──カシャ!
表示フォト、モノクロ、被写体名称『少女M』、左側面からの顔アップ、アイスを舐めているところ、ほっぺにテンとお弁当あり。
──その生い立ちは十四歳にして、既に波乱万丈の様相を呈している、呈していたと言い切るまでにはまだ早い。
彼女が居るのはまさにこれから、ハリケーンに直撃されようとしている場所なのだから。
──カシャ!
表示フォト、同じくモノクロ、プールの更衣室、怒って手を伸ばしているところ、格好はバスタオル一枚、どうやら覗いていた馬鹿者を見付けたらしい。
──本当の彼女を知る者は少なく、そして本当の彼女に触れたことのある者はさらに少ない。
──カシャ!
表示フォト、望遠レンズでの撮影、街中、ウィンドウショッピング中、スカート姿で新しい服を物色中。
──その趣味は読書に買い物と非常に平凡、後は『ストーキング』を少々、対象の少年いわく……
「木陰から覗いてる奥ゆかしい美少女ってシチュらしいよ」
──カシャ!
表示フォト、某タレント事務所からの提供品、街中での勧誘、偽名『高島ナヤ』、黒のキャミソールにジーンズ姿、胸は小さしお尻も無し。
──この後、青い髪の少女によって、逃亡者の自覚無し!、っと責められる、それも逆さづりで、貧弱ひんじゃくぅ!、そぉれでゲーノーかいでびゅーしようだなんて、チョコに蜂蜜と砂糖ふってがしゅがしゅ噛み砕いて食うくらい激あまぁいと、さんざんに叩きのめされた。
ふぐぅー!、うぐぅー!、と猿轡のために反論できなかった彼女は、後の数日に渡って、キンニクじゃないもん、シボウだもんと、部屋の隅でのの字を書いていたという。
歪んだ幼少期を過ごした少女M、それでも彼女はそれなりに今を楽しく平穏に暮らしていた、そのためには某少年の手を借りなければならなかったが、それについてはちゃんと感謝の気持ちを抱いて、『永久就職』の生涯返しという返済の予定を立てていたので、特に卑屈になりはしていなかった。
今日も明日も、彼女的に、希望に満ちた日が差している。
──霧島マナ。
そんな彼女にも、やはり清算しなければならない過去が存在した、それがある限り、彼女が本当に幸せを享受できる日は来はしない。
胸を張って前だけを見て生きていくためには、脅えすくんでしまう、『トラウマ』の解決が必要不可欠な条件となる。
笑顔の仮面で弱さを隠し、今日も彼女は戦い続ける、明るい明日を掴むために。
●
──その時、国連総会はもめていた。
ダンッと拳がテーブルを打ち鳴らす。
「対使徒組織として冷遇して来た実情が、この結果を招いているのは事実でしょう!」
諸氏の手元には物的、人的被害の被害額の試算結果が配られている。
「この短期間における使徒、あるいは使徒とおぼしき巨大生物の発生を鑑みるに、ネルフには対使徒にこだわらず、枠を越えた活動の権限を与えるべきです!」
それを渋ったのは、ネルフ支部を持たない国の人間だった。
「だがねぇ、ネルフは研究機関の延長にある組織だよ、使徒、あるいは使徒と呼ばれる敵生体に対する造詣が深い、それだけの組織に、そのような……」
「ですがっ」
「使徒に限らなければ、通常兵器による撃退は可能だ」
ううむと唸りがあげられた。
「しかし」
事務総長が口を開いた。
「ネルフ本部における、不穏分子の活動には目に余るものがある、それは山岸君からの報告にある通りだ」
「……自分の娘を拐われたことに対して、過剰反応を示しているだけでは?」
なにかしら含むところがあるのだろうか?
