停電が深夜であったことから、トウジ、ケンスケ、ヒカリと言った少年少女たちは、みな比較的大人しく諦めを付けていた。
 一人ケンスケが、『圧縮がぁ〜!、十五時間もかかって、あと五分だったのにぃ!』っと、うがぁっと喚いたことを除けばであるが。
 この街で生まれた子供たちもいる、そういう彼らにとって、停電などはおよそ初めての経験だったが、朝になれば直っているだろうと、台風にも似た興奮と感動を覚えて、むしろ楽しく時を過ごすに至っていた。
 しかし、それも明け方までのことであった。
 それは避難勧告が発令されたからである。
 ──ウウ〜〜〜、っとサイレンが鳴り響く。
『お知らせします、本日午前六時、東海地方を中心とした、関東中部地方の全域に渡り、特別非常事態宣言が発令されました……』
 寝ぼけ眼をこすり、うるさいなぁと起き上がる者、あるいは寝ぼけて、寝返りを打って、抵抗を示す者、様々だった。
「あ〜あ」
 そんな中。
 メゾン一刻の屋上にて、へりに腰かけ、足をプラプラと揺らしているレイが居た。
「こりゃ、被害甚大、間違い無し?」
 どうしたもんかねと口にする。
 人が死ぬのは良いのだが、それに関係して、また別の勢力が流れ込んで来るのは面白くない。
 コントロールしやすい程度に、場は乱れていてくれないと困るのだが、かといって、制御できないほど荒れてくれても困るのだ。
「さて、どうすっかねぇ」
 言いつつ、買ったばかりの首輪を指にかけて、くるくると回す。
 あぐらをかいて、膝の上に頬杖をつく、にたりとしている口元からは、言葉とは裏腹に、ほぼその考えが形となってまとまってしまっていることを窺わせた。


NeonGenesisEvangelion act.64 『彼女の受難 起の章(6)』


 海が盛り上がる。
 滝のように水を流し落として、それは姿を現した。
 ──蜘蛛。
 あるいはダニ。
 潮が飛沫を上げて弾け散る。
 球体の上部を真っ平らに切り取った盆の周囲に、針のような足が数本ばかり生えている、それが使徒の形状だった。
 足は長く、本体の四倍はある、胴部だけでもその大きさはエヴァに匹敵しているだろうに、これまでの使徒に比べても巨大であった。
「……」
 苦々しく、親指の爪を噛み、ミサトは毒づいた。
「国連軍は何をやってんのよ」
 青葉が答えた。
「展開が間に合っていないみたいッスね」
「言い訳は?」
「このところの戦闘が激しくて、予備弾薬まで使い切ったと……、その補充が間に合っていないとか言ってますが」
 まあ、そんなところかと溜め息を吐く。
 ミサイル一発で何百万ドルの世界である、それを使徒に対しては、惜し気もなく投入して来たのだ。
 他に、戦闘機、船、そして貴重な人員を浪費して来た。
 そのツケが、今になって回って来たと言われれば、はいそうですかと納得するしかないのだが、それでは自業自得の部分がある。
 面子のためにはやむを得ない処置だったなどと、どうして言い訳が通じると思えるのだろうか?
 それはともかくとしても、嘘臭い話である、大体が、他国に貯蓄の数を知られるような言い訳など、普通使うものだろうか?
「はぁ……、ちょっとだけ威力偵察がわりに、仕掛けてくれりゃ良いのに」
 相手の能力を調べるためには、戦闘をしかけるのが一番である。
 しかしネルフにはその手段そのものが無かった、ネルフには街の外で運用できる兵器の所持が許されていないのである、一応国連軍に対して要請はできるものの、この様子では、さほどの協力も得られないだろう。
「意地になるから」
「特に、『キュービック』の時のが、効いてるみたいッスね」
 それは第五に分類されている使徒のことであった。
 正八面体のクリスタル、これとの戦闘で、国連軍は多大な犠牲を出していた、その無駄が、今になって響いているのだ。
 確かに、使徒を倒さねば世界は終わりを迎えることになるのかもしれないが、使徒を倒したとしても、他の敵に襲われてしまえば、同じである。
 北朝鮮に代表される存在、中国、ロシア、東は常に緊張に満ちている、彼らを押さえられなくなるほど、武力を消耗するわけにもいかない、面子のためにかけらるだけのものはかけた、だからこそ、彼らは破綻しないために、自重に行動方針を移行していた。
 ……少なくとも、新たに増産されたミサイルが届くまでの間は、何かとごねることだろう。
「まあ、こんな時だもの、むしろそうしてくれている方がありがたいわ」
「そうね」
 ミサトはリツコの意見に同意した。
 現在のネルフからは、対外的な動向を監視する余裕は、完全に失われてしまっていた。
 国連軍が、戦自やその他の組織の牽制を引き受けてくれるというのなら、それはそれでありがたいことである。
 少なくとも、戦略自衛隊対米軍の構図よりは……
 ミサトはかぶりを振って、頭を切り替えた。
「零号機を出して、いきなりドン!、なんてのは、避けたかったんだけどね」
「こうなると、レイに頑張ってもらうしかないわね」
「内側の掃除が問題か」
「ついでに上の避難も遅れているわ、時間が時間だから仕方ないけど、でもシンジ君なら気になる被害の幅も、レイなら」
「抑えるように、気をつかって戦ってくれると思う?」
「ええ」
「どうしてそう、信じ切れるの?」
「だって、誰にどんな影響を受けたって、根本的な思考の組み立て方というものは変わるものじゃないでしょう?、大丈夫よ、レイならまず間違いなく、被害を抑えることを念頭において戦ってくれるわ、シンジ君のように、敵の殲滅を優先しない」
「だから、か」
「過去の傾向を見てるとね……」
 特にと、リツコはアメリカでのことを上げ連ねた、基地からの3号機による正体不明の熱線攻撃。
 あれをこの街で行われた場合、誘爆も手伝ってどれだけの被害へと発展することになるのか分からない、それは余りにも危険過ぎた。
 思い返せば、シンジがまともな攻撃を行ったことはないのだ、ろくなとまでは言わないが、それでもだ。


