「それじゃあ、帰ろうか」
 誘う言葉に、少々緊張気味にはいと答える。
 身が強ばるのも仕方のないことだった。
「……うう」
 離れた席から、殺意の篭った視線を感じる、その主は誰かと言えばレイだった。
 あの、とマユミは訴えた。
「その……、もう、大丈夫ですから」
「だめだよ」
 子供に言い聞かせるように念を入れる。
「良い?、そりゃ……、山岸さんは『ああいうこと』は慣れてるのかもしれないけど、でもきっと慣れちゃいけないこともあるはずだよ、今度は大丈夫だったけど、次はどうなるかわからない、そうでしょう?」
「はぁ……」
「それに」
 声を潜める。
「今までと違って、直接関係のない山岸さんに狙いをつけて来たんだ、恐いんだよ、山岸さんはネルフとは直接関係ないけど、でもネルフに入り込むための道具としては役に立つって気がつかれたんだよ、これからはもっと危なくなるかもしれないじゃないか」
 本当に、と胸を反らして息を吐く。
「情けない奴らだよね、汚い真似をしようっていうなら、それはそれで、もっと自慢できるようにすれば良いのに」
「……」
「大丈夫、もうあんな目に合わせたりしない……、なんて言い切れないけどさ、それでももう大丈夫だって確認が取れるまでは、僕が守るから」
 義務感に燃えてくれるのは嬉しいのだが、生真面目に、真剣になってくれればくれるほど、マユミとしてはとても心苦しかった。
(これは……、本当のことなんて、とても)
 言える雰囲気ではなくなってしまっている。
 はぁっと溜め息がつい漏れる、脳裏に浮かぶのは泣きついて来た二人のことだ。
 お願いだからどうか秘密にと泣き出しそうだったのは、ムサシとケイタの二人であった。
 マナは最後まであたしじゃないもんと言い張っていたから、同情の余地はないかもしれない、しかしムサシとケイタについては、明らかにマナのお目付役としての気苦労が垣間見えて、同情心が抜けなかった。
 ──けれど。
「でも、綾波さんが……」
「ああ、綾波なら」
 ざっくりと斬る。
「今日はネルフだから」
 マユミはううっと心臓を押えた、一層レイから放たれて来るプレッシャーが増したからだ。
 だが現実には、マユミが感じているものは錯覚であった、レイがそれを向けている相手はシンジであってマユミではない。
(どうして、そういうこと言うの?)
 わたしも女の子なのにとか思ってみるが、虚しいので放棄した。
(普通でないと、だめなのね)
 一応、自分が普通でないことは自覚しているらしい。
 深い意味ではなく、表層的な性格的にだ。
 一方、シンジもシンジで、必死であった。
(ごめんね、山岸さん)
 心の中で両手を合わせる。
 レイに対しては、おかしな様子に、いい加減、付き合い切れなくなって来たというのが本音であった。
「さ、行こう?」
「はい……」
 渋々、根負けして立ち上がる、と……
「おう、なんや碇ぃ、今日もラブラブやなぁ」
「やってらんないよな、ったく!」
 ひゅーひゅーと口笛が鳴り、女子からも冷やかしの拍手が送られる。
 その向こうで、メラメラと立ち上るものがあって……
 シンジは思わず、マユミの手を引いて、そそくさと逃げ出した。




「ほんとにバカね」
 アスカの解答は辛辣であった。
「なんだよバカって」
「だからあんたはバカなのよ」
 ぐぅの音も出ないシンジである。
 まぁまぁと取り成したのはマユミであった。
「碇君は悪くありませんから」
 これに対しても毒を吐く。
「アンタばかぁ?、こいつが悪くなかったら、一体誰が悪いってのよ、誰が」
 人差し指で額を小突かれ、マユミはあうあうと痛がった。
「痛いですぅ」
「だったら下らないことは言わない!」
 まったくと腰に手を当てる。
 ──校門を出たふたりを待っていたのはアスカであった。
「大体ねぇ!、冷静に考えたらこんな奴は女の敵よ!、放っておいたらいつかは誰かに刺されることになるに決まってるんだから、誰かが教育してやんないといけないのよ!」
「刺されるって……」
 引きつり笑い、否定できない自分が悲しい。
「あのねぇ……」
 アスカは内緒話でもするのか声を潜めた。
「ちょっとさ、あんたの将来について、急に不安になったもんだからね」
「将来?」
「そうよ、渚にね……、言われたのよ」
 アスカは昨日、帰宅途中に、カヲルと交わした会話について、語り始めた。


 ──この頃、綾波さんの様子が変なのに、気がついているかい?