そんな揶揄の仕方をした男を、事務総長は大きく剥けた目を向けてぎょろりと睨んだ。
「彼が、その程度のことで、狼狽えるとでも?」
うっと唸る、確かに、実績があるからこそ、あのような不確定な位置付けにあっても、一目置かれているのだ。
第一、娘の誘拐事件は、今にはじまったことではない。
「わたしは、ネルフの活動を支援することにやぶさかではない、が」
とんとんと、神経質に指先でテーブルをノックした。
「問題は、各国との連携にある」
彼は日本からの大使を睨み付けた。
「中華経済圏のこのところの動きを考えれば、『それ』を警戒して創設された戦略自衛隊は、ネルフに対して協力することはできない、そうですな?」
「は、はぁ……」
あまりにも迫力に欠ける大使は、妙に弱腰に頷いた。
「朝鮮からの軍事行動とも取れる偵察行動は、このところ活発化しておるようでして……」
だがそれが言い訳に過ぎないことは明白だった。
戦自をネルフに関らせたくなかったのだ、彼らはネルフに対して過剰な敵愾心を働かせている。
正直、このような場所で取り上げてもらいたい話題ではなかった、が、そうはいかない事情もある。
各国にはそれぞれに思惑があった、ネルフの科学力、技術力は群を抜いているのだし、なによりも、エヴァがあるのだ。
軍部との繋がりを生み出せるのなら、そこから発生する利得の数々は、素晴らし過ぎる。
それを考慮した時に問題となるのが、先日謀反を起こされたばかりの日本であった。
足手まといとなのだ。
他国が支部との繋がりを持つのなら、本部のある日本もそれに倣って良いことになる、しかし現実には、日本の軍隊はそれが許されない墓穴を自ら掘った。
日本の国府が軍部を押えてさえいれば、話はスムーズに進んだものを……
苦々しいとばかりに、大国の大使に睨まれて、彼は生きている心地がしなかった。
──そこに、救いの手が伸ばされる。
「日本には、確か、自衛隊が残されていましたな?」
「え?、ええ、はい」
言ってしまってから、何を口にされたのかに気がつき、青ざめた。
「お、お待ちください!、ですが自衛隊は!」
「年間予算、四兆円」
ぎくりとする。
「先日の事件は、非常事態宣言が発令されてもおかしくはなかった、そうですな?」
言い返せない。
「……日本の判断に、期待します」
──ざわざわと部屋から人が退出していく。
事務総長は、まっすぐに自らの部屋へと戻ったが、そこに人を見付けて驚いた。
「はぁい」
失礼にも彼の机に腰かけて手を振っていたのは、孫と言ってもおかしくはない年齢の少女であった。
──レイ=イエルである。
彼、アナム国連事務総長は、まったくどこからと溜め息を洩らした。
「君か」
「あたしでぇす」
にこやかに。
「荒れた?」
そこからおりなさいと叱ってから、彼は椅子に腰掛けた。
「ネルフ側の受け入れ態勢は、整っているのか?」
「モチのロンって感じで、マンガン?」
アナムは僅かに顔をしかめた。
「安いな」
「コクシムソウじゃ、みんなに敵視されるしね」
笑う彼女に、それもそうかと納得する、強大になり過ぎれば、それは弱者に連動と連合を生む、呼び水となってしまうからだ。
レイは机から下りると、窓際に寄って誰かの真似をした、後ろに手を組んで、そこから見える海原を眺める。
──国連にとって、自衛隊は目の上の瘤だった。
各国が混乱期の戦争によって多くの兵士を失ったというのに、自衛隊のみが前世紀の兵力をまるで損なうことなく存続していた。
練度は馬鹿にできるものではない。
気がつけば、自衛隊は即席兵士ばかりとなった弱小国では到底太刀打ちできない存在だとして、世界一の軍隊としての評価を頂いていた。
──それだけではない。
自衛隊が恐れられている理由の一つには、保有している武器弾薬の数のことがあった、各国の軍が戦争によって消耗して行く中、自衛隊は、戦自の発足もあって、消耗することなく武力の温存、あるいは維持に務めていたのである。
──使徒戦においても参加せずにだ。
年間予算四兆円とは、それについての指摘であった、二十世紀終盤にまで蓄えた武器弾薬のみならず、それだけの予算を与えられて、銃火器、砲弾、弾頭などの、莫大な武力兵器群を、現在も着々と蓄積し、その保有数を伸ばしているのだ。
「一国に軍が二つ存在し、一方は大人しさの反面、鋭い牙を隠し持ち、一方は狂暴ながらも、それ故に使い込み過ぎて折れ掛けている」
肩越しに振り返る。
「ミリタリーバランス、計りたいんでしょ?」
事務総長は僅かに目を細めた、これまでの流れから日本に何かしら使徒を呼び寄せるものがあるのはわかっている。
ジャパンネルフは、今のところその撃退に成功している、戦後のことを考えた時、もし、このまま勝ち進み、使徒の出現が終息したとするならばどうなるだろうか?
