──人は生まれながらにして人生と言う名の舞台を演じるよう定められた主役である。
 しかし脇役は脇役で自分の舞台を演じている訳だから、結局主役の食い合いである、結果、誰もが自分のシナリオを成り立たせようとして押し合いへし合い。
 そうして誰の脚本も立ち行かぬまま破綻した世界がどこかにあった。
 ……その世界での碇シンジは端役でしかなかった、その物語は『碇ユイ』の夢見物語となるはずだったのだ、それを食ったのはシンジだったが、主役足るには弱かった。
「わかる?、歴史の流れはサードインパクトに向かって動いているわけ、シンジ中心にね?」
 行軍中、レイは塞ぎがちになっているシンジに忠告をくれた。
「この世界ってばなるべく『以前』と同じになるようにしたんでしょう?、だから多少きつくっても、前と同じになろうとする訳よ、だからその流れから外れて動こうとしてる奴には容赦が無いわけ、『矯正力』が歪みに対して働いてんのね、それは『創造主』に対しても同じ、サードインパクトの中心になるのが嫌なら消えてくれ、ちゃんと『代わり』を立てるからってね?、世界はなんとしてでもサードインパクトに辿り着こうって思ってる、第一、あれは一種のリセットだから、誰が起こしてもそれまでの経緯は全部無かった事になるんだモン、大事なのは『アスカ』ちゃんが前と同じ経験をすること、それだけ」
「だから……、僕はいらないっていうの?」
「まあね」
「……」
「世界は『依り代』を求めてる、まあ、『他の世界』のシンジは自分の世界の成り立ちなんて知らないし、自分がなんなのかなんて考えたりするはず無いから、その流れから外れようとするなんて事ありえないんだけどね、でも……、もしもね?、シンジみたいに自分の立場って物を自覚できる奴が主人公であろうとしたならば?、それって無敵の追い風にならない?」
 でもそれはサードインパクトへと至る流れに乗る事で……
 サードインパクトを目指すからこそ、世界は手を貸してくれる訳で。
「それじゃあ結局……、また酷い事になるだけじゃないか」
 はぁっと溜め息。
「ほんとはこれ、まだ話そうと思ってなかったんだけどさ」
「?」
「良い?、確かにシンジは世界を創ったけど、望んだのは『エキストラ』に埋め尽くされた世界でしょう?、さて、シンジが望んだのは2015年のあの夏のあの場所、でもいきなりぽんっとそこだけが存在するわけにはいかないじゃない?、だから世界は整合性の取れた辻褄を求めて過去をでっち上げている、『何千万億』なんてでたらめに等しい辻褄袷が何をもたらすかってゆーと『破綻』なわけよ」
「え……」
「破綻、破局!、狂った世界の無限連鎖がわたしを壊す、じゃなくて、『予定』を狂わす、つまりこれは壮大な綱引きなのよね、サードインパクトに向かおうとする碇シンジを中心とした世界と、未来を夢見てる希望に満ちあふれた『子供達』とのね?」
 レイは小枝を踏みながらシンジの背に飛び付いた、シンジの両肩に手を置いて後ろから頬を合わせる。
「辛いかもしれないよ?、今の世界は……、今の生き方は、だって『記録』の向こうのシンジ君達は積極的じゃないから、世の中がこんなに酷いだなんて知らずに済んでるもん、でもシンちゃんはもう知っちゃった、サードインパクトは悲しみを無くすだけ、救うわけじゃないの、だからお願い、頑張って」
「レイ?」
 頬にちゅっと。
「負けないで、負けない限り……」
 レイは何を告げようとしたのだろうか?
 ──ガァン!
 しかし響き渡った銃声に、確かめる暇を奪われてしまった。


NeonGenesisEvangelion act.54
『変調:pro・logue −外典 第五章 第五節−』


 一様にゲリラと呼ばれていても実態は様々なもので、例えばこの辺りに勢力を伸ばしているのは麻薬などの密売で知られている組織であった。
 他に言えば政治的な活動を行うものや野盗に近いグループもある、だが彼らはそのどれとも違った組織であった。
「逃がしただと!」
 ドンッと叩かれたテーブルは足が歪んで傾斜した、この村を作るために切り倒した木々でこしらえた家具である、もともと頑丈では無かったのだろう。
 根性無く上に乗せていた鉄製のコップが滑り落ちた、床に茶色い液体がぶちまけられる、その跳ねた滴が靴を濡らした、それもまた男の神経に酷く障った。
 ごつい男だった、筋肉質で、四角い体格をしている、肌は元々浅黒いのだろうが、薄汚れてさらに黒くなっていた。
 男の前では痩せ細った青年が脅えすくんでしまっていた、銃を持っている、彼の部下の一人なのだろう。
 男はぎりぎりと歯ぎしりをした、その顔は苦渋によって歪められていた、脳裏には尻尾髪の男の顔が浮かんでいた。
「納期が迫っていると言うのに……、逃げ出した『サンプル』の捕獲は!」
「急いでいますが、数体見失って……」
「かまわん、必要数は揃うはずだ、後は放っておけ」
「しかし」
「奴らは『あれ』無しでは生きられん、その内くたばる、それよりも奴の正体を掴め!」
 がしゃんとテーブルの上のものを払いのけた。
 ──尻尾髪の男。
 彼は『チャイルドプレイ』の遣いと言う事でコンタクトを求めて来た男だった、最初はこの近辺で起こしている誘拐騒ぎを聞きつけて来たのだろうと勘繰っていた、チャイルドプレイの専門は子供だからだ。
(逃げ出す隙を作るためにサンプルの檻を開けるとは!)
