「どこ行くのよ?」
ちょっとね、という言い方をカヲルはしない。
「気になるのかい?」
「別に?」
「ヤボ用さ」
意味もなく微笑する。
(気になるのなら気になると言えば良いのに、可愛いねぇ)
何か不埒なことを考えているなとジト目になったアスカであったが、やはり気になったのか、後を着いていくことにした。
そんなわけで、奥へ奥へと通路を進むカヲルに疑問を持ちつつ、アスカはとある工作室へと辿り着いたのだが……
「やってるね」
その部屋は、工作室というよりも、研究室としての体裁を整えていた。
雑多な機械が持ち込まれ、床を這うケーブルによって繋がれている、隅には用途不明の機材や部品が山積みとなっていた。
足の踏み場も無いとはこのことだろう。
そんな部屋の中央に立っているのはマナだった、プラグスーツを着て日本刀を構えている。
プラグスーツの色は白、どうやらレイの予備らしい。
「なにやってんの?」
カヲルが説明してやった。
「モーションキャプチャというやつさ」
「そういうことじゃなくてね……」
それは見ればわかると言う。
スキャンシステムらしい、二つの円環を上下平行に並べた機械の間に立って、脇に刀を引いて構えを取る。
マナは円環が像を作り出すのを待った。
「やっ!」
ケイタの操作に合わせて結像した使徒の姿に、居合に近い速度で刀を振るう。
投射を邪魔されたフォログラフが一瞬揺れた、続いて今の抜刀に対する剣速、軌道、威力などについての情報が付け加えられた。
「もう一回」
ムサシの言葉に、同じ動作をくり返す。
アスカは再びカヲルに訊ねた。
「アタシが聞きたいのはね、なんのために、こんなことをやってるのかってことなのよ」 にこにことしたまま言いごまかす。
「ひみつだよ」
「……」
「まあ、強いて言うなら、罰ゲームかな?」
ガシャン、バタンと、暴れる音に驚いた。
「なにやってんのよ?」
マナの振った剣がムサシをかすめてケイタの前にある操作板に突き立っていた。
ますます首を傾げるアスカに隠れて、カヲルは引きつる腹筋に苦しんだ。
●
「へっくしん!」
ずずっと鼻を指でこする。
「風邪引いたかなぁ?」
レイである。
夜のジオフロントの森林は、静寂からは程遠い世界となってしまっていた。
虫がうるさくてかなわない、そして耳をすませば銃声と怒号が混じる。
レイは舌打ちして歩き出した。
「まったくもう、荒らすなってのに」
その姿が見えているわけでもなかろうが、景色を一望している男が居た。
碇ゲンドウである。
「そういうことですか」
背後ではコウゾウとゲンタが、何やら話し合っていた、彼もようやくここのしきたりを理解するに至ったらしい。
「しかし、そうなると、次の人事異動では、混乱を予期して望まねばなりませんな」
ゲンタは溜め息交じりに目元を揉んだ。
──頭痛も激しい。
元が研究機関であるネルフには、多分に年功序列の精神が残されている、研究員の発明や弟子の研究を盗む教授、そんな構図が思い浮かんで頭が痛い。
師匠は弟子を妬んで彼らの功績を己のものとする、赤木リツコに代表されるような者を能力に見合った地位に就けるには、これを排除するのが得策であった。
その結果が……、職員の平均年齢の低年齢化なのである。
無能で高名な教授数人と赤木リツコ一人のどちらを取るかと訊ねられれば、そんなものは決まっていた。
「照らし合わせると、葛城ミサトの排斥と、ホーリア・クリスティンの位置付けも納得できますが……」
より若い者をいうことになると、子供ほど若い存在は無いだろう。
コウゾウはネルフの実情を明かした上で、やむなしであったと理解を求めた。
「これまでネルフは、極力日本政府との繋がりを増やさぬように、体勢を維持し続けて来たからね、どうしても人材の確保には苦慮するんだよ」
「自衛隊はともかく?」
「うむ、日本政府との繋がりを持つこと自体は、やぶさかではなかったのだがね……、戦略自衛隊を見ればわかる通り、利己権益を求める思想が強過ぎる……、それがどのような害悪をもたらすかを考えれば」
