──知らない、知らない、そんなこと知らない、けど……
 悪いのは僕だ。
 ゴゥ、と風が吹いてびりびりと窓が震えた。
「暗いわねぇ」
 ぼうっと窓から外の景色を眺めていた少年の頬を、ぶにっと少女が指で潰した。
「いっつも島ん中じゃ退屈だろうと思って、せっかくデートに誘ったげたのに」
 青い髪の少女はそう言ってぶすっくれ、線の細いひ弱そうな少年は冷めた目をして呟いた。
「……僕は島の中の方が良かった」
 だって、と続く。
「あそこにいれば……、絶対、何も起こらないから」
 少女はそんな少年に肩をすくめる。
「『碇シンジ』ってのは、本当にツマんない奴だったのね」
 西暦2011年。
 彼らはベトナムの上を飛ぶ、おんぼろ飛行機の中に居た。


NeonGenesisEvangelion act.47
『変調:pro・logue −外典 第四章 第二節−』


 ──嫌だ、もうやめて、許して!
 幾ら叫んでも許されない。
 いつも拒絶され、嫌われ、極限にまで酷使され……
 そして心が壊れるほどに辛く扱われ、やがて絶望を突きつけられ……
 共に居たかった人達の死を繰り返し『体感』させられたとしても。
 ──そしていつも引き金となって……
 沢山の人を『自分勝手』の巻き添えとするのだ。


 アスカや、カヲルが思っているほど、シンジが行った『再創世』は容易く成せるものではなかった。
 サイコロを振ったとする。
 一の目が出る確率は六分の一、ならば六度振れば一の目が一度は出るのだろうか?
 何度振り直したとしても確率は六分の一のままなのだ、出ない事もあるだろう。
 一体シンジは以前と限りなく近い世界を導き出すために、どれほどの回数試したのだろうか?
 その度にどれ程の苦渋と苦痛と悲しみを味わったのか?
『今』のシンジにはそれらが全てのしかかっている、拗ねているだけで済んでいるのは奇蹟に近いと言えるだろう。
 そんなシンジ達の座席の傍に、剣呑な雰囲気を身に纏っている男達が居た。
 一人は大貫カンヂ、彼であり、もう一人は目深に帽子を被った男性だった。
 カンヂは灰色の、そして男は黒いスーツを着込んでいた。
「そう緊張なさる事も無いでしょう、会長」
 カンヂはふんっと鼻を鳴らした。
「誘拐されてる途中で機嫌好くしていろと?」
 突然とんでもないことを言う。
「ご招待ですよ、あくまでも」
「どこが……」
「近い内、あなたの会社は国際通貨統合機構と名前を変えて全世界の金融を握る、今あなたを失う事は我々にとっても面白くない、命まで奪おうとは言いませんよ」
 ふふふふふと笑い出したのは、脅されている側のカンヂであった。
「何がおかしいのですか?」
「当然だろう?」
 面白がって顔を覗き込み、皮肉げにカンヂは言ってやった。
「僕がやっているのはかつてカード会社がやっていた業務を拡張しただけのものに過ぎない、カードを通して銀行が世界中の支払いを代行してくれる、一々換金する必要は無い、その便利さに旧世紀の『ポイント制』を発展させた『スパイス』を加えた、ただそれだけのことだ、そんな会社がそれほど恐いか?」
「恐いですね」
 男は言った。
「その『少々』のことが、今や世界経済の根幹となろうとしている」
「根幹ね……」
 窓の外を見る。
「だからと言って、ベトナムの空を飛行機で、か?」
 皮肉にしたのは、それは現在の航空事情に関係していた。
 ──この時代、旅客機はとても危険な乗り物となっていた。
 理由は幾つか存在していた、まず飛行機会社そのものにある。
 セカンドインパクトが発生した時、空を飛んでいた旅客機は全て失われてしまった、それこそ地上に待機してものも無事とは言えない状態となった。
 当然のごとく旅客機がなければ業務は成り立たない、だが飛んだ所で旅行者など居ない、飛ぼうとしても各国は政情を盾に国境内への侵入を拒否した。
 燃料の問題もあった、先の見え無い状態に、それぞれの国は輸出を停止した。
 揚げ句には保険会社の倒産である。