 しかし、弾薬が尽きかけているのは、なにも国連軍だけではなかった、ネルフもである。
 初回の兵装ビルのいきなりの破壊によって、大量の弾薬を失っている、それともう一つ、問題があった。
 それは、防衛線上の、兵器群のことである。
 使徒の進行ルートは、必ずと言っていいほど、太平洋側からというパターンになっていた。
 このため、集中的に破壊され、もはや復旧はみこめない状態までに落ち込んでいたのだ。
 今、使徒が悠々と進んで来るのは、まさにその空いている穴なのである。
 一応、無人の偵察機を飛ばしてはいるのだが、得られる情報は、正直微々たるものだった。
 使徒からのリアクションを引き出すためには、それこそ撃ち尽くすほどの弾薬が必要になる、そうでなければ、全てATフィールドに払われて、終わってしまうことになる。
 カヲルの言葉を借りれば、ATフィールドの内側と外側では、エネルギーの密度が違うのだ、故に小規模な衝撃では『本体』へと届くことなく、逆に弾かれて終わってしまう。
 揺るがすためには、それこそ大規模な爆発によって発する、巨大なエネルギーが必要であった、それこそが一瞬とは言え、位相の差を埋めるのだ、使徒へと衝撃を届けるためには、並のエネルギーでは量が足りない。
『だからって、危なくないですか?』
 シンジの言葉に、ミサトは言った。
「もちろん、そうよ」
『話は分かりますけど……』
「あなたたちのことも案じろって言うなら、そうするけど、そのために別の誰かに、死んでくれって言うのものね」
『わかってますよ、だからこその、エヴァだって言うんでしょ?』
「そういうことよ」
 初回、第三使徒との戦闘では、国連軍は威信にかけて、十数機の飛行艇と、数十台の戦車部隊を無駄死にさせた。
 その上、街ごと焼き払いもした。
 それで分かったことはと言えばだ、ATフィールドを持っていること、自己進化できること、武器については、光の槍と閃光、それだけであった。
 そして代償は大きかった、なんと、使徒に知恵を授けてしまったのである、情報を引き出すだけにしては、払ったものが大き過ぎた。
「経験則ってことになるけどね、結局、一番弱いのは、出鼻なんじゃないかって思うのよ、それを叩くのが、一番安全だと思うわけ」
『そうですか……』
 素直な様子に、ミサトはあれっと見方を変えた。
 話せば分かる子なのかもしれないと、甘いことを考える、それほどまでに物分かりが良く見えたのだ。
 ──そんな子じゃないでしょうに。
 冷ややかな目をして、リツコは思う。
 騙されてるんじゃない?、と。
 そのリツコは、マヤの席に座って、キーを叩いていた、彼女が居ない今、その下の人間では、あまりに処理が遅過ぎるからだ。
 コンマ何秒の操作の遅れが、エヴァとパイロットの生死を分ける。
「で、異相体はどうなってるの?」
 ミサトの問いかけに、リツコは答えた。
「危険だけど……、緊急時には有線で連絡を取るように指示を出しておいたわ」
「有線?」
「光ファイバーケーブルよ」
「電話線で!?、無茶なこと考えるわねぇ……」
 言ったミサトは、ジト目を返されて、酷く焦った。
「な、なによ」
「感謝して欲しいわね、あなたのフラストレーションの解消のために、舞台を整えてあげたんだから」
「……ありがと」
 あまり素直には感謝できなかったが、そう言った。
 向こうでねちねちと虐めらた分だけ、発散したいものがあったのも、本当だからだ。
「それじゃあまずはこっちのを処理してから、あっちのを……」
 ──しかし世の中、そんなに甘くはできてはいなかった。