「健全さを保つために、ですか」
鎖国という言葉を思い出す。
「開国に踏み切ることにしたのは、やはり先日の事件がきっかけですか?」
「それもあるね」
「というと?」
「あの事件によって、ようやく舞台が整ったということだよ」
コウゾウが指摘したのは、国連の危機意識についてであった。
「これまでの国連軍の意識は、とても低いものだった……、だからこそネルフの存在を軽視し、蔑んでいた、違うかね?」
「その通りですな」
「だからこそ、とても協力し合える状態にはなかった、それどころかいがみ合っていたというのが本当のところだよ」
だがねと明るい展望を示す。
「先日の、弐号機輸送中に海上戦、あれによってようやく光明が見え始めたとは思わないかね?」
ゲンタはなるほどと頷いた。
「そして、これからは日本ですか」
「そうだね、戦略自衛隊はネルフの特権に執着していた、これは紛れもない事実だけにたちが悪かった、もし戦自がネルフに食い込むことになった時、どれほどの暴走を始めるか……、日本政府が戦自よりであっただけに、それこそを恐れていたんだよ」
最初は政府が便利に扱うために戦略自衛隊を創設したのかもしれなかったが、気がつけば戦自が自由に動けるようにと注文を付けて政界を動かしている。
「我々としては、一刻も早く国連軍との協力体勢を確立したいところなのだが……、その国連軍の中に戦自が組み込まれていることこそが問題なのだよ、ここで焦ってはネルフは戦自の跳梁を許すことになる」
有事の際にあって、国連軍として活動する極東方面軍の主力兵団は、何と言っても戦自なのだ。
ならば戦自をネルフに組み込もうとする流れは、むしろ自然なものだと言える。
「ネルフとしては、戦自に醜態を演じさせても、そのような再編だけは避けて通らねばならなかったと?」
「わたしは旧世代の人間だからね、彼らの非道さは目に余るよ、そして自衛隊がいかに甘く、好ましい存在であったか、今更ながらに感じるね」
ゲンドウが動いた、自分の席へと戻って来る。
「日本政府が正式に受け入れれば、国連の調印式を経て、自衛隊はネルフの預かりになる」
ゲンタはゲンドウに訊ねた。
「その扱いは?」
「別働隊だ」
ゲンドウはいつものポーズを作り、言葉少なに答えた。
「ゴドルフィンに預ける」
「彼に?」
「葛城君には荷が重いからね」
「だからと言って、他国の人間にですか?」
「ここは国連の組織だよ」
「ですが反発はあるでしょう?」
「しかしその程度の民族主義に囚われているようでは、とても『世界平和』を維持するための『正義の味方』などはできんよ、違うかね?」
そうだろう?、と問いかけられて、ゲンタには返す言葉が見つからなかった。
だから、話題を次へと移した。
「技術部については、どうお考えで?」
「技術部?」
「ええ、一口に技術部と呼称していても、その内実は使徒研究と軍事開発、他にもですが、雑多に仕事抱えています、まあ、これは使徒やエヴァが、生物とも機械とも言えないことに起因していることが、原因ではあるのでしょうが……」
言葉が上手く出て来ないのは、巧い言い回しが見つからなかったためだった。
「組織の細分化による縦割り化を避けているということは、わかりますが」
うむとコウゾウは頷いた。
「その頂点に赤木博士を置いているのは、まさにここがエヴァを運用するためだけに作られた組織だからだよ、エヴァ、それに付随する武装、装備、そして迎撃都市とその機能運用、これには統括されたデザインこそが必要でね」
「だからと言って、都市の運営管理まで行っているのはどうですか?」
これには、ゲンドウが口を挟んだ。
「それに対しては、考えている」
──翌日。
朝一番に、定例報告をと総司令の元に向かった彼女であったが、出て来た時には、誰も話しかけられないほどにまで、酷く殺気立ったものを帯びていた。
──わたしを技術部から外すと言うのですか!?