 この状況下で崩壊した空港を再整備し、航空機を増産するなどできようはずがない。
 次の理由は国境封鎖に関連した物である。
 盗賊、ゲリラ、あるいは難民。
 いつ誰が襲いかかって来るかわからない、幾つかの軍事施設は他者の手に落ち、武器が盗み出されていた。
 例え高い高度を飛んでいたとしても安心は出来ない。
 そしてここはベトナムである。
 いつ対空狙撃用のライフルを向けられるかわからない、ミサイルを撃ちこまれる場合もあるだろう、そんな場所を飛行機で飛ぶなど信じ難いことなのだ。
「大丈夫ですよ」
 くつくつと男は笑った。
「ルートの安全は確認済みです」
「安全なルートを作りました、だろう?」
「そうとも言いますね」
 カンヂは舌打ちした。
「揚げ句にあれはどういうつもりだ?」
 示したのは少年と少女の二人連れだった。
 シンジとレイだ。
「あの姉弟は僕にプレッシャーでも掛けているのか?」
「いえ、純粋に『手違い』ですよ」
 吐き捨てている辺り本当の事なのだろう。
「『貸し切り』の予定がどこをどう間違ったのか、予約を取られてしまいましてね、まあ、無事に下ろしますよ」
 あなたさえ大人しくしていてくれればと念を押した。


 ──2015、ネルフ本部。
「ほぉんと、つまんないわねぇ」
 その傍、別棟内、福利厚生施設、屋内プール。
 ベンチに寝っ転がっているアスカは、プールサイドで濡れた髪を掻き上げるカヲルを見て呟いた。
 妙に艶めかしいのだが、それが逆に気持ち悪さを感じさせる。
 凄まじく『妖しい』のだ。
「おや?、ビキニパンツじゃまだ足りないかい?」
 そうじゃないっての、っと吐き捨てる。
「なぁにが悲しくてあんたと二人っきりでプール入ってなきゃなんないわけ?」
「仕方が無いさ」
 肩をすくめてからタオルを手に取り、肩にかけた。
「使徒が見つかったんだ、ホリィさんはお仕事に、レイはじゃれ合いに……、君がレイを焚き付けたんだから諦める事だね」
 ──第一作戦会議室。
「これでは良く分からんな」
 コウゾウが足元の映像に対して口にした。
「他にデータは無いのかね?」
「浅間山には日向二尉が飛んでいますが」
「まだ時間はかかるか……」
 ふうむと唸る。
 状況はこうだ。
 二時間前、浅間山火口付近にある観測所から不審なデータが回されて来た、それは最初、単なる依頼の形が取られていた。
 世界最強のコンピューターであるMAGIを頼って、この手の解析依頼は日々飛び込んで来る。
 実際には赤木博士を頼ってのことだ、数ヶ月以上懸かる分析も、こちらに回せば後回しにされたとしてもかなり早くに結果を出してくれる。
 今回もその手のものとして持ち込まれたのだが、リツコがウイルスチェックついでに組み込んでいたファイルの分析プログラムが、このデータについての不審な点を列挙したのだ。
 そのため、急遽準待機シフトが敷かれることとなっていた。
「この時点では何とも言えんな」
「しかし無視は出来ません」
「当たり前だ」
 青葉の揚げ足取りに苛立って答え、それからホリィに目を向けた。
「君の意見はどうかね?」
「……場所が場所ですから、準備だけでも済ませておいた方が良いかもしれません」
 背伸びした物言いで解答を述べる。
「第三新東京市の外ですから、日本政府からの許可が出るまで行動出来ません、こちらに指揮権が移行し次第、迅速に行動出来るように運搬用意を整えておく方が」
 それはまあそうだな、と冬月は承諾した。
「無駄手間になるかもしれんが……、無用な手間ではあるまい」
 シゲルに対して指示を出す。
「作戦部に通達、技術部にもだ」
「はっ!」
 敬礼し、シゲルは出て行く。
 コウゾウはそれからホリィに命令した。
「フィフスに待機命令を出してくれるかね」
「……セカンドは?」
「今はフィフスだけで問題無いだろう」
(これが使徒であったなら……、老人ともめるだろうしな)
 火口内で戦うには準備が居る、そしてそのような危険な領域での戦闘にエヴァを使用する事が認められるか?