「戦気が立ち上っているな」
 いきなりの言葉に、ホリィは驚いて、ゴドルフィンの顎を見上げるようにした。
 確かに、急に戦自が駐屯している区域から、オーラのようなものが立ち上って見えたからだ。
「見えるのですか?」
「そんな気がするだけだ」
 彼はホリィに対して、普通の子であれば泣き出すような目を向けた。
「勘に過ぎないと言えばそうだが、これを肌で感じられないようでは生き延びられないぞ」
「はい……」
「それで行動に移して、何も起こらなかったのであれば、嘲笑の的にはなるだろうが、それでも十回に七回は当たるもんだ、疑うよりも従うことだな」
「はい」
「君は弐号機に乗せてもらえ」
「え?、でも……」
 行けとゴドルフィンは、肩を軽く掴んでやった。
「チルドレンの監督が仕事だろう、なら、指揮官機に乗せてもらえ」
 それがあらかじめの取り決めであったとしても、ホリィはゴドルフィンの優しさだとして受け取った。
 この地において、最も安全な場所は、エヴァの中である。
 同乗しても弐号機が正常に起動するのは、既に実証済みのことであるから、許可は出ていた。
 ──しかし、これに関して、なにも問題がないわけではなかった。
 デュアルドライブには、様々な問題が付きまとう、二つの思考はより強固なものが優先されて、残りの一つはノイズとして処理される。
 これの共存は、反応をかなり鈍らせるのだ。
 シンクロ率も若干落ちるし、ハーモニクスにも誤差が増える。
(これでますます、あの『剣』は使えないってことか)
 エントリープラグを排出し、ホリィを待ちながら、アスカは大丈夫だろうかと先を案じた。
 ──それは敵前にしては、あまりにも余裕を見せ過ぎる行為だったかもしれない。
 黒いエヴァが人らしいものを手のひらに乗せて運ぶのを見て、戦自はこれを好機と取った。
「決戦兵器の起動は、戦意の現れとみなす」
 通信は一方的なもので、釈明を待つような気配も無かった。
 ──砲撃音が轟いた。
「きゃあああああ!」
「早く乗って!」
 アスカはホリィが飛び込むのをきちんと待たずに再挿入のシークエンスに入った、砲弾が着弾し、エヴァの胸が黒くすすける、もしも3号機が支えてくれなければ、自重にやられて、背中から倒れてしまっていたことだろう。
「やってくれるじゃない!」
 アスカはレバーを握り締めて舌なめずりをした、その意思を反映し、弐号機は3号機を押しのけて立ち上がった。
 ──戦闘が始まった。
 左手を突き出し、ATフィールドを展開する、砲弾が表面で弾ける、金色の壁の粒子が、破片と共に舞い散る中を、マコトとマヤが、頭を抱えるようにして逃げ惑っていた。
「戦闘部隊は、左右に展開して技術陣の後退を助けろ!」
 分かりやすい指示に顔を巡らせる、指示を出しているのはゴドルフィンだった、こういう時は、女のミサトよりも、やはり男の方が良いのかとマコトは思った。
 野太い声だからか、妙にくっきりと聞き取れるからだ、マイク無しでも十分なくらいに。
 これがミサトであったなら、キーが高くて、とても聞き取れはしなかっただろう。
 マコトは先に行ってくれとマヤを急かし、格好をつけた、だが間が悪かった。
「いっけぇ!」
 アスカが脇に引いていた右拳を突き出したのだ。
 ズシンと震動、人も、車も跳ね飛んだ、横転した。
 踏み込みと、腰と、肩、見事な入れ具合から生み出されたものは、拳による衝撃波だった。
 砲弾を押しのけ、蹴散らし、衝撃波は戦自の陣営を脅かした。
 ──悲鳴が上がる。
 突風が吹き荒れた、車が、人が巻き上げられる、十数メートルも舞い上がって落ちれば、さすがに助かるものではない。
 たったの一撃によって、戦自側に、実に甚大な被害がもたらされた。
「はん!、アタシにケンカ売ろうなんて、五十億と六千七百八十九万年ほど早いのよ!」
『その基準がどこにあるのか、知りたくもあり、知りたくもないね』
 アスカは背後をジロリと睨んだ。
「なによぉ、文句あるわけ?」
『気にすることはないさ』
「するってのよ!、なによっ、人の影に隠れてないで、前に出なさいよね!」
 それはごめんだと遠慮した。
『僕は君と違って、ATフィールドを張れないからね』
 このウソツキめ、そう思えばキツネ顔に見えて来るから不思議なものだ……、と、ホリィが叫んだ。
「アスカ!」
「え?」
「あっちも出して来るみたい」
 ウィンドウを開いて、景色の一部を拡大する、フォーカスの甘さを補正して、色合いに修正をかける。
 すると、陸上戦艦が、鈍重に前に出ようとしていた。
 ──何をしようと言うのだろうか?
「あんなの、速攻で」
 はぁ!?、っとアスカは驚いた。