開口一番の命令に、リツコは激しく反発した。
「そうだ」
「どうして!」
「明らかなオーバーワークだからだよ、君の仕事量は君が捌ける能力の限界を越えている」
割り込んだコウゾウのなだめすかすような言葉には、リツコも口を噤まざるを得なかった。
エヴァの開発、MAGIの整備、使徒の研究、そのどれもが自分で無ければという自負がある、だが一方で、手が足りていないというのも、確かなことではあったのだ。
どれも打ち込むわけにはいかない状態に陥っている、先頭に立ちたい気持ちもある、だが、リツコにはそれが単なるわがままであると自覚できるだけの頭も持ち合わせていた。
リツコがやって来るのを待っていては、どの研究もブレーキを掛けられ、停滞してしまうことになってしまう。
自らのわがままで、組織の運営に支障が出る、そのことに関しては承知できる……、できるが、しかし。
今まで我が子のように育てて来た『ネルフ』を、今更他人の手に委ねるなど、抵抗感があり過ぎて了承できない。
そんなリツコの葛藤を見抜いてか、ゲンドウは重々しく命令した。
「これは決定事項だ」
おほんとコウゾウは咳払いした。
それでは納得できるものもしてくれなくなるぞと。
「いずれ正式な書面での通達を行うが、わたしたちの仕事は、使徒の迎撃のみではないのだよ、使徒の迎撃はチルドレンの仕事であり、君の仕事ではないということだ」
「……人類補完計画」
リツコはびくんと竦み上がった。
「老人達の言い草と同じだが、俺たちの仕事は使徒との人形遊びが全てではない」
「碇の言う通りだよ」
「その計画こそが急務であり、全てに優先される、……俺たちの代わりにやってくれるというのであれば、任せるさ」
リツコはふうっと肩から力を抜いた、ゲンドウの馴れ馴れしい言葉遣いに、己の立場を思い出したからである。
「任せて……、どうなさるのですか?」
「その間は研究に専念させてもらうさ」
リツコはそれ以上は問わず、背を向けた。
半目で見送り、コウゾウは溜め息を吐く。
「まさか、レイ無しに計画を進めることになるとはな」
洩らした吐息は、大きかった。
「問題無い、レイは所詮ダミープラグに始まる、使徒迎撃のための研究素材でしかない、使徒を倒せる戦力があるのなら、必ずしも必要な物ではない」
「レイも、エヴァすらもいらぬか」
「ああ……、俺たちは俺たちの目的を果たすだけだ、せっかく『雑務』を肩代わりしてくれるというのだ、有り難く受け入れてやるだけだ」
ゲンドウに諭されたことは理解はできたが、納得はできないことだった。
そんな状態の彼女に対して、あのぉと話しかけるチャレンジャーが現れた、彼女はその男にヤケを起こそうとして……、そのまま絶句して声を失ってしまった。
「あまり、機嫌がよろしくないようで」
「あああ、あなた!」
にこやかに握手を求めたのは、時田シロウ、彼だった。
「憂鬱だわ、ほんとうに」
発令所。
メインスタッフである日向、青葉、それに伊吹の三人も混ざり、くつろいでいた。
「リツコの方はどうなの?」
「エヴァ関係は相変わらず、それ以外の研究と開発を持っていかれることになったわ」
「それ以外って?」
「通常兵器群」
「ああ……」
でもとマヤが口を挟んだ。
「使徒に通常兵器なんて効かないのに」
「異相体相手なら通常兵器で十分だからよ、彼はそちら側の開発に携わることになったわ」
「今からですか?」
「そうよ、彼なら例の永久機関のノウハウもあるから」
ぴくんと反応するミサトである。
「あれって、エヴァに流用できるの?」
リツコはわずかにだが、考え込む素振りを見せた。
「無理……、だと思うわ」
「どうして?」
「……永久機関を積んだエヴァの暴走、さぞかし素晴らしいことになるでしょうね」
そんな風に言いごまかす。
本当のところは、魂に起因していた、自分のような人間が言い出せば、笑われてしまうだけになるだろうと、あえて口にはしなかったのである。
実のところ、リツコの頭は、それほど堅いわけではない。
巨大なエネルギーには魂が宿りやすい、そのことについて、特に否定するつもりはなかった。
そしてイレイザーエンジンには、既に魂が宿されているという。
これを聞いた時、リツコはゲンドウから聞かされた内容を思い出していた、エヴァには魂が込められていると、なら二つの魂は干渉し合うのではなかろうか?