 アスカは隣を歩くカヲルの横顔に目を向けた、切れ長に細めて。
「あいつが変なのは昔からのことじゃない」
 そうじゃなくてねとカヲルは苦笑した。
「どうもね……、この間、シンジ君とふたりで戦った時に、何かあったらしいんだよ」
 興味があるからか、アスカは訊ねた。
「なにかって?、なにが?」
「さあ?、そこまでは」
 でもねと口を挟まれる前にカヲルは続けた。
「それは彼女にとって、なにか特別な出来事だったらしいよ、それで急にシンジ君を意識し始めた」
「意識ねぇ……」
 シタかな?、と下劣に考える。
「そのために、今まで『前』の延長上に置いていた距離感が崩れたらしいんだよ、お互い必要な時には触れ合い、必要で無い時には間を計り合っていた、それがここに来て、シンジ君のことが気になり始めた……、そこで必死に気を引こうとしている」
 アスカは最後の部分に目を丸くした。
「あいつが?」
「どういう心境の変化なんだろうね?、実に興味深いことだとは思わないかい?」


 シンジは聞かされた話から推察して、あ〜〜〜、っと心当たりに頭を痛めた。
 すかさずアスカが追及を始める。
「なによ?、やっぱりあんた……」
「ちょっと待ってよ」
 えっとねと慌てて弁解を始める。
「大したことじゃないんだよ、急いでたからズルしただけで……」
「ズル?」
 マユミが居るのだが、まあいいかと口にする。
「使徒が来たでしょ?、それで急がなきゃってさ……、日向さんが『通るはずだった』通路を見付けて、車で乗り付けたんだよ」
「そういう、『前』の知識を使ったってことね?」
 うんと頷くシンジに違和感を感じたものの、アスカは言及しなかった。
 シンジは『前』という表現を使わない、だが確実に『あのシンジ』でなければできない物言いもする。
 そのあたりが微妙なのだ。
「あいつ、それでじゃない?、あんたに親近感が沸いて、懐いちゃったとか……」
「そんな気がする……」
「あんたはどうなの?」
 え!?、っと振られてマユミは驚いた。
「わたしですか?」
 そうよと頷く。
「あんただってさ、シンジが『シンジ』だから、警戒心を解いてるんじゃないの?」
 マユミは、それはと言い篭った。
 それについては、シンジやもう一人のレイから、釘をさされていたからだ、シンジはシンジであっても、『あのシンジ』ではないのだと。
「そうかもしれませんけど……」
 マユミは気付かなかった、アスカがそのことについて知らないことに。
「でも、だからと言って、わたしは碇君の気を引こうだなんて考えてません」
「ま、その辺の議論は置いておくとして」
 あうっとマユミ。
「あいつって、恐いのよね、表情に出さないからなに考えてんだかわかんないし、突飛なことをしそうだし」
 もうしてるよと、疲れ気味にシンジ。
「それに……、『前』、『前』っていうのも、ちょっと危険だなって気がして来てるのよね」
「え?」
「だってそうじゃない?」
 アスカは良い?、っと指を立てて突き付けた。
「この間の戦闘、ATフィールドの有力性を無視できる品なんてものが持ち出されて来たじゃない」
「うん……」
「それから人間離れした化け物みたいなのも出て来てる」
「うん」
「それに異相体だとか……、考えたんだけど、苦戦の度合って意味じゃ、そんなに変わってないのよね」
「え?」
 驚くシンジの目を覗き込む。
「考えてみて?、人並外れてるあんたたちに合わせるみたいに、変なのが沸いて来てる、超能力者なんてそうでしょう?、エヴァ相手には異相体に戦自のような兵器、苦労のレベルが全体的に底上げされてるって気がして仕方がないのよ」
「底上げ?」
「そう、底上げ……、あんたが強くなった分だけ周りも強く設定されてる……、そうすれば『出来事』や『事象』、『歴史』に多少の食い違いが生まれても、兼ね合いって意味じゃ、釣り合いが取れてるってことになるとは思わない?」
 シンジはふうむと考え込んだ。
「余裕があるように見える僕たちだけど、色々な事件に邪魔されて、結局『正史』と同じくらいの苦労をしてるってこと?」
「その結果、同じような『過ち』に踏み込んでいくとしたら?」
「まさか!」
「まだそういう気がするってだけなんだけどね……」
