──遡ること数十時間。
森の中に隠れた村、そこはゲリラの砦であった、有刺鉄線に囲まれた空間に櫓や小屋が建てられている。
全体的にのんびりとした空気が漂っていた、油断し切っているのだろう、ライフルを肩に下げて煙草の火を仲間に借りている見張りの姿が確認出来た。
──無精髭の男は地下に掘られた牢屋の中に居た。
とは言っても檻の中に入っている訳ではない、中に閉じ込められている物を見て胸糞の悪さに顔を歪めていた。
普段は尻尾状にしている髪をばらけさせ、帽子を目深に被っている、そうしていればこの不衛生な集団の内の一人に見えるからだ。
グリーンを基調とした野戦服は泥と草木の汁によって汚らしさをいやましていた。
加持リョウジ。
2011年、彼はここ、ベトナムで非合法の活動を行っていた。
そして彼の正面、檻の中に居るものこそ、ファンとファウの村を襲った屍生人であった。
NeonGenesisEvangelion act.53
『変調:pro・logue −外典 第五章 第四節−』
「あああああ!」
シンジが放った裏拳は、背の都合から屍生人のへその下に入った。
──ジュウ!
溶ける、肉が、そして体重を支えられなくなって背中へ折れた。
「!?」
次に襲いかかって来たのはズタボロの布切れを身に纏った屍生人だった、元は服なのだろうが、もはや影も無い。
──ガッア!
のしかかられる、だがシンジ慌てずに首に巻き付けられた腕を取った逃げられないようにだ。
苦悶の雄叫びを上げて屍生人は酷く暴れ狂った。
痛覚があるらしい、苦痛に呻いてそのままずるずると崩れ始めた、今やシンジは全身から不可視の『波動』を発していた、具体的に殴る蹴るする必要すらなくなっていた、ただ触れる、それだけで良い。
──それでも殴らずには居られなかった。
「やめて!、シンジ君!、お願い!」
時々知った顔に出くわす、屍生人の中に知った顔を見付けてしまう、それがファウを追い込んでいた。
「離してよ先生!、なんでだよ!」
必死にもがく彼女とファンを、ツェペリはなんとか取り押さえていた。
「ああしなければ彼らは永久にあのままなのだ!」
汚れ役という言葉が脳裏に浮かぶも、ツェペリはそれに目をつむった、自分が焚き付け彼が許容したのなら、今更なにをためらおうか?
だがそれにしても。
「泣きそうだな、あの子は」
覗いているのはレイとカンヂだった。
「驚かないの?」
「今更なにを……」
墜落しようとする機体の中で、彼の背にまばゆく輝く翼を見たのだ。
怪物を素手で打ち倒すくらいのことで、今更なにを動揺しろというのだろうか?
「ねぇシャッチョさん」
「ん?」
「シャッチョサンはこの百年で、世界が破滅に陥りかけた事件って何件あったか知ってる?」
「破滅?、セカンドインパクトのような?」
「そう」
知る訳ないよね、と言葉を続けた。
「だって事件ってのはいつでもこうやって、人目につかない所から始まるんだもん、でもいつも誰かがそれを止めて来た」
「それが君達だと?」
「まさかぁ、そこまで言わないけど、例えばセカンドインパクト、あれの真相って知ってる?、あれを起こした団体のこと」
当然だった。
それとなく警告も受けている、やり過ぎるなと。
一部の独善的な連中の暴走がセカンドインパクトを必然にしてしまった、彼らは未だに警戒しているのだ、再び自分達の制御が利かない存在が現れるのを、もっともカンヂはそこまでは知らないが。
「でもねぇ?、それだって何かを防ごうとしたのかもしれないよぉ?」
レイは顎を引くと、唇に人差し指を当ててカンヂの顔を覗き見た。
「で、ね?、正義の味方が発想を飛躍させて悪役に落ちるのって、定番じゃない?」
カンヂは一瞬惚けてしまった。
突然何を言い出すのかと。
「つまり……、『彼ら』は何かを間違えてしまったと?」
「痛みってのは最初は感じてても慣れちゃうもんでしょ?、破滅するよりは良いって感じでセカンドインパクトを許容したから、タイギの前には多少の犠牲は仕方ないって思っちゃってるのかもしれない、誰かがそれは間違ってるって教えてやんなきゃならないわけよ」
「それに荷担しろって言うのか?、僕に」
「だって狙われてるのは同じでしょ?」
唖然とする。
「だから……、か」
「そう、どうせ喧嘩するなら仲間は多い方がいいんじゃない?」
「でも子供の君達を……」
「そう思うなら」
レイはデジタルムービーカメラを押し付けた。
「それ持ってて」
「え?」
「それでもまだあたし達をただの子供と思うかどうか試してあげる」
レイはそう言ってにんっと笑った。
──翌日。
シンジは格段に厚い待遇を受けていた。
押し寄せた化け物を光を持って払う姿を、太陽の化身と重ね合わせて見られたからだ。
「……しかし」
カンヂは呆れ返っていた。
うずたかく積まれた『お供物』、青いバナナやリンゴ、そう言った街でしか手に入らないようなごちそうが惜し気もなく振る舞われたからだ。
言うまでもなく土地では取れない果物ばかりだ、まだ貿易関係は混沌としていて輸入される量など限られていると言うのに……
(国際通貨統合機構が立ち行けば、少しは改善されるんだろうか?)
