「ミエル」
 深夜、ホテル。
 その中庭。
 人目を忍んで出て来た彼女に、野太い男の声が暗闇より掛けられた。
「ファス!」
 ミエルの呼び方にゴドルフィンは目を丸くし、次に苦笑と微笑を混ぜ合わせた奇妙なひきつりを口元に浮かべた。
「久しぶりだな、その呼び方……」
「あ……」
 赤くなり口元を押さえるミエルである、昔、人としての分を忘れ掛けていた時に彼に拾われ、育てられた。
 養父を父と呼ぼうとして、言い切れずにファーザーをファスと舌を噛んでしまった、照れと恥じらいからそのままにしてしまった呼び方だった。
 ──父とは呼べなくても、それが愛称やあだ名であれば簡単に呼べる。
 あの頃は長いスカートと長袖の服を来て、髪にもリボンを着けていた。
「意地悪はやめて下さい」
 ミエルは一瞬あの頃に退行して、不満に頬を膨らませた幼い表情を覗かせてしまった。
「悪かったな」
 ゴドルフィンは潜んでいた木陰から出ると、堂々とミエルを抱きしめた。
「心配させた」
「はい……」
 ミエルは彼の腰に腕を巻き返した、家族、娘への抱擁だと分かっている、自分もまた不安と寂しさの解消を求めていると分かっていた、だから抱きつき返した。
 ──親子では恥も何もなく、暖め合う事こそが当たり前なのだから。
「庇護欲、保護欲か」
「ハロルド」
 その様子を羨ましげに双眼鏡で覗いていたのはフェリスだった、ホテル近くの民宿、二階の部屋からだ。
 窓の上、屋根の上からの声に不満を言う。
「飛行機から降りるとこ見なかったんだけど、何処に隠れてたの?」
「行ったろ?、逃げ支度するって」
 まさかと驚く。
「ほんとに逃げたの!?」
「ああ、島の上で旋回に入った時に、ハッチを開いて跳び下りた」
 無茶をする。
「ちょっと流されちまってさ、何キロか泳ぐ羽目になったけどな」
「鮫に食われれば良かったのに」
「生憎と準備は万端なんだよ」
 そう言って笑った、何の事かとフェリスは訝ったが、結局ナオコにでも怪しい物を渡されていたのだろうと押さえ込んだ。
 このテロリストとあの科学者は、妙な所で息が合うのだ。
「あっちは感動の親子の再会か……」
「……」
「羨ましいんだろ?」
「……そう思う?」
「そう感じるな」
 シュボッと音、煙草に火を点けたのだろう。
「お前の兄貴って、兄貴役に徹し切れてないからな、見守るってことが出来ない下手くそだ」
「うん……」
 ──同時刻。
 ネルフ本部はまだ眠りには遠い所に居た。
「早いな」
 そう愚痴ったのは冬月である。
「沖縄の基地に下り立った旅客機の取り扱いを事故による緊急着陸として取り扱うよう要請、それが承認される……、日本政府と米国の間にどのような取り引きがあったかが問題だな」
 その対応のために彼らは休めないでいた。
「……米国は支部二つを私物化している」
「それに対抗するための日本政府のネルフ接収、その予備段階としての弱体化を狙ったか?」
 それは穿ち過ぎだろうとコウゾウは踏んだ、今の日本政府にはそこまで思い切る余裕など無いはずだからだ。
「チルドレンを奪われては元も子もあるまい、むしろ恩を売るつもりで目をつむったのではないか?」
 コウゾウは米国にチルドレンを売る事で、少しは恩を売っておこうと算段を付けたのだと読んでいた。
 彼らは未だにチルドレンに対して、部品程度の価値しか見出みいだしていない。
「世界の破滅などありえんと思っているんだろう……、政治家連中は気楽だな、危機感が無い」
 ──同ネルフ本部内、ホリィの事務室。
「それでこれが頼まれた物だけど……」
 ホリィが広げた紙束は、ここ一ヶ月ほどのエネルギー観測のレポートだった。
 カヲルとアスカが真剣な表情で目を通していく。
「何を調べてるの?」
