森の中を無言で走る男が居た。
 喋る相手が居ないこともあったが、それ以上に彼は様々な感情に囚われて言葉を失ってしまっていた。
 疲れから息を荒げることさえ忘れている。
(あれは……、あれは)
 それは加持リョウジだった、彼の脳裏に浮かんでいるのはドイツで見た擬装前のエヴァの姿であった。
(同じじゃないのか?)
 大きさは違っていても同じに見えた、ドイツのものは羊水の中に沈められて、一見すると死んでいるようにも感じられたが、やはりその大きさには圧倒された。
 何分の一か、そこまで小さくなっていたが、躍動する姿は狂暴で、同質以上に恐怖を感じさせられた。
 混乱を演出する事で逃げ出す隙を作った、だが思ったよりも早く気付かれ、追い回された揚げ句にゲリラのアジトへと戻らされてしまっていた。
 その運の無さを呪った物だが……
(おもしろい)
 口元ににやけた物が張り付いた。
(悪いな葛城……、やっぱり俺はどうしようもない馬鹿らしい)
 加持は自分に嫌気がさしていた、つい先程までは。
 彼の半生は血にまみれていた、セカンドインパクトの後の混乱期、弟や、妹、兄や、姉と定めた仲間たちを見捨て、裏切り、犠牲にし、そうやって生きて来た悪党だった。
 それが変わったのはあの瞬間だった。
『ごめんね加持君……、あたし好きなヒト出来ちゃった……』
 いつものように安アパートの一室で。
 いつものように布団の中で情事を終えた後だった。
『それじゃ……、帰るね』
 ──サヨナラ。
 その瞬間に何かが壊れた、それまで女など食い繋ぐための獲物に過ぎなかった、ちょっと優しくしてやれば貢いでくれる存在だった。
 一体幾人の女を食い物にして来たのか覚えていない、酷い時代を過ごして来たから、誰しも傷を負っていた。
 優しい人には、逆らえない、優しい人には、甘えてしまう。
 そんな人の弱さを見抜いて突け込み、利用するだけ利用して来た。
 そんな自分を屑だと思ったことはない、加持はその点で確信犯だった、しかし。
「……」
 捨てられた。
 唾液と汗と精液と愛液の染みがついている布団から、蒸し暑さのために異様な臭気が放たれていた。
 素っ裸のままで窓際に座り込んでしまっていた、足を放り出して。
 腿に疲れた一物が擦れていた。
 ──認められなかった。
 どうして自分は一人なのだろう?、さよなら?、何故?
 結局答えは見つからなかった、だから認められずに纏わりついた、何かの間違いなのだろうと思い込んだ、実際彼女の周囲には、他の男の影など見つからなかったから。
 女が良く使う手だ、気の無い振りをして気を引こうとする、だが本当にミサトは居なくなろうとしていた。
 ──ドイツへと。
 ドイツゲヒルンへの就職の内定を取っていると知った時、動揺は頂点に達してしまった、ミサトの胸には消せないほど醜い傷が付いていた。
 慰めた、俺は気にしない、奇麗さ、そう言って抱いた、その程度でコロリといった単純な女だった、その女が去ろうとしている、何故?
 分からなかった、あれほど無理をして笑っていた彼女が、自分との情事に安らぎを見付けた彼女が、その幸せを捨てて一体どこへ行こうとしているのかと。
 そんな時に思い出したのが、いつか夢見物語として聞いた生い立ちのことだった。
『あたしね……、居たんだ、あの時、あの場所に』
 その彼女が葛城調査隊を母体としているゲヒルンに入ろうとしている。
 ──何故?