 だがその点について触れるでも無く、ただ居着いていた、結局なんの用があったのだろうか?、『奴』は用を果たしたのか消え去るために、サンプルの脱走騒ぎを起こしてくれた。
 ──歯噛みする思いである。
 頭に血が上って反射的に命じてしまった、深く考えずに。
 その日上空を飛ぶ機体を落とさないよう要請が合った、チャイルドプレイからだ、多額の資金と共にである、これを了承しない理由は無かった、だが向こうが先に裏切った、だから撃ち落とさせた、この流れが傷をより深くした。
 この村はある目的のために作られていた、それはもちろんサンプル=屍生人に関るものなのだが、その黒幕はチャイルドプレイとは懇意にある、自分の行動は関係を悪化させてしまった、粛正は免れないだろう。
 実はレイ達を追いかけたゲリラは、尻尾髪の男を追っていた隊だったのだ。
 それが偶然レイ達を見付けて誤解したわけだ。
(仲間と接触したはずだが)
 男はそう勘違いしていた。
 自身の早とちりが組織そのものを危うくしている、この上主犯を逃がしてしまってはどのような言い訳も通じまい、だから彼は必死だった。
 ──やまびこのような銃声が聞こえた。
「どうした!」
「分かりません!」
「ええいっ、隊を出せ!、わたしも出る!」
 急ぎ村を囲う柵の門が放たれる、ジープやトラックが人を乗せられるだけ乗せて走り出た、その様子を茂みに隠れて見ていたのはファンとファウの姉弟だった。
 二人は回り込むと柵の上に枝を被せている大樹を見付けた、都合よく斜めに傾いでいる、なんとか幹を登れば向こう側に下りられそうだった。
「行きましょう」
「うん」
 意外な事に扇動してるのはファウだった。


「撃てぇ!、撃ち返せぇ!」
 興奮して叫び声を上げているのは戦闘のプロではないからだろう。
「どうなってるんだろう」
「頭を低く!」
 ツェペリが命じる。
「一方はゲリラのようだが、もう一つは……、シールズだな」
「しーるず?」
「アメリカの特殊部隊だよ、海兵隊だ」
「どうしてそんなのがここに……」
「目的は同じだろうな」
 行こうと促され、シンジは従った。
「そう珍しいことじゃない、旧世紀からアメリカは常に同じことをやっている、火が点く前の火薬庫に兵隊を送り込んで制圧し、管理しようと試みている」
「上手く行った試しってないんだけどねぇ」
 お気楽にレイ。
「大体アメリカの特殊部隊って映画のイメージが強いけど、いっつも勝っちゃうヒーローってわけでもないし、今度も何やらかすんだか」
「……気楽だな」
「だって他人事だもん」
 その物言いにむかついたのか、ツェペリは険悪な目を向けた。
「ならどうして着いて来る」
「あたしはシンちゃんの傍にいるだけだけど?」
 今度はシンジが顔を歪めた。
「僕は……」
 何かを堪えて顔を伏せる。
 レイとツェペリの二人はそれぞれに複雑な目を向けた、レイは面白がり、ツェペリは期待を込めていた。
 レイにどのように言われようとも、自分としては大事なのだ、この問題は。
 それを解決するために彼の力は必要なのだ。
「こっちだ」
 ツェペリはわだちの後を見付けて二人をいざった


「急げェ!、積み込みが終ったトラックから移動を開始する!」
 血の気が引くような光景に、ファウは丸太の山の陰で口元を押さえてうずくまった。
 化け物達が檻に入れられ運び出されて来る、こんな酷い事があっていいのだろうか?、その中には知った顔が幾つもあった、隣の村の人、街の人、そして村から消えてしまった人。
 みんな化け物になったのではなかった、されてしまったのだ。
 ──彼らによって。
 ファンはファウとは逆に頭に血を上らせていた、ぎゅっと拳を握り締めて、その心は義憤によって燃えていた。
 殺してやりたいと思う、実際ファウが居なければ飛び出してしまっていただろう、そうしなかったのは姉を危険に曝すわけにはいかない、ただそれだけの理由だった。
 ──自分のことなどどうでも良かった。
「あ……」
 小さく口にしたファウを見下ろし、驚愕している事に気がついた、視線を追いかけて目を丸くする。
「かあ……、さん」
 その瞬間。
 ぷつんと切れた。
 大事な何かが。
「あああああ!」
 飛び出す、駆ける、その正面で爆発が起こった。
「ファン!」
「なんだ!?」
 吹っ飛び転がった子供には気付かず、彼らは慌てて周囲を確認した。
「砲撃!?」
 次々と撃ちこまれるロケット弾、その爆発と轟音に視覚も聴覚も奪われた、車が炎上する、トラックが横転し、壊れた檻から屍生人が燃えながら逃れ出た。
 ──アー……
 そのまま崩れる、助けてくれと言わんばかりの仕草をし、膝を突く、ブスブスと焦げつく、続いて軽い音が連続した、銃撃だ。