カンヂはカメラで撮影しながらそう考えた。
だが国連において統合機構が認知される背景には、非常事態に伴う緊急可決法案がある。
社会の不安定さから戦争が勃発、あるいはゲリラ化した難民による略奪が相次ぎ、幾つかの小国は国としての機能を完全に失ってしまっていた。
昨日使えた紙幣が今日は紙屑に落ちている、そんな状況が相次いでいたのだ。
国連はこの事態を憂慮して、軍隊を派遣し、鎮圧し、その国政を国連の監視下に置いている。
国連による統治であった。
これに対する市民の反発を抑えるために、万国で使用できる安定した通貨を奨励し、換金を行っている。
安定した経済が一夜にして取り戻されるのだ、これに異を唱える住民は少ない、だが決定を下した常任理事国を外した国の反応はどうだろうか?
通貨の統合は最悪経済の掌握を意味するものである、それを恐れて彼らは現金の必要性を訴えていた。
表向きの理由はこうだ。
こういう土地がある。
ポイントを使用できないほど原始的で、現金を手に入れられないほど『安く』見られている人達が住む、そういった世界が。
カンヂはカメラをパンさせた、カメラごしのシンジは憮然としていた、高座に置かれているのだが、出された果実酒にすら手を付けていない。
(それもまたやむなしか)
そっと溜め息を吐いたのはツェペリだった、皆は見ていないのだ、屍生人の真実を、だから無邪気に騒げるのだろうが……
ツェペリはふいと見回して、ファンとファウの顔を探した。
(やはり行ったか)
二人の姿が見えない。
シンジは健闘したと言える、だがやはりシンジ一人で全てを片付けるのは不可能だった。
波紋は銃火器ではないのだ、接触せねばならない以上、物理的な数を補うような効果はない。
明け方になって屍生人達は『収穫品』を持って引き上げていった、仲間の死になど関心は抱かないらしい、あたかも刷り込まれた行動をただなぞっているかの様に、目的だけを果たして帰っていった。
──それは再び現れる可能性を示唆している。
神の子の降臨だなどとどこまで信じているのものか?、しかしシンジに屍生人を払う力があるのは確かなのだ。
村人達はここぞとばかりに押し付けようとしていた、勇者は、正義のために死ぬものであると。
だがシンジをこのような小さな村の守り神で終わらせるのは間違っている、ツェペリは彼をどう連れ去るか思案していたのだが、背をくいっと引っ張られて中断した。
「君か」
見上げるようにしてにたにたとしているレイが居た。
「良かったんじゃない?、お望み通りの展開になって」
どうかな?、とツェペリは胸の高さほども背のない彼女に愚痴をこぼした。
「力は心の有り様によって良きものにも悪しきものにも成りかわる、そして大きな『揺らぎ』をもたらすものほど、導くものが必要だ」
「例えば導士とか?」
いいやとツェペリは否定した。
「道標だよ、それは尊敬できる師である場合もあるだろうが、自らが尊ぶべき生きざまであったり、信念であったり……、目的地には辿り着くための道程がある、その道において行くべき先を見失わぬように導いてくれる『標札』、あるいは『方位磁石』となるもの、それこそが必要なのだ」
ふうんとレイは鼻で笑った。
「シンジにはそれが足りないって?」
「……彼には、ゴールが無い」
それは直感だと言う。
「目標とすべきものが見えていない、だから目先のことにだけ酷く反応する、大きな力は素晴らしさ故に目を眩まされてしまう事がよくあるが……、逆に言えば使い時を知らないからこそ安易に人の目に晒してしまっているとも言える、わたしは見ていられないのだよ、あれほどの力を持ちながら、己の運命を見もせぬあの子が、惜し過ぎる」
レイは彼の背をバンッと叩いた。
「……それって、育ててみたいって気持ちと自分の目的を混同してない?」
「なに?」
「シンジに手伝って欲しいんでしょ?」
