「この世は全て『波動』によって成り立っている」
ツェペリはそう口にした。
「わたしは呼吸によってその力を生み出している、世界に揺らぎをもたらすこの現象を、わたしは『波紋』と呼び倣わしている」
「……」
「明らかにこの世に起きている現象は『不自然』だ、それは世界の波動を揺るがしている、これを矯正するためにはどうすれば良いか?」
シンジは直感で答えた。
──エヴァのパイロットとしての経験から。
「……中和」
「そうだ」
まさか答えを返されるとは思っていなかったのか、ツェペリの顔には驚きがあった。
「……同じ質の波動で中和する、もしくはさらに大きな波動によって消し去ってしまう、わたしにはそこまでの『才能』がない、だが君は見事に『相殺』してみせた」
ツェペリはシンジの肩に手を置くと、強く力を込めて熱く語った。
「世界は常に流れている、その流れの中で君はこの地へ降り立ち、わたしと出逢った、世界は己を危うくする波を消すために、君と言う小石を投げ込んだのだ、わたしが『運命』に翻弄されてここへと流れ付いたのもまた『必然』だったのだろう」
自分を無視し、ぽっと出に言葉をかける師に対してファンが嫉妬を剥き出しにする。
しかしシンジにとっては、その考えは忌避するべきものだった。
──何故なら。
(どこまでも、都合よく!)
これもまたそうなのかと思わせられる、歴史に組み込まれるのが嫌で、それが恐くて逃げ出したはずなのに、ここでもまた歴史に組み込まれようとしている自分が居る。
「……冗談じゃない」
だからシンジにはこう言うしかなかった。
「そんなの、知るもんか!」
NeonGenesisEvangelion act.52
『変調:pro・logue −外典 第五章 第三節−』
シンジはヒビキに確かめた。
「この後、どうする?」
「え?」
「別にどこか行こうってわけでもなかったし……、でもそれじゃあって言うにはまだ早いしね」
そう言えばと、ヒビキも時計を確認した、確かにまだお昼前だ。
「どこかで食べない?」
「そうだね、そうしようか」
あ、でも、っと一瞬だけ躊躇する。
シンジは後頭部を掻いて困り顔になった。
「……まあ、良いか」
ん?、と怪訝そうにするヒビキだったが、彼女もすぐに気がついた。
「あ……、そっか」
そう、ここから離れるためには、どうしても階段を下りなければならないのだ。
「レ、レイ君!、どうするつもりなんだ!」
「どうって?」
引き止めたカンヂにきょとんとする。
「ちょっと見て来ようかと思って」
「見て来るって……、危ないじゃないか!」
「でも気になんない?」
ギィッと扉を開ける、同じ小屋に閉じこもっていた村人が悲鳴を上げた、ちょうど正面に『悪魔』が歩き行こうとしていたからだ。
その目がゆっくりと動く、白く濁っていた、死んだ魚の目をしていた。
「邪魔」
ゲシッとレイは蹴り飛ばした、悪魔とやらはあっさりと土台の下へと落ち消える。
──皆で呆気に取られてしまった。
「な、なんて非常識な……」
「そう?、みんなが『ビビってる』からって何であたしまで恐がんなきゃなんないわけ?、筋違い……、じゃなくて、なんだっけ?、良いや、こんな『雑魚』に一々かまってやる理由なんか無いんンだっちゅーの」
出て行こうと敷居をまたぐ、するとコツリと背後で足音が鳴った、振り返る。
「僕も行こう」
「心配してくれなくても大丈夫なんだけど?」
「君が居れば安心だから行くんだよ」
「……それが大人のする事かっての」
