──ブー、ガッ、こちらBポイント、本部どうぞ。
 くぐもった声が無線機から発せられる。
「こちら本部」
 夜の山間部に不穏な動きが見て取れる。
 男達だ、女も居る、黒のスーツに防弾チョッキ風のプロテクターを装備している。
 肩にはサブマシンガンを掛けていた、グリップを握っているのは銃身下部の四角いライトで足元を照らしているからだ。
 右耳には無線機を付けていた、ヘッドフォンにも見えるが、そこから『ク』の字を描くフレームが伸びて、先端を右目眼球に向けていた。
 ──網膜への直接投射式のモニターになっているのだ。
 ヘッドフォンに仕掛けられているカメラが夜陰を昼ほどに明るくし、全てを鮮明に解析し、見せてくれている。
 慣れない内は右目と左目に別の景色が映るために酔うのだが、プロの彼らはそんなもの、当然のごとく克服していた。
 ──ネルフ諜報部第三課。
 設営されたテントの下には、いつものおちゃらけた格好をした加持リョウジの姿があった。
「さぁてと」
 雷型に折り曲げて煙草を揉み消す。
「諜報三課の初仕事だ、朝までには決着を付けるつもりで頑張るぞ」
 顔は笑顔なのだが、額は正直なものである、脂汗が滲んでいる。
 新設されたばかりのこの課が緊急に受けた命令は……、何だか中学生の『保護』であった。
(これも仕事の内ってこってすか?、碇司令)
 加持は泣きそうになっていた。


NeonGenesisEvangelion act.43
『変調:pro・logue −外典 第三章 第三節−』


 もちろん、そんな命令の本当の理由がバレたら、苦情が殺到する程度では済まないだろう。
 拒否されたらそれを理由に辞退してやろうと半ば本気で加持が実行したのは、思い付く限りの優秀な人材の確保であった。
 にやりと逆に笑い返されて、失策を悟った時には遅かった。
 この非常に有能な集団を纏めていかなければならなくなってしまったのである、なのに……
(初仕事がこれってのは……)
 それでも加持がこの指令を拒否出来なかったのには理由があった。
「シンジ君達が、ですか?」
「そうだ」
 ──夕刻の総司令執務室。
「現在、セカンド、フィフスなど数名で連れだち、クラスメートの身柄を捕獲するため市街を出ている」
「連れ戻せと?」
「素直に連れ戻されはすまい」
「では?」
 ゲンドウは大揚に頷いた。
「目標をこちらで確保する」
「目標……、ですか」
「そうだ」
「それはつまり……、ターゲットには、何かしらの注目すべきものがあると?」
「いや、何も無い」
「……」
「……」
「……」
「……」
「はぁ!?」
「修学旅行が近いのだがな」
 珍しく体勢を崩して、ゲンドウは背もたれに体を伸ばした。
「……自主的に不参加を決め込もうとしている友人を連れ戻すべく、行動に出ている、それがどうも目的らしい」
 加持はくらくらと目眩いを感じてよろめいた。
「そ、そんなことで……」
「問題を起こされてからでは困る、一行の目的地帯は第三新東京市圏、ギリギリだからな」
「はぁ……、わかりました」
「監査官が目を光らせている、騒がせるな」
 そっちが本音か、とも思ったものだが。
(どっちにしても説明できないんじゃな)
 対チルドレン用監視団体として新設する、そのために有能な人材を集めに集めたのは先の通りだ。
 子供のお守かと冷笑する奴らには『ブラックデビル』の名を持ち出して黙らせた。
 本部か支部かについてはこだわらなかった、本部は国内での活動に重点を置いているのか日本人を多く起用している、それは同時に日本人特有の危機意識の低さを持ち込む事になってしまう、加持はそのことも嫌っていた、だから支部の……、もっと言ってしまえば政情不安な土地に住んでいる、緊張感を持ち合わせている人間を多く求めたのだ。
 流石に各支部はゲヒルンからの持ち上がりで組織された本部と違って、軍部とかなり密着しているのか、良い人材が揃ってはいた、いたのだがしかし……
(そんな連中に、この仕事かぁ……)
 はぁあああああ、とテントの柱に手を突いて溜め息を吐く。
 気が重い。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや」
 加持は秘書となってもらった金髪の女性の流暢な『ロシア語』に、もっと滑らかな口調で返した。
「今日はゆっくりと口説こうかと思っていたのに、運が無いなと思ってね?」