「ん?、まあ……、ちょっとね」
 困惑するホリィを余所に、まだ髪も乾き切っていない二人は物凄い勢いで熟読していく、しばらくするとアスカは髪が気になったのか、その辺にあった『輪ゴム』で髪を適当に縛った。
(髪……、痛むのに)
 その様子にホリィは呆気に取られてしまった、まるで頓着していない、それほどの重大事なのかと息を呑む。
「あ〜あ、つっかれたぁ」
 そこに入って来たのはレイであった、彼女も鬼気迫る雰囲気にか驚いて身構えた。
「なに?、なにやってんの?」
 肩をすくめるホリィ。
「渚」
「ん」
 回された資料に目を通す、それは地震の観測と気象情報だった。
「おおよそ怪しいのはこの三つ、どう思う?」
「……僕はここを押すよ」
 カヲルの顔はやはりかというものになっていた、北方、スウェーデン地方に珍しい規模の地震が発生している、その上……
「ここ数週間、雲が晴れていない……、地上や海上の様子は衛星からでは観測出来ない」
 その上と続ける。
「どこかに隠れてしまった艦隊のこともある、どこかに現れたはずの使徒、そして先日現れたにも関らず殲滅の報告が不明瞭なままの異相体、これだけの物を隠すには場所が無い、でも海上を封鎖した上で空に傘を掛けてしまえば」
 やれやれとカヲル。
「ネルフは何をしているんだろうねぇ?、少しは足を向けて調べればいいだろうに」
 はぁんっとようやくレイは理解した。
「消えた使徒のことを調べてんだ」
「まあ、そうだよ」
 ふと思う。
「君にも分からないのかい?」
「まあね」
 あっさりと認めた。
「あたしも万能じゃないって事……、わかってんでしょ?」
 カヲルは微妙な苦笑いをした。


NeonGenesisEvangelion act.50
『変調:pro・logue −外典 第五章 第一節−』


 ──2011。
 ベトナムの森はとても湿気っていて気持ちが悪かった。
「ベトナムの土の下には数万人の遺体が埋まっていると言うが……」
 この土にも肉片の腐敗した物が混ざっているのかと思うと足がすくむ。
 カンヂは先を進む少女を見た、その背には少年がおぶられている。
 ──シンジは気を失っていた。
 酷く眉間に皺を寄せている、だが起きたら起きたで錯乱するのだ、たちが悪い。
『嘘だ!、こんなの嘘だ!』
 何を言っているのか分からない、だが纏めると、自分はこんなところで死ぬ『予定』ではないという、運命には無い、本気でそう叫んでいた。
 ──馬鹿かと思う。
 明らかに精神異常を引き起こしていた、気狂いがよく見せる反応だ、これは現実ではないのだと逃避する。
 ──しかしそれこそが間違っていた。
 数万、数億、無限に存在する碇シンジ、そのパターンは全て『サードインパクト』を基準にして発生している。
 つまりその時まで自分が死ぬことは絶対に無いはずなのだ、自分が核となる『予定』にあるはずなのだから。
 ──しかしそれは甘えに過ぎなかった。
 どのように生きたとしても、その時までは生きられる、ならば辛い事から逃げ回っていてもいいじゃないか、そう思っていた。
 ──だが現実は違ったのだ。
「うう……」
 シンジが寝言を言った、もう嫌だ、と。
 逃げ場など何処にも無かったのだ。
 あの孤島に篭っていようと思っていた、あらゆる苦痛から逃げようとしていた。
 だが現実は違ったのだ、何かがあれば自分は死ぬ、それも酷く簡単に。
 そしてどうにも出来ないで脅えているしかないでいる、それはエヴァに乗せられる碇シンジそのままだ。
 死は誰の元にも等しく訪れる、そんな当たり前の理屈がシンジから逃げ場を奪おうとしていた。
「強くなりなさい」
 誰かが言った。
「って、ママならそう願うもんよね」
 ──レイだった。


 ──翌朝。