 自分を振ってまで何を追いかけようとしているのか?、ストーカーと思われても仕方が無い行為を取っていた、ミサトを追ってゲヒルンへと入ったのだ。
 ──そしてゲヒルンはネルフへと転身する。
 警備勤務から諜報部へ、そして今に至る、まだこの時は特殊観察部所属ではない。
 何かを知りたくて、何かを納得したくて、彼女が追い求める物を確かめたくて、だが一方でそんな自分に幻滅して、自棄になって、捨て鉢になって。
 こんな汚い仕事に手を染めて。
 けれど。
(葛城……、すまなかったな)
 だが先に振ったのはお前なんだからな、と言い逃れる、この時から彼はミサト以上に心を躍らせる物に気持ちを移していた、有り体に言えば、『新しい恋』へと走り始めたのだ。
 それは純粋に心を弾ませるものだった。


NeonGenesisEvangelion act.55
『変調:pro・logue −外典 第五章 第六節−』


「あかん!」
 その瞬間、何が起こったのか反応できたのはトウジだけだった。
 シンジは繰り出された腕を受けると、そのまま脇固めへと移行したのだ。
 ざぶん!、タダオの顔が海水へと沈む。
「あかんっ、シンジ!」
 口元に手を当てて驚いているヒカリを置いて、トウジは波を蹴散らして駆け寄った。
「やり過ぎやっ、やめェ!」
「嫌だ!」
「シンジ!」
「嫌だ!」
 シンジは本性を垣間見せた。
 溺れているタダオの目は、脅えているだけで謝罪の念など全く浮かべていなかった、だから。
 ──シンジは知らせてやることにした。
 怖いのだと。
 一方的な暴力は怖いのだと、涙目になって。
 トウジはシンジに組み付いたが、びくともしないことに驚いた。
 ──恐ろしくなる。
「あかんてっ!、シンジぃ!」
 両脇を持って引っ張り上げようとする、トウジの力でシンジの体重が持ち上がらないはずが無い、たとえその下にタダオがいるとしてもだ、全く上がらないはずが無いのだ。
 その異常さにようやくケンスケも気がついた。
「シンジ!」
 これ以上は傍観していて良い状態ではないとカメラを置いて手を貸そうとする、その瞬間。
 ──ぽちゃん。
 何かが水面を跳ねた、音も飛沫もシンジごとひっくり返ったトウジの立てた波に呑まれて誰も気付かなかったが……、確かに跳ねていた、小石が落ちたほどに小さく。
「な、なにすんねん!」
 トウジは塩辛いと水を吐いて顔を上げた、四つんばいになっている手足を波が沖へと引っ張ろうとする。
 同じようにタダオも水を吐いていた、その脇にシンジは立っていた。
 ──山の上を睨んで。
「碇、君?」
 シンジの意識はもうタダオに無かった、あまりにもあからさまな変貌にヒビキは戸惑いながら声を掛けた。
「びしょ濡れ……」
「え?」
 きょとんとしたシンジに言葉を無くしてしまう、さっきまでの剣呑さが完全に失われていたからだ。
「あ……、ああ、ごめん」
 シンジは髪を掻き上げて張り付かせた、水辺から上がって挨拶する。
「……用事が出来たよ、じゃあ」
「碇君!」
 呼び止めても無駄だった、全く意に介さずに去って行く、どうしてと悲しくなった、今度もまた同じなのかと、同じように悲しい目に合わせてしまったからなのかと、友達を無くさせてしまったからなのかと。
「なんやあいつ……」
「鈴原、これ」
「お?、悪いな、委員長」
 だが彼の友達は豪胆だった、特に気にせずハンカチを借りて顔を拭いている、それからトウジはシャツを脱いで、すぐに乾くやろう、と道路に広げた。


 ──ファウは困惑していた。
 寝床に落ちつかせたファンの容態は、一応安定したように見える。