 おもちゃ呼ばわりされているエヴァンゲリオンも、建造費を考えれば消耗するわけにはいかないのが実情であった。


 ──わたしはあなたの思想が気に入ったのですよ。
 男はまるで組織のボスが自分であるかのような物言いをした。
 そのことに対して、カンヂはとても気になったとマユミに語った。
「思想、ですか?」
「そうだよ」
 スチュワーデスを呼び止めて、オレンジジュースを二つ頼む。
「僕は上手く時流に乗って出ただけのサラリーマンさ、たまたま当たっただけのね?」
「そんな……」
「謙遜してるつもりはないよ、それが僕の持論に基づくとそうなるのさ」
 マユミは恐縮して拝聴しようと姿勢を正した。


「貴方の本を読みましたよ……、良いですねぇ、よくあんなことを公然と発表して人格を疑われずに済んだものだ」
 男はそう口にした。
「サラリーマン、響きは平凡を意味するが二十世紀末には最悪な人種を蔑む別称に近かった、物を考えず、歯車となり、そして捨てられる……、『寄生型』、そう、まさしくそうですな、サラリーマンとは寄生して生きる人種のことだ」
 そこまでは書いていない、とカンヂは顔に現した、しかし男には通じない。
「無能、無力なのではなく、『無思考』とでも言えばいいのですか?、人々は働き場所を求め、そこで働くことを当たり前とした、しかしその実はあなたの本に書かれていた通りですよ、創造的な一握りの人間が成した事業に、多くの者が群がって寄生し、依存しようとするだけの行為に過ぎない、一人前になるとは他人の尻馬に乗っておこぼれに預かる事だ……、そしてそのような人種はやがて物を考えなくなる、だからこそ不意の事態に際しては自らの展望を開くだけの力なく、狼狽えて立ちすくむしかない、馬から振り落とされたら、その場で呆然と立ちすくむしかない……、社会構造もそうですな、町や村は市に、市は国に寄生するだけ、だから自治権を与えられたとしても何も成せない、何も考えられない、何も出来ない……、金をばらまく事で問題解決していると思っている阿呆どもは、ようやく気が付き出しているようですがね……、金を配る事は目に見え易い、わかりやすいパフォーマンスに過ぎず、そして楽に示せる対処でしかないと」
「そうだ」
 その点に関してはカンヂは認めた。
「クリエイティブな発想、創造、それが出来ない人間は既成の概念に囚われたまま、『常識』にこだわり続けるしかない、それこそが唯一の拠り所だからな……、だから正論と夢を嫌うんだ、それは『常識』を越えた理解不能な世界へ飛躍しようとする理屈と行為だから」
「ですな」
 苦笑する。
「創造的な発想をする人間の養育こそが社会を成長させる、その通りですな、一人のクリエイターの誕生は、多くの寄生生物を救う事になる」
「そして常識の枠を越えた飛躍こそが次世代の基盤足るものを作り上げる、そうしてWWII第二次世界大戦後、沢山の先進国が誕生した」
「クリエイターが新たな商売を産み出し、そして人々を取り込み、活気付かせ、生活を豊かにしていく、実に素晴らしい」
 小さく、ぱちぱちと癇に触る拍手をした。
「だからこそ、安定期を迎えた国は満たされたが故に怠惰に陥り、思考を停止する……、そう、サラリーマンの誕生ですな」
「そうして社会は活動しながらも成長を止める、気概のない人種ばかりとなって活力を失い、衰えて行く」
「世界の流れに取り残されてね」
「違う」
「?」
「あくせく働く連中を笑って、余裕を見せている内に追い越されるのさ……、やがて気が付いた時には、もはや追い付けないほどに距離が開いている」
「……そうですな、その距離を詰めるための方策は、全てリスクが、体面がと言う理由で何もなされない、ますます決定的な差が開く、政治家ですら企業に、より上の者に、金に寄生するだけだった、そんな連中に画期的な『アイディア』が『創造』できるはずがない、だが彼らはそれを成せる者を潰すばかりで、自分達の無能さを認めやまず、己の没落の巻き添えにする」
「社会的構造、根源と言っても良いシステムに関係する思考であり、そして誰も指摘しなかった社会的欠陥がもたらす弊害だ、豊かになればなるほど、安定すればするほど、人は娯楽と言う名の麻薬に感覚を麻痺させていく」
「だからこそ、セカンドインパクトは『必然』であった」
 男は強い口調で強調した。
「社会的な、そして世界的な経済と言う名のシステムが作り上げた『雇用』に基づくこのシステムは、盛衰を繰り返しながら人口だけを増加させる、そして残るは飢餓による世界、そう、セカンドインパクトがその全てに歯止めを掛けてくれた」