 ハァ、フゥ……
 レイは呼吸を入れると、顔を上げ、瞳を開いた。
 ──シンジのことは、覚えている。
 それは『向こう』での、第五使徒戦のことである。
 いきなり放り出されて、彼は死にかけた、あの時はそれがどうしたと思っていた。
 あの頃の自分は、幸せだった、今とは違う幸せを感じていた。
 碇ゲンドウ、あの人との幸せに浸っていた、例え自分を通して誰かを見ているだけの人だとしても、そこには確かな温もりを感じていたのだ。
 それが虚しいことだとしても。
 それが間違ったことだとしても。
 騙されながらも、まどろめた。
 いつまでも、そのままぬるま湯のような心地好さに、いつまでも浸かり続けていたかった、きっとそのまま終われたならば、それは幸せなことだったから。
 ──彼さえ、現れなければ。
 碇シンジが、全てを壊した。
 甘く、切なく、破壊した。
 今、シンジが同じような目にあったなら、さすがに心配になり、不安も感じてしまうだろう。
『あちら』では、第三、第四使徒戦での弾薬の浪費が非常に堪えた、二発三発ではATフィールドを揺るがすことはできない、人相手の戦争とは違うのだ、一発撃って様子を見たところで意味はない、殲滅するか、されるかである。
 それだけに、作戦部長が撃ち惜しみなどすることなど、一度も無かった。
 そして第三使徒戦、第四使徒戦と意地を張った国連軍は、膨大な戦死者を出した、弾薬の輸送も間に合わず、彼らは第五使徒戦において、初めてネルフに交戦権を無条件で譲渡した。
 ネルフにあるのは、第三新東京市とその外縁部にある武装のみである、都市部に誘い込まない限り、偵察はできない、援護もできない。
 街を壊さぬ場所で戦うためには、孤立させねばならず、街で戦うのならば、甚大な被害を覚悟しなければならない。
 この矛盾が、ミサトにエヴァの発進を余儀なくさせた。
 ネルフには、戦争をするための兵器は無く、そして国連軍に対しても、動いてもらうためには、協力要請が必要なのだ。
 頼れるものは、エヴァのみであったのである。
 それに比べれば、今の状況は、遥かにマシなものに思えてならない。
 少なくとも、背後には無敵のシンジがいるのだから。
「葛城『さん』」
 ウィンドウの中で、ミサトがきょとんとしていた。
「わたしに、考えがあります」
 聞きましょう?、と、ミサトが腰に手を当てて、胸を反らした。