 うなされてもいないし、寝顔は穏やかな物だ、これなら心配はないだろう、だが……
「ファンがあの様子ではなぁ……」
 先程見舞いに来た連中だろう。
 小屋の外で話し込んでいるのが聞こえて来た。
「祭りはどうするか」
「行うしかあるまい、幸いあの子が居る」
「引き受けてくれると思うか?、第一、来年はどうする」
「考えるまでもあるまい、今年を逃してファウが来年まで生き延びられる保証は無いのだぞ?」
「本末転倒となってしまうか……」
「そうだ、祭りの目的は子を残す事なのだからな、何とかして押し付けてしまえば十分だ、この村に居られないというのならもっと好都合だよ、ここはやはり子供には辛過ぎる場所だ、ファウにはもっと良い場所で暮らしてもらいたい」
「なら問題はシンジと言ったか?、あの子になるが……」
「言いくるめてしまえばいいさ、村ではともかく外では普通婚姻を認められる歳ではないんだ」
「それを言い訳に、とにかく連れてやってくれと頼むか?」
「この村もいつまでもつか分からんからな」
 ファンは聞かされてしまった内容にきゅっと唇を噛んだ。
(知らないんだ……、みんな)
 シンジが殺して『くれた』お姉ちゃんのことが蘇る。
 新天地でも元気で、そう見送った、手を振り返してくれた、みんなもあの子は元気でやっているんだろうと思っている。
 けれど現実は……
 膝の上で拳を固める、ぎゅうっとぎゅうっと強く握った。


「……」
 崖の上。
 林の中。
 ライフルを構えているフェリスが居た。
「……かわされた?」
「じゃねぇっての!」
 スパンとその頭をハロルドがはたいた。
「かわされたじゃねぇだろ!、狙ってどうする!」
「狙ったわけじゃないもん!」
 叩かれた場所を押さえて涙目で訴える。
「ちょっと風がきつくて弾が流されただけだって!」
「……だったらそう言い訳しろよな」
「どこ行くの!」
 逃げるなと裾を掴んで引っ張り戻す。
「置いてかないでよ!」
「嫌だ!」
 海を見る、まだ子供達が居る、距離は三百メートル程、この距離の狙撃をかわしたのだ。
 ──ブラック○ビルは。
(冗談じゃねぇぞ……)
 あの騒ぎの中でかわそうとした、そのためにトウジに引き倒されてしまったのだ、シンジは。
(あの状況で弾道まで見切りやがった……)
 だからこそ狙撃位置が分かったのだろうと判断した。
 睨まれたからだ。
「お、怒ってる、かな?」
「当たり前だろ」
 涙目のフェリスに溜め息を吐く。
「普通なら死んでるぞ、あれは」
「そうだよね……」
 あはははは、と笑って護魔化すが乾いている。
「んじゃな」
「ちょっとぉ!」
「短い付き合いだったな」
「それが仲間に対する言葉ぁ!?」
「なら」
 二人は第三者の声に反射的に身構えた。
「なら……、二人一緒に、あの世に行きますか?」
『!?』
 ブラックデ○ルと心中で呟き生唾を呑み込む。
 この崖の上には山の反対側からしか入れないはずなのだ、なのに……、シンジは木陰から現れた。
 どうやって?、彼らには想像も付かない、しかし有り得るだろうとフェリスは思った。
 機内倉庫でのあの様子を覚えていたから。
「それじゃあ」
 シンジは無表情に腕を振り上げた、手刀の形を作って親指で何かを押さえていた、釣り糸のリールだ、糸はすでに指先へと伸ばされている。
「待ってくれ!」
 待たない。
「俺達はホワイトテイルに頼まれて!」
 その代わり止めた。
 腰を抜かしたのはフェリスだった、眼前に糸先が達していたからだ、距離は二十メートル、まるで針金のようにピンとしている。
 シンジは怪訝そうに目を細めた。
「レイに……、あ」
 表情を崩す、その途端糸はふわりと地に落ちた。