 それでもとアスカは注意を促した。
「異相体、あれも気になるのよ、最初は使徒の次に出て来ていたのに、段々とその時期が遅くなって、今じゃ使徒と同時に出て来てる、このままじゃ……」
 はたと気がつく。
「まさか、今度は使徒が先に出て来るって言うの?」
「わかんないわよ」
 肩をすくめる。
「でも、そういう可能性もあると思う……、次に来るのは異相体だなんて決め付けるのは良くないと思うのよね、どんな苦労を背負わせるために、どんな邪魔が入るのかもわからないし」
 ああそうかと、シンジは気付いた。
「それでアスカ、山岸さんを迎えに来たんだ?」
「ま、そういうことなのよね」
 マユミもまた、アキレス腱の一つではある。
 そして、アスカの懸念は、まだ他にも広がっていた。
(あの時の奴……)
 暗闇の中に唐突に現れた符術士のことである。
(あれから手を出して来ないし)
 気になるのだ、あの敵だけが、全体の中で脈絡が無く、唐突だった。
 何か目的が違うのかもしれない、使徒だ異相体だとそればかりに気を取られていると、どこで足元をすくわれることになるかわからない。
 それがアスカに、微妙な緊張を強いていた。




 暗闇の中に浮かび上がるのは白い裸体だ。
 足元に脱ぎ散らかしていた検査服を拾い上げ、綾波レイは体に羽織った。
 ──ネルフの地下施設。
 最深部。
 水槽のある、プラントである。
 久しぶりに訪れたのだが、自らの手で壊した自分と同じ形をしたものは、今も同じ形のままで漂っていた。
 彼女たちには、生命の実も、知恵の実もない。
 それ故に死は終わりであり、終わりの時よりもはや変化をすることはない。
「しかし、この光景には、眩暈を覚えさせられますな」
 言ったのは、禿げ気味の頭をしている男であった、時田である。
「ここには生命に対する、尊厳や謙虚さといったものが感じられない」
 振り返った時田の顔を、レイは酷く睨み付けた。
「協力に、感謝しますよ」
 しかし時田は動じない、それどころかレイを無視して、その向こうに居る碇ゲンドウへと謝辞を述べた。
「いくら『彼』の許可を取り付けたとは言え、本当に使用させて頂けるとは思いませんでしたよ」
 そんな興奮気味の言葉に対するゲンドウの返事は簡素であった。
「君の行動には、監視が付く」
 一方的に通達する。
「ネルフ施設、A級指定以下の区画への『外出』も禁止される」
「重々、承知しています」
「なぜ……」
 無視をするなと、レイは喚いた。
「あなたは、なにをしようとしているの?」
 おやっと、時田は怪訝に思い、訊ね返した。
「君は聞いていないのかな?、彼から、シンジ君から」
「碇君?」
 そうかと頷き、時田は親しい子供に接するように、優しく伝えた。
「大丈夫、悪いことはしないよ……、そうでなければあの子たちが許してくれるはずがない、違うかな?」
 レイは悔しげに口篭ってしまった。
 そうねと無条件に同意することができなかったからである、こちらの世界でシンジたちが何をするために、何を成して来たのか?、そんな動向を良くは知らない。
 そのために、無条件で信頼、信用することができずにいる。
 ──この男は自分よりも、遥かにシンジに近い場所に居る。
 そのことが嫉妬となって表に出てしまった。
「僕はね」
 そんなレイの鬱屈に気付くことなく、時田は続けた。
「子供が欲しかったんだ」
「子供?」
「ああ、でもね……」
 自分を笑う。
「『汚染』でね、不適合の烙印を押されたよ、わたしは子供を作ってはならない人間なんだ」
 セカンドインパクトによる二次災害で受けた病気により、出来る子供には100%障害が発生することがわかっている。
「でもね、子供が欲しくてたまらなかった」
 レイは睨んだ。
「ここで、子を作るというの?」
「ああ」
「それは、ものではないの?」
「君はものかな?」
「あなたは、利用するために作ろうとしている、ならその子はものだわ」
 確かにと、ここで時田は引き下がった。
「そのことについては、否定はしないよ」
「……」
「ただね」
 目に力を込めて訴えた。
「わたしはセカンドインパクトの地獄の中で、人の命など一山幾らなのだと思い知らされたんだよ、人の価値など無に等しい、答えられるかな?、なら億単位の金をかけて生み出された君の価値とは、いかなるものか?」