 男は帽子のつば越しににやけた目を見せた。
「セカンドインパクトによって『金』よりも畑を耕す『手』が必要となった、獣を取り、魚を釣り、山菜を摘む人手が必要となった、人件費よりも安く働いてくれるコンピューターよりも、役立つ人足が必要となった、……皮肉なものです、IT革命によって人はますます働き場所を失っていくところでした、それが全てセカンドインパクトのおかげで回避出来たのですから」
 カンヂには特に思い深いことだった。
「……リストラされた人間は行き場を無くしていた、それがもう一度働かせてもらえるんだ、こんなに嬉しいことは無く、また、その労働が、物を生み出す苦労と楽しみを教えてくれた」
「その点は日本人の愚痴でしょうからわたしには分かりかねますが……、ですがそのあなたは今ITの最先端へと返り咲き、このような事業を興している」
「……」
 カンヂは目を閉じて不機嫌を顕にした。
「皮肉か?」
「いえいえ」
 大袈裟に否定する。
「純粋な興味ですよ、あなたはこう書かれている、次世代の生物の誕生と旧世代の生物の死滅はほぼ同時期に行われるものだと、だからセカンドインパクトは神の慈悲なのかもしれない、我々にやり直すための『地均し』をして下さったのだ……、本気でそう口にしたのですか?」
「……半ばはな」
 カンヂは認めた。
「だからこそ僕はこの新世界で何ができるのか試したかった、神の願う通りに創造的なものを作り上げる事が出来るのかと……、しかし」
 苦笑する。
「気がついてみれば旧世紀にあったものを模倣しているだけだ、自分に呆れる」
「いえいえ、あなたは素晴らしい」
 それは本気の称賛だった。
「あなたは言わば鍛冶師なのですよ」
「鍛冶師?」
「そうです、あなたは神剣を鍛えられる鍛冶師そのものだ」
「神剣か……」
「そして神剣は神の『巫覡みこ』が持ってこそ意味あるもの」
 憮然として言う。
「君達こそが巫覡だとでも言うのか?」
「それを鍛冶師のあなたに見極めて頂こうと、こうしてお呼びだてしたのですよ」
 ふうん?、そうなんだ、と彼らの背もたれに身を乗り出して、相槌を入れたのは……
 いつの間にやら、背後の席に移動していたレイであった。


 ──浅間山山頂付近、観測所。
 様々な計器が壁を覆い尽くしている部屋の中なのだが、どこかその雰囲気は落ち着きに欠けていた、旧式の機材に真新しい物が混在しているせいかもしれないが、それ以上に皆の緊張こそが異常であった。
「後五百、お願いします」
「既に限界を越えているんですよ!?」
「壊れたらうちで弁償しますよ」
 渋々、と言った感じで彼らは従う、命じたのは日向マコトだった。
 彼らが見ている画面は、火口からクレーンによって吊るされ、沈められている観測機からの情報だった。
 熱量を見る事で物体の有無を検証している、現在の深度千三百、あり得ない大きさの物体が浮力によって漂っているのが発見されたのがこの深さである。
 流動するマグマの圧力は凄まじく、高温は容易く物体を溶解、変形させる、なのにその物体は球体を維持したまま壊れずに居るのだ。
 あり得ない事だった。
 ピーッと警告音が鳴り響いた。
「観測機圧壊!」
「解析、間に合った!」
 日向は喜んで手を叩いた。
「使徒だ!」
 そこには紛れもない、パターン青が検出されていた、しかし、彼らが発見するのは遅かった。
 ──山頂、火口。
「あーおぉい〜、さん〜みゃくぅっと」
 ひょいひょいっと登山コースを登っていくのはレイである。
 ダークグリーンのタンクトップシャツに、迷彩の入ったズボンを穿いている、靴はトレッキングブーツ、しかしリュックも何も背負っておらず、まるで近所へ遊びに出たかのような格好だ。
「たかが使徒、されど使徒ってね?、まあ、こんなのどうとでも出来るんだけどさ」
 ──この世にはルール、法則がある。
 例えば生態系の入れ替えである、新しい種が生まれ出た時、古い種は常に滅びて道を譲らねばならないのだ。
 人類が……、いや、補完委員会が使徒に対して抱いている危機感はこれに根差していた。
 ──魂の総量は一定である。
 それが小分けにされる事で、人は群体とされている。
 次なる『モノ』が世界の主となるにしても、魂と言う名のエネルギーが新たに発生するわけではないのだ、古い種の魂は『昇華』を与えられて新たなる存在の根幹とならねばならない、だからこそ『古きモノ達』は新たなる存在の出現と同時に消える事になるのだ、いや、姿が変わってしまうから、『他者』には消えたとしか映らない。
 ──だがそれは進化と呼べるものなのだろうか?