それはわざわざ試す必要のないことである、現状でもエヴァは十分に『強い』からだ。
そしてもう一つ。
(本部の発電システムの代わりになんてことも、ぞっとするしね)
実は、現行の発電システムでは、地上都市に、本部、そしてエヴァの電源を同時に賄うことは、難しい状態にあった。
そのための、都市の戦闘形態である。
エヴァがらみの実験においてでさえも、必ず電源を確保できるよう、全ての部署に対して、スケジュールの調整を求めて来ていた。
実験を予定外の時間に行えないのには、そのような理由があったのだ。
確かに、イレイザーエンジンならば、そのような弱小発電機の代わりとしては上等であろう。
──代わりに、本部として使用している、この『巨大な物体』に、魂が宿りかねないのだが。
リツコは一人ぶるりと震えた。
それこそ論外のことだからだ。
「どうしたの?」
「なんでもないわ」
そう答える他ない。
「それより、そっちこそどうなの?」
「え?」
「子供たち、かなり勝手にやってるみたいじゃない?」
ああとミサトは頭を掻いた。
「そうなのよねぇ……、でも相手が子供じゃ、正面切ってケンカするってわけにもいかないしさぁ……」
「大人げありませんもんね」
「そうなのよ」
「でも普通の子供じゃないでしょう?」
ミサトはその言い方に違和感を抱いてか、反論した」
「子供なのよね、やってることはどうであれ」
「そう?」
「少なくとも、こちらが子供として扱ってあげている分には、子供の顔を見せてくれるわけじゃない?」
なんとか付き合い方がわかってきたようである。
「でも普通じゃないってのも確かなのよねぇ……、教えとかなきゃならないことなんて、なんにもないしさぁ」
リツコはからかうように揶揄を向けた。
「贅沢な悩みね」
「そうね……、でも色々と出てくんのよ、ほら、訓練の過程を見たり、指導したりすることで、上司と部下ってのはお互いの息とか、意思疎通をスムーズにしたり、色々と気を通じ合わせとくものでしょう?」
ミサトが言いたいのは、戦闘中に、多くの言葉で説明し合うのは無理なのだという概念であった。
それを円滑に行うためには、どうしても少ない言葉から、正確に意味合いを察することができるようにならねばならない。
こればかりは、普段からの『馴れ合い』が必要となる問題なのだ。
「いつまであたしもいられるんだか」
「こっちの問題もありますしねぇ」
端末へと手を伸ばし、操作するシゲルである、正面モニターに表示されたのは、本日より行われる予定の、特別警戒についてであった。
「新チーム、ね」
ミサトはコーヒーをすすった。
「それもシンジ君の直属で」
「その言い方には語弊があるわね」
「でも組織内に、小規模でも別働隊の存在を許すなんて、普通認められる?、時田博士のことだって……」
「問題は、本部の改変が、支部にどんな影響を与えるかでしょうね」
「支部に?」
その間にも、呼び出された情報は、自動的に次を映し出していく。
メンバー全員の、顔写真に、年齢と、名前、それに『職歴』と『履歴』の数々。
ミサトは神妙な面持ちで口にした。
「国際刑事警察機構から、問い合わせが来そうな面々よね」
「そうね、けど日本には、毒をもって毒を制すという言葉があるわ」
「モチはモチ屋?」
「そうよ」
「だからってテロリストにどんな制約が掛けられるのよ?、コントロールできると思ってんの?」
「でもATフィールドを使ったりするわけじゃないわ」
「それはそうだけど……」
「第一、『えげつなさ』じゃ、うちの諜報二課だって負けてないわよ」
それはそうかと思わず納得してしまう。
「得体の知れない連中だってわけでもないし、『普通の不穏分子』だって考えれば、それくらいは使ってみせるつもりなんでしょう?、アメリカでもハッカー対策にはハッカーを、テロリストにはテロリストを雇い入れる方針があるもの」
「それは元……、でしょう?、彼らは現役じゃない」
「それこそ現役の毒という意味では、使徒に対するエヴァって構図に当てはまることだわ」
双方、渋いものを食したような顔になる。