日本に残される軍事力は、実に凄まじいものとなる。
レイは懸念を見透かしていた。
「今のうちに、ネルフに自衛隊を組み込んどけば、日本が戦自を使ってネルフを接収しようとしても、対抗できる、それも、日本の戦力を削り合う形でね?」
他国は勝手に疲弊していく様を見守るだけで良いことになる、その後で占領するなり、保護をするなりして、国連の直轄下に置けば問題はない、それが事務総長の狙いなのだが……
彼はレイが、これ見よがしに後ろ手に持ち、ぱたんぱたんと振るようにして背中を叩いている本に対して、苛立ちを感じた。
『日本撃沈』、五年ほど前に発売された小説である、その内容は軍隊を二つも有する日本をいかに疲弊させ、国連が取り潰すかという、事務総長による占領政策のあらましを描いているものだった。
──からかっているのだろうかと思う。
そもそも、この少女には謎が多い、数年前に『隣の家』に越して来た時にも、今と同じ背丈をしていた。
何一つ、成長していないのだ。
そんな彼女が、今はネルフに関っていると言う、そしてネルフからの親書だと言って、こんな謀略を持ち掛けて来た。
どこまで信じていいものか?
だがあの山岸からも、懸念と要請が来ているとなれば、ネルフの増強はいずれ行わなければならない話ではある。
(謀とは策の読み合いと裏のかき合い、恐れてばかりでは勝てはせんか)
●
──戦利品というものは、やはり勝ち組が得る当然の権利であろう。
ネルフ本部、未使用格納庫。
使徒や怪獣の遺骸やサンプルすらも放り込んでいるこの部屋に、今は先日の戦闘後、強引に戦自から接収して来た、陸戦用高速強襲艦の残骸を収容していた。
幾つものはしけがかけられ、人が渡り歩いている、そんな中に驚喜して飛び跳ねそうになっている人物が居た。
もちろん、マッドと名高い、赤木リツコ博士であった。
「ほんと、理想に近いサンプル、ありがたいわ」
それはどうもと、上からのお声に、カヲルは答えた。
「それで、なにかわかったの?」
アスカの言葉に、はしごを降りる。
「幾つかはね」
見て?、と、持っていたノートパソコンを開いて『成果』を読ませた。
「なによこれ?」
「モノポールよ」
「モノポール!?」
「ええ、ほんと、驚いたわ……、まさか戦自にこんなものを開発する技術力があったなんてね」
それはなんだいと訊ねるカヲルに、リツコは嬉々として教えてやった。
「単極子を使って重力変動を人為的に引き起こしていたのよ、これには反重力モーターの形で搭載されていたわ、不安定、不完全と、酷いものだったけどね」
リツコは機体の張り出しに手を当てた。
「でもこの程度の磁気防壁じゃ、磁界を抑え切れていなかったんでしょうね、放射能検知器が反応を示したもの、よくコンピューターが死なずに堪えていたものね」
放射線と聞いてアスカは僅かに身を引いたが、それ以上に引きつるに値する理由が存在した。
「ちょっと待ってよ、じゃあなに?、そんな危ないものに銃弾をぶち込んだわけ?、この馬鹿は」
馬鹿と呼ばれてカヲルは前髪をふわりと払った。
次いでにこやかに口にする。
「知らないというのは、恐いことだね?」
それで許されようとする辺り、非常に許しがたい人間である。
「大丈夫よ、今は装置は死んでるし、放射線も中和したから」
「中和って……」
「でもこれでわかったでしょう?、ATフィールドで躱せなかったわけが」
「……そうね」
リツコはパタンとノートを閉じて、脇に挟んで話を続けた。
「北海道のね……、粒子加速器と同じクラスのものがあれば、重力子弾を生成して、使徒のATフィールドを撃ち抜くことが可能なんじゃないかって試算が出てるのよ」
