水路に沿って発光が走り、その筋に沿って床が幾つものプレートに別れた。
「うわっ!」
 シンジはぐらりと傾いだ床石に対して驚いた。
 床だと思っていたものは天蓋であったのだ、その下にはまた暗い闇が広がっていた。
 分裂した床とともに投げ出されしまった。
 ──落下する。
「うわぁああああああああああ!」
 ごうごうと唸る風に耳をやられる、虚空に投げ出されたシンジはむしろ吹き上げられているような錯覚を受けて、浮遊感に無重力というものを擬似体験してしまった。
 東方、そして二体の守護鬼神の心配をしているような暇などなかった。
(地面!?)
 底らしい場所にほのかな灯が確認できて、シンジはとっさに翼を開いた。
「くっ!」
 体が無理矢理吊り上げられる、翼が抵抗を受けてもげそうになる。
(足りない!)
 それでも落下速度は収まらない。
 巨大な光がはっきりと底を照らしていた、急速に近づくその恐怖感に、シンジは両手両足にも翼を生んだ。
 ──四肢を光で包み込む。
 光は大きく膨らんで、を散らして新たな四枚の翼となった。
 合計六枚の翼を羽ばたかせ、と、勢いよく何かが通り過ぎていった
「うぉおああああああぁぁぁぁぁ……」
 ……東方だった。
『東方どのぉおおおおおお!』
『お待ちぉおおおお!』
 満身創痍でありながら、二体の守護鬼神が忠義を果たすべく追っていった、ただ落ちていっただけにも見えたが。
 ──赤い光が蜘蛛の巣状に展開された。
 牽引ビームによるネットだ、シンジはほっとすると、表情を一つひきしめた。
 ゆっくりと地の底に向かって舞い降りる、光を放つ何かに向かって。




 地上、山の上のそのまたさらに木の上では、レイが空を見上げていた。
「なんだい?」
「星がね……、動いてるの」
「星が?」
「うん……、多分衛星」
 非常に不穏当な発言をする。
「こりゃ戦自が動いてるなんて単純な話じゃすまないかもね」
 これはまたと、加持はレイのお尻を見上げて面白そうにした。
 彼女がどんな表情をしているのか、わかるような気がしてしまったためである。




 地の底にあったもの、それは巨大な大樹であった。
 一本の根から伸びた枝が絡まり合うように捻り上がって、一つの太い幹を形成している。
 その枝は頂点で重みに負けて放射状に広がって、さらにいくつもの枝に別れていた。
 とても大きな傘を作り上げている、シンジは避けつつ舞い降りながら、その全貌を確かめた。
(普通の樹じゃない)
 葉から時折七色の光が、床に向かって走るのだ。
 その度に高い周波数の音がする。
 翼を消して、重力に従う。
 シンジは糸を放って枝に巻き付け、地面へと安全に降り立った。
 屈伸して衝撃を殺したのだが、堅い地面に多少の痛みが生まれてしまった。
(これ、上の壊れた床と同じものだ)
 やけに平坦で、傾斜も無い。
 シンジはうるさく歌を奏でる光線に顔を上げた。
 見上げてぽつりと小さくこぼす。
「立派な樹だな……」
 ありがとうと光の乱舞で樹は照れた。
 幹は直径で十メートルを越えていた。
 真下からでは光にかすんで、枝も葉も見えなかった。
 それほどまでに眩しく光は降り注いでいた。
 シンジはふと、気配を感じて辺りを探った、そしてすぐにその正体を見付ける。
「綾波……」
 根元付近の、幹の奥、虚の中に、彼女は居た。
 苔が詰まった袋の中に、彼女は静かに眠っていた。
「これって、一体……」
 シンジは手で触れて、気がついた。
「違う、これ……、人間じゃない」
 人どころか、生き物ですらなかった。
「カビだ……」
 脆く崩れる。
「そうだ」
「東方さん……」
 とうとう、東方は訂正するのをやめてしまった。
「それは人間ではない」
「じゃあなんです?」
「それは……」
 ──それはわたしがお答えしましょう。
 二人は洞窟に響いた第三者の声に対して、反射的に身構えた。