「……」
「存在における価値の定義などは、所詮誰かに必要とされる存在であるか否かだよ、違うかい?」
 否定できない言葉である。
「僕としては、なるべく多くの子供たちを作るつもりだよ、その中で一人でも僕のやることに興味を抱いて、協力してくれたなら十分だ、後の子たちは好きにすれば良い、生まれなんて関係ない、どう生まれようと、生み出されようと、自由に生きられるだけのものをわたしは与えるつもりだよ」
「それが人に嫌われる理由になるものだとしても?」
「生み出した者に罪はあれど、産み落とされた子に罪はない、違うかな?、事は倫理の問題であって道理じゃない、ならばわたしがわたしの子供を生殖以外の方法で作ったとしてもかまわないだろう?」
「……」
「『存在』との関係はどう接するかであってどう扱うかではない、これは君の妹君の言葉だけどね、少なくとも君のパーツであったような、意思のない物体を量産するつもりはないよ、それでは誰もが扱うことしかできないからね、接してやるためには、せめて意思表示ができるだけの自立した精神が備わっているように作ってやる必要がある」
 レイは目を丸くした。
「魂を……、与えるというの?」
「わたしの持論でね、『巨大なエネルギーには意志が宿る』、そう、生命の可能性を追い求めれば、自ずと結果は知れて来る、そうだろう?」
 ──知恵と生命の、ふたつの実。
 レイはそこに行きついて、頷いた。
 時田のやろうとしていることが見えたからだ、自分にあって、彼女たちにないもの、それは実と呼ばれるものである。
 知恵の実によって生きる人間は、死した後に肉の体に崩壊現象が訪れる、だがだからと言って、魂の消滅には至らない。
 それはガフの部屋と呼ばれる魂の外郭を持ちえているからである、知恵の実によって得ている精神と呼ばれる心は魂を形成し、次の器へと宿り、育つ。
 心を持つ魂は、いつまでも永続して存在できるものなのだ。
 ところが使徒は違う、生命の実は圧倒的な存在力場を与えてくれるが、それは持ち主の『意識』が途切れたところで消滅するものなのだ、力の発生には、意思の存在が不可欠だからである。
 意思、それが心の形を決定づける、そしてATフィールドが形状を確定させる。
 意識が失われた時、心の形を思い浮かべる者はなくなる、だからこそ、使徒は死ぬ。
 魂同等のものは、崩壊を免れない。
 ゲンドウとレイは、まだ少しシステムを弄りたいという時田を置いて外に出た。
「いいのか?」
 ようやく、ゲンドウは口を開いた。
「奴の言うことには、一理あるが、奴の言葉は南極でセカンドインパクトを引き起こした連中の物言いとなんら変わることはない、独善的で、自らの行いに酔っているだけの戯れ言だ」
「……」
「シンジが許しているからか?」
 レイはかぶりを振った。
「否定する、否定できるものが、見つかりません……」
「そうか……」
 先に前に出て歩き出す、そして着いて来ていることを疑いもせずに口を開いた。
「来週から、南極に出かける」
「南極……」
「ああ、シナリオを修正したために必要性は低くなったが、それでも押さえておいて損は無いものがそこにある」
 ロンギヌスの槍のことかとレイは思い至った。
「……」
「なんだ?」
「……こんな時にと、思いました」
 ゲンドウもまた、レイと同じく、思考にはまった。
 確かに、色々と動き始めている、目を配っておかなければならないことも多く生まれている。
 それでもとゲンドウは口にした。
「レイ」
「はい」
「あのプラントのことは話したはずだ、あれはわたしのものではない、ユイのものだ」
「……」
「エヴァンゲリオンが無垢な素体であることはわかっていた、その細胞が生物を取り込むことによって変質することもな……、その理論を元にして零号機と初号機にはユイのクローンである『お前たち』がインストールされた」
 レイははいと頷いた、こだわりはない、それどころか、この点に関しては、ゲンドウの話は嘘ではないと信用していた。
 あのプラントは、碇ユイの死亡後に、自分を使ってゲンドウが作ったのだということになっている、冬月コウゾウでさえもそう思っている。