「バスに乗れば半日で一周できる程度の島だからって、完全に自由行動ってのも凄いよな」
 ホテルの食堂ではそんな会話が交わされていた、実際海面の上昇で沖縄の総面積はかなり減ってしまっているのだ、水没してしまった島もある。
 そして沖縄本島も群島化してしまっていた、その島々は各個に橋で繋がれ、バスが運行されている。
「あれ?、碇君は?」
 そう訊ねたのはミツコであった、天然パーマが朝だからか少しきつい。
 気にしているのか指で巻いて弄っている。
「……起きたらもういなかったけど」
 答えたのはヒカリであった、バイキングで取って来たロールパンとサラダ、それに紅茶を頬張っていた。
 2−Aは男女の比率が合っていない、男子の数が多いのだ。
 どうするのか?、一応教師側で喧々諤々けんけんがくがくの議論があったのだが、予算の都合により適当なところで妥協されてしまっていた。
 たった一人の『余り者』のために、どうするもないということになったのだ。
 他のクラスの余り者とで数を合わせれば良い、そう結論付けられたのだが、その余りは偶然にも女子だった。
 ──当然、不満は爆発する。
 そこで2−Aでは、強制的に女子が余るよう一組、男女で一つ部屋割りを組む事になってしまっていた。
『ヒカリ委員長でしょ!』
 これで押し切られてしまう自分に、ちょっとだけこれで良いのかとか思っていた。
「で、ヒカリぃ」
 ミツコはヒカリの首に腕を絡めた。
「昨日、どうだった?」
「どうって、何が?」
「何がって」
 決まってるじゃなぁいと、ミツコ以外の人間からも声が上がる。
 きゃいきゃいと寄って来たみんなに、げんなりとしてヒカリは言った。
「なに想像してるの、ほんとに……」
「え〜?、だってみんな言ってるよぉ?」
「碇くんなら良いかなぁって」
「なにが?」
「ヒカリ恐いって……」
「ほら、碇君って、普段渚君の影に隠れちゃってるけどさ」
「そんなに悪くもないしぃ」
「どこかの眼鏡オタクとかジャージマンとは違うし」
誰がじゃあ!
 きゃーっと散る。
「こっち来ないでよジャージ!」
「雑菌移るじゃない!」
「この!」
「で、碇はどこ行ったんだよ?」
 ケンスケの問いかけにヒカリは答える。
「知らない……、夕べもそうだったから、気ぃ遣ってくれたのかなって思ってたんだけど……」
「夕べって?」
「え?、あ、うん……」
 顔が照れる。
「部屋のシャワー使う時とか、着替えの時とか……、何か言う前に部屋の外に出て時間潰してくれてたみたいで、帰って来たらノックするから、鍵は掛けといてねとか言って」
 やっさしーっと声が上がる。
「なんやねん、そんなもん!」
 ちっと舌打ちしたのは聞き耳を立てていた男子連中だ、さぞかし妄想を膨らませていたのだろう。
 心中ではシンジを囲って根掘り葉掘り聞き出そうと思っていたのかもしれない、例えばヒカリのシャワーの音についてとか。
「わかってないなぁ」
 ミツコが言う。
「そういうことを恥ずかしげも無く出来るってのが好いの」
 ねぇっとヒカリに振ってみる、ヒカリはヒカリでまんざらでもなさそうだ。
「でもヒカリぃ」
 からかい口調で。
「碇くんに惚れちゃだめだぞぉ?」
「へ?」
「ヒカリには渚君がいるしぃ」
「ちょ、ちょっと待って、なにそれ!?」
「そう言えば碇くん」
「昨日の子、なんだったんだろねぇ?」
「ちょっと待ってってば!」
「あ、そう言えば」
 無視して言う。
「この間学校に来てた人!」
「あっ、そうそう、碇くん待ってた人、奇麗だったよねぇ」
 トウジが微妙な顔をする、どうやら蹴り転がされた事を根に持っているようだ。
「碇くんってぇ」
「意外と外人好き?」
 いやぁんと身をくねらす、何を想像したのだろうか?