「杓子定規なのも時と場合によるだろう!?」
 地下で事態が紛糾し始めていた頃、地上では黒スーツ姿の男たちが、いきり立った様子で修験者たちに詰め寄っていた。
「その子たちの言う子が入って既に三十分近いらしい、先程の『異常現象』の原因もその穴だというのなら、助けに入るべきだろう!」
 男たちにとっての目的は、あくまでも捜索対象であるミナホだったのだが、『至急』とは命じられていなかったために、ごく当たり前の対応をしようとしてしまっていた。
 すなわち、シンジのことが心配で、動くわけにはいかないと言うミナホに付き合うという選択をである、しかし。
「ここは神域である、許可の無い者を立ち入らせるわけにはいかん!」
 神社の者らしい男たちもまた頑固だった。
(あのポイントだな)
 だが、普段は静かな山の中で繰り広げるには、あまりにも騒ぎ方が大き過ぎた。
 密かに行動していた別の集団に対して、警戒を促すことになってしまっていたのである。
(散開しろ、制圧する)
 そして彼らが取ろうとした行動は、実に順当なものではあった。
 ──その時までは。
(どうした?)
 背後の腹心が動こうとしないことに不審を感じて振り返り、彼はぎょっと驚いてしまった。
 そこには老人のように枯れてしまった仲間の顔があったからだ。
「あ、あ……」
 必死に何かを訴えようとしているのだろうが、言葉は声にはならなかった。
 筋張り、乾いた皮だけとなってしまった表情筋が収縮して、口が開きっぱなしになってしまっている、舌もギュウッと縮んでしまっていた。
「うわ!」
 何かが覆い被さって来た。
「なんだ!?」
 近い場所にある藪から立った音に過敏に反応し、一同は身構えた。
 リョウコもミナホを庇い、木刀を構える、と。
 ──ヒュン!
 何かがどさりと目前に落ちた。
 それが一体なんであるのか、二人にはとっさに理解することはできなかった。
 それは干からびた人間だった。
 まだ息があるのか、目が動く。
 ──きゃああああああああああああ!
 ミナホは絶叫と言える悲鳴を上げた。
 ガサリと音がして、藪の中から男が姿を現した。
「あぁあぁあぁあぁ」
 干からびた体を小刻みに揺らして歩み寄ろうとする、乾いた唇はひび割れて血を流し、剥けた瞼からは眼球がこぼれ落ちそうになっていた。
「なんだ!?」
 がくがくと揺れて、崩れ落ちる、その背後から現れたもの、それは奇妙な怪物であった。
 まるでイソギンチャクのようで……
「触手系は嫌ぁああああ!」
 リョウコの嬉しそうな悲鳴が硬直を破る。
 意外に素早い動きで、怪物は声を上げたリョウコを狙った、間に修験者の一人が入る。
「オン!」
 印を切って両手をかざす、見えない障壁がぐわんと音を立てて怪物の突進を受け止めた。
「今だ!」
 自衛隊側の隊員が動く、銃を抜いて怪物に向かい、一斉に射撃を開始する。
「その子たちを!」
「こっちだ!」
 呆れるほど息の合った動きをして、両者は子供たちを優先させようとした。
「なんなんだっ、この怪物は!」
 銃弾を食い込ませたまま、怪物はそれでも止まることなく何十とある触手を、鞭のように振り回した。
「あ」
 その内の一本が……
「ミナホ!」
 ミナホを突き飛ばしたリョウコの顔面に……
 ──ガォン!
 大砲のような銃声が、梢をビリビリと震わせた。


 シンジは声のした方向をじっと睨み付け、そこになにかしらの形を見出そうとして目を細めた。
 光の届かない遥かな遠くに、気配がある。
「誰だ……」
 東方も無手で構えた。
 闇の一部が凝縮していく。
 濃厚さを増し、人の形を作り上げていく、なのに不可思議なことに、色合いは真逆の白さを増していった。
 そしてシンジは、樹が放つ光ですらも吸い取る闇の奥より現れた、光にも負けない純白さを備えた青年に目を剥いた。
「あなたは!」


 ──ガォン!