「反重力モーターが完全だったら、そんな武器も実現できるってこと?」
「もし、搭載されていたら、今頃弐号機は……、まあ、想像したくもないことになっていたでしょうね」
そうかなぁと、アスカは懐疑的に反論した。
「それならそれで、戦自って自慢してそうだし?、こっちの対応もあんなに無造作なものにはなってなかったんじゃないの?」
ケースバイケースの言葉通り、無意味な過程だと話を戻す。
「その反重力モーターなんだけど、直せるの?」
「戦自に作れて、ネルフに作れないものはないわ……、と言いたいところだけど、難しいわね」
「でも直すんでしょ?」
「当然ね」
リツコは自信ありげに頷いた。
「それこそ、わたしの意地に賭けてもね」
「でもまあ、それ以外にも仕事はあるのよ」
場所は変わって、リツコの研究室である。
聴講者は同じくアスカとカヲル、ただし、ここでは半強制的にコーヒーの試飲が付くので、文句は出ない。
「この間のね、弐号機から取れた観測データで、面白いことがわかったの」
体はアスカたちに向けたまま、片手でキーボードを操作した。
「これよ」
「なに?」
「S2機関の正体よ」
複数のウィンドウが開かれる、初号機に、先日の異相体、そしてエネルギー数値や重力場変動値。
「これって」
「アスカにならわかるわね?」
ちらりと目を向けて、カヲルにも確認はしたのだが、カヲルはと言えば肩をすくめただけだった。
学識という面では、カヲルの知識はそう高くない。
「ヒントは、アスカも言っていたわね?、圧電効果よ」
「へ?」
「物体に圧力が掛かると、原子核と電子の距離が短くなるわ、つまり周回測度が早くなる」
「知ってる、それが時間の速さを決めるんでしょう?」
「重力の高いところと低いところでは時間の流れが違うと言うけれど、それはこれで証明できるわ」
「……巨大な重量になればなるほど、エネルギーの発生率が高くなる?」
「理論的にはね」
暴力的だとアスカは思った。
驚くべきことに、エヴァと人間で、肉体を構成している細胞の大きさは変わらないのだ。
何万倍の重量、人体よりも高い背丈、その質量体に人間と同じサイクルでエネルギーが生成されているとすれば、確かにATフィールドのような歪みが発生することも頷ける。
しかし。
「とりあえず、これで初号機がどうして電源の供給も無しに動くことができるのか、それについては説明をつけることができたけど……」
「……生身の人間サイズで使ってる奴がいるじゃない」
「そうなのよ……」
ちらりとカヲルに目をやって、ほんと、奥が深いわと溜め息を吐く。
「でもね、今は理解できなくても、必ず法には体系というものがあるはずなのよ、それさえわかれば……」
アスカは肩をすくめた、これは救いようがないなと感じたからだ。
こういう時、こういう類の人間は、悩むことにこそ快感を覚える。
身悶えして喜ぶ変態なのだ、運動することなくアドレナリンを発生させる体の作りを持っている。
アスカはカヲルを伴って部屋を出た、リツコが完全に自分の世界へと入り込んでしまったからだ。
「あ〜あ」
頭の後ろに手を組んで先を歩く。
「何かもっと面白い話が聞けると思ったのに」
「残念だったね」
カヲルの物言いは皮肉に聞こえた。
本人にそのつもりはなくとも、声の質や、抑揚が、そのように聞こえてしまうのだ。
アスカは胡乱な目を向けて口にした。
「あんたはもうちょっと、人間臭くしてみたら?」
「それは心外だね」
こんなに人間臭いのに、とカヲル。
「それとも、人間には見えないかい?」
「濃いのよ、キャラが」
「それは初めて聞く意見だねぇ」
一考の余地があるよと本気で悩んだ。
「でも」
「?」