 だが真実は違っていた、生前の妻の名誉を守るために、ゲンドウが一人で泥を被る道を選んだのだ。
 この男が。
「3号機は全てを発展させ、機械的な手法で塩基配列の焼き付けを行って製造したものだ、『素材』が変質してエヴァになったものではない、元々エヴァとして作られた」
 それ故に、ATフィールドの発生については不安定なのだと口にした、欠陥品なのだ、3号機は。
「DNAパターンの酷似こそがパイロットである資質になる、塩基配列の相似による誤認識がシンクロシステムのキーだ、だが、ユイの考えは失敗に終わった」
 自分のクローンを搭載することでシンクロできると踏んだのだが、現実には取り込まれて死んでしまった。
「エヴァは、いや、『アダム』は生物を取り込むことによって、不確定な高次元での形状を、三次元界に存在できる状態へと落とし、降臨とする、だが高い次元では物的な存在も霊的な存在も融合し、合一化しているものだ、足りなかったのだな、肉体だけでは、生贄とするものには魂もまた必要だった、それに気付いたのは初号機からユイを引き剥がせないかと、もがいた後になったのだが……」
 話が逸れたなと元に戻した。
「ともかく、初号機がユイを手放さぬのは、己を構成する不可欠な素材として固執しているからだ、だからこそ俺はダミーシステムの開発に着手した、魂のデジタル化に成功すれば、ユイと入れ替えることができたからな」
 ダミーシステム、レイはその単語に口を開いた。
「あの人に任せるのですか?」
「ダミーシステムでは、『お前』は救えん」
 レイはゲンドウの物言いが変わっていることに気がついた。
 自分を自分として見てくれている、瞳もだ、ユイの影を見ようとしていないと感じられた。
「肉体のみでは足りなかった、魂の形質もまた必要だった、それ故にユイは取り込まれた……、わたしは鬼か悪魔かもしれんな、あの男の研究が成果をあげれば、ユイの代わりの生贄にできるかもしれんなと考えている」
 そうなれば。
「不要となったユイを、初号機は吐き出してくれるかもしれん」
 レイは訊ねた。
「それがあなたの望みですか?」
「そうだ」
 わざとユイの物言いを真似たのだが、それも今のゲンドウには通じなかった。
「神は初めから存在したわけではない、神は人が想像したものだ、人が神に形を与えたのだ、元は無形であったものが、人の思念に誘われた、これはATフィールドが答えになる」
 何万、何億の人間の共通した『知恵の実』による力が、神に神の姿を焼き付けたのだと言う。
「エヴァからユイを取り戻そうとした、ところが出て来たものはお前だった、ユイは『お前たち』には罪悪感を抱いていた、自分が如何に悪人であるかとな」
 レイは驚いた顔をした。
 そんな話は、今、初めて聞いたからだ。
「その想念が形となったものがお前だったのかもしれん、俺はそう思ったが、結局、お前にはユイを見ることしかできなかった、揚げ句、『一人目』が死んだ時、やはり俺には歪んだ扱いしかできないのだなと恐くなった」
 それゆえに、一人で暮らせと手放した。
「俺が人類補完計画にこだわっていたのは、それ以外に、再びユイに逢う方法が無いのだと思い込んでしまったからだが、今になって、他に道が見えるとはな……」
 皮肉なものだと、口元を歪める。
 自嘲の笑みを、浮かべてしまう。
「レイ……」
「はい」
「俺にはやることがある、お前はお前で、好きな道を行け」
 レイには、去っていく背中に、はいと答えることしかできなかった。
 先程の、時田の言葉が、胸にでも響いたのだろうかと怪訝に思う。
 ──存在との関係は、どう接するかであって、どう扱うかではない。
 だがあの様子では、まだ胸の内に沢山の秘密を隠し持っていそうだと、レイは素直には受け取らなかった。


 ──綾波レイは、碇ゲンドウの心中を知った、しかし、知ったところで、今更であった。
 もう人の後に着いて回るのはやめたのだ、人の手伝いをすることで、生きているのだと錯覚することもやめたのだ。
 やめた……、というよりは、できなくなったが正しいのかもしれない、レイもまた『あの』レイであり、それと同時に、この世界で生まれ育ったレイでもある。