コントロールを受け付けないものに、同じコントロールを受け付けないものをぶつけているのだから、それは確かにそうなるだろう。
多少エヴァ側には、意思の疎通が謀れる要素が存在している、それだけが安心の根拠なのだが、実は非常に脆い根拠だということを、ミサトもちゃんとわかってはいた。
──彼らは人の姿をしている。
同じ人であるから、人間であるから、それだけが安心できる根拠であるのだ、それはあまりにも細い糸である。
そしてその繋がりを断ち切るはさみは向こうの手にある、こちらは加護を願わねばならない立場なのだ。
ぶるりと震える。
「テロリストあり、自然の驚異あり……、そんな『戦場』は、あたしたちの手には負えないか」
「だからこそ司令は、『対不正規軍』を作りたいんでしょうね」
「しかし……」
コウゾウは履歴書に目を通して、わざとらしく頭を抱えた。
「ここまで多彩に揃っていると、やたらと考え直したくなるな、何を企んでいるのやら」
あからさまな嫌味に対してか、加持は苦笑をしてみせた。
(やれやれ、リッちゃんもキレ気味だし、葛城までとなると……)
こりゃあ一度、呑みにでも誘わないと荒れるなぁと加持はケアを考えた。
──彼に責任はなくとも、彼に迷惑は回って来るのだ。
コウゾウが見ている履歴書の職業欄には、テロ歴十五年などと、ふざけた経歴が書き込まれている。
どこまで本気にしたものだか、迷うような仕様であった。
「ま、謀に関しては、今はお互い様の状態ですからね、持ちつ持たれつってことで」
「障害は取り込んでおくかね?」
「それも考えようでしょう?」
加持の言い方にも問題はあったが、コウゾウの発想もまた剣呑であった。
内に取り込むことによって、いつでも処分が付けられるように、段取りを取っておけと言うのかと口にしているのだから。
「かまわん」
「碇?」
コウゾウは会話を打ち切らせようとするゲンドウに呆気に取られた。
「良いのか?」
「好きにさせる」
ふんと鼻息を吹く。
「どうせ、今でも好きに潜って、歩き回っている、ならば許可を与えて、『目』の下を歩かせるさ」
「そう上手く行くのか?」
「実力は計る、それでかまわんな?」
「そりゃまた一体、どうやって?」
首を傾げる。
「まさか、保安部と訓練でも?」
「自信を無くされても困る」
もちろん、『うち』の保安部にである。
「もしかして、これのことか?」
コウゾウは隅に追いやっていた書類を拾い上げ、加持へと回した。
「これは?」
渡された書類を訝しげに見る。
「ジオフロントの怪、とうやつだよ」
そこに並んでいる陳情は、ジオフロント森林部の調査を求めるものだった、深夜半に出るというのだ。
──何かが。
「見た者は、大きな犬か、狼のようだったと言うがね」
「そんなものまで飼ってるんですか?」
「いいや、一応、森林に離している動物のリストを取り寄せたがね、該当する動物は居なかったよ」
「じゃあ?」
「初戦の後、難民化しかけた住民を一時的とは言え、仮設住宅を作って保護していた、その時に逃がしたかなにかした動物なのかも知れんが」
「なんです?」
「出動している治安部隊にまで被害者が出たとなると、放置はできん」
指折り数える。
「調査と、巡回、それに捕獲、まあ捕獲はともかくとして、巡回の時点で彼らの能力に査定は出せるはずだ」
「つまらない仕事をやらせる事になりますねぇ」
「くれぐれも、よろしく言っておいてくれたまえ」
また面倒ごとは俺かよと、加持はかなり嫌そうにした。
●
未確認の生物が徘徊している、それを捕まえるために得体の知れない連中を投入する。
──そこまでは良い。
しかし、これは試験である、本当に雇うに値するかどうかのチェックである。
シンジがしたような『殺人技術の披露』に比べれば、非常に穏当であるとは言え……
「任せる」
「そういうわけにはいきません」
逃げ出そうとした加持のシャツの背を掴んで引っ張り戻す。
「ユーリがやってくれれば十分だって、な?」
「その間、課長はどなたかとお楽しみですか?」
「言うようになったなぁ……」