「普通の人間は、君たちのような少女たちと暮らしていると、欲情してしまうものだからね、シンジ君に嫌われたくもないし、このくらいでちょうど好いとは思わないかい?」
それは妙な言い回しだとアスカは感じた、まるで……
「まるで自分でバランスを調節してるみたいに聞こえるんだけど?」
「そうかい?」
「疲れない?、そんな生き方」
それはとカヲルは笑い返した。
「心のどこかでブレーキをかけているなんて……、まるでいつかの君や、綾波さん、そしてシンジ君のようだからかい?」
アスカは目尻を釣り上げた。
「からかってるの?」
「そういうつもりはないよ」
すまなかったねと、素直に謝罪の意を表した。
「でもね、根本的に僕たちが別の生き物である以上、それは仕方のないことなのさ」
「どういう意味よ?」
「素直に感情を表現できるようになるには、僕はもう、大人になり過ぎているということさ」
逢魔が時、それは黄昏の時刻でもある。
街は金色に染まっていく、そしてそれはジオフロントも同じであった。
「優美よねぇ……」
ほうっと吐息を洩らして、窓の向こうの景色に惚けているのは、葛城ミサト、彼女である。
ここはラウンジのテーブルだ。
頬杖を突いて、時を過ごしていたのだが、そんな彼女の正面に、熱を計ろうとする手が伸びた。
「ちょっと……」
払いのけて、相手を睨む。
「熱でも出たのかと思って」
「あのねぇ」
ミサトはからかうなと言い返そうとして……、大学来の友人の目に、真剣なものを見て取って止めた。
本気で熱でもあるんじゃないかと、心配している目をしていたからだ。
「大丈夫よ」
「本当に?」
「ええ、ちょっと気が抜けただけ」
訝しげな視線に苦笑して、わざとらしく伸びをする。
「ほら!、海の上、それも四六時中揺られてるような場所に軟禁されてたでしょう?、帰って来て大分経つけど、まだ揺れてるような気がするのよね」
なるほどねとリツコは理解を示した。
「揺れる、っていうのは、波のせい?」
「そうよ、人工島だから、ひっくり返らないように、海の下に『重り』があるんだって、それが振り込みたいに揺れてんの、ぶ〜ら、ぶ〜らとね」
「じゃあターミナルタワーは、センターピラーなのね」
「『大黒柱』よ、まあ、あんな馬鹿げた施設、ほんと、良く作ったもんだわ」
(馬鹿さ加減じゃ、ここも好い勝負だと思うけど……)
リツコはそんなことを考えつつ、マグカップに唇を付けた。
フッと、急に照明が暗くなる、すぐにまた戻ったが……
「……またぁ?」
「みたいね」
リツコは気にしないで、コーヒーの香りで、気分を癒そうとした。
「この間の停電騒ぎでね、配電を見直してるのよ、その影響」
「にしたって、こんなに不安定なんじゃ……」
「そうね、でももう慣れたわ、みんなもそう、あなたは暫く離れてたから、気になるんでしょうけど、ここじゃこれくらいでは動じてはいられないもの」
そんなものかなぁとミサトは思う。
「危機感足りてないんじゃないのぉ?、あれのことだって」
「あれ?」
「あれよ」
顎をしゃくる、その先にあるのは、窓の外に広がっている森である。
夕暮れも終わりに差し掛かり、闇に包まれようとしていた、そんな木々の合間に、何かの光がちらついている、火線である。
「あんなのを、いつまで放っておくつもりなの?、電圧が不安定なのだって、連中の仕業かもしれないのに」
「そのためには、優秀な人材が必要なのよね」
「人材、か……」
目を伏せ気味にする、その態度に、リツコは心当たりがあり過ぎた。
「見たのね?、資料」
ミサトは小さく頷いた。
「見た……、ってのもあるけど、正直信じられなくてね」
「信じられない?」