 ──戦略自衛隊の秘密兵器は、決して鈍重なだけの亀ではなかった。
 後方に足を折り曲げて、どうやってか不安定に浮遊したのだ、揚げ句メインノズルをふかして、突貫をかけて来た。
 その様子に、アスカは汗が引くような寒気を覚えた。
 ──それは悪寒であったのだろう。
 その機体は、どのようにしてか、重力制御を行えるようであった、そのような技術を、一体どこから手に入れたのかは謎であったが、直感的に恐ろしかった。
 まずいと全身が喚き叫んだ、汗が引く、重力制御による影響は、どのくらいにまで広がっているのだろうか?、外側にも作用しているのなら、エヴァとて弾かれる恐れがある。
 重力制御による反作用を利用した突貫攻撃!?、アスカはそう思ったが、事実は違った。
「きゃああああ!」
 迫り来る恐怖にホリィが大きな悲鳴を上げた、うるさいと感じたのが遅れになった。
 直前でスラスターを吹かし、軌道を変えたトライデントに、対応が遅れた。
「マズイ!」
 アスカはその意図を見抜いて右手を伸ばした、トライデントの目標はあくまでもネルフ陣営にあったのだ。
 エヴァはバックアップ無しには運用できない性質のものである、故になにも無理をして戦う必要はないのである、一台を犠牲にして電力を奪えば、残りの二機で制圧できる。
 弐号機は必死に指を伸ばした、手が届かない?、その少し先を鼻面が抜けていく、アスカは半ば無意識の内に操作していた。
「舐めるなぁ!」
 電源ケーブルがのたうって、派手に地面を叩き上げた、大地を疾駆するエヴァンゲリオンは、基本的に人間と同じ構造を持っている、その動きもまた、それに準じる。
 ここでは、決して届きはしないはずだった、しかし。
「こっちにだって!、スラスターくらいは、あるんだからぁ!」
 レバー内側にあるスイッチに触れる、それは武器庫への操作回路だった。
 左肩、武器庫の外側パネルが開いて、スラスターがエアーを吹いた、トライデントのパイロットには、赤いエヴァの動きが、突然加速したようにしか見えなかっただろう。
 激突する。
「くううう!」
 ねばつく感触、やはり重力制御によるフィールドは、外側にまで影響力があるらしい、だが。
「このぉ!」
 船首を越すように右腕を伸ばし、機体左の吸気口を潰してやった、フィールドが消失する、壊れたのか?、元々短期間の使用に耐えるだけの能力しかなかったのか、あるいは過負荷に堪えきれなくて故障したのか?
 アスカはそのまま右脇にコクピットを固めると、左手で機体の下に手を入れ、股間部を握り潰してやった。
「人が乗ってるからってぇ、遠慮なんてしないからねぇ!」
 この戦闘で、最も脅えたのは味方だったかもしれない。
 ネルフの周波数帯には、アスカの言葉が逐一伝わって来るのだ、戦闘中の通信は常にオープンであるが故に。
 そして彼らは知ってしまった、あの赤い機体に乗る女の子もまた、人を殺すことに対して、なんの呵責も感じない人間なのだと。
 左の武器庫が左右に開いて、ナイフの鞘が倒れ出た、バン!、強制排出された柄が、宙でくるくると回り踊る。
 その柄から、細かく小さな火が噴射された、それは姿勢制御用のバーニアだった、やいばが飛び出す勢いも使って、ナイフは敵機の上に勢いよく落ちた。
 ザシュ!、機体の上に突き立ったナイフは、バターのように鉄を溶かして、そのまま下まで貫通してのけた、地に落ちる、だが直前で、再びナイフの柄が火を吹いた、爪先でもって受け止めやすい角度に尻を向ける。
 ──アスカはそれを蹴り上げて、今度は動力部へと直撃させた。
 がくんと巡洋艦から力が抜ける、ニヤリと笑って……
一匹目!erst!
 両足を浮かして、尻から落ちる、急な荷重に堪え切れず、トライデントのコクピット部分は、ぼきんと胴体からへし折れた。


「なんてことだ……」
 馬場一等佐は喘ぐようにして呆然とこぼした。
「エヴァンゲリオンとは、あそこまで人のように動くものなのか……」
 プロのサッカー選手がボールで行うような真似を、ナイフを使って行ったのだ、曲芸師でもあるまいに。
 信じ難いことだった。
 呆気に取られたのは、他の者達も同じである、特に波状攻撃をかける予定であった残りのトライデントたちは、たたらを踏むようにして止まり、一度は畳んだはずの足を、再び地へと下ろしていた。
 戸惑っているのだ。
『馬場い……』
 轟音に通信を聞き取れなかった、爆発音と衝撃に嬲られる。
「なんだ!?」
 トライデントの股間部にある急所が、精密射撃によって撃ち抜かれていた。
 前のめりに、二機とも倒れ込んでいく。
「まさか!?」
 双眼鏡を覗けば、黒いエヴァンゲリオンが、ライフルのような武器を構え、スコープを覗いていた。
「十キロ以上の距離を、あんな大口径のでかぶつを使って、正確に!?」
 火薬式の銃なのだろう、ライフルの銃口からは煙が立ち上っている。
「うっ」
 その穴が、こちらを向いた。
 彼には分からないことだが、その内部は超電磁による一種のリニアレールになっていた、火薬によって押し出された砲弾を、ますます加速させるという仕組みになっている。
『勧告する』
 士気が落ちる、そこへ通信が飛び込んだ。
『我々には、諸君らを掃討する用意がある』
 ざわりと場がざわついた。
 あまりにも強硬な物言いだったからだ。
「掃討だと?」
 技術陣、戦闘用員の先頭に立って、マイクを握っているのは日向マコトだった。
『直ちに武装を解除して、基地への帰投を……』
 掃討する、確かに、こちらにはATフィールドに対する用意が無い。
 そこにあるのは、一方的な蹂躪となるだろう。
(子供に、それが出来るのか?)
 答えは、『応』だ。
 実際に、既に十数人の死者が出ている。
 重軽傷を加えるときりがない、それらが全て、あの赤い機体が、遠距離から行った、『小手先』の攻撃によって引き起こされた被害なのだ。
 ──彼らは人殺しなど厭わない。
 例え電源を押さえたとて、すぐに止まるものではないだろう、数分があれば、十分この地に存在する全てのものを、死滅させて見せるだろう。
 ATフィールドの有無など問題にならない、いくら彼でも知っていた、あの装甲が、今の自分達の武装程度で、どうにかできる代物ではないと言うことを。
「くっ」
 惨敗し、敗走するしかないのか?
 余りにも強い自尊心が、その決断を拒否しかけた時……
 再び、3号機の持つライフルが、火を吹いた。