「そっか、君、飛行機の中に居たっけ」
 フェリスはこくこくと頷いた。
「護衛っ、で!」
「ちえ……、レイの『駒』じゃ殺しちゃうわけにはいかないか」
 ゾッとした、二人ともだ。
 二人は同時に理解した、てっきり自分達は彼を頂点とした『組織』に組み込まれたのかと思っていたが、そうではないと。
 あくまでホワイトテイル個人の手駒であって、彼には存在価値など無いのだ、いつ殺しても構わない、その程度に見られていると。
「で」
 シンジはにこやかに訊ねた。
「どうして僕を狙ったのかな?」
「ち、ちが!」
「狙った訳じゃないんだ」
 ハロルドは言葉たらずなフェリスではこじれるだけだと判断して謝罪した。
「あのままではあの子を殺すと思った、それで頭を冷やしてもらおうと威嚇した」
「威嚇?、きっちりこめかみを狙ってたようですけど……」
「それは弾が風に流されて」
「素人ですか、あなた達は」
 シンジはまた手を振り上げた。
「やっぱりこうしておいた方が良いみたいですね……、その方がレイのためにもなるから!」
「フェリス!」
 咄嗟に庇おうとするハロルド、目をつむるフェリス、だが予想に反してシンジの糸は彼らの頭上の枝へと向かった。
「うわぁ!」
「ハロルド!」
 どのように操られたものか、ハロルドは頭上から強襲する糸によって足を取られた。
「逃げろっ、フェリス!」
 逆さづりにされた状態でハロルドは喚いた。
 フェリスは半瞬だけ迷いを見せたが、見ようによってはあっさりと思えるほど早く逃げ出した。
「逃がさないよ、お仕置きは必要だからね」
「くそっ!」
 ハロルドはブーツから隠しナイフを抜くとそれを放って糸を切った。
 一方、フェリスはこれ以上と無く真剣に逃げていた、枝に肌を切られるが構ってはいられない。
 後になって、暑いからと薄着で護衛に付いていたのを後悔する事になるだろうが……、それも生き残ってからの話しである。
『シンジか?』
 鍛錬を積むムサシが居た、草原の真ん中で、上半身裸でゆったりとした動作を繰り返していた。
『あいつの技を封殺できるのは唯一これだけだ』
 そう言って繰り出したのが……
 ──空圧拳
 空気の塊を生み出す技だ、突き出された掌底の内にある物に、渦を巻いて宙を舞う草が吸い込まれていく、それらは散り散りとなって弾け跳んだ。
 ──フェリスの得意技は『暗記』である、一度見た物は細部に渡るまで忘れない。
 ファリスは逃げ切れないと判断すると、ブレーキをかけて振り返った。
 拳を固める。
 シンジは糸を放った、振るようにだ、木々が切り倒されてフェリスを押し潰そうとする。
 フェリスは空圧拳を再現して見せた、胴回りだけで自分の三倍はある樹木を拳で弾き退けて見せた。
「!?」
 フェリスは甘かった……、ムサシに『それ』を教えたのはシンジなのだ。
 フェリスとシンジの掌底がぶつかり合った、拮抗したのは一瞬、フェリスは弾き飛ばされた。
「きゃあ!」
 追い打ちを掛けるシンジ、しかしそこへ横槍が入れられた。
「シンジ!」
 黒い疾風、ムサシだ。
「ムサシ!?」
 フェリスは何故と思った、今回の作戦に参加していない彼がどうしてここに居るのかと。
 そのムサシが自分を庇って割って入ってくれた、どこかで望んでいた展開なのだが、相手が悪過ぎた。
「ああ!」
 絶望の悲鳴、けれどどこかに歓喜を含んで。
「うわぁ!」
 で、だ、わざとらしい悲鳴を上げて吹っ飛んだのはシンジであった。
「へ?」
 ムサシはぽかんとしてしまった、シンジがこの程度でやられてくれるはずがないのだ、第一……
 ──吹っ飛ぶ寸前に見せた、ニヤリという笑みはなんなのか?
