うまでもないことですが、平和維持を大義名分とした暴力は根強く嫌悪を生んでいます、その国連の庇護下にあるネルフに……」
「協力は出来んということか」
「つまらない意地、こだわりと言い切るには、根が深い問題です、その上でエヴァの実力を知れば……」
「ふむ……」
「非公開なのも善し悪しですわね、建造費用だけでなく、維持費を知れば、こんな無駄なものを手に入れようとは思わないはずなのですが」
「そうだな」
 頷く、確かに軍事的にはまったく役に立たない代物なのだ、エヴァンゲリオンは。
 電源供給を必要とするエヴァは、拠点防衛程度にしか使えない。
 しかし『進軍』を行う側は、どこにでも『上陸』してくるだろう。
 人と人との戦とは、すなわち侵略戦争でもある、王都だけ守った所で意味は無い。
 エヴァの絶対的優位性は、攻勢に出てこそ意味のあるものなのだ、あらゆる砲弾、砲撃を跳ね返すATフィールド、足に拳と言った『質量兵器』、それに並みの巨砲を越える携帯火器の数々、なのに、前線に出るための機能が根本的に欠けている。
 この矛盾を解消しない限り、全く使えない兵器なのである。
「それでも……、知らない者から見れば、使える物に見えるのだろうな」
「そうですわね」
「他のエヴァを見せて頂いても構いませんか?」
「結構です、案内しますわ」
「頼みます」
 二人、連れ立ってケージを出て行く。
 そんな二人を、頭上、かなりの高所にあるタラップから、柵に両手で肘を突き、顎を支えてにたにたしている、レイが見ていた。


 ──2013。
 この年、シンジ、レイ、カヲルの三人は、協力者集めに奔走する事になった。
 ただし、無作為に接触を試みた訳ではない。
 そこには厳密に基準があった、それは……
「手に入れるというの?、エヴァを」
 ──楽園。
 庭にある大きな木の下で、白いテーブルを出してささやかなお茶会を開いていた。
 テーブルの椅子にはナオコとカヲルが着き、レイとなんとやらは高い所へ、つまりは木の一番下の枝の上に腰かけていた。
「そ、シンちゃんのためにはど〜しても必要なのよねぇ」
 ずずっとティーカップから謎の液体をすすったりする。
 シンジは居ない、森の中でフェイとじゃれ合っているはずである。
「理解できない事が何点かある、聞いてもいいかい?」
 優雅に茶をたしなみながら、カヲル。
「使徒を倒す、『歴史』をなぞらえる事が必要なのは理解しているよ?、けれどそれならネルフを乗っ取った方が早いんじゃないのかい?、あの程度の組織なら、僕と君だけでも十分制圧出来る……、いや、その必要も無いね」
 心持ち物騒な笑みを浮かべたりする。
「トップの心を呪縛してやればいい、それで事は足りるんじゃないかい?」
 まあ、と付け足す。
「シンジ君に嫌われてしまう可能性が無きにしもあらず……、となるけれど」
 だったら言うない、とレイは却下した。
「あいにくと、あたしゃああんたみたいに人間を駒として見ちゃあいないのよ、まあ同格に見てもいないけどね」
「そうかい?」
「上手く育てばあたしのおもちゃくらいにはなるもん、そうそう雑に扱えますかって」
 おかわり、と紐で吊るしたざるをするすると下ろす。
「つまりわたしと同じということ?」
 ナオコは篭の中のカップに紅茶を足してやった、ついでに、茶菓子のクッキーを何枚か入れる。
「逆らってくれないとつまらない、思い通りにならないから面白い、けれど相反してコントロールはしなくてはならない、それなら面倒な事はやらせてやって、上手く寄生してやればいい?」
 にんっとレイ。
「そゆこと!、エヴァは必要だけどね、その整備とか運用関係のごたごたまで面倒みんのは嫌なんよ」
 ふむふむと。
「だけどその必要性もエヴァにこだわってのものだ、そうだね?」
「んだねぇ〜」
「けれど使徒を排除するだけなら、エヴァが無くてもやりようはある、つまりネルフも無用の存在と出来る、なのに、なんの為に使おうと言うんだい?」
 そんなの決まってるじゃない、と垂らした足をぷらぷら揺らす。
「シンジのためよん」
「シンジ君の?」
「そ」
 幹にもたれかかって、腕で枕を作り、遠方の森を眺めやった。
 恐らくその視線の先に、シンジが遊んでいるのだろう。
「シンジの力のこと……、言ったっけ?、言ったっしょ?」
 ナオコは何の事かとカヲルを見やったが、口に出しては問いかけなかった。
 そういうスタンスを取ることにしていたからである。
 こういう時、邪魔をしないように一歩下がって立つことにしている。
「力、ってのはね、純然たるエネルギーなのよ、ガスと一緒、いろんなことにも利用出来るけど、もの自体は拡散して消えてくか、何かの拍子にボンッてね、暴発爆発引火消失被害拡大、ろくなことにはならないわけよ」
「それで?」
「ガスボンベ」
 なるほど、と理解する。
「必要なのはガス栓かい?」
「そゆこと」
 にんっと笑って。
「ちょろちょろちょろちょろ漏らして使うための弁が必要なのよね、シンジには」
 カヲルは黙り込むと、自分の中でその答えを咀嚼していった。


 ──スケールの違い、というものがある。
 放水機に例えよう。
 一メートル、二メートルの距離の的など容易に射抜ける。
 しかし十メートルになったなら?