 ──やっぱり!
 暴走とも取れる3号機の勝手な動きに、ミサトは苦々しい顔をした、しかし。
「異相体に着弾!」
「異相体……、え?、動いてます、反応、一時間前から!?」
 一体いつから情報を見逃していたのかと叫びそうになってしまった。
 だが、ミサトには、そんなことをしているような暇はない。
「零号機、作戦位置です」
「使徒、市内に侵入!」
「くっ」
 そんなミサトに、リツコからのお声がかかった。
「向こうは、向こうに任せておきなさい」
 すぅうううううっと、息を吸い、はぁっと吐く。
「そうね」
 意識をしっかりと切り替える、集中するためにだ。
「レイ」
『はい』
「タイミングはこっちで取るから」
『はい』
「シンジ君」
『はい』
「零号機の起動と共に、負荷がかかって、重くなると思うけど、なるべく同じ速度になるように漕ぎ続けてちょうだい」
『……不安なんですけど』
「文句なら後で聞くわ、レイ、行くわよ……、作戦、開始!」
 ミサトの号令に合わせて、幾つかの操作が行われた。


 半径で三十メートルもある使徒の足は、根元から五十メートル、五十メートル、数メートルの、三本によって構成されている。
 その歩幅は凄まじく、歩む速度もかなり早いものだった。
 あっという間に山間やまあいを抜け、使徒は市内に到達した。
 ズン!
 地面が割れた。
 先端の爪が割っている、突き刺さっている。
 踵に相当する部分がめり込んでいる。
 ズン!
 道路が揺れる、巨体の重量が、そのままかかっているのだろう。
 ──そして。
『作戦、開始!』
 ミサトの号令に従って、使徒が踏み抜こうとした地面が開いた、それはエヴァンゲリオンのための発進口だった。
 ズゥウウウウン……、落とし穴に引っ掛かり、使徒は見事につんのめった、揚げ句の果てに、前のめりになって『脛』を打ったような状態に陥って……
「……」
 いたそー、っとミサトは思った、ジィイイイイインと震えて動かない使徒である、痛みに悶えているのかもしれない。
 ──その最も近い場所に、エヴァンゲリオン零号機が射出された。


「岩が、動いたぁ!?」
 わぁああああ、悲鳴を上げて逃げ惑う、さしもの戦略自衛隊の精鋭たちも、先日の惨劇の記憶は拭い切れてはいなかった。
 ──対して、ネルフ陣営である。
 こちらでは、これまでの経験と、十キロほどの距離が幸いして、みな落ち着いて観察していた。
「凄い、これって」
 言ったのはマヤだった。
 弐号機の電源ケーブルには、ちゃんとコンピューター回線も仕込まれている、電源車両に取り付いて、マヤはノートに弐号機が捉えているデータをダウンロードしていた。
 エヴァンゲリオンに搭載されているセンサーは、下手な観測所の設備を上回るものがある。
 決戦兵器であるエヴァンゲリオンには、独立し、単体で成立するように、様々な警戒装置が組み込まれている。
 そうでなくては、自己進化まで行う使徒には対応できない。
 ──そしてもう一つ。
 人には、五感が存在する、エヴァにもだ。
 そして未確認ではあったが、リツコは『第六感』のようなものまで備わっているのではないかと疑っていた、事実、脳処理され、MAGIに回されるデータには、そうでなければ説明が付かないようなデータが、時折混ざり込んでくるのである。
 そして、今もそうだった。
 岩がごりごりと破裂しそうになっている、膨らもうとしている。
 ひび割れ、合間から赤い光を漏らしている、まるで圧力に負けて、膨らもうとしているかのようだ。
「結晶構造が、組み代わっていく、そんな」
 アスカの弐号機の目は、そんなことまで捉えていた。
「化学変化を起こして、別の存在に変態しようとしている?、これも進化なの?」