「……」
「でもねぇ、それってみんなが持ってる悪い癖だよ?、自分が抱えてる秘密だけが大問題だと思ってさ、どれだけ大変な事か知らない癖にって卑屈になって、けどね?、世界にはもっと大きな問題を抱えてる奴も居れば、大変なことだって存在してるの、思い詰めると視野が狭くなって自分の周りしか見えなくなるよ?」
ぐっと詰まる。
「なら諦めろと言うのか?、あれだけの素質を無駄に……」
さあてね?、とレイは言葉を中断させた。
「でもこうは考えられない?、もしかするとあたし達の目的は同じ『波紋』の上にあるのかも知んないよ?、同心円状に広がっている波動、その中心に原因があって、おじさんは外側の『影響』に翻弄されてしまってるだけ」
ふうむと考えて、はたとする。
(またか)
頭を振って感覚をはっきりとさせる、何を子供相手にと。
だがその錯覚こそが正しい感覚のような気がしてならないのだ。
「で、おじさんの弟子はどこ行ったのよ?」
「追いかけて行ったらしい」
「……は?」
レイはきょとんとした表情を見せた。
「屍生人を?」
「ああ」
「放っといたの?」
「わたしにあの子を連れていかねばならないからな」
「……だから人の子を利用するなっちゅうのに」
少し痛かったのかぐっと詰まった。
「……だが手は打ってある、大丈夫さ」
──2015ネルフ本部。
『んじゃあ、なんとかなったってわけね』
「まあそうね」
電話越しに会話しているのはリツコであった、相手はアメリカ国連本部に居る葛城ミサトだ。
『良かったじゃない』
「……あなたがそれを言うの?、作戦部長さん」
皮肉に対して苦笑を返した。
『あたしだってさぁ、そりゃ役に立ちたかったけど、黙ってピエロになるつもりなんてないし』
「ピエロ?」
『こないだの3号機のことで分かったのよ、あたしの『認識』じゃ足引っ張る事しか出来ないってね』
「だからピエロ?」
『そ』
「でもそれならわたしだって同じことよ……、何の役にも立てないし」
ミサトは慌てて慰めた。
『そんなことないんじゃない?、少なくともエヴァは役立ってるんだし、あんたが居なきゃ動かなくなるんだから』
「でももう少し……、役に立ってくれない方がやりがいが、ね」
『立ってくれない方が?』
「送った資料は読んでくれだ?」
『読んだけど?』
「今回の弐号機の性能もそうだけど、零号機、初号機には飛行能力があるわ、その上に初号機には短時間とは言えエネルギーゼロの状態で動いた実績があるもの」
『役立ち過ぎ、か……』
ミサトはようやく何を言いたいのかに気がついた。
『欲しがってるって訳ね、みんな……』
「ええ、どこの支部もデータを寄越せってうるさいのよ」
『そしてそれが反映されたエヴァがロールアウトされる……』
渋い顔になっているのが手に取るように分かった。
本部には必要数のエヴァがある、それに対抗しようとしているのだろうとあたりを付ける。
『で、実際のとこどうなのよ?』
あの『力』はエヴァのスペックの範囲内なのかと訊ねているのだ。
「欲しけりゃくれてやるわ、こんなデータ」
『投げやりねぇ……』
「実際どうにもならないデータよ、まあ公表出来る物ではないから、司令の判断を待たなきゃいけないけど」
『どういうこと?』
「まず弐号機が見せた『発動』についてだけど、その時にフィフスのATフィールドが観測されているのよ」
『フィフス?、3号機じゃなくて?』
そう言えば生身で張れるんだったっけっと思い出した。
『それが?』
「出力はエヴァや使徒のものに匹敵していたわ」
『はぁ!?』
「しかもその波長で弐号機に同調した形跡があるの」
『じゃあ……』
そうよと溜め息を吐いてしまう。
「あれはアスカでは無くて、フィフスだから導けた結果、つまり『人』が乗って引き出せるエヴァの能力の限界値は、間違いなくセカンドと弐号機の組み合わせで頭打ちよ」