「わたしも課長に弄ばれている一人ですから」
そういう冗談はやめてくれよと訴えた。
ユーリのファンは多いのだ、恨みを買うのは得策ではないし、『珍しく』事実無根でもあった。
「一応、大事にしてるつもりなんだけどなぁ……」
「だったら、もう少ししっかりと仕事に務めて下さい!、いつもいつも人に押し付けて……」
「『前』の職場じゃ、仕事の虫だったろう?、一応退職に追い込んだ責任があるからな、趣味を奪っちゃ悪いと思ったんだが」
「誰が仕事の虫ですか……」
ギリリと歯を噛む。
確かに、潜入、調査、工作が主な仕事のこの男の助手としては、自分は非常に有用だろう。
周囲の空間をねじ曲げることで姿を消せる、空間の捻じれを纏っておくことで、狙撃などの不意打ちに対しても防御を張れる。
揚げ句、罠にはめられたとしても、どこへだって脱出できる。
そんな具合にとても便利な能力なのだが、この男は何故だか利用してはくれない、ただ助手としてどこに連れていこうとも死にはしないから便利だという程度の扱いである。
(その気になって、命令してくれればいいのに)
そうすれば余計な苦労は減るのにと恨む、潜入するにしても段取りを踏む必要がなくなる能力だ。
なのに、普通に段取りを組んで、普通の手順を踏まされ、その揚げ句に、いつも無茶苦茶な状態になって、ほうほうの体で逃げ出さねばならないことになる。
その上、この男はそれを楽しんでいるようだから始末に負えない。
仕事が趣味だと明言されるのは不服であった、仕事の虫にならざるを得ないのだ、後始末に手間の掛かる事態ばかり引き起こしてくれるから。
(それに……)
どんなに死んでしまったんじゃないかと案じ、どんなに心配しても、いつもけろっとした顔で戻って来る、現れる。
何か特別な能力でも持っているのではないかと疑っているのだが……
「ま、そんなわけでして」
加持とユーリが訊ねたのは、ゴドルフィンに与えられたオフィスであった。
非常に事務的な空間なのだが、応接用のソファーにはハロルドが転がって煙草をくゆらせ、部屋の隅ではパイロンが上半身裸で青竜刀を振り、稽古している。
(和洋折衷、違うな……)
加持がそんなことを思い浮かべたのも、仕方のない光景だった。
──火線が走る。
「どうだ、連絡は」
「だめです、この無線機、なにか特殊なプロテクトが掛かってて……」
「くそっ!」
毒づき、吐き捨て、男は地面を蹴り付けた。
ネルフ職員の制服を着ているのだが、その連れ合いの出で立ちは異常であった。
黒一色で、防弾ベストや、怪しげなナイフ、銃器をぶら下げている。
彼らはネルフに潜入してる工作員だった。
「まったく!、どこの組織の連中だか知らんが、こっちに逃げ込みやがって、おかげで俺のことまでバレちまった!」
「どうしますか?」
「どうもこうも……」
チッと舌打ちをして吐き捨てる、隠れている木陰から様子を覗き見れば、まだ気がつかれてはいないようだが、確実に包囲網が狭まってきている雰囲気があった。
彼は苔むした地肌の上にどっかりと座った。
(これでは、潜入した意味が無い、無駄死にじゃないか……)
投降するかという考えが脳裏をちらつく。
彼らの目的は、ネルフ本部の構造を把握し、それらをまとめたデータを持ち返ることにあった、そのために避難民のふりをしてまで潜入したのだ。
それが、偶発的な事態によって、確保していた退路を失う羽目になってしまった。
(くっ)
鼻の良い人間が居たのだろう、こちらが準備していた抜け穴に気がついた者が居た、そしてそこから逃げ出した。
焦りからか、ネルフに見つかるような痕跡を残してである。
せめてデータだけはと届けようとし、外との連絡をつけるため、無線機を手に入れたのだが、これもまた何故だかどのチャンネルにも繋がらなかった。
繋がったと思い、一言二言交わした途端にノイズが混じって、通話できなくなってしまうのだ。
……彼らは知らなかったが、これはMAGIによる仕業であった。
本部内は基本的に無線機の使用が不可能な作りになっている、彼らが無線機だと思い込んでいるそれは、中継器を必要とする通信機に過ぎない、携帯電話と同じである。