 ──少女は女性以上に向こう岸の存在である。
 一方、気を悪くしたのはケンスケであった、『外人』でケンスケもアスカと言う少女のことを思い出してしまったのだ。
 注意して見ていると碇シンジはかなり交友関係が広い事が分かる。
 学校では綾波レイ、山岸マユミと親しいし、外に出ればアスカのような者とも付き合いがある、一見多くの人に好意をもたれている渚カヲルよりも、はっきりとした付き合いを持っているのだ。
 今の所、ケンスケだけが気付いている事実である、彼は非常に不機嫌な様子で口にした。
「もう居ないって、どっかに出かけたのか?」
「え?、違うんじゃない?、朝ご飯とかまだのはずだし」
「ここで食べればタダだってだけだろ?」
 ホテル側のサービスだからである、旅行中は全員同じ『ポイント』が入額されているカードを持たされていた、その金額内で行動しろと言うのである、もちろん、オーバーした場合は自腹ということになっている。
 つまりはホテルの食事を取らなくても、外でどうとでも腹を満たすことはできるのだ、実際、トウジとケンスケは昼はどこかで食べようと決めていた、地元の美味しい物をと。
 外出許可時間内に収まるよう、とっくに出かけているグループもある。
「……女だな」
 ケンスケは眼鏡をきらりと光らせた。
「昨日の子だ、絶対」
「そ、そうかな?」
「そうに決まってる!、洞木を避けたのだって変な噂が立ったらまずいってんで警戒したんだ、きっとそうだ!」
 嫉妬丸出しだと誰もが思った、しかしもうケンスケは止まらない。
「トウジ!」
「お、おう」
「追いかけるぞ!」
「はぁ?、どこ行ったかわからんやろ」
「こんなこともあろうかと!、あいつの携帯の発信番号を調べておいたんだよ!」
 はぁっとみんなは呆れ返った。
 どんなことがあると思ってたんだよ、との突っ込みも忘れない。
 教師側も生徒を野放しにするつもりは無かった、携帯電話の所持を義務づけ、持たないものには貸し出している。
 その携帯電話からは個別に信号が発信されていた、これは携帯電話会社のサービスで、以前にはカヲルがアスカの居場所を特定するのに利用している。
 一人盛り上がるケンスケに対して、放っておこうぜと皆は散る、関り合いになるのを恐れたのだ、こうなると可哀想なのはその席で食事を取っていたヒカリであった。
 ──逃げようが無い。
 そしてその肩にぽんと手が置かれてしまった。
「イインチョ」
「鈴原……、なに?」
「悪いんやけど……、今日は付き合うてくれるか?」
 トウジの目はケンスケを見ている。
「ちょっと自信ないねん」
「お守の?」
「そや……」
 はぁっとヒカリは嘆息した。
「鈴原も大変ね……」
「悪いなぁ、イインチョも、碇のお守で大変やろうけどな?」
 二人は顔を見合わせると、はぁっと深い溜め息を吐いた。


 ──旧嘉手納基地。
 ここはかつて米空軍、海軍の施設であったのだが、現在は海の底へと没している。
 余りにも奇麗な青の下に、当時のままの姿が確認できた、透明度が素晴らしいのだ。
 停まっている観光ボートがあり、そこからダイバー達が潜っていた、今や観光名所の一つになっている、ジープだけでなく戦闘機まで沈んでいるのだから、楽しみようは幾らでもあるのだろう。
 シンジは高台の上からその光景を一望していた、腰掛けられるような木の柵だけでは危ないからか、一応突端からは内へとかなり引っ込んだ場所だ。
 ここは観光向けの公園として整備された場所だった。
「碇くぅん!」
 叫ばれた声に顔を向ける、坂の階段を駆け上って来たのはヒビキだった、よほど急いで来たのか酷く息を切らしていた。