どうしてとリツコ。
「ゴドルフィン・クリスバレイの名前は、あたしでも聞いたことがあるのよ?、NN爆弾による市街地焼却作戦に反抗して、上層部に楯突いて除隊になった、英雄だってね」
「そんなことがあったの?」
「もちろん、表沙汰にできる話じゃないから、人づての噂ってことになってるけどね」
「その後はベトナムでの活動、慈善家なの?」
「ベトナムで?」
「ええ、村の自警団の団員とか、そんな感じで働いてたみたいね」
そっかとミサトは天上を仰いだ。
「自警団かぁ……」
かつて碇シンジが訪れた村のように、ゲリラの襲撃は日常的な驚異であった。
それに対処するために、裕福な村では皆が資金を出し合って、本物の傭兵を雇っていたわけである。
ミサトが思い耽る態度を見せたのは、ゴドルフィンがそのような仕事に手を出していたことに対する、驚きゆえのことであった。
復興前の農村は、裕福と言っても知れていた、命をかけてもらうにしても、払える金額は、さほどの額には届かない。
そんななけなしの金で仕事を引き受けるような慈善家には、到底見える顔つきではなかったからだ。
なんと言っても、農村に雇われるよりも、ゲリラ側に協力した方が、実入はよほど大きいし、安全性も高い。
「そんな人が、シンジ君とねぇ……」
「どういう繋がりなんだと思う?」
ミサトはけらけらと笑って手を振った。
「案外、脅迫されてんじゃないのぉ?」
正解である。
そしてリツコは青ざめた、ミエルのことが脳裏を過ったからだ、人質、だから家が隣なのかと、なんてこと、と。
「リツコさん?、おーい、もしもーし」
目の前で手を振ってやる、それからこりゃだめだと肩をすくめ、ミサトは再び、窓の外へと視線を投じた。
●
窓の外に、下校していく生徒たちの姿が見える。
時刻はもうすぐ校門を閉める頃である、だがミエルはまだ帰る気配を持たないでいた、それは明日の授業のための予習を行っていたからである。
「クリスバレイさんは、熱心なんですねぇ」
話しかけられて、ミエルは顔を上げた。
そこには老教師が人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
ミエルは自然な動作で教科書を閉じて言葉を返した。
「言葉を教えるのは、難しいものですから」
「そうですか?」
「文法というものさえ理解できれば、後は単語を幾つ覚えられるか、それだけのものなんですが、日本語というのはその文法をあまり気にしないようで、親しみがないんですね、だからみんな面倒くさがって」
あ、だからって別にと、国語科教師を責めているわけではないと謝罪した。
「ジュニア……、中学校では学ばないレベルの、細かな文法が必要という話で、もちろんわたし自身も、母国語で話す時には、自然としたもので、そんな細かなことは気にしてなどいませんし」
「それでも日本語を学ばれているということは、おわかりなのでしょう?」
うんうんと、老教師は頷いた。
「母国語とされているから、お雇いしたのではないそうですからね、日本語を学ばれたという経験が、皆に上手く外国語を学ばせるためのコツのようなものを……、いや、これはもう言うまでもありませんな」
釈迦に説法というものですなと、彼は腰の後ろに手を組んで、遠い目をして窓の外に体を向けた。
「わたしが子供の頃には、一生外国になどには行かないから、必要ないなどと言って逃げ回ったものですよ、おかげで子供たちに何を教えようにも、説得力を持たなくて、それどころか、共感してしまう始末でして……」
「そうですか」
「はい、あの頃は……、そう、わたしは根府川に住んでましてねぇ」
「はぁ……」