 ヒトは姿を変える、新たな能力を身につける、まったく別の種となって、この世界に息づく魂となる。
 だが、それでは霊的な構造はどうなるというのか?
 魂は変質しない、同じ魂のままだ、その総量は全人類、全生物を統合し、莫大なものとなったとしても、質量による凄まじさが増すだけで、構造そのものの変革は行われない。
 本質的には変わらないのだ。
 火は集まれば炎となるが、あくまで火は火のままである。
 人類と言う名の種が行き詰まってしまったように、何億年単位でくり返されて来た種の交代劇も、やはりいつかは行き詰まるのだ。
「そのための人類補完計画か……」
 馬鹿な事を、と鼻で笑った。
 細胞片に放射線を与える事で変質させるように、人類の魂そのものを変質させることで未来へ紡ぐ、さらにはそこに人の意志を介在させる事で、誘導を促す。
「それが分かるおじさん達ばっかりじゃないでしょうに」
 どうやって纏めているんだろう、と首を捻る。
 実際、委員会は一枚岩ではない、真実を知っているのは長たるキール・ロレンツと、実行者であるゲンドウのみだ。
「宇宙人が居たとしよう」
 ──マユミに対してカンヂは語る。
「ピクニックに出かけてたまたま星を見付けたとする、そこに下り立って弁当を広げて楽しい一時を過ごす、そんな自由は僕達が山に出かけるのと変わらない、そうだろう?」
 マユミはこくりと頷いた。
「けれど地球の人間はこういうのさ、ようこそいらっしゃいました、『わたし達の星へ』ってね?、既成の概念の違いだろうね、このばかみたいに広い世界で、何かを誰かの物と定める馬鹿馬鹿しさは、彼らには信じ難い事だろう……、だけど限られた箱庭で暮らしている僕達は、常に何かを誰かのものとして認識し、設定する、常に所有権を主張し、誰かのものだろうと身構える、山で拾った石を自分のものだと主張する傲慢さに、そろそろ気付かなければならないというのに」
 しかし綾波レイ、彼女こそが……
「僕が出逢った中で、最も『宇宙人』に近い人間だったのさ」


 やれやれ、と男は尻をずらすようにして沈み込み、お腹の上で手を組み合わせた。
「子供が大人の話を盗み聞きするとは、感心しないよ?」
「こんなに狭いんだよ?、ハンパに聞こえて来て気になるんだもん」
 やけに子供っぽく話すレイである。
「ねぇ?、おじさん達ドラマのヒト?」
「ん?」
「さっきの、映画か何かの練習じゃないの?」
「……ま、そういうことだ」
 カンヂは隣の男に意地悪く笑い、レイに振った。
「混ざるかい?」
「良いの?」
「退屈なんだろう?、聞いてくれた方が身が入るさ」
「じゃ、遠慮無く」
 っとにこにこと前の席に回って、背もたれ越しに身を乗り出した。
「で、何処から聞いてたんだい?」
 レイは答える。
「おじさんがリストラされたって愚痴ってた辺りから」
 肩をすくめる。
「僕達の頃は働き口が無くてね、見つけるより作る方が楽だったのさ」
「でもそれって頭回ってないって気がしたけどね」
「そうかい?」
「うん、情報化が進めば販売業務は簡素化が進んじゃうよね?、国内だけじゃなくて世界単位での価格競争が進んで、後は手に入る便利さが目立つだけ?、それも国内に限れば即日着でしょ?、となるとネットで探して注文、後は着待ち、なら残るのは?」
 そうだな、とカンヂは頭を働かせた。
「肝心の流通、それを卸す卸し業、製造、開発、それらをトータルで管理する会社、こんなところかな?」
「ついでに言っちゃえばそのほとんどもオートメーションで簡略化出来る、なら正直必要なのは開発だけだけど……」
「なんだい?」
「……コンピューターが進めば、発明もやってくれるんじゃない?」
 ね?、と笑う彼女に、カンヂは表情をこわばらせた。
 彼はMAGIと言う名のコンピューターの存在を知っていたからだ。
 第六世代型と呼ばれているMAGIは人と脳と同じ作りを持っている、通常の生物、コンピューターは一つの記録に対して他の『記憶』と結び付けることが出来ない。
 旧来の思考形態は常にA=A、B=Bであり、例えA+B=CであったとしてもC=Cを知るまではCを算出することは出来ないのだ。