『アスカで……』
ミサトは複雑な心境に陥ってしまった、先日の山岸監査官とのやり合いの中で認めてしまった、パイロット育成のためのミスの裏付けを取られてしまったようなものだったからだ。
「その上、『あの』初号機の能力については未だ不明のままよ、観測データは全てが振り切られていて何一つ数値化出来ない状態、憶測と推測だらけでどうにもならない、零号機はまだマシだけど、分かったことは一つだけ」
『なに?』
「零号機には羽根が生えるような機能なんてないって事だけ」
なるほどねぇとミサトはリツコを労った、意味不明なデータ群が日増しに山積みになっているのだろうと、なのに他の仕事が邪魔してくれてろくに研究できない、その悪循環がどれほどのストレスを生んでいるのか?、それは鬱にもなるだろう。
『で、あの子達の様子はどうなの?』
わざとらしく話題を変えるミサトであったが、疲れを感じていたのかリツコは気がつかなかった。
「……この頃は大人しいものよ、以前のような無茶はしなくなったし、でも」
『なに?』
「最近よく集まってるわ、何か企んでるのかも」
『やっぱりか……』
「え?」
『足場を固めたんで次の行動に移ろうとしてるって事、ほら、前に話したの覚えてない?、話してなかったっけ?、シンジ君がエヴァに乗るために出した条件、報酬の話』
リツコは忘れているのか思い出せずに首を傾げた。
「それが?」
『最初の支払いって結構遅れたでしょ?、でも文句は言わなかった、本当の目的はお金じゃないって事よ』
リツコはああと納得した、それはそうなのだ、彼らのような『職業』ならば表舞台に立つのは危険過ぎるし、最近などはそちらの仕事をしている様子も無いのである。
「で?」
『つまりぃ』
わかんないかなぁとミサトは焦れた。
『そこで最初に戻るわけよ、足場が欲しかった、ネルフって言うね?、それを手に入れたから次のステップへ進もうとしてるんじゃないかってわけ』
あ、嫌だ、とリツコは半ば反射的に身構えてしまった、巻き込まれる、逃げなきゃと思った。
『ねぇん、リツコぉ』
猫なで声に総毛立つ。
「ごめんなさい」
『……ちょ、ちょっとぉ!』
「悪いけど、わたし忙しいから」
『そんなこと言わないでさぁ!、ちーっと探り入れてくれるだけで良いんだから!』
「冗談じゃないわ!、あなたね!、大人しくなったって言ったって、何度殺され掛けたと思ってるのよ!」
『だっから頼んでるんじゃあない、『ここ』なら安全だからさぁゥ』
こいつは、と拳を固める。
『ちょっちなに悪巧みしてるのか探り入れて』
「もっと遠い所に飛ばされなさい!」
悪態を吐いて受話器を叩きつける、ボタンを押せば切れると言うのに無駄な行為だった、ばきゃんと破損、壊れてしまう、しかしその中途半端さが受話器の運命をより悲惨にした。
『リ、リツ……』
壊れたのはカバーだけだったのだ、しつこく聞こえたミサトの声に、リツコはがんがんと踏み潰した。
──のっそりと歩く事しか出来ない屍生人が進める道は限られている。
険しい道など論外だ。
沢山の屍生人が行軍した後ははっきりと残されていた、土は踏み荒らされ、小枝も折れている、獣道よりも進みやすく均されていた。
先頭を取っているのはツェペリである。
その後ろではシンジが何やら思い悩み、最後にレイが殿を勤めていた。
後ろ手に手を組んで胸を張り、散歩気分で跳ねている、鼻歌交じりに。
シンジは何でこんなことをしてるんだろうと塞ぎ込んでしまっていた、誰にも感謝してもらえないのに。
いつかと同じだった、みんな自分の幸せだけを願って勝手な役割を押し付けて来る。
それに逆らえば人非人として罵られてしまう、どうしてそこまで言われなければならないのか分からなかったし、今でも分からない。
──でも嫌だという感情も確かにあるのだ。
見殺しにしたくない、後悔したくない。