「そうですか?」
「どうだい?、徹夜明けの仮眠室も悪くは……」
「でも」
 唇を寄せて来た加持に対して、持っていたバインダーでついたてを作り、押し返した。
「いいのですか?、国連にいらっしゃっている『奥様』のことは」
「なっ、なんのことかな?」
「『おにノいヌまニ』、でしたか?、羽を伸ばすのも結構ですが、『容姿』で選ばれたとは思いたくありませんので」
 そう言われると、おとなしく引き下がるしかない加持である。
 実際、彼女については情報処理能力の高さを買って引き抜いたのだ、容姿はあまり関係ない。
 それでも、一応は食い下がったが。
「お堅いねぇ……」
「……遊んでいる暇は無いと思われますが?」
 彼女は顔を近づけ、声を潜めた。
「あの『コードB』を相手に争奪戦を行うのですから、緊張感をお持ち下さい」
「はいはい」
 加持は適当に了解した。


 コードB、もちろん『ブラックデビル』、それはシンジのことである。
 優秀なだけあって誰もがその意味を正確に把握していた。
 だがそれこそが加持の頭を悩ませる原因ともなっていのだ。
(頭痛いよ)
 実際には事はそう大袈裟ではないのだ、加持はシンジを知っている。
 ここにいる連中の大半は、『ブラックデビル』を敵にして生き延びている『加持リョウジ』と言う男に尊敬の念を抱いている、だからまだ疑われずに済んでいるのだが……
「むぅ」
「どうしたの?、レイ」
「大規模ローラー作戦で来るとは」
「ああ、諜報部ね」
 苦笑して、シンジ。
「加持さん、頑張るなぁ」
「どうせ騙して使ってんでしょうけどね、ばらしてやろうか?」
「やめときなよ、一生懸命働いてるんだろうからさ」
 大袈裟に認識されてしまっているからこそ、この緊張感がある。
 そして一流であるということは、同時にプライドを持っていると言う事だ、そのプライドに照らし合わせて、この作戦の情けなさが知られた時にはどうなることか。
 そういう訳で、加持は冷や冷やとやっている。
「加持さんも歳なんだから、大人しくしてればいいのに」
「どうっ、せ!、またヤバくなったら逃げるつもりなんでしょ?、そういうことにかけては一流なんだから」
「ははははは」
 笑いで護魔化すシンジである。
「ほんとに嫌いだよね、加持さん」
「あったり前よぉ!」
 シンジの頭を胸に抱いて、よしよしと。
「人のシンちゃんにヤラしいこと一杯吹き込んで」
 苦笑するしかない。
「でもさぁ」
「ん?」
 離れつつ、顎でくいっと頂上を指す。
「どうしてそんなにこだわるのさ、相田君に」
 そんなの決まってるじゃない、と胸を張る。
「せっかくの沖縄旅行、行ってもらわなくてどうすんのよ」
「行かせてあげようって?」
「うんうん」
「……ずいぶん親切なんだね?」
「アンタばかぁ?、ばいアスカちゃん」
「は?」
「ケンスケちゃんが行くのやめちゃったら、その分『オミヤゲ』が減っちゃうでしょうが」
 ……そういう奴だよな、っとレイに対してちと思う。
「しかしまぁ……」
 山のあちこちに光が見える。
「ここまで大事になっちゃうとさぁ」
「ほうっといて帰ったら、それはそれで面白いかな?」
「また酷い事を」
「向こうが捕まえてくれるって言ってるんだから、譲って上げるのも親切でしょうけど」
 にんっと笑って。
「張り合ったげるってのも、付き合いってもんでしょうから」
 その少し離れた場所から、険のある声が聞こえていた。
「ええい、お前は何やっとるんじゃ!、あっちいかんかい」
 しっしっと。
「酷いねぇ、僕達の友情は何処へ行ってしまったんだい?」
「あほか、シンジはともかく、お前みたいな『タラし』とおったら惣流さんが危ないわ」
 へぇ?、っとアスカ。
「あんたそんなことやってんの?」
「まさか!、僕は洞木さん一筋だよ」
 はぁ?、と呆気に取られるアスカである。
「ちょ、ちょっとあんた」
 耳を引っ張ってひそひそと。
「ホンキ?」
 ニヤッとカヲル。
「さあ?、どうかな」
「あのねぇ」
「アスカちゃんにごちゃごちゃと言う権利はないよ」
 離れる。
「恋愛は『自由』さ、違うかい?」
「……」
「おう!、ええこと言うやないか!」
 トウジ。
「惣流さんのことはわしに任せて、お前は委員長といちゃついとけ!」
(ヒカリ……、何があったの)