「レイ!」
 焦った叫びが、状態の悪さを知らしめた。
 使徒は足の一本を真横に振り回し、槍を手に突進して来た敵人形を弾き飛ばした。
 やはり怒り狂っているらしい、落とし穴から引き抜いた足には、血が滴っていると言うのに、気にもとめない。
『くぅ!』
 可愛らしい悲鳴が聞こえる、悶えるように。
 槍はいくつもに折れて宙を舞った、頭上より落とされた足を、零号機は何とか腕をクロスさせて受けとめた、だが、がら空きになった脇腹に、強烈な一撃が叩き込まれた、それはさすがに防ぎ切れるものではなかった。
 ──甘かった。
 落とし穴によって隙を作ればと思ったのだが、昆虫がそうであるように、異常なほどに反応速度が良い、脊髄反射だけで動いているのかもしれない、使徒にそんなものがあるのだろうか?
 ともかくも、遠心力と加速を付けた長大な足が、しなりまで加えて襲いかかって来る。
「くぉおおおおお!、重いいいいいいい!」
 そしてケージでは、シンジが悲鳴を上げていた、もうのんびりとしている暇はない。
 エントリープラグの中、必死に前傾姿勢でペダルを漕いでいた、それはもう、首に筋が浮くほどの必死さだった。
「ううううう!、なんだよこれ!、綾波早くしてよぉ!」
 何が辛いかと言えば、握るものがレバーしかないのだ、必然的に力が入れづらい姿勢しか取れない。
 その上、少し軽くなったかとほっとすれば、突然に重くなる、零号機の動きに合わせて、電力消費量が変わるためだ。
「思ったより、間抜けじゃないか、この装置!」
 それはどうだろうとミサトは思う。
(はたから見てると、間抜け『そのもの』なんだけど)
 だが口から出たのは、裏腹な声援だった。
「シンジ君、頑張って!、レイの命運はあなたの足にかかってるのよ」
『はい!』


「結晶構造が変化していく……、まさか模索していると言うの?、最適な連続体を」
 真剣に悩むマヤを、マコトは早く逃げようと誘えずにいた。
 仕事のこともあるが、ここには電源車両を守るためのスタッフが、自主的に残っているのだ。
 責任者の一人としては、逃げ出せない。
「振動パターンが変化していく?、ううん、これは数万倍に振幅速度が上がっているだけだわ」
 これなら鉱物生命体と言えども、獣同様の速度で動くことが可能になる。
 だけれど。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!」
 喚いたのはアスカであった。
「あれのどこが鉱物生命体なのよ!、どう見たって怪獣じゃない!」
「参ったね、これは」
「落ち着いてんじゃないっての!、どうすんのよ!」
「擬態だったということかい?、しかし、どうやって動いているのか、正に謎だね」
「そりゃリツコ辺りなら喜びそうだけど……」
「倒すしかないね」
「後で怒られない?」
「緊急措置というやつさ、どうせ」
 空を見上げる、二機の戦闘機が飛んでいた。
「放置した場合、爆撃による完全破壊になるんだろう?」
 アスカは一応、ホリィにも訊ねた。
「それで良い?」
「え?、あ、うん」
 多分と自信なさげに告げる。
「お願い」
「分かったわ」
 やっぱり経験不足かと、心中でのみ落胆しておいた。
 大体が、皆に心配されている時点で、お荷物と変わらないのだ。
(いつまでもそのままだったら、見放されるわよ?)
 マユミのように、『それでいい』という身分ではないのだから。
 ぺろりと上唇を舌で舐める。
「作戦部!、戦自……、ううん、『国連軍』に協力を要請して!、ありったけの残弾をあいつにぶち込ませてっ」
『了解!』
 返って来た声は、日向マコトのものだった。


「重い……」
 ぶつくさとレイ。
 機体が思い通りに動かないのだ、それはシンジの力不足によるものなのだが……
 シンジとて無限に理不尽な運動能力を発現できるわけではない、かといって、抑えた動きでとどめおける敵でもない。
 レイは賭けに出ることにした。
「兵装ビルからの攻撃をお願いします」
『え?、ちょっとレイ、何する気!』
 レイはもう行動に移していた。
 地を蹴って、エヴァが突進する、その速度は弐号機とアスカに、勝るとも劣らないものだった。
 ふんぬぅうううっとシンジも頑張る、レイは突き出されて来た足を避けると、そのまま胴部に肩からぶつかった。
 ──ズゥウウウン!
 武器庫が壊れる、一瞬、使徒が浮き上がった、三十度ほど傾いて、元に戻る、衝撃を殺し切れずに、使徒は腹を地に打ち付けた。
 レイの行動は止まらない、左右にある足を脇に固めて、張り付いた。
『今よ!』
 ミサトはレイの意図を見抜いて指示を下した、兵装ビルが開いて遠慮なく弾が撃ち込まれる、恐らくこれで、補給待ちとなるだろう。
 ATフィールドが中和相殺されている状況下では、使徒には鎧は無く、エヴァには鋼鉄の外装がある、これがレイのもくろみだった。
 血と、肉が弾けて踊った、光が乱舞する中で、悲鳴を上げて使徒は体を天に逸らした。
 ──キィイイイイイ!
 何の音が悲鳴のように聞こえるのだろうか?
 かしゃかしゃと意味なく足を動かす、だが逃げることはできない、何故ならレイが踏ん張り、引き戻しているからだ。
 ──電源ケーブルがミサイルに千切れた。
 途端に内蔵電源のカンターへと移行する。
 レイは焦った、確実にダメージは与えているが、決定的な致命傷を与えられるかどうかは別の問題になる。
 レイには、『いつか』のシンジのように、無謀な賭けを行う心理はなかった、命を賭ける時は、勝算がある時だけだ、そして今。
「これで」
 ──零号機の背に、翼が生えた。
「終わり」
 レイは賭けに勝つために、最後の札を切り捨てた。