 だが、MAGIは非常にアナログで、人間と同じ作りをしている。
 木は水に浮く、水に乗ると沈んでしまう、ならば木に乗れば水の上でも安心出来る。
 これがアナログの思考だが、デジタルでは木は浮く、水は沈む、それで終わってしまうのだ。
 水と木と言う二つの記憶、記録を結び付けて『発想』するファジーな構造を持っているのが人間だ、MAGIは生態部品としてこの人間の脳を組み込まれていた。
「そうなってくとさ、人間に残された楽しみってのは娯楽に尽きるじゃない?」
「娯楽?」
「そ」
 にんにんっと口を猫風に歪ませた。
「テレビに漫画に小説に音楽、美術工芸、ってね?、どんな時代でも人は喜びと楽しみに飢える物よ、そうじゃない?」
「子供が知ったような事を」
 ふてくされている黒帽子の男に対して、レイは嘲った。
「そうやって自分も子供の癖にって言われて来たんでしょ?、それとも今でも言われてるのかなぁ?、テロリストの癖にって」
 がばっと立ち上がった男に対して、レイはビクリと脅えて見せた。
「な、なに?」
「この!」
「やめないか」
 カンヂが押える。
「芝居だよ、そうだろう?」
 暫く拳を震わせていたが、男はふんっと鼻息を吹いて席を離れていった。
 コクピットへと去って行く。
「……どうだい、お嬢さん」
「はいはい」
 レイは空いた隣に腰かけた。
「なにあのおじさん、ちょっと話合わせて適当に喋ってあげただけなのに」
「少し図星をつき過ぎたな」
「レジャーとホビー産業は永遠だって話?」
「違うよ」
 くつくつと笑った。
「ま、確かにそれもあるけどな」
「あれは出世しないタイプね」
「俺もそう思うよ」
 しかし、と。
「人は娯楽に飢える生き物か……、確かにその通りかもな」
 深い声で呟いた。
「人はいつの時も喜怒哀楽を感じられる『世界』を求める生き物だ」
「てっつがくぅ!、だから争いもいさかいも無くならないってやつね?」
「そうだな、生態学的に見ても興奮はアドレナリンを分泌させて感情をハイにさせてトリップへと導く、だから戦争も人殺しも楽しいものとして認識してしまう」
「あの人達みたいに?」
「そうだな」
 ふとカンヂは、この少女のおかしさのようなものに気がついた。
 ほがらか過ぎる感じに、何か騙されている様な……
「娯楽は全ての行動原理よね?、自分の中にある感情を素直に吐き出せるよう、人は導き出してくれる物を常に求めてる、それが例え『仮想現実』であっても……、ううん、『実害』が無いからこそ、麻薬以上にのめり込める、けどやっぱりウソはウソ、本当には敵わない」
「何が言いたいんだ?」
 ふざけた笑みがひやりと変わる。
「ゲームしようよ」
「ゲーム?」
「そ、あたしが提供するのは飢えた連中に『生身』で体感出来る『命がけ』の展開」
 レイは小指を差し出した。
「まずはお試し、あたしが勝ったら、付き合って?」
「ゲームに?」
「ガキを愛人にするほどスキモンじゃないでしょ?」
「わりとロリコンなんだけどね」
「おじさんが勝ったらなってあげる」
「それは燃えるな」
 カンヂは冗談交じりに小指を絡めた。
「で、サンプルゲームの内容は?」
「あそこに子供が居るでしょう?」
 レイが示したのはシンジである。
「君の弟君かい?」
「そんなとこだけどねぇ」
 調子が悪いのか顔色が青く見える、頬も幾分痩けている。
「あの子が?」
「ゲームのベース」
「ほう?」
「巻き込まれても良いかどうか、この飛行機が下りるまでに見極めて、ね」


「A−17なんて出された日には、こっちの計画も狂っちゃうからね」
 レイは火口の縁にしゃがみ込んでいた。
 熱気に煽られて髪が揺らめく。
「経済は順調に成長してくれないと困るのよ、でないと末期思想が流行っちゃって、みんなで頑張ろうって『無駄な努力』してくれなくなるからね」
 人類が次の種として変化するためには、一度『群体』という『能力』を捨てて一つに還る必要がある、そこから再び群体となるかどうかは別問題だ。
 だがそれは一度こねあげた粘土を潰して、別の形にねり上げるだけのことに過ぎない、ではレイと言う存在についてはどうなのか?