 すっかりアスカの中ではカヲルにお弁当を差し入れて赤くなっているヒカリの絵図が出来上がってしまっているのだが、その影に隠れて『違うのよぉ!』と叫んでいる本物が居たりする。
 それはともかく。
「シンジ!、まだなの?」
「え?、ああ、うん……、レイ、そろそろ行こうか」
「そうね、じゃあパートナーをくじ引きで」
 あかん!、っとトウジ。
「わしは惣流さんと組むで!」
 まあいいけどね、とクジを捨てるレイ。
「んじゃカヲル、見張り役で着いてって」
「なんでじゃあ!」
「鼻の下伸びてるから」
「うぐ!」
「カヲル、ボディーガード役は任せたかんねぇ」
「わかったよ」
(トウジ君の安全は僕が保証するさ)
 そんな意味合いで空しく笑う。
 勢いふらちなことをしてしまって、ぶっ飛ばされるような事にはならないように、さり気なく邪魔をしてあげようと言うのは、果たして優しさであるとしても良いのだろうか?
「なぁんかさぁ、あんたたち……」
 半眼でアスカ。
「言外に語り合ってない?」
「気のせいよぉん」
「そうだよ」
「……まあ、良いけどね」
 だがジト目である。
「んじゃさっさと出発してね」
 ぶちぶちと言いながら歩き出したアスカを先頭に、トウジ、カヲルの順で登山道を登って行く。
「で、僕達はどうするのさ」
 シンジ。
「相田君の居場所、分かってるんでしょ?」
「まあねぇん」
「やっぱり……」
 呆れて嘆息。
「何処行くの?」
「パスさせてもらうよ、……そうだな、加持さんのところに行ってる」
「付き合い悪いんだからぁん」
「ホーリィが帰って来るまでには帰りたいからね、それじゃ」


 ──はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!
「こっちだ!」
「本部!、こちらB班、目標のものらしき装備品を発見、捜索範囲を絞られたし!」
 ──どうなってるんだよ!?
 ケンスケは涙を流し、鼻水を垂らしながらも懸命に斜面を登っていた。
(やっぱりそうだったんだ!、誰かが俺を狙ってるんだ!)
 追って来るのは黒づくめの服にプロテクターを着込んだ兵士達である。
 お世辞にも『真っ当』とは思えない連中だ。
(俺は何も知らないのにぃ!)
 息が切れる、酸欠でくらりと来る、しかし逃避は許されなかった。
「居たぞ!」
「そこだ!」
「ひぃ!」
 ケンスケは逃げた、懸命に逃げた。
 こうして、山中奥深くへと迷いこんで行くのであった。
 ──さて。
「大体さぁ、山歩きの格好じゃないのよね」
 アスカである。
 彼女はともかく、後の二人は学生服だ。
 そこそこに傾斜のある山道を登っていく、登山道のために踏み固められてはいるが、それでも木の根や岩などはそのままだ。
「帰った方が良いんじゃない?」
「なに言うたはるんですか!」
 トウジはどんっと胸を叩いたが、その格好は情けない。
 何度も転んだのか、どろどろだ、草木を擦ってしまって青い染みも付いている。
「気になってたんだけどねぇ?」
 対照的に全く身奇麗なままのカヲルである。
「どうしてトウジ君は、アスカちゃんに敬語を使っているんだい?」
「はぁ?、なに言うとるんや」
 きょとんとして。
「すんませぇん、惣流さん、この阿呆が変なこと言うて」
「……は?、あ、もしかして」
 アスカはとある可能性に気がついた。
「あんたもしかして」
「はい?」
「アタシの方が年上だとか思ってんじゃない?」
「へ?」
 驚く。
「ち、違うんでっか!?」
 くすくすとカヲル。
「アスカちゃんはトウジ君よりも年下のはずだよ?、確か、……同じ十四歳だけどね?」
 トウジは驚愕に目を丸くした。
「うそやー!?」
「どういう意味よ……」
「何処をどう見たら十四に見えるっちゅうねん!?」
 そうだね、とカヲルは微笑ましくアスカを見上げる。
「この頃は特に女らしくなって来たからね」
 照れる。
「あのねぇ」
「良い恋をしてると女の子は輝くものさ……、俗説だけどね」
「あ、そ」
「って待ったれや!」
 焦るトウジだ。
「惣流さんっ、付き合ってる奴、おるんですか!?」
 そっけなく。
「……さあ?」
「そうりゅうさぁん」
 アスカは余りにも情けない声にやや引きつった。
「そ、そんな声出されても……、別に付き合ってる訳じゃないから」
「どこの誰ですか!?、まさか!」
 トウジは大声で絶叫した。
「ケンスケ!?」
動くな!