 狙撃を受けて次々と倒れていく犯罪者達、約三分間一方的な蹂躪が行われた。
 ファウは隠れたまま震えていた、出て行く事が出来なかった、そこへ迷彩服の男達が腰を低くして現れた、手にはライフルを持っている、油断なく辺りを探っていた。
 シールズ、米海軍特殊部隊だった。
「サム!、お前は二人連れて化け物の処理に当たれ!、ジムは残りを連れて家屋の調査だ!」
Yessir!」
 部下を散らした隊長らしき男の元に、大きな黒人が近寄った。
「逃亡した連中は別働隊が押さえたようです」
「つまらん仕事だ」
「わたしは解せませんが……、この程度の連中ならうちの部隊が出張らなくても」
 そういうな、と煙草に火を点けて咥えてふかした。
「つまらんが失敗出来ない作戦なんだよ」
「どういうことでしょうか?」
「近々、国連で国際通貨統合機構関連の法案が裁決される、これは知ってるな?」
 もちろんですよと頷いた。
「それが?」
「ポイント制度自体については大した問題ではないが、東方各国に不穏な動きがあるんだよ、中国、韓国、朝鮮を中心とした中華経済圏が出来上がりつつある、中国が自国内で出来ない研究をベトナムの難民を使っていると言う報告は耳にしているか?」
「それがこの化け物達ですか」
「そういうことだ」
 煙草を吐き捨て、足で踏みにじった。
「中華経済圏が確立された場合、我が国の経済事情はさらに悪化することになる、ただでさえ金はネルフへと流れてるんだ、これ以上奪われる訳にはいかんのさ」
「だから力を削ぐために証拠固めを行っていると?」
「ま、こういう直接的な物だけでは無くて、色々とからめ手もやってるんだろうが……、せめてかつてのドルとユーロ程度の関係には持ち込みたいのさ、なにしろポイントを使うためには最新の機材が必要なんだ、ここのように復興が遅れている国じゃ使用出来ない、現金リアルマネーは廃れることはあっても消えることは無いってことだな」
「その分だけポイントは不利だと……」
「同時にポイント関連の機材の特需が」
「隊長!、子供です!」
 なに?、と彼は顔を向けた、兵の一人が黒く煤けている子供の腕を取り、引きずり起こしていた、それはファンだった。
 傷が多い、痛々しく赤身の肉が覗ける傷を全身に負っていた、放っておいても死んでしまいそうな状態だった。
「奴らのガキか?」
「おそらくは」
「……処理しろ」
「はっ!」
 敬礼して腕を離し、放り出す、躊躇がない。
 ──彼らがそうするのは今世紀初頭の混乱期に受けたゲリラ活動から得た教訓故のことだった。
 主に中東諸国でこの戦術は行われた、ゲリラは一般の村の住民などに紛れ込んで、他国の兵士を強襲したのだ。
 そうして武器と物資を得た彼らであったが、これが後の悲劇を生み出した、特に米軍は過剰反応を起こして、自衛のためと称して無差別虐殺を行ったのだ。
 それは旧日本帝国陸軍が中国方面へと進軍した時の事件を思い出させる事変であった、過去、帝国陸軍は都市を行軍する際、住民に紛れた敵兵士からの攻撃に合い、区別出来ない事から総虐殺を敢行している。
 セカンドインパクトによって衛星が死に、電離層、磁気圏の乱れが解消されない状態にあった事も災いした、通信が途絶した状態に長く置かれることになった各部隊は、独自の判断において暴走したのだ。
 各兵士、各部隊は自衛のためと称してそのような手段に手を染めた。
 そしてそれらは前例として定着し、正しい判断であったとして正当化されている、苦い教訓を生かす方法が他に無かったからである。
「……」
 銃口を突きつけられるファン、が、しかし、それを見てもファウは動けないままだった。
 怖かった、恐ろしくて身が凍ってしまっていた。
 カチカチカチカチ音が鳴る、顎が震えて止まらない、舌が強ばり根が痛い。
 屈強な男達の冷めた目が……
 ──パン!
 銃声にぎゅっと目を閉じる、ぐわぁっと悲鳴が上がった、上げられたのは野太い男の声だった。
「なんだ!」
「狙撃か!?」
 急激に慌ただしくなる。
 ファウは状況が分からなくなって腰を浮かしてしまった。
「そこだ!」
 ビクリと身をすくませる、違う、あたしじゃない、そう口にしたくても言葉にならず喘いでしまった、あうあうと。
「ぐぁああああ!」
 だが彼女に銃弾が叩き込まれることはなかった、撃たれた男がもがき苦しみのたうったからだ
 その声は森中に響き渡るのではないかと思うほど大きかった、皆の意識が奪われる。
「ジェフッ!、ひっ!?」
 恐怖で顔を引きつらせる。
「ああお、あぉ……」
 赤ん坊のように両手両足を曲げて痙攣を起こしている、眼球はぐるんと回って白目を剥いていた、さらに内側から押されてこぼれ始めた。
 口からは泡を噴き、鼻からは正体不明の液体を垂らしている、髄液だろうか?