 腹の底にまで響く音だった。
 百キロはあるだろう化け物の巨体が浮き上がる。
「はっ、はぁ!」
 それをやったのは戦略自衛隊の隊員だった、腰だめにライフルを持っている、何か特殊な炸薬を用いているらしい。
「やったぞ!、ちくしょう!、見たか!」
 素早く自衛隊の人間が叫ぶ。
「君たちは彼女たちを連れて山の上へ、伝えてくれ、戦自が入り込んでいると」
「お前たちは!?」
「山の中では君たちの方が速い、早く!」
「きゃ!」
「わっ」
 ミナホとリョウコはそれぞれに可愛らしい悲鳴を上げた。
 突然修験者に抱えられてしまったからだ、それも、胸に。
「行け!」
 自衛隊の隊員だけが、その場に残る。
「俺たちは逃げ切れるかな?」
 恐怖心に負けて無駄に使った弾丸のことが、今になって悔やまれた。


 シンジはあまりも意外な人物の登場に驚いて、彼に間抜けな面を曝してしまった。
「まさかかような地でお会いすることになろうとは」
 だが驚かせた側もまた同様に、呆れ返った目をシンジへと向けていた。
「エリュウさん……」
 シンジは恐れるようにして後ずさった。
「どうしてこんなところに」
「それはこちらの台詞でありましょう?」
 腰に手を当て、溜め息を吐く。
「犬も歩けば棒に当たると申しますが、なるほどあなたほど巨大な棒が自ら転がっておられるようでは、接触事故も起こらないはずがありませんな」
「それって答えになってないよ」
「いいえ?、あなたさまが『楽園』にて大人しくしていてさえ下されば」
「どうなるって言うのさ?」
「多少の違いはあれど基本は『シンジ様』が武蔵野でお暮らしになられていた場合と変わらぬことになっていたでしょう、そう、かような存在に気付くこともなく、平穏に」
 シンジは訊ねた。
「これってなんなの?」
「残照」
「残照?」
「あるいは思慕の念とでも申しましょうか」
「綾波の?」
「『三人目』のでありますよ」
「三人目?」
 シンジは僅かに顔をしかめた。
「はい、ところで民間の伝承をご存じでしょうか?」
 柔らかな笑みを満面に湛える。
「北の地に、このような伝承がございます、古く立派な大樹には、時折神が宿りつくと」
「神……」
「あるいは精霊とでも申しましょうか?」
「それがどうして『この』姿をしてるんですか」
 東方の目が険しさを増す。
(やはりこの小僧は『神子』さまを知っているのか)
 疑惑の目をシンジに向けるが、シンジにはそれに気がつくだけの余裕が無かった。
「エリュウさん!」
「はい」
「わかるように説明して下さい!」
「では科学的に説明しましょう」
 エリュウは両手を広げて大袈裟に語った。
「樹に宿る神、精霊、ドライアード……、『ドリュアス』、その正体はずばり、『カビ』です」
「カビ!?」
「そう、地脈の上に根付いた千年樹より染み出す樹液を餌として寄生するカビですよ」
「そのカビがどうして綾波の姿なんて」
 それも。
「十四歳の綾波の姿なんて」
 まさかと思う。
「レイの?」
「いえ」
 それは冒涜というものでしょうと彼は言った。
「あなたはお知りにならないはずです、『あの時』」
「あの時?」
「そう、補完計画」
 シンジはひゅっと息を吸い込んだ。
「あの時……」
「そう、あの時より、彼女の物語は始まったのです」
 彼は何かを思い出すかのように、瞼を閉じて邂逅した。
「あなたはどれほどのことをご存じでしょうか?、なにも知らない、そうではありませんか?、なぜなら補完計画が倒れた時にはあのことは起こらず、事が起こった時にはあなたは常に初号機の中に居られたはずだからです、だから知らない、三人目たる彼女がどのような天寿をまっとうしたのか」
「もったいつけないでください」
「良いでしょう、彼女はこう命じられたのです、碇氏より、アダムと一つとなり、妻の元へ共に行こうと……、驚きませんね?、まあそのことについては想像のつくことでしょうから、しかしその時、誰にとっても予想外であったことが起こりました、碇氏にとっても、老人方にとってもね」
「なんですか?」