「ひゃあ!」
 三人を一斉に照らし出すライト。
 光源は三つだ。
 素早く身構えるアスカ、カヲルはさり気なくトウジを庇う位置に立った。
「セカンドに……、フィフス」
 ライトが眩しくて良く分からないが、やはり戦闘服に思えた、そしてセカンドとフィフスとの呼称に、アスカは警戒心を募らせた。
「あたしを……、知ってるの?」
「ま、待て!、こちらはネルフ諜報三課だ」
「諜報部?」
「それを信じろと言うのかい?」
 カヲルはにやけて口にした。
 レイから聞いて知っていながら意地が悪い。
 ちなみにアスカは彼らの存在を知らなかった、トウジに張り付かれていたために、教えてもらえなかったのである。
「本部!、こちらA班、チルドレンと接触、指示を乞う」
 人数は三人、彼らは敵意無しと見せるためにライトを足元を照らすように下げた、ライトの装着されている銃口を下げた訳である、しかし。
 上からの命令は、彼らの度肝を完全に抜いた。
 ──通信機をボリューム最大にしてチルドレンに向けろ。
 ヘッドフォンへのその指示に従うと。
『あ〜、こちら本部、三課課長、加持だ』
「加持さん?」
 耳を貸したアスカも、やはり驚いた。
『チルドレンへの発砲を許可する、これは演習である、諸君らの弾頭はあらかじめ模擬弾に変更してある、以上だ』
 妙な間が、開いてしまった。
「ふえっくしゅん!」
 トウジが間の抜けたくしゃみをした、それが引き金となって、膠着状態を動かした。
「!?」
 反射的に銃口を上げる男達、トウジの首にラリアットをかまし、引っ掛けたままで斜面を滑り下りるアスカ、その後にカヲルも続き、木を盾にする。
 ──タタタタタ、銃声が鳴った。
「……」
 唖然とした顔をして、彼女は加持に目をやっていた。
 テントの中、パイプ椅子にだらんと腰かけて加持は面白そうに煙草をくゆらせている、頭は背後へと倒したままだ。
 その傍で、バインダーを抱いたままなんと言っていいのかわからないでいる。
「あ、あの……」
「ん?、ああ、演習だよ、演習」
 喋るために、煙草を摘まんで離し、ふうと煙を噴き上げた。
「うちの連中は全員がプロだ、それだけにチルドレンの実力を過小評価してる、いつかぶつかる事があるかもしれないなら、見せておく事も必要だよ、そうだろう?」
「でも」
「弾丸は全部偽装品さ、一見すると普通の弾丸にしか見えないがな、完璧な質感だったろ?」
 さすが技術開発部、とは心の内だ。
「まあ、青痣ぐらいは出来るだろうが、命中すると弾けて液体を付着させる、これが臭くてね、ニンニク辺りの成分を使ってるらしいんだが、動物の中枢神経を一時的に混乱させる効力があるのさ」
 はぁ……、と納得をする。
「その間に、捕縛ですか」
 まさか、と加持。
「その程度で捕まってくれる連中じゃないさ、それに」
「なんですか?」
「……無駄弾ばら撒いてると、辺りに匂いが立ち込めるからな」
「……」
「こっちの方が先にまいるんじゃないか?」
「だったら、止めれば良いじゃないですか」
 聞こえた声に、彼女は咄嗟に反応した、持っていたバインダーを回すようにして背後に振るった。
 一瞬、景色が揺らいでそこに居た『誰か』の姿がぼやけるようにかすれて、消え掛け……、しかし。
 ──バン!