「お、おい……、シンジ?」
 吹っ飛ばされて地に転がったまま、シンジはぴくりとも反応しない。
「ムサシ!」
「わぁ!」
 ムサシは抱きついて来た彼女に大いに慌てた。
「ムサシ!、怖かった!、ムサシ!」
「ちょ、ちょっと待てフェリス!」
 はっとしてシンジを見る、気を失っているはずなのににやけている。
 ──ムサシは全てを理解した。
「シンジっ、こらぁ!」
「……」
「お前なに負けた振りしてんだよ!、ちょっとフェリス離せ!、シンジ!」
 シンジの右腕が肘から先だけ起き上がった、さよ〜ならぁっと手を振って見せる、さらに『マナのことは任せてよ』、と手話で伝えた。
「シンジぃーーー!」
 気を失った振りをしたままでずりずりと遠ざかる、実に器用だ。
 シンジは十分離れた藪の中に入ってから起き上がった。
「まったく……」
 そこにハロルドが現れる。
「……」
 何と言っていいのか困ってるらしい、シンジはそんな彼に無邪気に話した。
「あ、ごめんなさい、怪我ないですか?」
 あんまり平和な口調だったものだから、ハロルドはつられた。
「まあ、ないけどな……」
 呆れ返る。
「まさかあれ全部演技だったのか?」
「ムサシ君の気配がしてたから、まあ『試験官』かなにかやってんだろうなって思ったから……、これでも怒ってるんですよ、みんなで人のデート潰してくれちゃって」
 どうやらシンジはデートにまで持ち込みたかったらしい。
「それは悪かったな……」
 ぞんざいな口調で言う、腹が立つものはあったが、それ以上に怖さを感じなかったからだ。
(なんだろうな……)
 ホワイトテイルとは違う、彼女は存在そのものに恐怖を覚えさせられる、だが目の前の少年は普通だ、第一先程感じた恐ろしさが霧散してしまっている。
 だから自然に話せてしまう。
「気配、ね……、簡単に言ってくれるよ」
 ハロルドの不満はムサシへと向けられた、あんな子供に尾行されていて全く気付かなかったとはと。
 シンジの隣にしゃがみ込んで肩膝を立て、その上に頬杖を突く。
 藪の向こうではムサシとフェリスのじゃれ合う声が……
「自分のデートは邪魔されたのに、良いのか?、あれ……、鬱陶しくないか?」
「良いんですよ、だってムサシ君の本命は別だから」
 ハロルドはムサシを哀れに思った。


 畜生、うるさいよと喚き立て、復讐を誓って逃げていったタダオに対し、トウジは酷く顔をしかめた。
「なんやあいつ……」
 シンジがキレたのも無理は無いなと感じてしまった、確かにああも逆恨みが酷いと殴り倒したくなってしまう。
 そしてそれでも突っかかって来るのだろう、あれはそういう人間だった。
「ヒビキさん」
 トウジは彼女に呼び掛けた。
「大丈夫か?」
「え?」
「いや……、な、シンジはええけど、ヒビキさんは同じ学校やろ?、ああいう奴って、シンジと仲がええっちゅうだけで八つ当たりしそうやし……」
 ヒビキはなんとなく想像出来たので儚げに笑った。
「大丈夫……」
「そやかて」
「……多分、それは罰になるから」
 ヒビキはとつとつと語り始めた。
 自分がどんなに卑怯なのかを。


 ファンの容態は確かに村一番の関心事ではあったが、同じくらい話題になっている噂もあった。
「聞いたか?、北の川で……」
「ああ、腐った肉の山だろ?、一体どうなってるんだか……」
 この村の人間も、丸一日中活動していた巨人の姿を目撃していた。
 その巨人の雄叫びが聞こえなくなったのは半日前だった、肉の山の噂を持ち返ったのは自警団の面々だった。
 どうなったのかと探索に出かけて、その肉の山を発見したのだ。
「酷い有り様らしいな……、折れた木にべったりと垂れ下がって、地面も踏み場所が無いとか言ってたが」
「蝿も相当わいているらしい」
「しかし化け物はどこへ行ったんだか……」
 身震いをする。
 ここ十年、いや、セカンドインパクト前からこの地に住んでいたものですら、あんな化け物は見た事が無いと言う、ではあれ程巨大な生き物が、一体どこから現れたのか?