 生まれから来る卑屈さを現した部屋、気怠さから自分に相応しいと飾りたてたくすんだ住居。
 あの部屋を捨て、今の邸宅へと移り住んだ時に、昔の綾波レイは死んだのだ。
「まあ、いろいろと思い悩むことは多いよ」
 ネルフ本部、ピラミッド、その『外壁』の最も高い場所に、渚カヲルは腰かけていた。
「そう……」
 その隣には、綾波レイが立っている。
 制服のスカートが、膝に引っ掛かるようにしてたなびいていた、めくれ上がってしまわないのは、何かしら、裏技のようなものを駆使しているからなのかもしれない。
「けどね、僕の生は、非常に短いものだった……、それだけ今と『他』とのギャップは小さい、君の悩みはわかるけれど、果たして君の知る二人の碇ゲンドウの内心がどの程度一致しているかとなると、それは問題としては難しいよ」
 だってそうだろうと問いかけた。
「この世界は、シンジ君がシンジ君なりに、似たような展開となるよう選りすぐった世界なんだよ、表面上は碇司令のやることに大差はないだろうね、だけど、その内実については、見えはしない」
 実は見えない部分での差違は、非常に大きいのかもしれないと指摘する。
「案外、僕たちが目指すべき点はそこにあるのかもしれない、同じであってはならない、それでは結末も同じになるから、でも違いはある、修正が利かないほどの変化を起こさなければならないのだとすれば、表層ではない、内奥を揺り動かさねばならないんじゃないかな?」
 手を持ち上げて、指を差す。
「あれも、そう言った内の一つだよ」


「それじゃあ、点呼を取るぞ」
 ゴドルフィンは、それぞれ勝手にくつろいでいる皆の名を順に呼んだ。
 ミエルに、パイロン、ハロルド、フェリス、それに仏頂面のレイクと、A。
 Aは顔を元に戻したのか、二十代半ばの男になっていた、頭は剃り上げて光らせている。
 手に持っているのはネルフから支給されたノートパソコンである、第三新東京市市内、あるいはジオフロントに居る限り、どこででもMAGIと接続が行える仕様になっている。
 ミューティングのために一同が集まることにしたのは、ジオフロントの森林公園の入り口であった、この七人を、ほんの少し離れた芝生の上に腰を落として、加持がご苦労なことだと眺めていた。
 紫煙をくゆらせ、ぼうっとしている。
(サユリちゃん、怒ってんだろうなぁ)
 そんなふらちなことを考えているのだから始末に負えない。
 ふと気が付くと、間近にしゃがみ込んだフェリスに、顔を覗き込まれてしまっていた。
「なんだい?」
「おじさんも、有名人?」
 加持はそうだなと苦笑した。
「逃げ足の早さで有名でね」
「ふうん」
 フェリス!、と怒鳴り声が聞こえた、レイクである。
 フェリスはべっと舌を出して反抗した。
 唸りをあげるレイクである、毛を逆立てて怒っている。
「おいおい、行かなくて良いのかい?」
 フェリスは肩にかかる髪を払いのけた。
「あたしはもう大人よ、なのにうるさいんだから」
「心配してるんだろう?」
「あれは違う」
 冷たい声でフェリスは吐いた。
「あたしが独り立ちするのが許せないだけよ、あたしはお人形じゃない」
 お人形か、と加持は一人ごちた。
 とある資料で読んだことがある、ある女性の自殺と、その娘が吐いた言葉を。
『あたしはお人形じゃない、自分で考え、自分で生きるの……』
 全ての人間の手を払いのけ、自立し、気高く生きようとする少女が居る。
 彼女は悲壮さを隠すでもなく、受け入れた上で、乗り越えている。
 ……そう資料からは読み取れた、だが。
(アスカは、そういうんじゃないんだよな)
 ぼうっとして、唇に張り付いた煙草を、上下にぴこぴこと遊ばせる。
 保護観察員の、役に立たない目の価値についても考える。
 果たして幼い少女が、支えも無しに母の死を割り切って歩き出せるものだろうか?、だが現実に彼女は切り捨ててしまっている。
 碇シンジの影響かとも思えるのだが、少年シンジの履歴を調べれば、それはあり得ないことだとすぐにわかった、失踪寸前までの彼は、実に平凡な少年であったのだから。
 間際になって、凶行が目立ったが、それまでの点での異常はどこにも見られない。
 ではアスカの心の支えとなったのは、何だったのか?