「きゃあ!」
 彼女は突き飛ばされたように、勝手にもんどりうって、転がった。
対抗レジストされた!?)
 苦痛に呻きながら、苦悶に歪んだ顔を上げる。
 目元をにやけさせて、先と同じようににやついている加持が目に入った。
「大丈夫ですか?」
 その加持の姿を差し伸べられた手に遮られ、はっとする。
 少年だった、まだ幼いと言っていい顔をしていた。
 データでは見ている、サードチルドレン、碇シンジ、身構える、が、しかし今ここに居る彼からは、何やら怪訝そうにしているだけで、全く危険を感じられず、困惑した。
「なにやってるんですか?」
「あ、う……」
「おいおい、シンジ君」
 にたにたと、加持。
「俺は女の子には優しくしろって教えなかったか?」
「僕、何もしてませんよ?」
「優しい男なら、ここで彼女の術に引っ掛かってやるくらいのことはしてやったらどうなんだ?」
 訝しそうにする。
「術?」
 本当に、自分が何をされたのか、全く分かっていないのだろう。
「彼女は『空間使い』なんだよ、今のは君を別空間に飛ばそうとしたのさ」
「そんな無茶な」
 呆れて、シンジ。
「僕を飛ばすなんて、出来るはず無いじゃないですか」
「彼女には君のことは分からないのさ」
 言うなれば『世界』そのものであるシンジである。
 それをこじ開けた程度の隙間からどこかに飛ばそうとしたのなら、詰まってしまうのが落ちだろう、筒に大きさの違うボールを入れようとしても入るわけがないのである。
 彼女はその抵抗による『反発力』によって吹き飛ばされてしまったのだ。
「怪我は……、ありませんね?」
「え、ええ……」
「よかった」
 立った彼女にほっとする。
「でも危ないですから、次からはそんなことしないで下さいね?」
 わかりましたか?、と年下の子に説教されて酷く戸惑う。
「さてと」
 向き直り。
「お久しぶりですね、加持さん」
「ああ、暫く」
 よっと手を上げる。
「でも何やってたんですか?、こっちに来てるなら挨拶くらい」
「普通、挨拶ってのは『弟子』から言いに来るものだろう?」
「そうですか?」
「そういうものさ」
「そうですか、知りませんでした、加持さんって意外と『形』にこだわる人だったんですね」
「まあな」
 冗談を言って。
「けど……」
 シンジは彼女に横目を向けた。
「僕達を相手に実戦訓練ですか?、また無茶な事を……」
「相手を知るには実戦が一番さ、そうだろう?」
「アスカまで巻き込んで?」
「ダメか?」
「アスカはわりと、『普通』ですよ?」
「わりとねぇ……」
 面白そうに。
「ま、大丈夫だろ、第一、大丈夫でなかったらシンジ君は今ここにはいないはずだ」
 そうですけどねと、肩をすくめる。
「確かに」
 山を見上げて。
「この程度でどうにかなってるような僕達だったら、とっくにどうにかされてますけどね」
「世界でも屈指の連中を相手に、この程度、か……」
 にやりと、加持ばりにシンジ。
「僕達を本当にどうにかしようと思ったら、エヴァクラスの『人間』が必要ですよ」
 否定しない所が、加持が本当の意味で実力を知っていると言うことなのだろう。


「なんやなんやなんやなんやなんやぁ!?」
 ぱぱぱぱぱっと軽い銃声が響き渡る。
「馬鹿!、頭を低く!」
「ひゃあ!」
 アスカに後頭部を押されてそのまま転がる。
「鈴原!」
 ザッと背後で音、振り返ればマシンガンを構えた男が踏ん張っていた。
 その銃口がトウジへと定められ……
 ──アスカの左目が赤くなる。
「やめなさい!」
 男の体が強ばった、動きが止まる……、が、金縛りを脱してすぐに動いた。
「ちっ!」
 トウジを立たせて、引っ張り逃げる。
 その隣に何処からかカヲルが並んだ、幾ら日が落ちているとは言っても、これだけ騒ぐと暗闇なんて意味が無い。
「やっぱり『強制力』が働かないねぇ」
「あんたねぇ!」
「向こうが本気でない以上、こちらも力付くと言うわけにはいかないか、だから集中しきれない、困ったねぇ」
 そんなカヲルに、半眼で言う。
「だったら、ちっとはなんとかしなさいよ!」
 やれやれとカヲル。