 糞便も垂らされ、全身の毛穴からは血が滲み出して来た、萎れていく、体が、まだ便が止まらない、いくらなんでも量がおかしい、排泄物以外の物まで出してしまっているようだった。
「こ、これは……」
 男達は緊張した、この症状は毒物だ、それも最悪のものだと仮定する。
 崩れていく、溶けていく、人間が。
「まさか!」
 最悪の答えが導き出される。
 ──教団。
 俗にそう呼ばれている新興宗教団体は、実体として複数の宗教団体の複合共同体であった。
 当然その中には異端視されていた団体や危険思想に染まった者達も存在している、その中でも特に野蛮な教義を持っている宗教団体があった。
 現世は不浄な場所であり、そこで生きようとする人間はこれ以上となく罪にまみれているというのである。
 そしてその罪から逃れる方法は一つ、死ぬ事だけだ。
 ところがただ死んだだけでは過去に犯した罪までは消えない、その罪から解放されるためにはある資格を得た特別な者によって、天界へと送り届けてもらわなければならないのだと言う。
 もちろんその特別な者とは彼らの教義を伝える神父のことであり、彼らは現世に留まっていた罪を苦痛によって贖わせるのだと噂されていた。
「……ハートランド正教」
 彼は少女の背後に現れた男に目を奪われた、その宗教団体においてはより高位であるほど身体に異常な特徴を備えると言う。
 銀の髪と、銀の瞳。
 そして聖職者が着る独特の黒い服。
 彼は間違いなく、ハートランド正教の神父であった。


「お前のせいで馬鹿にされたんだよ!」
 だから殴られろと言う、その論理は無茶苦茶だった。
「なんで!」
 そう嫌がるシンジの反応は当たり前のものだろう、だが彼にとっては『シンジごとき』が逆らうのが気に食わない。
 タダオはどこかで体を鍛える習い事をして来たらしい、振り回すよりは様になっている攻撃を行っていた。
「と、とめなくて良いのかな?」
 焦るヒカリにトウジはバカらしいと手を振った。
「放っといたらええんや、喧嘩にもならんわ」
「そうなの?」
 既にタダオの友達は引き上げている、バカバカしいと逃げたのだ。
「二人とも止めてってば!」
 ヒビキの叫びにシンジは応える。
「僕に言っても知らないよ!」
「っせぇ!」
 叫んでタダオは蹴りを入れた、しかしこれもまたシンジにあっさりと避けられてしまう。
 場所は昼食を取った店から程近い浜だ、浜と言っても元は海岸沿いにあった国道らしい、地盤が滑っているのか傾いて、片側の車線のみが押し寄せる波に曝されていた。
 シンジとタダオはその残された半分で戦っていた、いや、戦うというには馬鹿げている状態に合った、ひたすら突っ掛かるタダオとそれをいなしてるシンジが居る、ただそれだけだ。
「いい加減鬱陶しいんだよ!」
「黙れよ!」
 彼は内心で畜生と罵り続けていた、もう何十回と拳を、蹴りを繰り出したか分からなくなっている。
 空振りによる疲れと息切れによる酸欠が彼から思考能力を奪っていた、もう情けなさだけがエネルギーなのだろう、尽きればガス欠、そこで終わりだ、だからこそ動き続けていると言って良い。
 はらはらとしているヒビキに、山肌の斜面に腰かけていたトウジが声を掛けた。
「ヒビキさんやったか?、そない心配せんでも大丈夫やて」
「で、でも!」
「いやシンジて普段、渚と一緒におるさかい目立たんかったけど、あ、渚いうんはシンジのツレで」
 軽い口調で。
「洞木のカレシなんやけど」
「ちょ、ちょっと鈴原!」
 なんやねんとぽかんとしている。
「まあ、あれや……、タラシで勉強も出来るし運動も出来るっちゅう腹立つヤツやけどな、体育でもなんでもアイツの相手できるんはシンジだけなんや、そやから結構やる方やとは思っとったけど、正直ここまでやるとは思ってへんかったわ」
 かかかと笑う、そんな話に口惜しげにしていたのはファインダーを覗いているケンスケだった。
 アスカとの出会いは、彼女が男に絡まれている場面だった。
 その時自分は逃げ腰だった、面倒ごとかと巻き込まれるのを怖がり脅えた姿を晒してしまった。
 見知らぬ人の憤怒の表情に。
 その後、多人数で囲まれる事になったのだが、考えてみれば大勢で囲まれた事については言い訳にしかならない。
 最初の、アスカが絡まれていた時点なら、強気に出る事はできたはずなのだから。
 ……ケンスケはそう考えてしまっていた、頭の中でカッコ好い自分を思い描いて。
 なにやってるんですか、彼女嫌がってるじゃないですか、そんな風にやれていれば、今頃カッコ好かったと惚れてくれていたかもしれないのに、ケンスケはそんな妄想を思い描いていた、どれ程虚しい事だと分かっていても、止められずに。
 困っている彼女に気がついて、颯爽と登場する様を思い描いてしまう。
 バカだと思う、自己嫌悪、余りに自分が情けない。
 実際にはアスカの窮地を知ったのは、彼女が利用しようとやって来たからなのだが、その辺りは都合よく脚色されてしまっていた。
 ──それに対してシンジはどうか?