(シンジ君に負けず劣らず、興味深いんだがな)
 さぁてとと立ち上がってお尻を払う。
「加持君」
 ゴドルフィンの呼び掛けに、加持はリストを振って応じた。
「はいはい、四輪のオフロードバギー二台に、マップ、用意できてますよ」
 ビニールシートに入った地図を配布する。
「D級勤務者の立ち入り許可区域までなら、捜索範囲を拡大してもかまわないって許可も貰ってます」
「……やたらと広いな」
「走ってみれば、もっと広く感じますよ」
 森を見渡す。
「周遊街道は、気晴らしにウォーキングに使ってる連中が結構居ます、マウンテンバイクの貸し出しもやってるくらいで、周回道路の方ではレースだって開かれてますよ、目撃者ってのは彼らのことでね」
「獣の一匹くらい、簡単なもんだよ」
 ばぁんと、ライフルを構えて遊んでみせるハロルドである。
 それを横目に、注意するでもなく、ゴドルフィンは作戦の概要を皆に伝えた。
「まずは目撃者の証言から対象の活動範囲を割り出そう、Aはここに残って情報の分析と皆への指示を頼む、ハロルドは罠の準備だ、レイクとパイロンは『別の物』をあぶり出せ」
「別の物?」
 怪訝そうな加持に、口数を増やす。
「ネズミを蹴散らせ、邪魔されると厄介だからな、だが駆除する必要はない、それはここの人間の仕事だ」
 少しだけ引きつる加持である、もう位置がバレているのかと、『同僚』の冥福を祈ったりもする。
「それから加持君、『目標』に対する危険度は?」
「C難度ってとこですか?、驚いたとか、そんな話ばかりですから」
「なら麻酔銃で十分だな、弾を」
「へいへい」
 ライフル用の弾を渡す、いくらなんでも、信用の度合が低い彼らに、銃を貸し出すほど甘くは無い……、が、加持は大した効果は無いだろうなぁと思っていた。
 別段、シンジたちのように、彼らが銃以上の、『身体的破壊法』を会得しているとは思っていない。
 それでも、銃と言えばかまえて撃つ程度の発想しかない保安部員を手玉に取る程度のことは、彼らには容易いはずなのだ。
(物理的な兵器のみが、『戦闘力』にあらずか)
 彼らなら、そこらの職員からでも、銃程度ものは幾らでも調達してくるだろう。
 それを見越して、最初の武器だと冗談にした、後は現地調達で頼みますとも。
「実際、保安部員の銃なんかが奪われてますからね、回収してもらえると有り難いってわけで」
 ゴドルフィンは一瞥するだけで返事はしなかった。
「ハロルド、銃はフェリスに、弾はお前が持て、加持君は好きな……、わたしと共に来てもらおう」
 最初の言葉に素直に従い、即座にミエルを探したことが仇となった。
 がっくりと肩を落とす加持である。
「……今、おっさんとガキかぁって思っただろ?」
 と囁いてやったハロルドのケツを、フェリスは思いっきり蹴っ飛ばしてやった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。