 その調整は、実に難しいものとなる。
 それが普通の人間の『単位』だ。
 だがシンジにとっては逆なのだ。
 手前僅か一メートルの位置にある的など、簡単に吹き飛ばしてしまえるのだ、射抜くなどと繊細な作業は不可能である、かといって水の勢いを弱めようにも、一メモリ水量を減らしただけで、ちょろちょろと垂れるだけになってしまう。
 調節のためのメモリの単位が大きいために、微調節は全く利かない。
 むしろ十メートル先の的に当てる方が楽なのだ。
 普通の人間の発揮する力がご家庭用のホースであれば、シンジの力は上水管ほどに勢いがある、指で止めるなど不可能だ。
 水の流入量の問題もある。
 普通のタンクではあっというまに堪え切れなくなり、破裂してしまうだろう。
 これを受け止められる許容量を持ち、同時に水圧によって吹き飛ばない強固な弁を持つ『何か』となると、探せばそれは限られる。
 例えば『エヴァンゲリオン』、だ。
(でもねぇ、問題はシンジ君の認識にもあるのさ)
 レイにとっての計画の要はシンジであろうが、そのシンジはと言えばさほどレイの計画には賛同していない。
 いや、賛同どころか、ちゃんと知っているわけでもないだろう。
 レイの遊びに付き合っている。
 そんな感覚でいるはずだ。
「カヲル君、どうしたの?」
 話し掛けられて、ようやくカヲルは顔を上げた。
「え?」
「ホームルーム、終わったよ?」
「あ、そうなのかい?」
 いつものはにかみに戻り、鞄を手に取り、立ち上がる。
「悪いね、ぼうっとしていたよ」
「考え事?」
「まあね」
 行こう、と促す。
「君が不憫に思えて来たのさ」
「僕が?」
 カヲルは鋭く指摘した。
「今の君は、僕の知っているシンジ君と重なるのさ、あの頃の『彼』は脅えから人に放逐される事を恐れていた、その弱みから利用されていると知っていても逃げられずにいた、……今もそうなんじゃないのかい?、レイの存在に縛られて、彼女に利用されている」
 顔を隠すように俯くシンジに、更に言う。
「君はまた、かつて『彼』が生贄にされたように、今度も……」
「もういいよ」
 シンジは笑う。
 悲しげに……
「『慣れ』てる」
「シンジ君……」
 そうさ、と開き直った態度を見せる。
「だってそうじゃないか、『僕』じゃない『僕達』が居る、僕ではないよ?、けれど僕はその裏切りの全てを『体験』している、そうでしょう?」
 どんなパラレルワールドにあったとしても、シンジがシンジである限り、彼の境遇は同じであるのだ。
 決して揺るがない『中心』であるが故に。
「だから気にしてたら、負けちゃうんだよ……」
 がっと、カヲルはそんなシンジの頭を抱え込んだ。
 人目もはばからず、抱くようにして……
「悪かったね、不安にさせて」
「カヲル君……」
「もちろん、本当はそんなことはないさ、だからレイは君の周りに色々な人を連れて来ている、例えばホリィさん、今度のミエル先生、君が温もりに包まれるように配慮している、確かに君が必要なんだ、彼女が望む未来にはね?、君を利用する必要がある……、けれど同時に、君の存在は絶対に必要不可欠なんだよ、だって君のいない世界に生きていたって、何も価値なんて無いからね」
「そうかな……」
「そうだよ」
「カヲル君……」
「シンジ君」
「ホモってんな!」
 ──ゲシッと。
「いったぁ……、蹴ったね?」
「蹴ったけど?」
「うう」
 レイには勝てないシンジである
「なんだよもぉ……、何で居るんだよ?」
 だから腰をさすりつつ、不満気に訴えてみたのだが……
「居ちゃ悪いっての?、この子は」
「うう〜」
 シンジの頬をうにうにと引っ張る。
「人聞きの悪いネタで遊んでんじゃないっての!、だぁれに気を遣って、こんな面倒な手順踏んでると思ってんのよ、まったく!」
「ごへんなはい」
「まったくもう!、妙な遊びばっかり仕込まれちゃってぇ」
 ぶちぶちと。