山岸マユミという少女の記憶があった、あの街へやって来た彼女は戦争に対応できなくて、使徒が来ていると言うのにぼんやりとしていた。
まるで初めて使徒を見た時の自分のように。
見捨てられなかった、だから救った、助けた、守った。
今も同じだと思う。
関係ないと喚く一方で、でも助けなきゃと騒ぐ自分が居るのだ。
嫌われるような人間にはなりたくないから。
「……ねぇ、レイ」
「ん〜〜〜?」
「僕は……、僕は何がしたいんだろう?」
あの二人は自分を詰るよりも確かめる道を選んだ。
それは自分に言い訳をくれた、危ないと、危険だと、助けなきゃと、自分を恨んでくれれば自棄になれたのに、どうしてかと。
動き出すためのきっかけとなってくれた。
「僕は……」
独り言に近い呟き、だがレイはしっかりと答えた。
「逃げたいんじゃないのぉ?」
「え?」
「嫌なんでしょ?、だから逃げたいんじゃないの?」
でも逃げ出す場所が無いから。
受け身になって逃げている。
本当は怖いし逃げ出したいのだ、だが彼らを見捨てるのも怖い、今はより怖いと感じる方へと感情は傾いていた。
「でも良かったですね、こういうお店があって」
──沖縄。
大きなショッピングセンターが先月になって開店していた、その中をうろついているのはレイとマユミの二人である。
天井が高く、通路は広々としていた、とても明るくまるで商店街でショッピングしている様な開放感を与えてくれる。
「あ、綾波さん、これじゃないんですか?」
レイは示された菓子包みにちらと視線を向けただけで、実に冷たい答えを返した。
「ちょっと、違う」
「そうですか……」
しゅんとした様子に困ってしまう。
レイは相変わらず制服姿のままだ、マユミはノースリーブのサマーセーターにロングスカート、ストッキングの色まで全部を黒で統一している。
日本は赤道に近い位置に移動してしまっている、その中でもさらに暑い沖縄で黒一色なのだ、奇異な目で見られてもおかしくはない。
そして連れ立っているレイである、制服自体も珍しいが容姿はさらにその上を行く。
この店は点在している土産物屋から商品を買い付けて、観光客目当てに集客を狙うショッピングモールを形成していた、そのため一々外の店を回らずとも、手渡されたメモの中身をほとんど揃える事が出来ていた。
今は最後の詰めの段階である。
レイはどよぉんと暗くなった彼女の雰囲気に堪え切れず、口にした。
「……それも、買うわ」
「そうですか?、じゃあ!」
ぴょこんと顔を上げる、しおれていた時に前に流れていた髪がふわりと舞った、まるで犬の垂れ耳だと思ったのは間違いではないだろう。
にこにことする顔が息を荒くして誉めて誉めてと舌を出している愛犬に被ってしまう。
「後もうちょっとですね!」
「ええ……」
「綾波さんはこれからどうなさるんですか?」
「……」
「碇君と……、一緒には」
小首を傾げるレイに、マユミは珍しいものを見たと動揺した。
「あ、あの……」
「何故……」
「え?」
「あなたこそ、どうして碇君に着いて行かなかったの?」
「え?、ええと……、それは」
ばたばたと慌てる、別段理由が合ったわけではないのだ、たまたま見掛けたから声を掛けたというのが正しい。
「……わたし、あんまり親しい人が居なくて」
マユミはちょっと無理をした笑顔を見せた。
こちらに転校して来た頃、シンジに相談していたように、マユミは『以前』を重ね合わせて緊張していた。
そのために身構えてしまい、浮いてしまっていたのである。
「ご迷惑……、でした?」
レイはいいえと答えた、よかったと胸を撫で下ろしたマユミは気付かなかったようだが、レイの表情は歪んでいた。
やりにくそうにだ。
レイが思い出しているのは、妹の忠告の内容だった。
──かまってかまってってジャレついたりとかさ?、甘えようとしたりして……、ママってね?