「ごめんなさい!、みんなに、捕まっちゃって」
 シンジはへぇっと驚いた、ヒビキの私服姿に目を奪われたのだ。
 短めのスカートはタイト、タイツを穿いて靴は運動靴だった、上は夏向けのノースリーブ。
 そう珍しい格好ではないのだが、シンジにとっては『金髪』の少女がスカートを穿いていると言う事実だけで十分だった。
「あ、ごめんね、こっちも修学旅行だから、あんまり大した服持って来てないの」
 それでも伏せ目がちに似合うかな?、と訊ねていた。
「こっちも学生服だからね……、ヒビキさんだけ気合い入ってたら変は変だよ、それに悪くないと思うよ?」
 ありがとう、とヒビキは微笑み、軽く口を滑らした。
「碇くん、変わったね……」
「そっかな?」
「うん、前はもっと」
「暗かった?」
 シンジはごめんと謝り、ジュース買いたいんだけどと公園の隅を指差した。
「もう中学生だからね、ちょっとは変わらなきゃ」
 自販機にカードを差し込み、数秒悩んでコーヒーを買う、もちろん何にするとそつなく訊ね、ヒビキの分のお茶も買った。
「でも変わったのは上辺だけだよ、僕は相変わらず人を傷つけてる」
 シンジは遠くを見るようにして、自販機にもたれかかり、缶に口付けた。


「走れ走れ走れ!、死にたくなかったら走れぇ!」
 急な斜面を駆け登る、腐った木の葉は湿気ったままだ、手を付けばぬるりとするし、掻いてみれば爪の間に入り込んで来る。
 ──はぁ、はぁ、はぁ!
 それでもシンジは懸命に登ろうとした、涙目で顔はくしゃくしゃになっていた、それでも登らなければならなかった。
 少しでも休もうとすれば、レイに突き飛ばされるからだ。
 シンジだけでなくカンヂも必死に走っていた、その先に何があるのかは分からないが、少なくとも後ろに戻ればゲリラが居る、前に進むしか無かったのだ、そして三人は辿り着いた。
 そこは小さな村だった。


 ──いつまでも寝ぼけんじゃないっての。
 囁かれた。
 ──いつまで自分を間違えてるつもり?
 耳元で。
 ──自分は『碇シンジ』だから絶対者だなんて思ってた?、御生憎様、『この世』の絶対者はただ一人、アスカちゃんだけよ、だってそうでしょう?、この世はアスカちゃんのためだけに作られたんだから。
 でもねと続く。
「シンジはこの世を作った『シンジ』?、確かにシンジって意味じゃシンジでしょうね、だからこそ聞くけどね」
 レイ。
「小学校で、何をした?、自分に喧嘩を売って来た奴に、何をした?、そのくせ自分の時には『自分』がそう仕組んだ事だからって受け身になって脅えてるだけ?、受け入れてヒクツになるわけ?、ムカツク?、でも本当のことでしょうが」
 シンジは懐かしさを感じていた。
 その声音はどこか、ずっと一緒に居ると死にかけた自分に誓ってくれた、あの時のレイの声音に似通っていたから。
 レイはシンジの前髪を掻き分けて、額に手を置いて言い聞かせた。
「自分の『運命』に納得が行かないのなら全力でムカツイてみれば?、そうすればもう『あんなこと』にはならないかもしれないよ?、友達に噛みついたみたいに『自分』にも噛みついてみなさいよ、傷つけられないようにするためには、どこまでもやり返すしかない、そう学んだでしょう?、だったら自分に架せられた運命にどこまでも抗いなさい、そうすれば得られるわ、シンジの望んだ『傷つけ合いながらも共に生きていける人』が」
 じゃあね、とレイは立ち上がり、去ってしまった。
 ふうっと息を抜いてしばし天井を見つめ続ける。
 ──何処の村なのだろうか?