連れ立って去って行く、ここでようやく村人達は、『アルビノ』が『神の子』と教団の人間に噂されていた事を思い出していた。
「やめろ!、やめないか!」
「ファン、シンジ!」
取り押さえようとするのだが、興奮した子供の喧嘩というのは取り留めが無い。
つかみ合い、引っ掻き傷を作るような絡み合いでは、仲裁に入る間が見付けられない。
「なんだよお前!、なんてこと言うんだよ!」
馬乗りになり、口に指を突っ込まれ、手で顔を押し返されながらも、ファンはシンジを押さえ込んだ。
「知らないよ!、なんでそんなこと、僕に関係あるのさ!」
押さえ込まれ、頭を地面に押し付けられながらもシンジは抗う。
ファンにとってツェペリは絶対だったのだろう、だからこそその彼の苦悩を無視するシンジが許せなかった、それは同時に、シンジへ嫉妬をぶつけるための格好の言い訳となってしまっていた。
だがシンジには許容できない理由があった。
──仕組まれた才能。
『CHILDREN』、適格者と呼ばれる彼らの呼称、そこにはもう一つの意味合いがあった。
『適任者』、そう、全ては『仕組まれた』ことだった。
だがその仕組みが明るみに出なければ、パイロット側に才能があるように見えてしまう、パイロットに才能を求めるシステムなのだと誤認される。
そのために自分が、アスカが、どのように扱われたか?、乗せられて、影で小馬鹿にされて、アスカなどは心の拠り所にしていたと言うのに、その全てが嘘、欺瞞だった。
──運命。
そんなものは予定調和へ辿り着くために与えられた役割に過ぎない、役どころに過ぎない、その予定調和すら誰にとっての調和なのか?
道具として利用されていただけだった、そんなもののどこにどれだけの価値があるというのか?、喜びがあるのか?
たとえ世界を破滅から救うためだったとしても。
──吐き気がする。
「僕はもう嫌なんだよ!」
シンジは叫ぶ。
だがその心の内までは伝わらない。
「いい加減にしないか!」
ツェペリは無理矢理割り込んだ、引きはがされたファンはそれでも抗おうとする、その『闘気』に反応して起き上がろうとしたシンジを制したのはファウであったが、その構図もまた逆効果だった。
まるでシンジを心配して抱きついたように見えたからだ。
ツェペリはその全てを視界に収めながらも、根本的な解決方法を見出せずに逃げてしまった。
「すまなかった!」
いきなり謝る。
「確かに君の気持ちを考えないで先走ってしまった、それは謝る」
ファンにも言う。
「今は止めろ!、村が心配だ、こんなことをしてる場合じゃない!」
「けど!」
「やりたいなら祭りを待て!、どうせそこでやることになるんだ」
「僕は……、そんなのしない!」
シンジの叫びにファンの気持ちが再燃する。
「そんなのってなんだよ!」
「黙ってろ!、シンジ君もだ!、君は祭りに参加する義務がある!」
「そんな勝手に!」
「じゃあ!、君は看病してもらっておいて村のしきたりに従わないと言うのか!?」
シンジはぐっと詰まった。
「でも……」
「貴重な薬品や食料を分けてもらった上に小屋まで借りておいて、その恩を無下にして行くつもりか?」
しまったという顔をしたのは、言葉が難し過ぎたかと思ったからだった。
(不思議な感覚だ……)
ツェペリは混乱していた、感情的になってしまったが、そうなったことで初めて『本当の少年』の姿が掴めたような気がしたのだ。
歳相応に接していない自分が居た、どう見てもファンよりも一回りも小柄な子供なのに、苛立ってしまっている自分が居た。
──ガキじゃあるまいし、物分かりが悪過ぎる!