「もう!、山田ぁ!」
「お前は黙ってろよ!」
「なんでよ!」
「関係ないんだよ!」
「人のデート邪魔したのはそっちでしょう!?」
「……そうなんだよねぇ」
 ぼけた事を言ったのはシンジである。
「もうちょっと好い雰囲気にまで進んでたら、素直にデートって言えたんだけどなぁ」
 なのに今はこんなことをやっている。
 こんなつまらない事をやらされている、せっかくヒビキと会えたのに。
(馬鹿馬鹿しいんだよな)
 本当なら一発で決めてしまってもいい、それをしないのはヒビキの顔が辛そうだったからだ。
 ここで手を出せば彼女にまた辛い思いをさせてしまう、それは本意では無かった、今日会うことにしたのは彼女がまだあの頃のことを引きずっているなと感じたからだ。
 それは嫌だったから、今日は付き合うことにした、なのにこんなことになってしまって。
 ──パシッと。
 ぼんやりとしていたためか、シンジは拳をかすめさせてしまった、頬に。
 意識を戻すとやったとにやけそうになっているタダオが居た、ザマァ見ろと、何故そんな風に思われなければならないのだろうか?、彼にとって自分はなんなのだろうか?
 象徴なのだ、自分が自分であるために、強者であるために必要な弱者なのだ、情けなく、従順で、貧弱な奴隷でなくてはならない、だから抵抗するなどもっての他で、だからこそ今のこの姿は否定されなければならないものなのだ。
 そうでなければ、自分という名のパーソナルが崩壊するから。
 ──そんな勝手な!
 思考がそこにまで至った瞬間、シンジはキレた。
 ヒビキのことなど吹き飛んでいた。
「あ!」
 タダオは手首を掴まれて、背負い投げの要領で海の中へと放り込まれた。
 ──どっぶぅん!
 何が起こったのかわからずに、タダオはぶくぶくともがき苦しんだ、膝がすれた、肘もすった、何かに手が当たっているが把握出来ない、なんだろう?
「ぶはぁ!、はぁ!、げぼっ」
 ようやく海に投げ飛ばされたのだと分かった、なんとか浮いて水を吐く、さっき手が当たったのは水の中に沈んでいるガードレールらしい。
 乗り越えて道路へと戻る、その真上から影を落とされて、彼は脅えた声で焦りを発した。


 ──天界に幸多からんことを。
 それが決まり文句なのだろう、やけに贅沢な祈りの言葉だった、持っていた銃を下ろして印を切った。
 これに困ったのは海兵隊の隊長である、どれほどの邪教徒であろうとも相手は教団というまっとうな団体に所属している神父なのだ。
 教義の言葉を真に受ければ、彼らは全人類の抹殺がその職務だと言う事になってしまう、だが彼らは無差別に人を殺すわけではない、常に何かしらの理由を持っている。
 隊長であるブルックリン・ラルフはその点を問いただそうとして、自らの罪を知ることになってしまった。
「この子はゲリラとは無縁の子だ、親はそこに居たがな」
「そこ?」
 見た先に化け物の亡骸があった。
「これが?」
「そうだ」
 神父は語る。
「人の慣れの果てだ、わたしは彼らをそのようにした者達に報いを与えるためにここに来た」
「じゃあ、どうして部下が撃られなければならない!」
「撃たなければ、この子が撃たれていた」
 彼は前に出てファウを庇った。
「しかしっ、忠告をくれれば」
「撃たなかったか?、関係無いな、お前達は罪を見ることなく銃を向けた、この子が生きているのはわたしが確定された未来に介入したからに過ぎない、そして命じたのは君だ!」
 神父は銃口を向けた、身構える兵達、そこに割り込んだのはツェペリの怒声だった。
「やめないか!、フォーク!」
 藪から飛び出して来たのはツェペリ、シンジ、レイの三人だった。
 ツェペリはフォーク神父の元へ、シンジはレイと共にファウのところへと急いだ。
「何をやってるんだっ、フォーク!」
「愚問だろう、それは」
「こんなところで布教活動をするな!」
「ファウ?」
「……」
「ファウ!」
「う、あ……」
 シンジに揺さぶられて彼女は正気を取り戻した。
「ファン……、ファン!」
「ファン?、!?」
 彼女が這いずり行こうとした先に彼を見付けて、シンジは驚きに目を剥いた。
 重体だ、すぐに治療しなければ間に合わないだろうが、こんな場所に治療出来る施設など無い。
(このままじゃ……)
咎人とがびとには二種類の人間が居る、罪を忘れた者と罪を感じる者だ、わたしは罪を忘れた者達を導かねばならない、そして罪を感じる者を守らねばならない、なぜなら痛みを知る者は痛みを思い出させる者になるからだ」
「わかっているが!、だからと言って彼らがそうであると何故分かる!」
「ツェペリ、わたしは神より罪を見抜く目を与えられているだぞ?、そこの連中と同じにするな!」
「分かっているが……」
 ふと何かが脇を横切った、はてと気にするとそれはレイだった。
 手になにやら大きな物を持って弾ませている、いったいどこから持って来たのか?