「生憎と僕は『解説担当』であって知性でも暴力でも無いのさ、じゃあ、後は任せたよ」
「ちょ、ちょっとぉ!」
「相田君を確保するまで、囮の役目、任せたよ?」
「ついでにこれも持って来なさいよぉ!」
「殺生なぁ!」
 今度こそ斜面の、それも薮の中に捨てられる。
 ──ひはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……
 がさがしゃ、ばきぼきと異音を鳴らしながら転がり落ちて行く。
 アスカは追っ手の内の二人が、慌てて救助するために下りていくのを確認した。
「これで後一人ね!」
 ……何気に酷いアスカであった。


「西に五、東に七、北は国道に展開して網を張ってる、南はアスカちゃん達を包囲するので手一杯っと」
 ふむふむとレイ。
 カードサイズのマッパーが緑色の光を放ち、レイの顔を染めていた。
 マップにはこの辺り一帯の等高線が地図代わりに表示され、さらには移動する光点が数十と灯されていた。
『守護星』、第三進東京市の直上に『相対静止』している気球からの、オンライン情報である。
 ──守護星はクラゲ型をした気球であった。
 その上部はフレームによって組まれているのだが、真上から見ると五芒星の中に六芒星が納められているように見える。
 気球とは言っても、布類は使用されていない、フレームの中で膨らんでいる球体は光ファイバーで編み込まれた特殊繊維である。
 これは情報処理のための配線、回線としても利用されていた、一つにしてしまう事で重量を減らし、同時に機械の類を搭載するためのスペースを広く確保している訳である。
 下側にはまさしくクラゲの触手が垂れ下がっていた、小型の短いものは機械制御されている、これは各種のセンサーらしい、この高度から探査出来るのだから大した性能である。
 そして長い物が一本垂れ下がっていた、これは風に揺らいで動いている。
 ──バランサーである。
 当たり前の話であるが、地球は回っている。
 さらに、太陽の周りを回ってもいる。
 相対速度と言う言葉もある。
 向かって来る車とすれ違った時、離れていく速度は当然早い。
 しかし同じ方向に向かっていた場合、その距離はゆっくりと離れていく事になる。
 回っている地球……、つまり常に動き続けている大地に対して、全く同じ地点に空中静止し続けることは非常に難しい。
 自転している地球に対して、常に相対速度をゼロに保たなければならないからである、大気の流動の激しい、空中に在って。
 ついでに言ってしまえば、地表よりも空中では速度がより必要になる、コンパスで描けば分かる事だが、同じ角度を移動させた時、外円は内円よりも長くなる、つまりそれだけ長い移動距離を移動しなければならない事になる。
 常に頭上に在り続けようとするならば、相応の速度が必要になる、という当たり前の理屈である。
 問題はそれだけの速度を、推進機関もないこのクラゲが、一体どうやって発生させているのかなのだが……
 ──やはりふよふよと漂っているだけである。
『包囲殲滅』『人海戦術』は潜伏している敵に対し圧倒的戦力があった場合にのみ有効な戦術である。
 しかし諜報三課が初期に取っていた作戦は、麓からしらみつぶしに探していくためのローラー作戦であった、ある程度の数でチームを組み、相互に見える距離でただ登っていくだけのものだったのだ。
 それを途中から包囲陣形に切り替えようとすれば、チーム単位で点在する事になってしまう。
「数的には圧倒的に見えますけどね」
 ──仮設指揮所。
「これじゃあ各個撃破してくださいって、言ってるようなもんじゃないんですか?」
 シンジの素朴な疑問に加持は答える。
「ま、そうだな」
「そうだな、って……、良いんですか?」
「それはシンジ君に心配してもらうような事じゃないさ」
 彼女に頼んで、缶のジュースを二本用意してもらう。
「諜報部となってるが、対象は君達だからね、こういう慣れない連携作戦にも失敗しておかないとな」
「学びませんか?」
「そういうことだ」
 はぁ、っと。
「失敗から学べ、か……、誰かに聞かせてあげたい台詞ですねぇ」
 遠い目をする、誰のことを言っているのか?