「全ての破綻は偶然でした、老人方は自らのシナリオを押し進めました、あなたと初号機を用いた補完計画を、そして碇氏はそれに先んじて融合を果たそうと急ぎました、量産機が張るアンチATフィールドが、碇氏と三人目である彼女との融合を手助けしました、しかし」
 なんということでしょうかと、彼は大袈裟な演技を入れた。
「そんな時、あなたが絶望の声を上げられたのです、そう、セカンドチルドレンの死を見せつけられてね」
 その光景が脳裏に思い浮かんで、シンジはくらりと眩暈を覚えた。
 ──空を舞いながら、エヴァがエヴァを喰い散らかしていた。
「リリスの分身である『初号機』、彼女はその初号機の別け身でもありました、そう、彼女は初号機からの嘆きの声を聞いたのです、全てに対する絶望の声を」
「そんな……」
「彼女は碇氏を拒絶しました、そしてあなたが泣いていると慰めに向かうために」
「綾波が……」
「三人目です、お間違えなきよう」
 その点は、なにか譲れぬ線引きがあるらしく、彼は酷いこだわりを見せた。
「ですが」
 そこに沈痛なものを浮かべて見せる。
「あなたは彼女を見なかった」
「……」
「あなたは他者を恐れ、己の殻に引きこもり、自らと対話することで解決を見た」
「……」
「彼女は自己完結してしまったあなたに見向きもされぬままに、初号機と共に海の彼方へと投げ出されてしまったのですよ、そうです、宇宙そらに漂う、星とされた」
 ああと悲痛な声で訴える。
「おわかりになられますか?、彼女は一体なんのために生まれ落ちたのでしょうか?、僅か数週間の生、そして無限に続く永遠の闇の時間、刻み付けられたものはあなたへの執着心!」
「執着心?」
「はい、あなたの嘆き悲しみ、そして怒りの感情こそが、彼女の内に刻み付けられた最も強い感情の源泉なのです」
 そして話はシンジの問いかけに辿り着く。
「彼女は今もあなたさまを捜しているのですよ」
「そんな……、そんな!?」
「そうでありましょう?、全てを捨ててシンジさまの元へと走ったというのに、置き去りにされてしまったのですから」
 そして。
「その思慕の念が、こうして次元すらも越えて届けられているのですよ」
 エリュウは樹が放つ光線へと目を細めた。
「樹はアンテナであり、受信装置なのです、そしてカビがその念を受け入れているのです」
「カビが?」
「はい、カビの中には、とても静電気を帯びやすい性質を持ったものがあるのです、そのようなカビが、このような死を忘れた樹を宿主とし、長き時をかけて変質を重ねることで、偶然にも人の脳と同じような『シナプス構造』を手に入れることがまれにあるのです、それこそが」
「精霊?、神さま?」
「そこに流れるものは、『向こう側』から届けられる彼女の想いなのですよ、それがニューロンネットワーク上を流れ続ける内に、やがては擬似人格となって、定着してしまったのでしょう、ですが、それだけではありません」
 彼は頭上を見上げた、その目はあらゆるものを透過して、地上のミナホを写し込む。
「我々は、電気の塊です」
「は?」
「陽子や電子、素粒子と呼ばれる構成元素ですらも、最少単位を追求すれば、あらゆるものが+と−によって構成されていることがわかります、ならば磁気、磁場情報が凝結し、集合体となれば、擬似的な生命体として降臨することもまた可能であるとは思われませんか?」
「まさか!?」
「ましてやこのような触媒や媒体と成りうるものを介すことができるのならば、それは比較的容易に行えることなのですよ、オーラなどの放電現象を見ることです、それは我々が電気の塊なのだという良い証拠ですよ、そうです、あなたの質問はなぜその姿なのかでしたね?、簡単なことですよ、彼女はカビを媒体に使って、次元を、空間を、そして時すらも超えて、シンジ様への思いの丈を、必死に伝えようとしているのです、ドリュアドはドリュアドなりに、彼女を理解し、その手助けを行っている」
 沈痛に語る。
「その想いは、一体どれほどのものなのでしょうか?、何千年、何万年、あるいは何億年もの時を、ただ貴方への思いの丈を叫ぶためだけに費やしている彼女の想いは?」
 その答えは。
「彼女は、狂ってしまっている」
「どうして……」
「それは『あなた』が一番良くご存知のことなのでは?」