「肉?」
 そう、肉だった。
 フォークの顔色があからさまに変わった。
「シンちゃんシンちゃん」
「何だよ、レイ」
「これ食べさせてミソ?」
「え?、でも……」
「じゃああたしが、ごっくんとねって、のめってこら」
 手で引き千切った生肉を、彼女はファンの口に押し込み無理矢理飲み込ませた。
「あ、あ、あ!?」
 ファウは興奮した、見る見る内に傷が塞がっていく、傷口にピンク色の新しい皮膚が生まれ、色が変わって固まっていく、怪我が治っていく、血色すら戻り始めた。
「な、なに!?」
「……」
 ツェペリは驚き、フォーク神父は剣呑に目を細めた、傍観者と化した米特殊部隊隊員達はどうして良いのかうろたえている。
「これは……」
「やっぱりね」
「やっぱりとはどういうことだ」
「そこの神父さんが知ってるんじゃなぁい?」
「フォーク!?」
 銃口を向けている彼に驚いた。
「どういうことだ!、銃を下ろせ!」
「……」
 フォークはにやにやとしているレイから銃を逸らし、あろうことか呻いているファンへと向けた。
「フォーク!」
「教団の生肉」
 ピクリと彼は反応した。
「今まで冷凍ものしか知らなかったから気付かなかったけどぉ、これって……」
 ガシャッと狙いをレイに定め直した。
「あらぁ?、あたしは自分の罪を認識してるけど殺してもいいのかなぁ?」
 フォークの手に震えの形で動揺が見えた。
「さて、ここで問題です」
 からかい顔で、指を一つ立ててみる。
「お優しいフォーク神父様の本当の目的は、旧友のお願いで女の子を守る事だったのでしょうか?、それとも教団から不正に持ち出されているお肉の回収だったのでしょうか?」
「何者なんだ、お前は……」
「お得意の神様に貰った目で確かめてみればぁ?」
 馬鹿にされたと思ったのか、フォークは目を細めた。
「さてどうするのかな?、生肉を直接食らったファン君はすんごいことになっちゃうと思うけど、やったのはあたし、さ、どうする?」
 引き金を引いた。
「!?」
 そして驚愕、金色の壁が弾丸を弾いたからだ。
「その力は!」
「……ほぉら、神様はあたしが正しいって言ってるよ?、オタク」
 レイは彼の驚き様に、やっぱりか、と裏を感じた。
 教義や宗旨の違う連中を束ねるのに、一々論破していてはきりがないはずだ。
 ならばどうやって押さえつけたのか?、決まっている。
 ──安い奇蹟でだ。
「レイ?」
 不思議そうにするシンジにレイは答えてやった。
「つまりね?、研究のためには良質の餌が必要だったわけよ、ところがこんな場所じゃろくなものは手に入らない、そこで教団からの横流しを回してもらってたってわけ、ここの連中はね?、で、この人はそれを調べに来てるわけよ」
「じゃあ……」
 シンジはツェペリへと目を向けた。
「おじさんも……」
「違うっ、わたしは!」
 ぎゅうっと唇を噛んだのは、ファンに被さっているファウだった。
「どうして……」
「ファン?」
「どうして助けてくれなかったの!?、なんで!」
 その言葉はフォークへと向けたものだった。
 フォークからの返事は無い、それは少女の理性が失われていたから答えなかったに過ぎないのだが、この場合は冷静なほど逆効果だった。
 迫撃が届いたのは偶然であったし、その点についてフォークに落ち度は無い、二人ともを守っている。
 だがファンにとっては救ってくれなかった事が重要だった、どのように?、飛び出すのを止めて?、そんな具体的な方法にまで彼女の思考は飛んでいなかった。
 そしてフォークは……、憎しみを抱いた彼女に銃口を向けた。
「フォーク!」
「どけ」
「お前!」
「その子はわたしを殺す手順を夢想した、その罪が現実のものとなる前に、わたしは罪を詰まねばならん、でなければ罪が増える」
「そんなの勝手過ぎるじゃないか!」
 叫んだのはシンジだった。
「まだなんにもやってないのに……、やりそうだからってだけで!」
「だから?」
 何の感動も持とうとしない彼に、シンジは激しい憤りを覚えた。
 間違っているのなら止めれば良い、狂っているのなら救えば良い、悲しんでいるなら慰めてやれば良い。
 なのにこの男は殺してしまえば罪も過ちも止められると言う。
「そんなの、おかしいよ……」
「シンジ君……」
 ファウは泣きそうになっているシンジに心が穏やかになるのを感じた、憎しみに支配されるのは容易いが、その姿は他人にとっては見たくもないものだろう。
 錯乱した自分の姿が、彼に何をもたらしたのか?、彼女はそれを感じたのだ。
 まだそう振り返れるだけの余裕を彼女は持っていたということになる。
「あ〜らら」
 それを揶揄したのはレイだった。
「ご自慢の目とやらもアテになんないわねぇ?、ファウちゃんから殺意は消えちゃったよぉん?、こりゃあ今までもやんなくていい昇華作業やっちゃってたんじゃないのぉ?」
「……わたしは神よりこの目を与えられている」
「でもその神様はさっきあたしに『奇蹟』をくれたみたいだけどぉ?」
「……」
「大体さぁ、あんたどれだけ苦労して来たわけ?」
「お前にわかるわけがないだろう」
「苦しい修行に堪えて身に付けたのがその目ってわけね?」
「そうだ」
「で、格が高くなると力も強くなる?」
「そうだ」
「じゃあやっぱり間違ってたんじゃないのぉ?」
 だってと。
「あんた『中級』神父でしょ?」
 撃った、ダンッと、だがまたしても金色の壁に弾かれてしまう、殺気立った空気に取り残されていた海兵隊も動かざるを得なくなった、そこにさらなる騒動が起きる。