「ま、それはそれとして」
 気を取り直し。
「実際、時間が掛かりますね」
「それはどっちに言ってるんだい?」
「諜報部に、ですよ」
 シンジは素直に感想を述べた。
「だってそうでしょう?、報告からだとアスカだけが戦ってるみたいじゃないですか」
「カヲル君が参戦している可能性は無いのかい?」
「ありませんよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「だって、カヲル君が手を出しちゃったらもっと大事おおごとになっちゃってますよ」
 面白そうに、含み笑いをする。
「カヲル君の力は僕と同じで、手加減が利きませんからね、死人が出ます」
「そういうものか」
 実際の所は、カヲルが参戦しない理由は別にあった。
 カヲルの『力』は使徒と同じく本部のセンサーに引っ掛かるのである、不用意に使えば大事となってしまうだろう。
「遊びですからね、まだ……、そちらに殺意が無い以上、そういう『応対』をしますよ」
「鬱陶しいとは思わないのかい?」
 別に、と答える。
「第一、……知ってるでしょう?、僕達は敵意のない人達には大したことはしませんよ」
「そうだけどな」
 苦笑して。
「しかし……、そうなると」
「なんです?」
「……アスカ一人を相手に、ここまで苦戦してるってのは、問題だな」
「そうですねぇ……」
 今度はシンジが苦笑した。


「てぇい!」
 木の影から跳びかかる、ネルフ側の二人が銃口を向ける、アスカの叫び。
「大人しく!」
 ──硬直。
「下がれってのよ!」
 筋肉に力を込めて男達は硬直から抜け出した、虚を衝かれてそうなってしまったとでも思っているのだろう、恥じているものが窺えた。
 一瞬逡巡してしまった、それが『敵』を確実に優位に立たせてしまった、それが彼らの認識であった。
 懐に飛び込まれる、手首を蹴り上げられる、宙を舞う銃を奪われる、撃たれてしまった。
 ──パパパパパ!
 うわっ、だの、ぎゃ!、だのと、芸のない悲鳴を上げてもんどり打つ。
 弾頭が潰れると同時に、異常な臭気が発散された、それは目や鼻、喉と言った粘膜を焼く。
「……」
 アスカは毒づきそうになる自分を堪えて、頭を低くし、逃げるように走った、息を吸えば余計に酷い事になってしまうと、加持を恨んで。
 既に辺り一帯、幹などに当たったもので、匂いが酷く篭ってしまっていた。
 涙目は仕方ないとしても、口を開くのも辛い。
(ハンカチを持って来るだった)
 即席のマスクくらいは作れたのに、そう考えて、はてとアスカは首を捻った。
「じゃあ、あの連中って、なによ?」
 ガスマスクの装備も無しにこんな武器を使い、あげく敵に奪われて苦労している。
 妙な所で素人臭いと感じられた。
「ま、たまにはこんなのも良いけどさ……」
 木の幹にもたれかかって、アスカは静かに目を閉じた。
 ふうと息を吐くと、どっどっと酷い鼓動が胸を叩くように感じられた。
 耳がきぃんとする、頭の中の酸素が足りなくなってるな、そう思う。
 臭気にやられたりしないように、すぼめた唇からゆっくりと空気を吸い込み、吹くようにして吐き出した。
 そうしていると、次第に思い出して来るものがあった。
『気持ち悪いんですよ、あの子の目が……、まるで何もかもを見透かしてるようで』
 夜、かつては父と『母』のものだった寝室から漏れ聞こえる声。
『実際そうかもしれないな、あの子は生まれつき特別なのさ』
『母親が母親だからですか?』
『今の母親は、君だろう?』
 ──ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!