 暴れていた間の痕跡ははっきりと残されていた、移動するにしたがって倒された木々がそれだ、だが今までそんな無気味な跡は一度たりとも見付たことがない。
 ならあの化け物はどこから来て、どこへ帰っていったのか?
「やっぱりあの肉の山が化け物なんじゃないのか?」
「馬鹿を言うな」
 彼らが腐肉と怪物を一つに結び付けようとしないのには理由わけがあった、腐肉の山からは骨も臓物も見つからなかったのだ。
「あれは死人共が盗んだ肉だよ、それ以外にあるか?」
「それにしては多いだろう……」
 そんな会話が為されている場所から少し離れて、カンヂが一人自分の世界へと閉じ篭っていた。
 村の隅にある苔むした岩の上に座っている、場所が場所だけに誰も近寄らない、彼が見ているのはデジタルムービーカメラの液晶画面だった。
 そこには一部始終とはいかないが、使徒の肉が化け物に変容する場面が映し出されていた、上空から写した物だ。
「見た?」
 足音すらさせずに背後に立たれて、カンヂは酷く動揺した。
「見たね?、見ましたね?」
「……ああ、見たよ」
 レイにカメラを押し付ける、カンヂは彼女の足元を見て顔をしかめた。
 湿気って居るというのに靴に汚れが全くない、それどころかぬめる土に沈みもしてない。
「これが君の見せたかった物か?」
「その断片かなぁ?」
 レイは後頭部を掻くと気まずげに答えた。
「はっきり言ってちょおっと予定外のことになっちゃってね、まあ、世界に危険が迫っててその中核にシンジが絡んでるって証明にはなったでしょ?」
 確かにと思ったのでカンヂは別のことを口にした。
「それで君は僕に何を望むんだい?」
「今んところは、別に……」
「なに?」
「おじさん言ってたじゃない、寄生されるのは嫌だって」
「……」
「でもまだなんにも提供出来るものがないからさぁ、それがあったらお互いに利益になるからって協力体勢になるんだけど」
「じゃあなんのために……」
「だからさぁ、いつかおじさんの協力が必要になるわけよ、でもその時いきなりじゃダメっぽいでしょう?、んだからコナだけは掛けとこうかと思ってね?」
 レイはにやんと、厭らしく笑った。
 ──そして2015。
 沖縄群島の一つにある高級リゾートホテル、そのロビーにカンヂは居た。
 カンヂを出迎えたのは浅黒い肌をした男だった、その背後には二人控えている。
 頬の痩けた、あまり素行のよろしくない連中のようだ、そのような者達を護衛としている男が、真っ当な存在であるはずが無かった。
 男は手を差し出し、握手を求めた。
李朧鶴リーロンホゥです」
「リー家の?」
「ええ」
 にやりと笑う。
「今はゼーレの末席に居を構えております」
 破廉恥な、そう吐き捨て掛ける。
 かつては警告を行っておきながら、今度は取り込もうとこのような俗物を送り付けて来る、それも居を借りるような低俗な人間をだ、御上の威光があれば誰しも跪いてくれる、そう思っているらしい、馬鹿かと思う。
 そしてそれ以上に、カンヂはリー家に対して良い印象を持っていなかった。
 セカンドインパクト後の混乱期、華僑の連絡役を務めて成り上がった一族である、そのネットワークが中華経済圏を構築する母体となったのは疑いようが無い。
 問題はその後の行動であった、経済が円滑に活動を始めた途端に腐り始めたのだ。
 そのやり口にはカンヂが考える日本経済的思想が見え隠れしていた。
 バブル的発想とでも言うのだろうか?、腐った沼は多くのガスを発生させる、国と言う名の気球はそのガスによって浮き上がる、社会が腐れば腐るほど金満に富み、飛躍する、だがそれは社会の健全化を疎外するシステムだった。