「隊長!」
「こいつら!」
 死んだと思っていた屍生人が再生を始めたのだ。
「くっ!」
 ライフルを突き立てる、フルオートで撃ちまくる、それでも屍生人は立ち上がろうとする、効いている様子が見られない。
 腿を蜂の巣にしても立ち上がろうとする、弾ける肉片、屍生人と呼ばれているのに血はあるようだ。
「そ奴らは波紋でなければ倒せん!」
 ツェペリが動いた、手刀一線、屍生人の体が傷口から沸騰して壊れる。
「嫌ぁ!、お母さぁん!」
 ファウの声がツェペリを止めた。
「なに!?」
 崩れ落ち掛けた屍生人が最後の抵抗を試みる、曲げてしまった膝を伸ばして口でツェペリの喉を狙った。
「ふん!」
 だがツェペリも達人だった、のけぞり地に手を付いて回転する、跳ね上がる足で屍生人を蹴飛ばした。
「なんなんだよ……、なんだよこれはぁ!」
 シンジは状況が分からずに喚くしか無かった、隣にはファンの頭を抱きしめたまま身動きが取れないでいるファウが居る、動けない。
 兵士達が怪物達に襲われていく、いくらツェペリが強かろうと数の差は圧倒的だ。
 首を噛み千切られ、腕をもがれ、はらわたを引きずり出され、兵隊達は悶絶した。
「これは……、逃げるしかないな、フォーク!」
 彼は相棒を呼ぶ調子で声を発したが、それはある意味裏目に動いた。
 フォークが何かしらのリモコンを取り出し、ボタンを押したからだ、どこからか音がする、それは飛来した焼夷弾の音だった。
 ──爆炎が広がった。
 舐めるような炎は液体にも似ている、うわああああ!、悲鳴を上げるシンジ、これはちょっちきついかも、とレイ。
(こんな、こんな!)
 シンジの中で、ツェペリとフォークが一体化した、彼らの論理が合一化する。
 不幸を増やさないために戦うツェペリ。
 罪を増やさないために元凶を処分するフォーク。
 二人のやり口は同じなのだ。
 だから叫ばずには居られなかった。
「こんなやり方があなたの言う不幸を無くすための戦いなんですか!、ツェペリさん!」
 違うと彼は叫んだかもしれない、だがどのみち轟音に遮られて届かなかった、どこかでゲリラが残した火薬に引火したのだ、煙を弾いて花火が上がる、放物線を描いて弾が飛ぶ。
 シンジは歯を食いしばった、レイの言葉が思い出された、本当にそうだ、悲しみを無くしたって救われるわけじゃない、不幸を無くすだけでは幸せは生まれないのだ。
 自分が求めてやまないのは、不幸を無くす事では無くて、幸せになることなのにと顔を上げる。
 炎の中、真正面にフォーク神父が立っていた、銃を向けて。
 凶弾が放たれる、シンジと叫んだのはレイだった、彼女は熱波の中に逃げ道を探すので精一杯になっていた、彼を守る余裕はなかった、だが心配は杞憂に終わる。
「!」
 シンジは咄嗟に手に触れたものを盾にした、それは肉の塊だった、そう、レイがどこからか持って来た肉だ、教団の肉、『初号機』の肉、『使徒』の肉。
 それを盾にして避けた、穿たれる穴、その直後。
「な!?」
 肉がぶくぶくと泡立ち始めた、生きている?、そんな馬鹿なとフォークは後ずさった。
『使徒』の肉は毒に対して防衛反応を起こしたのだ、腐る、崩壊する、それを本能的に恐れて回復しようと再生を始めた。
 使徒の肉、そのDNAはソレノイドと呼ばれる電気的エネルギーを発生させる二重螺旋を描いている、これが再び動き始めた、そして同時に、使徒の組織細胞には分裂回数の限界など無い、だが足りない物はあった、それは……
「あ、ああ、あ!」
「だめ!」
 レイは叫んだ。
「シンジっ、感情を与えちゃ!」
 シンジは何かがずるずると引きずり出されていくのを感じた、それは内側で荒れ狂っていた感情だった、想いの丈を、肉は丸ごと吸収し、奪い尽くした。
 肉の塊からぼこぼこと突起が伸びた、それは腕となり足となった、塊が捻じれ伸ばされ頭になる、背中には一対の翼、その姿はシンジなのだが……
「まさか!」
 フォークは少年に似た白い怪物の姿ごしに気がついた、黒い髪、黒い目と、色が付いていたために気付かなかったが、全てを白くすれば少年は誰かに瓜二つだった。
 ──決して逆らってはならない誰かに。
 使徒の肉だったものは苦しげに身をくねらせた、大きくなる、成長する、何倍にも膨らんでいく、フォルムはより女性的なものへと変貌していく。
 ──碇ユイに。
 錯乱する、撃ち続けるフォーク、止めようとするツェペリ、シンジは叫んだ。
「わぁああああ!」
 爆発する、感情が、想いが、そして蓋が開かれる、閉じていたはずの地獄の釜、ガフの部屋と呼ばれる器の扉が開かれる、背中に光の翼が顕れる。
「なんだ!?」
 噴き出した何かに恐れを抱いてフォークは後ずさった、体を折ったシンジの背からは、光の柱が逆立っている。
「くあ!」
 直後に地響きが襲いかかった、震動に浮かされる、それは巨人となった肉塊が倒れて手を付いたためだった。
 巨人はゆっくりと首をもたげた、その様はまさに……
「化け物……」
Jesus神よ……」
 エヴァンゲリオンの素体そのものだった、それは、ただし大きさは十メートル半もなく、本物よりは小さいが。
 それでも巨大には違いない、巨人の身震いに木々がバキバキと押しのけられた、うわぁと悲鳴を上げてフォークやツェペリ、その他大勢の人間が逃げ惑った、どこまでも巨大化していく、大樹を押しのけ、地を踏みしめて。
 ──フォォオオオオオオオオオン!