 シンジは顔をしかめて唸りを上げた、確かにそれはそうであるから。
 何万、何億という『自分』から成る記憶、『情報』、これらに埋没した時、自分と言う人格がどれほど脆く儚い存在であることか。
「ですが、最も憐れな存在は、そんな狂気に曝され続けたドリュアドなのですよ」
「カビが……」
「そう、例えカビでも、生きていますよ、人と同じように感じ、考え、ただ、行動することだけができなかった」
 彼はあえて過去形で語った。
「ドリュアドはいつしか人以上の存在に昇格する生物であったのかもしれません、ですが先程語りました通り、ドリュアドの生は、彼女の想いに毒され、歪められてしまった」
 さあと彼は右手を向けて、どくように指示した。
「浄化を」
 シンジは慌てて両腕を広げた。
「なにをするつもりなんですか!」
「おわかりになりませんか?」
「わかりませんよ!」
「少しは考え下さい……」
 はぁっと失望の吐息を洩らす。
「安らぎを与えてあげるのですよ、そのためにわたしはまいりました」
「嘘だ!」
「ほぉ?、どうしてそう思われます?」
「ただ殺すだけなら、今出て来る必要なんて無いはずでしょう?、僕が居ない時でも良かったはずだ!」
「そう、本当ならばそれでも良かった」
 ですがと彼は、東方を見た、無機質な目をしてだ。
「この地には、鬼が居た、鬼です、それは『わたし』と同じ組成を持っていた」
 シンジはあの鬼のことを思い出した。
「使徒……」
「そうです、綾波レイ、彼女の分け身である鬼が、それでは手が出せません、ですからなるべく『穏便』にことが済むよう、参ったのですが」
 シンジへと視線を戻す、東方に向けた目とは違って、人を見る目をしていた。
「おわかりでしょう?、なのにあなたはここに居て、そしてそこの男が、あなたをここへと導いてしまった」
 エリュウは左腕の袖口から、何かのスイッチを滑り落ちた。
 ──迷わずに押す。
「なにを……、なにをしたんですか!」
 目ざといシンジに、彼は笑った。
「すぐにわかることですよ」




 ──ゴウン!
 反射的に振り返り、男たちは何事なのかと驚いた。
「どうした!、まだ起動許可は出していないぞ!」
 コンテナ車より下ろされ、とある山の方角へと固定されようとしていた巨大な兵器が、突如起動を開始した。
 不自然にガクガクと揺れながら、入力されたコマンドを実行しようともがき出す。
「隊長!」
「なんだ!?」
「こいつ勝手に動いてます!」
「なんだと!?」
 手が付けられないと周囲が下がる、だが完全には逃げられない、それは操縦席に納まっている同僚のことがあったからだった。
「助けっ、助けて!、ひぎゃ!」
 びしゃびしゃと水が弾ける音がした。
 ゴキッと折れる音に混ざってひしゃげる音や引き千切れる音も耳にできた、準備のために乗り込んでいたパイロットの顔がむくみ、ふくれ、眼球と舌を剥いて、ひきつれさせた。
 かくんと首を落とし、動かなくなる。
「柿崎!」
「よすんだ!」
 慌てて引き止める、準備中であったために、正位置に着いていなかったのだろう、そのため駆動部に体が巻き込まれてしまったのだと想像できた。
「もう死んでる!」
 断腸の思いで指示を下す。
「止められないのか!?」
「無理です!、何か不明なコードが実行されてます!」
「コードだと?」
「はい!」
「あらかじめプログラムされていた?」
「はい」
 彼は地面に置かれている、GMスナイパーと何十本という束で接続されているノートパソコンの画面を見た。
 アスファルトの上に直置きにされているパソコンには、センサーが何かを捜しているのが確認できた。
「何を捜してるんだ?」
「建物です、出ましたっ、そんな!」
「これは!」
 GMスナイパーは自慢の探査装置で目標をロックし、砲頭を無骨な動作で動かした。
「うわ!」
 砲身の方向に居た人間が、慌てて頭を抱えて逃げ惑う。
 射出口の先に光が収束し始める、ジェネレーターが回転数を上げて熱量の高い白煙を噴き始めた。
「止めろ!」
 無理だとわかっていても叫んでしまった。
(この出力では散開している隊の連中も巻き添えになる!)