 丸太を組んだ小屋、木から削り出したテーブル、椅子、水差しは鉄、椀や水飲みは陶器、それほど文明から遠ざかった村ではないらしい。
 シンジは起き上がると、奇妙な染みだらけの布団から這い出した。
 血か、便か、余り考えたくは無い染みだった。
 ──外に出る。
「……」
 そこはやはり森の中のようだった、開拓村らしい。
 湿気った土地では家は立てられない、そこで木材で土台を作り、その上に小屋を組んで生活しているようだった、そこらから昇っている煙は料理か何かをしているのだろう。
「気がついたかな?」
 やあ、っと寄って来た男に挨拶をする。
「あ、えっと……」
「カンヂだよ、大貫カンヂ、忘れたかい?」
「……ごめんなさい」
 まあ良いさ、とカンヂは許した。
「……ここはな、政府に見捨てられた人達が集まっている村らしいよ、独力で生活を支えているらしい」
「こんなところで?」
「獣も取れるし、魚も釣れる、野草の類も豊富だし、外に売りに出れば生活用品だって揃えられる、まあ……」
 カンヂはその先は呑み込んだ。
 あまり村が大きくなると、政府に目を付けられる事になる、そう口にしようとしたのだが……
 かぶりを振る。
「取り敢えずゲリラとは関係のない村らしい」
「そうですか……」
「僕としては早く戻りたいところなんだけどね、一週間後に街に物売りに出るらしいから……」
 おっとと口にしたのは、シンジを見て物怖じしている子供達を見付けたからだった。
 少年と少女、二人ともシンジよりは歳は上、十四、五と言ったところだった。
 ひょろ長い印象を受ける、二人とも土地の出身らしく肌が黒かった。
「おいで、紹介するよ、シンジ君だ」
「ファン」
「ファウよ」
 シンジは頭を下げようとして、そんな習慣は無いかと思い直した。
「シンジ、よろしく」
 手を差し出して握手を求める、男の子がファン、女の子がファウ、ファウが握り返そうとすると、わざと邪魔するようファンが動いた。
「よろしく」
 無理矢理シンジの手を握る、見掛けのわりに掌は硬かった、働いている事を感じさせる節を持っていた。
「じゃ、僕はちょっと用があるから、シンジ君」
「はい」
 行ってしまうカンヂを見送ったところで、シンジは騒がしくなったのに気がついた。
「配給が届いたみたい」
「配給?」
 うんとファウは頷いた。
「『教団』からの配給、薬とか食べ物とか飲み水とか、あんまり量は無いけどね」
「行ってみるか?」
 ファンの誘いにうんと頷く、扇動する彼になんだろと首を傾げると、ファウがくすくすと笑って教えてくれた。
「ごめんね?、ファン、嫉妬してるの」
「嫉妬?」
 うん、とファウ。
「もうすぐお祭りがあって、そこでわたしが嫁ぐ人が決まるはずだったんだけど、こんな村でしょ?、このままだったら祭りなんてしなくても、ファンとわたしが収まって、それで終わりのはずだったんだけど」
 シンジは嫌な予感を覚えてしまった。
「えっと……」
「わかるでしょ?」
 意地悪く告げる。
「君が来ちゃったから」
「でも、僕、ここに住まないよ?」
「関係ないの」
 ファウは説明してくれた。
「セカンドインパクトって知ってる?」
「そりゃ……、知ってるけど」
「あの後にね……、良く知らないんだけど、『ホウシャノウ』って毒が広がったんだって」
 シンジは黙って耳を傾けた。
「そのせいで何年もちゃんとした子供が産まれなかったの、生まれても指が多かったり尻尾が生えてたり、それでちゃんとした子供が産まれる様にって、お祭りが始まったんだって」
「なにをするの?」
「一番健康な人を決めるの、でもあんまりファンとは一緒になりたくないんだ……」
「どうして?」
「だってわたしたち、姉弟だもん」
 え?、っとシンジは、驚いた。


 ──汚染による被害は深刻を極めていた。
 単純な核施設の崩壊はもちろん、核廃棄物の貯蔵庫が水没、あるいは崩れた例もあれば、輸送中の核燃料がばらまかれてもいた。
 直接的な汚染によって白血病や癌に冒された者、四千万人、汚染された食品を口にして病に倒れた者、五千万人。
 原子力発電所、あるいは核ミサイル、被害は何処までも広がった。
 半減期が比較的早く来る弾頭の類はともかく、発電所の燃料はまだ数百年以上汚染を続けると言われている、そして毒になるものは何も核に限らない。