「だから『出張』でお仕事に出るのってやなのよね!、帰ってくるたんびに変な遊び覚えてるんだから」
「変かな?」
「変じゃないって思ってんのが変なのよ!」
 ほれほれと、親指を立てて背後を差す、見ると、いやぁんと女の子達が抱き合って、恥じらいながら熱い視線でこちらを見ていた。
「汚染してんじゃないっての!、不幸ごっこで盛り上がるのは二人っきりの時にしなさいって言ったでしょうが!」
 だってとシンジ。
「こんなの……、二人きりの時にやってたらヘンタイじゃないか」
「見られると言う快感は捨て難いからねぇ」
「この倒錯主義者が」
 吐き捨てる。
 ──かつてもう一人のシンジが口にしている。
 既に世界は、自力で存続出来るだけの力を得ていると。
 影、あるいは残像、幻。
 だがそれらは今や、自立できるだけの存在へと成長しているのだ。
 しかし問題があった、それはこの世界がアスカの望みを叶えるために、『碇シンジ』が作ったと言う『事実』である。
 そのためにこの世界に『在る』全ての存在は、碇シンジ未満であると言う現実があった。
 アスカの望みだけを反映させれば、やがて世界は行き詰まってしまう、少なくとも、アスカの死後は存続し得ないだろう。
 そこに『希望』は無いからだ、未来が紡がれる必要性もまたないに等しい。
 そして彼女が『人』である以上、死は絶対に免れえないのだ。
 それを回避するためには、この世界もまた独り立ちさせる必要があった、シンジや、アスカと言った『創造主』の思惑などを遥かに越えて立ち行こうとするまでに、どうしてもなってもらわなければならないのだ。
 そのためにはまず、世界に住まう人々に、個別に自立を促さなければならない。
 そうしてミクロな力は集まって、マクロなエネルギーとなり、巨大な変革を世界に促す。
 シンジ無くしても、人々の活力が世界を支えて、存続させていくだろう。
『碇シンジ』を……、あの、『苛められっこ』で、苦しんでばかりいる碇シンジを、本当の意味でしがらみから解放し、助け出すためには、まずこの世界を成立させているその『原則』を、変革させてやる必要があった。
 同時に、世界を独り立ちさせるためには、まず碇シンジの必要性を無くしてしまわなければならないのだ。
 そして『解放』された『世界』は、実に『活力』に満ちあふれ、『超人』達の思惑など翻弄して、何一つ思い通りにはならないという、面白みを生み出してくれるだろう。
 それはレイがハロルドに教わった『楽しみ』である。
 と同時に、『永劫に共に居る』と約束しているのだ、シンジとは。
 ──裏切るようなやり方は、楽しくは無い。
 後味が悪いから、そんな単純な理屈が、レイの中には働いている。
「ふっ、生きてることは罪って事さ」
「うんうん」
「この!」
「おっと」
「シンジを妙な趣味に引き込むんじゃないっての!」
「そうかい?」
「面白いのに……」
「大体ねぇ」
 ぷくっとむくれる。
「あたしはシンジに乳離れしろって言ってんの!、だぁれが鎖を付けて働かせてるって?」
「冗談じゃないか……」
「言って良いことと悪いことがあるっての!」
 ぶん!、っと来た横蹴りを素早く躱す。
「危ないって!」
「あったくもう、ちょっと居なくなってたら悪口言って」
 ぶちぶちと、そんなレイにぼそりと呟く。
「被害妄想気味のおばさんみたいだ」
「てい!」
 ごがん!、っと本域のパンチがどたまに入った。
「っつぅ……」
「だぁれのせいで歳食ったと思ってんの!」
 頭を押さえてうずくまるシンジに蹴りをくれようとしたのだが……
 そのレイを羽交い締めにしてカヲルは止めた。
「まあまあ、軽い冗談じゃないか」
「女の子の歳をネタにするような子に育てた覚えはなぁい!」
「はいはい、って、おや?」
 カヲルは下駄箱の方向が騒がしい事に気がついた。
「なんだろう?」
 と思ったら。
「おう!、碇っ、渚」
 トウジが腕を振って呼びつけた。