どこか懐かれやすいのかもしれない、自分は。
(子守りは苦手……)
まるで育児に疲れた二児の母のような感想を抱き、髪をほつれさせるレイだった。
──それはともかく。
「生意気なんだよ、碇の癖に」
その呟きに、店の中の緊張感は一気に増した。
「山田!」
止めようとするヒビキ、だがその行為は火に油を注ぐものだった、彼にはこういう風にしか聞こえなかったのだ。
「外にでろよ碇!」
「……」
「来いってんだよ!」
シンジの手を掴もうとする、それを制したのはトウジだった。
「ちょい待ちぃや」
「なんだよ!?」
トウジはふんぞりかえるようにして腕を組んだ。
「なんでそないに目の敵にするんや?」
「お前に関係……」
ジロリと睨まれ、タダオはすくんだ、この手の人間はより迫力のある存在には敏感なものだ、彼はその典型的な人間らしい。
「どうなんや?」
「……」
くっと歯噛みしてから、悔しげに答えた。
「足が……」
「あん?」
「足が痒いんだよ!」
なんやそら?、とトウジ。
「お前のせいで痒いんだよ!」
タダオはシンジに向かって叫んだ。
「お前にやられたとこが!」
シンジの知らない事だが、彼は一人になると足の傷痕を掻いていた、ぼりぼり、ぼりぼりと、それこそ皮がめくれて血が出るまでだ。
やめられなかった、癖になっていた、苛着いて来ると余計にやってしまっていた、黒ずんだ痕になっている、一生消えない傷となってしまっていた。
「お前が、お前がっ、だから!、お前のせいで俺は馬鹿にされたんだぞ!」
なんだよそれ?、とシンジは顔をしかめた。
「どういうこっちゃ」
訊ねられてヒビキは困った。
そのまま伝えることがはばかられたからだ。
「その……、ずっと碇君を虐めてたんだけど、一度足を噛まれて」
「シンジにか?」
そうかぁとトウジは事情を察した、イジメは普通多人数によって行われるものだ、だがもし逆襲を食らったら?
仲間は……、冷たいものだ、ストレスの発散が第一目的なのだから、笑う相手は誰でも良い。
そしてそのやられ様が無様であればあるほど、滑稽であればあるほど楽しくもなる。
──からかい甲斐が生まれてしまう。
「それで……、碇君が居なくなったから代わりに自分が馬鹿にされてるんだとか思ってたみたいで、噛まれたこととか結構笑われてたから」
「逆恨みじゃない……、そんなの」
「そうなんだけど、そうなんだけど……」
ヒビキにはどうにも出来なかった、その焦りがさらなる空回りを生む。
昔のことが思い出される、このままではキレたシンジがまた暴れるかもしれない、それを見てシンジの友達であるらしいこの三人がどう思うだろうか?
「なんだよそれ……」
シンジの声音にはっとする。
「碇君!」
「なんだよそれ……、自分勝手にさ」
「なんだと!」
「ちょっと、待てって!」
「山田!」
少年二人も止めにかかるが、もう遅い。
──ドカ!
店の入り口から叩き出されたのはもちろんタダオだ、転がった拍子に肘などをすりむいた様で、押さえている。
ゆっくりと後を追ってシンジは店を出た、後ろでは店員に平謝りに謝っているヒカリが居る、店員は渋い顔をしていた。
「こっちだよ」
シンジは顎をしゃくった。
「ここじゃ迷惑になるからね」
悠然と背を向ける、タダオはその背を酷く憎しみの篭った目をして睨み付けた。
ネルフ内においてヒマを持て余している人間は珍しい。
技術部はエヴァの整備の他に新しい兵器の開発、施設の点検と、眠る時間すら取れない有り様だ。
当然、保安部や諜報部はそれに合わせたシフトを取らざるをえないし、会計監査部は僅かな休憩の間に溜まる領収書の処理に追われていた。
特に今はようやく天井都市の土台である装甲板の修繕が終ったところなのだ、次は兵装ビルの建設作業が待っている。
その配置などを探ろうとして、スパイ行為が横行していた、取り締まり作業はいたちごっこだ、そんなところからも領収書や請求書は発生する。
領収書と言えば一番発生するのはもちろんエヴァだ、この巨人を動かすために一体どれだけ多くのボルトやナット、ケーブル、基盤、そういったものが組み合わせられているのか?