続きをやりたいんだけどなぁ〜と、ペンをさ迷わせる。
彼女はまだ気がついていなかった。
彼の長話のきりのなさを。
──閑話休題。
「下級士官では、これが限界か」
とある施設の、モニタールームでの会話である。
画面には監獄らしい場所に監禁されている女性の姿が映し出されていた。
白痴めいた狂相を浮かべているのは、ネルフの人間であった、彼女は使徒戦の折りに行方不明となってしまっている人物である。
檻の中には、至るところにカメラが設置されていた、それもわかるようにである。
寝ていても、用便を足していても見られているという強迫観念に、彼女が抵抗できたのは、実に僅かな間であった。
机の上にはノートとペンが用意されている、最初は気にもとめていなかった彼女であったが、その内正気を保つためにか、日記のようなものを付け始めた。
見られたとしても、ネルフの不利益にはならないように……、最初はそう注意していたはずであったが、やがて、精神の疲弊に伴い、そんな集中力は消え去っていった。
「時間をかけたのですが」
「自白剤はこちらの質問に答えるようになるだけだからな、やむをえん」
そう言ってカメラから目を逸らす、あまりにも醜悪だったからだ。
「ひ、ひは、ふ……」
瞳孔の開き切った目、開きっぱなしの口、垂れ流される唾液、見てるんでしょうと、一目で正気を失っているとわかる様子で、カメラを覗き込んでいる。
日記の記述は、徐々に組織への不平や不満だけでなく、疑問までも明かすようになっていった、その内、分析せずには居られなくなり、そこに自らが持っている情報を書き加え、付け加えるようになってしまっていた。
完成されたものは、十分にレポートと呼べる質を備えていた、今は資料として分析班に回されている。
「それで?、上級士官についてはどうなっている」
「ガードの質が桁違いで……、それにこの手の尋問に対する訓練は積んでいるだろうと」
男は怪訝そうに目を細めた。
「……そこまで上等な組織か?」
「わかりかねます」
「ふむ」
納得したのは、どちらかわからないのであれば、難しい方向で考えるのが、妥当であると思ったからだ。
──それとは別の部屋では、映写機による上映会が催されていた。
「……」
一連の写真の後に、部屋に明かりが点けられた、合わせてプロジェクターが停止される。
狭い部屋に、十人ばかりの少年少女が詰め込まれている、パイプ椅子に座っている者、立っている者、床に座っている者、様々だった。
部屋の壁際には、いかにも教官らしいいかめしい面構えをした男たちが四人立っていた。
「霧島だな……」
「それに黒いのはムサシじゃないのか?」
場がざわつくのを待って、教官の一人が口を開いた。
「この通り、未確認だが、浅利ケイタの生存も確認された」
無事だったのかと、ほっとする気配はひとつも感じられなかった、逆に『のうのうと』と、嫌悪の波が広がっていく。
「上層部の判断により、『計画』ごと彼らの存在は抹消された、しかし、事実はこれだ!」
ダンッと、スクリーンを拳で叩く。
「この三人が外部のものと結託し、基地を、試作機ともども炎上させたのは皆の知る通りだ」
苦々しい顔つきになったのは、その事件によって、少なからず死者が出たためだった。
たとえ弾薬庫に火が回らずとも、あれだけの巨体に注入されているオイルの量は、下手な戦艦一隻を超える。
それが爆発炎上したのである。
誰かが手を押さえ、あるいは顔を手で被った、そこには酷い引きつれがあった、火傷の痕である。
その一部始終を戸の隙間から覗き見て、先の男はどうしたものかと判断に迷った。
「今は時期が悪いのだがな」
場所を離れる。
「しかし放置はできません」