 一つの魂を分割して別け持っている人と言う種と違い、彼女の魂は彼女だけのものだ、それは『生誕』の経緯を考えれば過ちではない。
 かつてあった世界の全てが凝縮されている『単体』の生命体である、そういう意味では『旧世界』のゼーレと言う組織が行った補完計画は確かな成功を見ているのだ。
 ──彼女を生み出しているのだから。
「とは言え、あたしが直接手ぇ出すまでもないんだよねぇ」
 ん〜、っと唇に指を当てて悩み始めた、その気になれば弐号機を屠殺してのけた量産型エヴァンゲリオンをも上回る『生命力』、命から来る力を発揮出来る。
 ──イマイチやる気はないらしいが。
「舎弟にやらせとくとすっかぁ」
 レイは勢いよく立ち上がると、膝の辺りの埃を払った。


 何をしたってあんな風になるんだ。
 何をしてたってあんなことになるんだ。
 何をしたって無駄なんだ。
 何をやったってどうにもならないんだ、だったら何もしない方が良い。
(でも)
 青空の元、陽光に髪を煌めかせて振り返る彼女が笑う。
 ──そんなに叶えてあげたかったの?
『自分』がこんなになってまで。


「人は寄生する事を恥と思わずに生きる生物だ、それは人であったり物であったり、金であったり、何かを頼り縋って生きる、だからこそ何事か起こった時には全て他人のせいになる、できる、どうしてくれるんだ、そんな風に全ての責任を押し付けて自分は悪くないと言い逃れできる、……かつてはそれが『人間らしい』と呼ばれていた、それを気付かせてくれたのはシンジ君だったよ」
 彼は遠い目をしてマユミに語る。
「見た目は普通の男の子だね」
 カンヂはそうレイに訊ねた。
「寄生し、馴れ合う事を嫌う僕に、何を期待しているんだ?」
「それはいま言っちゃうと面白くないでしょ?」
「お金……、というわけじゃなさそうだね?」
 はて?、とレイは首を傾げた。
「あたしみたいなのがお金ちょーだい?、なんて言ってくれるの?」
「あげない、とは言わない」
「変なヒト」
「そうかな?、僕は君くらいの子をたくさん雇っているからね」
 これは本当のことだった。
「働き口のない、親、親族をなくした子供達をたくさん引き取っていてね、働かせているのさ」
「酷い人」
「そうかな?、まあ、確かに最初は『家内製手工業』で人件費を安く上げていたから、否定は出来ないけどね」
 そう冗談を言って笑った。
「それでもだ、僕にとっては大人よりも面白い仲間だよ、子供は倫理観が薄いだけに常識に囚われない発想をする、裏技はもちろん悪どい手段も入り用ならばためらわない」
「そうしておじさんは寄生してるわけだ」
「なんだって?」
「だってそうでしょ?、つまり、自分は立派に生きてる人間だって主張がしたい、だから未だ誰も成したのことのない、『通貨統合』なんて夢にのめり込んでる、その途中の発憤材料として子供達を立派に育ててるってパフォーマンスをやってる」
「……」
「自分はちゃんとやってるんだって、それを誰かに認めてもらわないと続けられない、だから本を出したりして人に認めてもらおうとしてる、他人から評価を得ようとしてる、実は大したことないんじゃない?」
 カンヂは無理矢理怒りを堪えた。
 そうでなければ、認めようとしないだけのみっともない男に堕ちるからだ。
「……確かに」
「怒った?、でも世の中には誰にも知られないでひたすら頑張って、最後の最後にぐっと拳を握って『Yes!』って引く人だって居るのよね、やってやったぜ!、ってね?、あたしはそういう人の方がカッコイイと思うんだけど?」
 にやにやとして言う。