 健全な社会、浄化された環境ではガスは発生しない、気球は落ちて下手をすれば沈んでしまう。
 そのため彼らは目先の栄華のために、社会という名の沼を腐るだけ腐らせようとしていた。
 カンヂの思想はこれに真っ向からぶつかっていた、沼などは埋め立てて土地にしてしまった方が良いと、そうすれば安定した繁栄を構築できる。
 ガスによって飛翔するためには、一時を我慢して溜めに入らなければならない、そのために彼らは富みの分配を行わずに刈り取っている。
 浮いた泡を次から次へと潰して回った旧日本政府に比べれば遥かにマシであろうが、同じシステムを上手く利用したかしなかったかの差でしかないのだ。
 他の発想を行えなかった時点で、カンヂにとっては無能者となる。
「それで?」
 カンヂは差し出された手を無視して問いかけた。
「用があるのなら早くしてもらいたいのだが?」
 ロンホゥの頬が引きつった、派手にだ、ゼーレの威光が届かなかったことに動揺したらしい、こうも簡単に露呈させてしまう辺り、あまり大した人物ではないのかもしれない。
「……教団との商談について」
「馬鹿か?」
 カンヂはばっさりと切り捨てた。
「話せるわけがないだろう、そんなことのために呼び出したのか?」
「……こちらはゼーレの全権を委ねられて下ります」
「それが?」
「お連れしろ」
 指を鳴らす、男達は前に出た、気がつけばロビーに人影が無くなっていた、ホテルマンの姿も無い、だがカンヂは動じなかった。
「ふあ!?」
 男二人は両腕を『失って』のけぞった、肘から下は血の糸を引いて宙を舞っていた。
「な!?」
 どさりと腕が落ちた、血が広がる、ロンホゥは目を剥いた、どこから現れたのか男がカンヂの前に立っていたからだ。
 抜き放った青竜刀の切っ先は、自分の鼻面へと向けられていた。
「なっ、は!?」
 あまりに驚くと人は言葉を無くしてしまうらしい。
白龍パイロン!?」
 ほう?、っとパイロンは目を細めた。
「覚えていたか」
「き、貴様……」
「質が落ちたか?、俺はずっと『ここ』に居たぞ」
 この程度の隠形術すら見抜けないとは。
 言外にそう嘲った。
 対して、ロンホゥは驚愕に失禁寸前にまで追い詰められる事になっていた、最強故に追放された異端児、本来ならば最も高き地位にあっても良いものを、血を理由に排斥された刀術士。
 忙しなく周囲に視線を送り味方を探す、だが誰も居ない、彼の目は焦りからか血走り始めた。
 そんな態度を怪訝に思ってか、パイロンは忠告した。
「すぐにここを離れよう」
「そうした方が良いのかな?」
「ああ……、偽者にかまっている暇は無いだろう」
「偽者?」
 そうだとパイロンは頷いた。
「リー・ロンホゥはリー家頭首の名だ、こんな雑魚が頭首に見えるか?」
「……分かったよ」
 カンヂは後ろ足を引くと反転し、そのまま悠然と歩き始めた。
 後を追ってパイロンも行く。
「まっ、待て!、ええいくそ!、何をやってる!」
 どうやら無線機に怒鳴っているらしい。
「……大丈夫なのかな?」
「制圧済みだ」
「そうか」
 ドアを開けて外に出る、まぶしい日差しに目を細める。
「良い天気だ……」
「それが?」
「もう何年も泳いでない、たまには海水浴をしてみたいよ」
 パイロンは何とも言えない顔をした、珍しく肩をすくめたい心境になったのかも知れない。
「あの子とも遊んで上げないとな……」
 晴天を眩しく見つめつつ、ぽつりとカンヂは口にした。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。