「鈴原君?」
「どうしたんだい?」
 二人は鼻息の荒いトウジに怪訝そうにした、若干鼻の下が伸びているように見えたからである。
「ええから来い!、なんやえらいべっぴんのねぇちゃんが呼んどるんや」
「べっぴん……、美人?」
 シンジは誰だろ?、と引っ張られながらも首を傾げ、はて?、と思った。
 好奇の視線に曝されながらも、平然としてガラス戸のサッシに背を預け、赤味のきつい金髪を指に巻いて遊んでいる少女が居た。
 年上に見えるのは着ている服がラフだからかも知れない、決して安物では無く、それなりの服を着流しているように感じられた。
 下はジーンズにスニーカー、上はパーカー風だが、生地は薄そうだ、色は白。
 ああ、と納得する。
「アスカじゃないか」
 彼女であった。


「なぁんや!、こないに美人の知り合いがおったやなんて、鈴原トウジですぅ、よろしゅうお願いしますわ!」
 え、ええ……、と引き気味になるアスカであるが、あまりの勢いに握られてしまった両手を取り戻すまでには至らなかった。
「ねぇ」
 シンジの耳に唇を寄せて訊ねた。
「鈴原って、こんなだっけ?」
「そうだよ?」
 と、シンジ。
「調子が良いんだよ、ホントはね」
「そう?」
「アスカのキツイところを見たら、アスカの知ってるトウジになるよ」
 なるほど、と理解する。
「それよりさ」
 シンジ。
「どうして僕達まで付き合わされてるのかな?」
 シンジの疑問はもっともだった。
 妙に挙動不審なケンスケを見かけたというので、一応知らせておこうとやって来たアスカに巻き込まれて、何故かケンスケを迎えに行くことになっている。
「なんや『シンジ』!、わしら『親友』やないか」
「あのねぇ……」
(鼻の下が伸びてるよ……)
 どう考えてもアスカの同行が目当てなのは丸わかりだ。
「ケンスケのことが心配やないんか!」
「確かに」
 とカヲル。
「何処かに行くって、本当にどこかに行ってしまったからねぇ」
 遠い目をして。
「惜しい人を亡くしたよ」
「死んでへんっちゅうねん!」
「どちらかと言えば、彼はお迎えに来てくれる側なんじゃないのかい?」
「だから死んでへんっちゅうねん!」
「そうか、遺体は回収してあげないとねぇ」
「漫才はいいから」
 とシンジが突っ込む。
「けどねぇ……、連れ戻すくらい、僕達が居なくても」
「ああ、あかんあかん」
 ぱたぱたと手を振って。
「ワシ一人やと、どうにもならんのや」
「どうにもって……」
「ええかぁ?」
 声を低くして脅しを懸ける。
「あの阿呆、戦争ごっことか趣味にしとるんや、罠とか平気で仕掛けおるし、わし一人やと山の中にでも逃げ込まれたら手に追えん」
「……なるほど」
「まあ、迷惑や思うけど、捕まえたら『奢らせたる』さかいに」
「相田君に?」
「他に誰がおんねん」
「……まあ、いいけどね」
 それで、と。
「さっきから何やってんだよ、レイ?」
「ん?、準備」
「準備って……」
 ごそごそと何処からか出したリュックの中から『スリング』を取り出す。
 グリップを握ると、フレームが手首を固定してくれるパチンコだ、ただし、その威力は人を行動不能に陥らせるには十分なものである。
「だって、『狩り』に行くんでしょ?、山狩り」
「そんな大袈裟な……」
「だめだめ!、はいこれ、こっちが神経ガス弾、十五分くらい顔べちゃべちゃにして痙攣するくらいの効力あるから、でこっちがゴム弾、当たると青あざが出来る程度だけど、当たり所によっては骨くらい折れるから、それから」
「レイ……」
「あんたねぇ」
「え?、だかんね!、ボウガンはあたしが使うんだから!」
『使うな!』
 ばたばたと二人がかりで取り上げた、その結果……
「何考えてんだよ……」
 何が出て来たかは、内緒である。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。