そう感じている自分を見付けて愕然とする、そうなのだ、無意識の内に苛付いてしまっていた理由がそれだった。
──どこか子供に見えないのだ。
「とにかく、その話も後だ」
急かして護魔化す。
「村に戻るぞ」
ふんっと歩き出すファン、ファウはもうっと呆れ、よろけるシンジに手を貸した。
「……」
同じ頃、カンヂはレイに着いて家屋の陰に隠れ、今日輸送されて来たばかりの物資を漁る化け物達に魅入っていた。
「……こういったものは、土着の人間の間に伝わる迷信の類だと思っていたんだがな」
ふうと目元を揉む。
「迷信ねぇ」
面白そうにレイ。
「ま、目の前にある現実を認めたら?、そしたらもうちょっとは真実が見えて来るかもしれないよ?」
「真実?」
ほれっと指差す。
「あいつらが漁ってる物、なんだと思う?」
「何って……、それは」
注意深く観察する。
幌が掛けられた木箱、ロープを切り、幌を引き裂き、木箱を倒し、壊し、その中から物を引っ掻き出している。
しかし彼らが興味を示しているのは、医薬品の納まった箱、その中のアンプルや錠剤、瓶。
だが最も派手に荒らしているのは……
「肉?」
「そう」
カンヂは真空パックされた肉に目を奪われて、薬にまでは気付かなかった。
「いや、でも化け物でも腹は空かすだろう……」
「じゃあ仮定のお話をしようか?」
レイは目を離し、カンヂへと向き直った。
「あれが肉食の獣なら、加工された肉なんて狙う?、目の前にこれだけ新鮮な肉があるのに?」
指で胸を突かれてカンヂは唸った。
「……生きた肉は食わないのかもしれないじゃないか」
「それでも血抜きされたパック詰めの肉なんて狙う?」
「それは……」
確かにその通りである。
「それに、肉なら他にもある……、この辺りで取れた獣だって捌かれてる、なのにわざわざ真空パックされた肉を狙って集まって来てる」
「……」
「なら理由は一つ、あれが、あの肉だからよ」
「あの肉って……」
「『教団』の配給肉だからってこと」
カンヂは脳裏で何かが一つに繋がるのを感じた。
「……だからか?」
「え?」
「だから肉を食べなかった?」
ぽりぽりと頬を掻く。
「まあ、ね……」
「知ってて黙っていたのか……」
「だって、今更教えてあげてもね」
「今更?」
「今までに教団から配給された肉を食べないでここまでこれた?」
カンヂはウッと唸った、確かにそうだからだ。
「でしょ?、食べたものは血となり、肉となって『あなた』を形作ってる、今更どうこう言ったって手遅れだもん」
胃痛を感じながらも訊ねる。
「教えてくれ……」
「はい?」
「僕も、ああなるのか?」
参考にしたのは知性の欠けらも無い化け物達の姿である。
「ああなってしまうのか?」
「まさか」
逆だと言う。
「医食同源って言葉知ってる?、体に悪い所があったら同じ部分の肉を食べるって考え方、それってホルモンバランスとか、崩れた調子を取り戻すために同じ部位を食べる事で栄養補給を行おうって考え方なのよね」
何が言いたいのかとカンヂは顔を歪めて待った。
「頭の使い過ぎで脳に必要な栄養素が足りなくなったら脳味噌を食べる、そうすれば体内でその栄養が合成されるのを待たなくても直接補充できる、……教団の肉ってのはかなり『万能』な肉なわけ、だから問題は無い……、と言いたいんだけど」
不機嫌に唇を尖らせる。
「何か問題が?」
「大有り!、あんまり万能過ぎるもんで、ちょっとした中毒を起こしちゃうわけ」
「麻薬のような症状が?」
「ううん、煙草程度、煙草ってのはニコチンの毒素が脳に回って合成物質の真似事をするでしょう?、その刺激が強過ぎて中毒になる、煙草をやめると元々体内で生成される物質では刺激不足でどうにもなんない、だから体は刺激を求める、それが」
「中毒のシステム……」
「うん、教団の肉もそう、色々とあって免疫力の低下した『人類』には必要不可欠な栄養源になっちゃってる、でもそれにばかり頼ってたら?」
当然、肉体が本来持っていた機能は衰えていく一方である。
そしてそれを補うためには?