ただ、多数の機能を付加したために、少しばかり大型に、そして無線機らしいデザインに纏まっている、それだけだった。
「連中、向こうに行けば良いものを、いつまでもネルフを連れて……」
その考えもまた、間違ったものだった、彼らは他の組織の者が逃げ惑い、追っ手を引きつれて『偶然』にも寄って来るのだと思い込んでいたが、そうではない。
彼らが扱っている通信機の異常通話をMAGIが関知し、それを保安部に報告しているのである、追っ手はその情報を頼りに包囲網を布いていた。
彼らこそが、敵を引き込んでいるのである。
「なんとか囲みを抜けて、地下湖に出るぞ」
「人工湖にですか?」
「湖岸の泥の中に隠したものに手を付ける」
人工湖の湖底は、四角錐を描く形で沈んでいる、その面は鉄鋼板によって固められていたが、湖の縁はそうでもない。
森の土砂が波に削られ、自然にぬかるんでいるのである。
彼らはそんな泥の中にも、ネルフ内部で盗んだものを隠していた、銃器や、制服、IDカードなどである。
「それから、なんとしてでも工廠を押える、あそこならここから抜け出すために必要な道具が、何かしら転がっているはずだからな」
そう……
工廠とは、通常、武器、弾薬を製造する工場のことであるが、なにしろここはネルフである。
先日の、破砕ドリルや自家発電用のエヴァサイズ自転車などを省みた時、開発担当主任が一体どんなものを隠しているか?
それはいわずもがななことであった。
「反重力モーター、か……」
そして、そんな連中による危機が迫っているとも知らずに、ミサトはリツコに付き添い、それを見上げていた。
「ものになるの?」
「アスカたちも似たようなことを気にしていたわ」
ミサトは酷く顔をしかめた。
これ以上、力を持たれてはかなわないと思ったのかもしれない、リツコはそんな心中を見越して、忠告した。
「やめておきなさい」
「え?」
「対抗しようとするだけ無駄よ」
「ちょ、ちょっとなに言ってんのよ」
「それより、お願いがあるのよ」
ミサトは非常に嫌な予感を抱きつつ訊ねた。
「なによ、あらたまって……」
リツコは顔を見ずに頼み込んだ。
「戦自にね、おどしをかけて欲しいのよ」
「戦自に?」
「ええ」
リツコは理由を説明した。
「これをね、修復したいんだけど……、どうにもね、元通りとは行きそうにないのよ」
「設計図……、取って来いっての?」
「そうよ」
あちゃーっとミサト。
「そんなの、なんとかしなさいよ」
「もちろん、なんとでもできるわ、けどね?、それだとわたしのオリジナルになってしまうでしょう?、わたしは検証したいのよ、戦自の組んだシステムにどんな欠陥があったのか、そのために一度、戦自オリジナルのマシンとして修復したいの」
気持ちはわかるが、でもやっぱりなぁと、ミサトはしぶった。
「戦自とはさぁ、今までも何回か交渉してるけど、知ってるでしょう?、ろくな連中じゃないのよね、あっからさまに見下してくれちゃって、コンセントに繋がないといけない決戦兵器なんて、欠陥兵器の間違いじゃないかとか、あたしみたいな女がトップじゃたかがしれてるだとか」
「……まともに取り合わず、言葉尻を捉まえては、人格を攻撃し、呆れた風を装って勝ち誇り、適当なところで切り上げる、常道手段でしょ?」
「そうなんだけどさぁ……」
「わかっているなら、無視することよ」
「でもねぇ……」
「あなたはすぐに熱くなって、よけいなことを口走るから、言質を取られて、よけいにからかわれることになるのよ、相手は自慢できる経験をなにも持たない、他人を引き合いに出すことでしか気を引けないような連中なんだから、かまってやる必要はないわ」
そうでしょう?、とリツコは言う。
「特に戦自なんてそうじゃない?、初めは自衛隊を引き合いに出して政府に媚びて、それからはネルフを貶めることで偉ぶって、今度はきっとあれは政府が足を引っ張たからだとか、政府は同調するべきだったとか、懸命に批判の言葉を並べてるんじゃない?、それが弁解になると本気に信じてね」