 セカンドインパクトの本当の被害は、衝撃による地軸の変化そのものにでは無く、そう言った衝撃によって引き起こされた災害にこそあった。
 上記の数字すら確認された数字に過ぎず、そしてその数字すらも年々増加し続けている。
 ──人類補完計画。
 あながちそれは間違った計画ではないのかもしれない。
 数千万単位で汚染を受けた人類、その子孫に対する影響はあまりにも深刻だ、障害を持った者同士が可能性にかけて偶然にも健康な子を産めたとしても、その子が健康に育つ保証は無い。
 親が汚染を受けていると言うことは、その土地は汚染を受けたと言う事である、そこで育てられる事になる子供が安全な食物を摂取できる可能性はゼロに近い。
 そして放射能の恐ろしさを知る人類など、実はそう多くはないのだ、セカンドインパクト直前の『文盲率』を知ればそのような知識がどれだけ特殊なのか知れるだろう、環境が自然に浄化されるよりも、人類が先に滅んでしまう、それは当たり前の危機感だった。
 ──祭りは彼らが肌で感じて生み出した自衛策なのだ。
 血縁者での婚姻を規制するのは現代的な流れでしかない、中世以前を見ればごくありふれたことだった。
 そして『現代』は『前世紀』となってしまっている、『現在』では近親婚による遺伝子障害よりも、先天性の疾患こそを忌避する方向へと流れは動いていた。
 全ては、『仕方が無い』のである。
 シンジは聞かされた話に鬱になってしまっていた。
 夜である、小屋の外、土台の縁に腰かけて片膝を立てていた、足元からは湿気った地面の不快な臭気が立ち昇って来る。
 そして空は逆に満天の星空を提供してくれていた、余りにも星が多過ぎて恐ろしいくらいだ。
「なぁにやってんの、こんなところで」
 シンジは気怠く振り返った。
「レイ……」
「ん」
 隣に腰掛ける。
「なぁに悩んでんの?」
「うん……」
 シンジは両膝を抱えて告白した。
「どこもみんな、こんな風なのかなって……」
 レイは口元をにやけさせた。
「どこも……、そうね、『どこも』こんな感じかな、多少の差はあるけどね」
 それが『どこ』の事を指しているのかは明確だった、別に各地のことではない、無数に存在する世界のことだ。
「どっこもこんな感じ……、サードインパクトがある以上、セカンドインパクトは避けられないもん」
「……どうにも出来なかったのかな」
「無理、だってセカンドインパクトを無くそうと思ったら使徒を消すしかない、でも使徒を消したら?」
「人は……、生まれなかった事になる?」
 正解、とレイは言った。
「『人の原形』からの流れがあって人類が発生してる以上、セカンドインパクトは必然的に起こるもんなの、どうやったって回避不可能、先延ばしにするくらいのことは出来るかもしれないけど……」
「けど?」
「正直考えたくない、だってシンジがいなかったらこうまで上手く行ってたか……」
「え?」
「わかんない?、もしかすると人類は統合されちゃってたかも知んないのよ?、アスカちゃんが生き残ったのは偶然だもん、シンジが戻れたのだって他の人だったらどうだったか……」
 シンジはようやく理解した。
「……運が、良かったんだね」
「そういうこと、使徒に負けて人類が消えてたかもしんないんだし」
 ぽてんとシンジの肩に頭を置くよう、もたれかかった。
「いびつでも世界は『存続』した、でもまだ継続には至ってない、それは……」
 シンジは言われなくても理解していた。
 ──サードインパクト。
 あれがある以上、先などあり得ないからだ。
「レイ……」
 本当にどうしようもないのかと未練たらしく訊ねようとしたのだが、遠くに村を出る道を歩むファウを見付けて言いごもってしまった。
 それを機にレイはよいしょと立ち上がった。
「気になるなら行ってみれば?」
「え?」
「別に隠れてどっか行こうとしてるわけじゃないみたいだし、追いかけたって大丈夫でしょ」
「うん……」
 分かったよ、と立ち上がる。
 あまり気乗りしない様子で行こうとするシンジの背中を、レイは鋭い目をして見送った。
「……前向きになるきっかけになれば良いんだけどね」
 そんな言葉を小さくこぼして。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。