教団の肉を食べるしかないのだ、体がそれを欲するのだから。
──まさに中毒である。
カンヂは唸った。
「誰もそのことに気がついていないのか?」
「そりゃもちろん気がついてる人達だっているけど」
けどねぇと。
「別に問題があるわけじゃないし、第一セカンドインパクトの被害って知ってる?、本当の被害のことね、化学汚染とか疫病の蔓延とか……、そうした二次災害の総死亡数は天変地異によって死亡した人の数なんて問題にはならないほど大きいでしょう?、かといって被害を止めるためには汚染された食物を処分するしかない、そうすることで何億人が餓死する事になると思う?、代わりのものは提供出来ない、提供したければ汚染された土地で作物を育てるしかない、どうにもならない、代わりになるのは……」
「教団の肉だけか……」
「ファウとファンのことは聞いた?」
脈絡の無い流れにも一応は頷く。
「まあね」
「……同じことだと思わない?」
「え?」
「確かに問題はあるかもしれないけど、今大事なのは未来に繋げること……」
「……」
「ただ……、その焦りがこういうことを引き起こしてる」
はっとする。
「やはり……、こいつらの正体を知ってるんだね?」
レイは口元ににやけた笑みを張り付けた。
「やめとけって!」
そんな声を無視して飛び出す、隠れる場所が無い事が、彼の精神を極限へと追いやる事になったのだろう。
シンジはそう来たかと呆れ、そんなシンジの前にはヒビキが庇うように飛び出していた。
「……」
奇妙な沈黙。
少年には怒気があった、しかし仲間の言う通り、イジメていたのは自分だ、逆襲にあったからと言って突っ掛かるのは筋違いだ。
──それでも感情は追い付けない。
ヒビキは数年前のことを重ねていた、この少年が苛めている時、自分は見ていただけだった。
──そしてシンジが怪我を負わせた。
見ているだけだった、追い込まれていくのを……、追い込んだ自分は、見ているだけだった。
だから自分がきっかけで今のシンジを壊したくは無かった、それは感覚的な行動だった、反射的な……
そして残りの少年達はおろおろとしていた、別段深い考えがあったわけではない、ただ碇シンジが無事だったと知って物見遊山で覗きに来ただけなのだ、こんな修羅場は想定していなかった。
「よ、よぉ……、碇、久しぶりだな」
「お、覚えてるか?、その……、さ」
引きつった顔で言う。
「小学校の時は……、さ、苛めたりして、悪かったな」
「いや……、俺達、ガキだったなぁって」
それは単にこの場から逃げ出したいがために突いて出た上辺だけの言葉だった。
だが十分『きっかけ』として働いてしまった。
「碇ぃ……」
ぎりぎりと歯を噛み鳴らしていた、少年の足ではシンジにえぐられた傷が疼いていた。
「やめてって」
行こう?、っとシンジの腕を引っ張る、そこにさらにややこしい連中がぶつかってしまった。
「シンジぃ!」
「碇君!」
余りにも険悪なムードにか、トウジ達は駆け寄る事を選んだようだ。
「なんやこいつら?」
「どうかしたの?」
一匹、ケンスケが足りないのだが、彼は何かを考えているようだった。
──それはいつかの記憶でもある。
以前、アスカとのデート中に不良に絡まれた、その時に助けてくれたのは渚カヲルだった、だがアスカの恋人はシンジだと言う。
──昏い情念が沸き起こる。
だがシンジはそれらに対して、非常にあっさりとした反応を示した。
「ええと……」
全員の注目を浴びて頬を掻く。
「今からさ……、ご飯、食べに行くんだけど……、みんなも来る?」
──村に戻った一行は、見下ろした光景に愕然とした。
「村が!」
慌てて駆け出そうとしたファンの腕を掴む。
「焦るな!」
「けどっ!」
「よく見ろ!、襲われてるわけじゃない!、下手に手を出すわけにはいかん!」
もっともな意見にぐっと歯噛みする。