「誰にも知られないで頑張って、いつか『おおっ!』って言わせてみせる、そういうことを手伝ってみる気ない?、それがあたしからのお誘い、もし乗ってくれるなら、『通貨統合』なんてそんなに大したことじゃないなって思えるよ?」
「ふん……」
 その頃、コクピットでは先の男が鼻を鳴らしていた。
 耳に挿していたヘッドフォンを引っ張り抜く。
「子供だと思って油断していたらこれだ」
「どこの組織の使いでしょうね?」
「わからない、が、まずいな」
 相手をしているのはこの機のパイロットである。
 副操縦席に座った男に、やけに腰の低い姿勢を見せていた。
「どうやら会長の興味は我々よりも向こうに向いてしまっているらしい」
「処理しますか?」
「いや、あからさまにやると会長の機嫌を損ねるだけだ、あくまで平和裏に、というのが上の意向だからな」
 またやっかいな、と男は呟いた、自分達の組織が押さえたはずの機に便乗してきている、それだけでも組織力は向こうが上だと判断出来る。
(大体、金持ちのパトロンを捕まえようってのが間違いなんだよ、貧乏なんですと喘いでいるのを見抜かれて馬鹿にされるのがおちだろうが)
 それはレイも分かっていたようで、わざわざ『盗聴が中断された』のを見越して肩をすくめた。
「なんてね」
「?」
「どう言っても、結局お金が無くちゃ先には進めないんよね、これが」
「なるほど」
「でも言ってることはホントよ?、なんだ、こんなことくらいで凄いだろうって自慢してた自分は本当に馬鹿だったよなって思えるくらい凄い事に巻き込んであげようって思ってるの、けどそのためには先立つ物がないとね」
「だけど金持ちなら他にも居る」
「うん、だから沢山コナかけようって思ってる」
 レイは胸ポケットから手帳を出して彼に見せた。
「これは?」
「ここ一年分の、世界長者番付トップクラスの人間のスケジュール」
 カンヂはギョッとした、見れば確かに自分の名前もあり、それはこれから行く予定であった場所、その移動手段、時間、全てが記載されていたからだ。
「……どうやって、これだけのことを」
「こんなのは証拠の一つにしかならないけどね」
 胸にしまう。
「この程度の『力』はあるってこと、遊びでやってないってのは分かってくれる?」
「ああ……」
「乗るか、反るか、もちろん乗ったからって絶対大勝ちできるなんて保証は出来ない、だからって反ったら後で後悔するかも」
「賭けろというわけか」
「そ、でもね?、いつまでも寄生型の人生じゃつまんないよ?、俺が本当にやりたいのはこんなことじゃないんだ、なんていう勘違いって、結局『寄生型』だから言える事でしょ?、他人の馬尻に乗ってばかりだから、座りごこちの好い場所が見つからない……、自分で自分の馬を探してみる気はないかってこと、自分だけの馬をね」
「君達がそれになってくれると?」
「あたし達はまた別、あたし達が『共同』でやろうとしてることは自分の馬を走らせる場所を作りたいって事なの、その馬が大量に集まった『牧場』を作る、それがあたしの当面の目的」
「君の?」
「あたしの、もちろん他の人には他の人の目的がある、寄生するんじゃなくて、共棲し合える同格の存在を仲間として集めよう、今はその段階ってわけ」
「……どうせみんな、自分のことしか考えないのに」
 二人ははっとしたように加熱している会話を中断した。
「なぁによぉ、今いいところなんだから」
「そんなことしてどうなるんだよ、もう嫌なんだよ、犠牲にされるのは、もう嫌なんだ」
 そう会話に割り込んだのは、今まで静かにしていた、暗い空気を背負ってうなだれているシンジであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。