 ──爆発によって破砕した粉塵が舞う。
 周囲何十キロとその埃は舞い散った、ごほごほと皆で咳をする、頭の良いものはガスマスクに手を出していた。
「生き物の形状を模してはいても、体内に生体器官はない、なら」
『悪さ』ができなくなるほど、砕いてやればいい。
 戦自は『国連軍』の一部隊として存分に働いた、逃げるだけの猶予が残されていなかったからだ、それとエヴァの存在がある。
 二体のエヴァンゲリオンが見張っているのだ、ここで働かずに逃走に移れば、必ずや粛正されることになるだろう、彼らはそう信じ、脅えていた。
 必死に、実に必死に撃ちまくった、ミサイルだけでなく、小銃まで使って。
 火線が異相体に向かって放物線を描く。
「考えたんだけどね」
 のんびりとアスカ。
「アレだけの物体が生物としての器官も無しに、どうやって動いてるのか……、分かる?」
 ホリィはぷるぷると首を振り、カヲルは軽く肩をすくめた。
「多分だけどね……、あいつ、自重を使った圧電効果によって、エネルギーを生み出しているのよ、それを使って、加速して動いているんだわ」
 原子核の周りを電子というものが回っている、この電子が一周するまでにかかる時間が短いほどに、生物の行動速度は敏捷さを増す。
 アスカは、使徒は電気エネルギーを使って、強引に速度をはやめているのではないかと読んだのだ。
「だから、削ってやれば、その内エネルギーの発生量が足りなくなって、動けなくなって、大人しい岩に戻るんじゃないかって」
 ついでにと、これは皮肉って口にした。
「戦自に、武器弾薬の一切合財を捨てさせることになるんだから、こういうのを、一石二鳥って言うんじゃない?」
 中々悪辣だねとカヲルは評し、ホリィはなるほどと学習した。


「くおあああああああ!」
 戦いは、今が佳境の時であった。
 抵抗が凄いということは、レイが力を求めているということだ、シンジはこれに応えるために、必死になった。
 ──これも一つの愛なのだろうか?
 そう、愛なのね、とはさすがにボケない、碇君の愛のパワーが伝わって来るわ、などと恍惚としている余裕もない。
 しかし現実的には、シンジの献身的な努力の結果が、レイを、そして零号機を動かす原動力となっているのだ。
(やっぱり、愛よね)
 後でからかってやろうと決意を秘めるミサトである。
 ──そんな現実逃避に走るのもまた、零号機の白い翼を、直視することができなかったからだ。
 零号機は翼を大きく広げると、その内側の羽根を一枚一枚毛羽立たせた。
 逆立つ無数の光の先端から、光線が一度に照射される。
 ──使徒が煮立った。
 お椀のような形をしていた使徒は、ミサイル攻撃によって蓋を開かれていた、その体内の血液を光線によって沸騰させられ、さらにもがいた。
 蒸気が上がる、異臭は凄まじいことだろう、使徒の足が震えた、震えは酷くなって、やがて足が折れた、ズドンと胴部が地に落ちる。
『ミソ』が跳ねて、地に散った。
 まだぴくぴくと動いているが、それはもう、筋肉が上げる悲鳴に過ぎない。
 八ヶ岳と同様に、こちらもほぼ決着がついた、そして……


 ──ネルフ本部の一角。
 シンジの努力によって復活したセンサーが、そこに囚われの山岸マユミを発見してしまっていた。
「くあっ!?」
「ガスだ!、吸うな!」
 白煙の中、バズーカを担ぎ上げる影が一つ。
「だめだって!」
「やめろって、マナ!」
「やってやる、やってやるんだからぁ!」
 ドカンとバズーカが火を吹いた。
 マユミを渡すわけにはいかないのだ、何故って?、その口からシンジに漏れるとまずいから。
「あああ、あの、わたし」
 ちゃんと帰してもらえるんでしょうかぁ〜〜〜!?、っと、マユミの悲鳴が尾を引いた。
 ──翌日、無事に救助された彼女であったが、その時何があったのか?、決して語ろうとはしなかった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。