その横でシンジは妙に落ち着いた心境で見定めていた。
「なにやってるんだろう?」
その声音が癇に触る。
「他人事みたいに……」
「……」
「そうだよな!、よそ者が、俺達の村がどうなったって……」
「ファン!」
ファウの叱責に口を噤む、だがその表情は悔しげに歪んでいた。
「もう……、どうしたの、ファン」
ファウには何故彼がこうまで嫌な人間に落ちていくのか理解できなかった、理解できているのはツェペリぐらいなものだろうが、ファンの居る前でする話ではない。
後でファウに言っておくかと先延ばしにする。
「あそこにはシンジ君のお姉さん達も居るんだ、他人事じゃない」
そう言い諭す。
「行こう」
四人は気付かれぬように移動した。
──村の中。
村の基部は木材を組み合わた作りになっている、その上に床となる板が渡してある、シンジ達が潜り込んだのはこの土台の中だった。
ぬるりとした土は大量の湿気を吸っていてくるぶしまで埋まってしまう、それでも四人は腰を屈めて床の下を進んだ。
「下にもいたか」
ツェペリは不敵に笑うと三人を置いて前に出た、迷ってしまったらしい化け物が、緩慢な動作でゆっくりと顔をめぐらせる。
「ひっ!」
その顔を見てファウは小さく悲鳴を漏らした。
「チャン!」
白く濁った目、むくんだ顔、猫背でのっそりと歩いている、だがその形状は『原形』を非常に色濃く残していた。
──人の面影を。
「知り合いなの?」
「チャンは……、チャンは」
ごくりと生唾を飲み下す。
「去年、嫁いでいったの、お祭りでっ、街の人の所に!」
呼吸がつまりそうになっていた。
「どうしてっ、どうして!」
見ればファンも青ざめてしまっていた、まさか知り合いがこんな形で、そんな表情だった。
「……」
「先生!」
「気の毒だが……」
「そんな!、先生!、だめっ、お願いです!」
「ファウ!」
錯乱するファウをファンが抱きついて止めようとする、だが予想以上にファウは暴れた。
「だって!、チャンなのよ!?、ファンだって遊んでもらったじゃない!、好きだって言ってたじゃない!」
シンジはその様子に何かを堪えようとした、だがそれは押し留められる物では無かった。
脳裏に浮かんだのは……
『やめて!、やめてよ!、父さん!』
──親友の足を奪った自分、やらせた父。
シンジはツェペリの邪魔をするように飛び出していた。
「へ、へぇ?、旧東京の人なんだ?」
「だ、第三新東京市って凄いんだろ?」
こちらはヒカリとトウジに少年二名を加えたグループである。
見付けた沖縄料理専門店、長いテーブルで二つにばっさりと別れていた、もう一方はシンジ、ヒビキ、ケンスケ、そしてタダオと言う少年の組み合わせになっていた。
シンジとヒビキがこれも美味しいと舌鼓を打っていちゃついているのを見てこめかみをひくつかせている、ケンスケ共々だ。
シンジは二人の様子にやっと気がついたのか、声をかけた。
「どうしたの?、美味しいよ?、食べないの?」
タダオは不機嫌そうに箸を取って、おおざっぱに口へと運んだ。
「なぁに怒ってんのさ?」
タダオはギンッと睨み付けた。
「気分悪いんだよ」
「……だったら帰って休んだら?」
「なんだと!?」
あああああ、っと、様子を窺っていたトウジ達は頭を抱えた、こんなことに巻き込まれるとは思っていなかったのだろう、当然だった。
出来れば帰りたいと言う意見で一致し、意気投合してしまっている。
シンジは呆れた様子で頬杖を突いた。
「なぁにムキになってるんだよ」
「この……」
「勝手に覗きに来て勝手に突っかかって来てさ……」
はふぅっと嘆息。
ヒビキや観客になりきっていた二人にだけはそれが感じられただろう。
──シンジが自分達が持っていた碇シンジのイメージからは、大きく変化してしまっていると言う事に。
──ドン!