 体を起こし、のけぞり、『それ』は天に向かって大きく吠えた、樹海より上半身を突き立たせて、大気が震える、雄叫びに。
 最終的には二十メートルに達していた。
「シンジ……」
 レイは悔いた声音を発した、一部始終を見ていながら止められなかった、めったにしない後悔をしていた。
 表情は悲しみによって彩られている。
「やるせなさが具現化して行く、シンジはまた心の欠けらを失った……」
 それはレイでは無く、レイとなった者達、その原形達の慟哭だった。
 碇ユイ、綾波レイ、エヴァンゲリオン初号機、そして碇シンジの。
 度重なる戦闘、使徒との接触、精神汚染、そしてシンクロ率400%による融合現象。
 その度に、くり返される度に少年の心は壊されていった。
 その結果……、人として安寧を得られないまでに狂ってしまった。
 常に脅えるようになってしまった、安定を欠いて。
 ぎゅっと唇を噛み締める。
 このままではと。
「シンジ!」
 ツェペリの声が鋭く届いた。
「わたしと来い!」
 神父と共に逃げようとしている。
「共に世界を救おう!、それしかない!」
「!?」
 何をとシンジは憤った。
「救うつもりなんて無いくせに!」
「そんなことはない!」
「どこが!」
「わたしだって悲しいことはあった!、わたしの父もまた殺されたのだ!、奴らに!」
 その言葉は本物だろうが……
「だからこそっ、これ以上不幸を広げさせてはいけないんだ!」
「だからって!」
 その声は今まで悩みを抱えていた子供のものでは無かった。
「あなたのようなやり方じゃ」
「だがどうにかしなければ、不幸は大きくなるんだぞ!」
「!?」
 そのニュアンスは決して放ってはいけないものだった。
 シンジの脳裏にフラッシュバックする誰かの言葉。
 ──だがああしなければ、君がやられていたかもしれないんだぞ!
 二人の間に大木が落ちる。
「うっ!」
 ツェペリは自分を見下ろし、低く唸りを上げている巨人に息を呑んだ。
「くうっ……、シンジ!」
 その右手の上に少年を見付けて歯噛みする。
「……間違ってるんだよ、ツェペリさん」
「なら……、ならどうすると言うんだ、こんな世界を!」
「だからって」
 ミサト、リツコ、加持、カヲル、アスカ、レイ、トウジ、そして父さん……
「こんなのおかしいけど……、何とかしなくちゃいけないのかもしれないけど、ツェペリさんのやり方じゃ」
 それだけで。
「幸せになんてならないじゃないか!」
『なれない』じゃないかとシンジは叫んだ。
「悪い奴を倒せば良いなんて、そんなのおかしいよ!」
 サードインパクトを防ぐためなら、誰を犠牲にしたってかまわない?
 そんな理屈は無いはずなのだ、かつて否定できなかった論理に再び苛まれて、シンジの激昂は頂点に達した。
「なら邪魔をするな!」
 フォークが動いた。
「フォーク!、うわ!」
 巨獣の一撃が炎上する小屋、櫓、車を樹木ごと薙ぎ払った。
「シンジぃ!」
 声が炎の向こうに聞こえなくなる。
 ──ウォオオオオオオオオーーーン!
 雄叫びを上げて本格的に暴れ始める、それを避け、シンジとレイは気を失っているファン、自失してしまっているファウを伴い、安全な場所まで『跳んで』いた、これはレイの力によるものだ。
「……シンジ?」
 レイは呼び掛けて……、顔を伏せた。
 シンジがどこかすっきりとした顔をしていたからだ、まだ怪物は暴れている、おそらくはこの地においてシンジが抱えてしまったもの、不満や不安、恐れ、怒りと嘆き、その全てを解消するまで活動し続けることだろう、その後は……、消滅するか、無理な再生が祟って死滅するか、どちらかのはずだ。
 あれはそのためだけに生まれたのだから、使徒と同じで、目的のためだけに本能で動いている、そしてその本能とは、シンジが抱いた衝動なのだ。
 その衝動を預けてしまったシンジ本人は、引きずるものを無くしてしまっていた、彼は……、シンジは使徒を『完成』させるために、コアに相当する『心』を使徒に与えたのだから。
「じゃ、帰ろうか?」
 やけにさっぱりとした調子で二人に告げる。
 それが良い事なのか、悪い事なのか?
 ファウはおかしくなってしまったシンジと、苦悩を感じているレイの様子から、悪い事になってしまったのだと悟ってしまった。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。