身長六十メートルの巨人が着ける鎧、そして武器がどれだけの精密部品で出来上がっているのか?、それらの一つ一つに領収書があるのだ。
人の手ではそうそう追い付かない。
この処理にMAGIに接続されたスキャナがあるのだから笑い話にもならないだろう。
「だからと言って、アルバイトかね」
山岸ゲンタは呆れ返っていた、加持諜報三課課長を探して会計部へと辿り着いての発言がこれである。
部屋中に散乱している領収書と請求書の山、ゴミにしか見えないその下には討ち果てた女性所員が高いびきをかいて転がっている、一人や二人でないのが酷い、はだけられた制服からは下着が丸見えなのだが、それさえも汗と垢に薄汚れいてる、とても年頃の女性が見せて良い姿ではないだろう。
「いやぁ、先週の休みにデートした時、手伝うって約束したもんで、すみませんね」
加持は手慣れた調子でスキャナに領収書をかけていた、紙を置けば勝手にMAGIが読み取ってくれる、そういう仕組みだ。
「課長がそれか」
「課長って言っても閑職ですからね」
「チルドレンの観察が閑職?」
「あの子達が本気になったら観察なんてさせてもらえませんよ、俺達はさせてもらってるんですから」
ゲンタは領収書を踏まぬよう注意して壁にもたれかかった。
「だがそうして油断しているから今回のようなハイジャックが起こった、違うのか?」
「それは保安部の仕事でしょう?」
加持は顔を上げて、ふざけた調子で問いかけた。
「月並みな質問ですが……、お嬢さんが同乗されていたことと何か関係が?」
「……いや」
「じゃあチルドレンに関して口にしますが、もちろん部下は張り付けてありましたよ?」
「聞いていないが……」
「そりゃそうでしょうね、彼らの仕事は監視と観察です、いかなる状況でも手を出すなと厳命してありますから」
「状況が状況だろう……」
「あの程度では状況もなにもありませんよ、うちが手を出せば死人を出します、それでも?」
困惑するゲンタである。
「死人?」
「うちは警察じゃないって事ですよ」
アルバイトには一段落入れた。
「第一に来るのはチルドレンの安全であって、事件の解決じゃないんですよ、ましてや人命の保護でも無い、うちで取るのは最良の方法であって最善の方法じゃないってことですね、ネルフにとって最も良い行動は取ったとしても、そこにある善悪まで見ることはない、だからああいう場合は『任せた』方が良いんですよ」
「チルドレンに?」
「いいえ」
冗談っぽく口にする。
「チルドレンを特定の組織に奪われては困る連中を噛み合わせるんですよ、そのために司令からはある程度情報を漏らして良いと許可を取ってあります」
「危険だとは思わないのか?」
「エヴァはパイロットのメンタルな部分によって性能が恐ろしく上下する代物なんでね、彼らの安全を考えて箱の中に閉じ込めるより、安全なフィールドを作ってやる方が良いんですよ」
「その結果が今回の事件か?」
「うちのシミュレーションでは死者五十名を予定していましたが?」
こう返されては何も言えない、チルドレンさえ無事なら良いのだ、ならばテロリストなど民間人ごと処分してしまえば良い。
「そうか……」
「ま、『若造』が考えてる事ですよ、そう真面目に取らないで下さい」
(若造か……)
だが、とゲンタは顔をしかめた。
研究所上がりの組織としても、異常なくらい平均年齢が低いのだ、とくに本部はどの支部と比べても低かった、加持のような三十代前後のものが多過ぎる。
これはどういうことかと思うのだが、一方で赤木リツコや葛城ミサトに見られるような、特異な才能に恵まれている者が突出し、存在している。
一言で言ってアンバランスなのだ。
こういう組織は安定を第一に構成されるものではないのだろうか?、優れた者を適材適所に配置するよりも、組織として円滑に活動出来るよう、平均化が優先されるものだと思うのだが。
何か不自然だ、そう感じる。
「ところで、明日にはわたしの部下が到着する、機内の詳細な報告書は回してもらえるんだろうね?」
そこにありますよ、と加持は部屋の隅に置いていた黒いバッグを指差した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。