シンジが体当たりをかけたのは化け物……、いや、屍生人に対してだった、元々緩慢な動きしか出来ない屍生人は、あっさりとその場に転がった。
「シンジ君!」
慌てたファウが叫ぶ、ツェペリも動揺を見せた。
「なにを……」
ツェペリは心の中に罵声を呑み込んだ、屍生人の上にまたがったシンジの顔を見て、胸を衝かれてしまったからだ。
(何と言う顔をしているんだ、苦悩と悲しみ、悔恨?、この少年の過去はわたしが思う以上の苦痛によって彩られている!)
シンジの心中を彼に推し量ることは出来なかった、迷ってはならない状況があり、誰かがやらなければならず、それを強要され、憎むしかなかった。
仕方なかったと言われても、それを理解できても、心は追い付かなかった。
──恨むしか無かった、誰かを、ああなってしまった原因を。
憎しみの対象を、誰かに求めずにはいられなかった。
「ツェペリさんがそんなことやっちゃいけないんだよ!」
彼らにしてみればシンジの行動など、突発的な錯乱としか映らない。
「だったら……」
ツェペリが賭けたのは己の勘に対してだった。
「君ならどうする!?」
「先生!」
ファウが悲鳴を上げる。
シンジはぎゅっと瞼をつむり、酷い懊悩を垣間見せた。
──そして再び瞼を開く。
「……方法は、もう、教えてもらったから」
「なにを……」
──逃げちゃ、駄目だ!
ファウの目が気になる、ファンの目もだ、そしてこの事実を知れば村人の目も変わるだろう、自分をどう見るだろうか?、恐かった、とてつもなく恐かった。
──帰って来たら、続きをしましょう?
唐突に思い浮かんだのは『あの人』の別れの言葉と微笑みだった。
好きでも嫌いでもなかった、あの人の。
同じなのかも知れなかった、復讐の道具にしている事を悔恨していたあの人、それでも止められなかった、でもその罪悪感から来るものだけでは無く、確かにあの人は心から願ってくれていた。
──寂しさを知っていたから。
だから傷ついている者を見過ごせないでいた、そんな弱いあの人とこの感情は同じなのかも知れなかった。
──後悔したくないから、傷つきたくないから。
だから思った事をやるしかない、後悔する事になっても、ちゃんとできなくても、放っておけない。
自分に出来る事があるのに、臆病さからそれを見過ごせば苦しみだけが募る事になってしまう、そしてその行動の動機は、自分の影を見たくないと脅える感情。
今、ツェペリが手を下せば、きっと二人は、村人は……
彼を尊敬しなくなる。
それはきっと不幸な事だから、自分のようには……、自分と、父親のような関係には、絶対になって欲しくないから。
──だからシンジは心を沈める。
内に、内に……、その『イド』の底には別の『イド』へと突き抜ける穴があった、全ての『イカリシンジ』へと通じる穴が。
シンジがシンジとして『人格』を維持し続けていられた理由がそこにはあった、『他』からの情報の流入を制限する事で、これ以上自分が失われるのを防いで来た。
──今、シンジは自らその弁を取り払った。
膨大な『知識』に溺れて沈む、自分の知らない自分達が、自分の知らない経験を積んでいた、それはまるで活字を追うように感情移入できる代物だった。
──それでもやはり、他人事だ。
シンジは意識を強くして、自分の欲しいものを探し出した、波紋、それを手に入れている自分もやはりそこには存在していた、シンジはその『知識』を掴み上げた。
呼吸、横隔膜が生み出す神秘の力、波動。
かつて人間だった屍生人の顔を手で押さえつける、その右手は血と精液にまみれて見えた。
──罪の証しに。
「あっ、あ……」
シンジは溢れ出る涙を堪え切れずにこぼした、屍生人の顔が浜辺で首を絞めた時の彼女の無表情さに重なって見えた、しかし『波紋』の生成には正しい呼吸が必要とされる、喘いではならない、それがシンジに新たな不幸をもたらした。
──感情の抑制。