「かと言って、先日の今だ、監視の目も厳しい、制限もな」
「……」
「あの三人がどのような情報を洩らしたかはわからんが、かと言って今の我々の情勢に影響するような情報は持ち合わせていないはずだ」
「はい」
「問題は身柄だな」
「身柄ですか?」
「そうだ、生き証人だろう?、連中は」
戦自が何をして来たかの、被害者である。
「切り札とまでは言わんが、ネルフ側のカードの一枚ではあるだろうな、その点は留意せんといかん」
「いっそのこと、ネルフの策謀であると噂を流しますか?」
「いいや」
彼はその案を却下した。
「あいつらが持っているらしい新しい戸籍は正規のものだということだ、法廷に持ち込まれれば負けるのは我々だ」
「はい」
アスカにカヲルに、そしてマナまでもいないとなれば、この家に残るのはシンジと二人のレイだけになる、ホリィはもちろん仕事である。
三人は並んでソファーに腰かけていたのだが、そのうちレイ=イエルが、さぁてととわざとらしい伸びをして立ち上がった。
「ちょっと、散歩に行って来る」
「あ、じゃあ、僕も」
買い物にと着いていこうとしたシンジであったが、ぐいっと腕を引っ張られて立ち上がれなかった。
「綾波?、なに?」
「だめ」
「え?」
「碇君は、マザコンなの?」
はぁ!?、っと驚く。
「なんでマザコンなんだよ?」
「だって」
ちらりとレイは『妹』を見やった。
「後ばかり追いかけて、甘えているわ」
ますます訳がわからなくなる。
「まぁまぁ」
姉想いの妹がとりなす。
「どうせみんな、帰って来るのもっと遅いんだし、ゆっくりしてればぁ?」
「なんだよ、レイまで」
しょうがないと座り直すと、ぽてんと肩に重みが掛かった、それはレイの頭だった。
「ごゆっくりぃ〜」
キシシといやらしい笑いを残して去っていく。
──そして残ったふたりは二人きり。
(なんだかなぁ……)
最近、レイの態度がおかしい気がする、なにがおかしいのかは良くわからないのだが、言動に苛立ちが見えるのだ。
ついでに水面下と言おうか、あるいは裏側と言おうか悩む場所で、何か折衝が行われている気がする。
(なんなんだろ?)
「ただいまぁ」
小さく声が聞こえ、次に歩いて来る音がした。
シンジはレイを押しのけるようにして振り返り、やって来たホリィに笑顔を見せた。
「おかえり、なんだ、早かったんだね?」
「そう?」
あっとホリィは赤くなった。
「邪魔だった?」
「そんなことないよ」
ホリィは苦笑し、鼻息を細かく吹いてしまった、レイに対して同情の視線を向ける。
何をしていたのか、されていたのか、どんなつもりで何をやっていたのか一目瞭然なのだが、生憎と片側には通じていない。
「買い物まだなんだよね……、ちょっと待っててね」
「あるもので良い、そんなにお腹空いてないから……」
「だめだよ、ホリィは疲れてる、ちゃんと元気で居てくれないと僕が困るからね」
「甘えられないから?」
「そうだよ」
ちょっと行って来ると外に出ていく。
(二人きりで居る時に甘えたら、意思表示だってことなのに)
そんな当たり前の発想がないからこそ、平気で人をママ代わりにするのかもしれないと考える、と。
「きゃっ!」
ホリィは胸を背後から搾り上げるように鷲づかみにされて酷く慌てた。
「な、なに!?」
──むにむにむにむにむに。
無表情に揉み上げる、レイ。
「これが碇君の、好みの『素敵』な『サイズ』なのね」
丹念に、真顔のままで検分している。
ホリィは確かに、これは対処に困るなぁと、振り払うことができなかった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。