確かに、責任については言及せずに、ひたすら周囲の不理解を詰って、成否についての原因だけを訴えている姿が思い浮かんだ。
成功していた場合の利益、逃した魚の大きさを伝えることで、あれは政府の判断ミスだと、必死に論点をすり替えようとしているだろう。
「事務的に対応して、事務的に応対して……、それが一番楽に済む方法なんだから」
だが、ミサトはでもやっぱりと、大声を張り上げて訴えた。
「それがわかってても、会合となると腹が立っちゃってどうしようもなくなっちゃうのよ!、特にバーコード頭に、にやけたセクハラまがいの視線を向けられてるとね!」
リツコはミサトの胸を見て、まあ、そんなものかと納得しておくことにした、それだけのものだ、男でなくとも目くらいは奪われてしまうだろう。
しかし、リツコはミサトの男性遍歴が、後にも先にも加持リョウジだた一人だけで終わっていることを知っていた。
その別れが酷いものであったのか、それ以降、男性と深い付き合いになろうとはしなかったミサトであるとも知っている、さっぱりとした気質と無防備さは、男性にとっては勘違いの元となる雰囲気になる、アプローチは多かっただろう、だが結局、ミサトは誰とも付き合わなかった。
──怖じ気づいてしまうのだ、とリツコは見ている。
理由までは、わからないのだが。
(たぶん、その原因は加持くんにあるんでしょうけどね)
上の空で、会話を続ける。
「セカンドインパクトの影響がここにもってことなんじゃない?、女の人たちがなんとか生き延びようとして、体を売ったり、媚を売って男を垂らし込んだりしたから、男も勘違いして、女性を蔑視するような馬鹿が増えた……」
「辛辣ね、珍しく……」
「母さんがね、よく言ってから」
「?」
「女の科学者なんてって、妬まれて、大変だったって……、司令に拾われなかったら、さっさと科学者なんてやめていたって、言ってたわ」
へぇっとミサトは驚いた。
「あのおばさんがねぇ……」
「生まれた時から科学者だったって感じだったけど、あれでも人間だったってことね」
おやっとミサトは気がついた、リツコの言葉にある刺にである。
それもそのはずで、リツコが思い出しているのは、完成されたばかりの、まだ灯も入っていない発令所で、母が男をたらしこんでいる姿だったからである。
その相手が、総司令ともなれば、なおさらのことだ。
「わたしだってそうね、ここでなければ、真面目に科学者になろうだなんて、思ってなかったかもしれないわ……、ろくなものじゃないもの、予算の突き上げに、研究成果の強制、マヤがその口だったわ、予算枠を広げるために、研究から得られたデータを元に、副産物を作って、それを研究成果の一部だとして発表して……、ろくに『本題』には打ち込めなかったって」
「あのマヤちゃんがねぇ……」
感嘆する。
「凄いのね、マヤちゃん」
「ええ、その時の特許料だけでも、年に何億と貰ってるはずだから」
「マジ!?」
「わたしよりよっぽどお金持ちよ」
はははとミサトは乾いた笑いを洩らした。
「宮仕えの悲しさね」
「マヤもなにが楽しくてネルフに留まっているんだか……」
憂いを湛える、そんなリツコに、ミサトはあんたがいるからじゃないのと思った。
それだけの額を手にしているのなら、後は何に潤いを求めるかだろう、尊敬できる師、楽しい職場、仲間たち……
(うらやましいかな?)
ミサトはちょっとだけ恨めしく思った、そんなマヤを。
自分には、その内の何割があるだろうかと考えて、鬱になり、それじゃあ交渉やっとくわ、と、リツコに一声かけて、退出した。
救いは、リツコ自身が、そんなマヤの心情に気付かず、自分と同じ孤独の中に居ることかもしれない。
リツコの研究は、ネルフとしての開発となり、その生産物の全てが、秘匿対象となってしまって、下手をすると未来永劫、赤木の名と共に表に出ることはないかもしれない。
宮仕えの悲しさとは、そのようなことからくる、懐具合への皮肉であった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。