泣いてはならない、凍らなければならない、機械的に作業をこなさなければならない、そのことがシンジを人形にした。
自虐的な感情に人らしさが失われていく、今更、そんな想いが沸き出して、シンジを『十四歳』の碇シンジへと……
『あの後』のシンジへと、その精神を飛躍させた。
それはとてもとても、とても不幸なことだった。
──ネルフ本部。
その帰り道のことである。
正面ゲートから出て来たのはレイとカヲルの二人だけだ、その内の一方、レイは携帯電話で話し中だった。
「そう、お姉ちゃんが捕まえてくれたんだ、まあ尻尾押さえられたんなら結果オッケ〜っしょ、その犯人は保管しといて、後で『交渉』に使うから、え?、どことって決まってるじゃない」
──教団とよ。
そう告げてからレイは電話を切り、懐へとしまった。
「……今回の事件はこれで終わりかい?」
それを見計らってカヲルが訊ねる、二人はバス停の前でガードレールに腰かけた、カヲルは尻を引っ掛けるように、レイは上に乗って。
「随分と無謀な賭けに出て来るね、チャイルドプレイも」
もう既に裏事情は掴んでいるらしい。
「尋問は良いのかい?」
「なんのために?」
レイは足を上げて両膝の上に肘を置いた、顎を落とす台を手で作るためである。
「お米の国がとうとうなりふり構わない手に出て来たってだけでしょ?、裏が全部分かってるのにそんな無駄なことしたって仕方ないじゃない」
「確かにね……」
苦笑する。
「それにしても、こうも露骨に犯罪者を使うとは思わなかったよ」
「勉強不足」
指で差す。
「もっと人間のことを勉強するように」
「気をつけるよ」
「アメリカってのは昔っから犯罪者を起用して来たんだから、例えばハッキング対策にハッカーを雇うとかね?、合理性の前には倫理や道徳なんて吹っ飛ぶのがアメリカって人種の性格なの、分かる?」
カヲルは分からないと正直に答えた。
「そこまでの『機微』には疎くてね、僕には民族単位での性格の違いまでは分からないよ」
「……米国じゃ3号機を奪われたってのに4号機の起動の目処はおろかチルドレンの確保すらまだ目算が立たない状況にある、これなら分かる?」
「焦っていると言うことか……」
「またちょっかい掛けて来るでしょうけど……」
カヲルは敢えてそれ以上突っ込まずに話題を変えた。
「で、教団に交渉って言うのは?」
「ん?、こっちよりも向こうの方がチャイルドプレイについてはムカついてるはずだかんね」
「……何も僕達が処理することは無い、代わりにやってくれる者がいるんだから任せればいい?」
「こっちは手が足りないモン、そんなことまでやってらんないし、それにそっちにかまけてくれてたら、ちょっとはこっちが楽になるし」
「こっちは目的に集中できるし、向こうは人手を割かねばならず、苦労する、悪辣だねぇ」
「それくらいやんないとね……、組織力で負けてるし」
「チャイルドプレイか……」
カヲルは語る。
「かつてクェート戦争の折りに持ち出された生体変革ウイルス、それを用いられた多くの可哀想な子供達」
例えばフェイ。
「遺伝情報体更新用ウイルスの最大の欠点は人体の改造に伴う肉体の大量のエネルギーの消耗だった……、そして唯一それを補い得るのは教団の提供する肉片、そう、『使徒』の肉」
通常では追い付かないアミノ酸などの化合物、しかし『エヴァンゲリオン初号機』から直接切り出された『正体不明の肉』にはこれが大量に含まれていた。
まさに夢の『健康食品』である、およそ必要な栄養素が全て含まれていたのだから。
「人を救うためにばら撒いていたはずのものが悪魔の研究を推進させるための起爆剤となってしまった、そのためにより多くの子供達を不幸にした、……確かに彼は今でも憤っているんだろうね」
それはかつての『恋人』に向けた、強い憐れみの言葉であった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。