 駆けずり回る、母の一回忌、その墓の外れの林の中を。
『居たか!』
『そっちだ!』
 その連中が『チャイルドプレイ』と言う名で知られている、子供専門の誘拐団体であったのは後に知ったことである。
 チルドレンに選抜された世界で二番目の子供。
 普段はガードが堅くても、今日、この日ばかりは、故惣流博士をしのんで多くの人間が訪れる。
 その中に数人ばかり、身元の分からない人間が紛れ込んでも気付きようがないだろう。
 けれど。
(違うっ、違うっ、違うっ!)
 幼いアスカは転げながらも逃げ回った、肘、膝が擦り切れて痛い、今日はお墓参りだからと履かされた靴が恨めしい、堅い、足首が痛くなって捻りそうになってしまう。
(違う!)
 アスカは心で叫んでいた。
(こんなのっ、違う!)
 交錯する複数の記憶。
『臨界にまで達したアスカは、アスカの望む地点に飛ばされるはずだよ』
(あたしはっ、こんな『やり直し』、望んでない!)
 頭を鷲づかみされ、押し倒される、土の上に顔半分を擦り、傷だらけにされる。
 背にのしかかられる、素早く腕の関節を決められる。
 ──ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
 頭を押さえつけられ、頬に砂利の痛みが走る、涙が滲むのは悔しいからだ、姿は十歳前後でも、心は遥かに成長している。
 その『アスカ』は、屈伏する事を良しとしなかった。
 記憶が重なる。
 舞い降りる者。
 白き使者。
 一方的な蹂躪。
 手を裂かれ、目を貫かれ、腹を食い破られた。
 その感触が、まざまざと蘇り……
 こんな屈辱の、くり返しなど……
 ──到底、認められるはずが無く。
 目の端に……、林の奥の木の陰に、青い髪の少女がいやらしく笑っているのを見付けた瞬間、アスカは弾けた。
「殺してやるぅ!」
「おい!」
 アスカを捕らえた男が、やおら銃を引き抜いた、その行動に仲間が焦る。
 バン!、銃声が鳴り響き……、男は自らのこめかみを撃ち抜いて、アスカの横へと倒れ落ちた。
 ──コロシテヤル!
 アスカはぐっと歯を食いしばると、男の体を押しのけ、『色違い』となった瞳で『敵』を捉えた。
「わぁあああああ!」
 ──シネ!
 バン!、おぞましい感覚に囚われた男達は、一斉に銃を『前後逆』に握って引き金を引いた。
 まるでアスカを狙ったつもりで、自分の体を撃ち抜いた。
「こっちだ!」
 遅れて、銃声を聞きつけた者達がやって来る。
 アスカはその場にしゃがみ込んだまま、怒りに身をやつしていた。
 がたがたと震えていたのは、恐ろしかったからでは無く……
 ──ユルサナイ。
 保護してくれた者が上着を掛けてくれ、温めてくれても……
 それでもまだ、睨み付けていた。
(結局、追いつめられる事に弱いのよね、あたしって)
 はぁっと嘆息。
 それは『あの時』の感覚が、蘇りそうになってしまうからだった。
 あの現象……、力自体が何なのか、アスカは全く知りはしない。
 けれど分かってはいた。
(この世界の全てが、あたしには逆らえないように『出来てる』なんて)
 それはまるで、シンジがそうしてくれたかのように。
 ──あらゆる物が、従ってくれる。
 だからこそ。
(それじゃあ、都合が良過ぎるじゃない)
 クスリと笑う。
 贅沢かもしれないが、嫌なのだ。
 都合の悪い事を都合よく変更してしまえる、それでは生きている意味が無い。
 アスカ自身は知らないが、その考えはノギのものに酷似していた。
『限界に挑戦出来ないでくすぶりつづけるしかなかったんだよ、俺達は生きながら腐らされたんだ』
 上手くいかない事があるから、理不尽な事があるからこそ、挑戦出来る、本気になれる、頑張れる。
 上手くいく事ばかりでは『張り合い』がない。
 まあ、それ以上に……
「あの頃の自分から成長してないって、実感させられるのが嫌なんだけどさ」
 アスカは奪い取った銃を両手で握った。
 自分で戦うこと、立ち向かうこと、それがしたくて『還って』来た。
 だから助けを求めるつもりは毛頭無かった。
 ──この程度では。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。