 ジェネレーターが唸りを上げる、出力を増して加熱する。
(いや!、この様子では我々も?)
 もう止めようなどどこにもなかった。
「退避っ……」
 しかし言葉は間に合わず……
 ──閃光が全てを白に染め上げた。


 ──ドン!
 爆発。
 限界を越える出力を要求されたが故の結末か、GMスナイパーの発電機は爆発した。
 山の一角が爆砕して噴き上がる。
 山の反対側にまで土石が弾けた。
 それでもビームの発射には成功していた、赤い閃光が神殿に向かって真っ直ぐに伸びる。
 林の中に身を潜めながら移動していた戦自兵は、爆発音に振り返って驚いた。
 まだ作戦開始時間ではないというのに、ビームが直進して来るからだ。
 それも、これまでに見たことがないような高出力のビームが。
(死ぬ?)
 彼らとて、銃声や爆発音に反射的に驚いてしまわないように訓練を受けている、ビームに対してもそうだった、GMスナイパーとの実戦訓練を経て、ビームの破壊力を肌で知り、感覚で悟れるところにまで至っていた。
 その感覚が、これは殺されると謳っている。
 ──だが。
「なっ!?」
 彼らは見た。
 夜空に白い鳥が舞い上がるのを。
 大きな翼が羽ばたいたのを。
「なんだ!?」
 それはもちろん、レイであった。
 彼女は翼を羽ばたかせると、空中に『静止』して、右の手のひらを突き出した。
「翼は風を孕んで風を掴んで風と共に羽ばたくもの!、そして風とはあらゆる物体を浮かせ、弾き、舞い上げるもの!、そんな風と共に飛ぶ翼こそがすなわち最強!」
 肩口から手先へ向かって、空気が強く渦を巻く。
衝撃のぉ!
 拳を引く。
ファーストブリッドォ!!
 ゴン!
 ──彼らは信じられないものを見た。
 少女の拳が、ビームを弾き返したのだ、いや。
『打ち』返した。
 拮抗は一瞬、赫い光は拳の前に収束すると、そのまま元来た方角へと逆走を始めた。
 もうもうと粉塵と黒煙を上げている、崩れた崖に突き刺さる。
 ──地鳴りが彼らの足を揺さぶった。
 爆発のみならずビームにまでえぐられて、山は反対側へ向かって吹き飛んだ。


「ふ……」
 遠くの崖崩れがもたらす震動の中、エリュウはスイッチを放り捨てた。
「やはり居ましたね」
 シンジは怒気を立ち上らせた。
「それを確かめるためだけに……」
 東方はそんなシンジの鬼気に下がった。
「いけませんか?」
「人を殺すなんて」
「あなたとて人を殺めたことがおありになる」
「でも僕には理由があった!」
「わたしにもあります」
「違う!、巻き添えにしただけだっ、自分でなにもしないで!」
「ふむ」
 彼は人差し指と親指を立てると、銃の形を作って、シンジの後方を指差した。
「あなたさまにはまだ、人を道具とする覚悟が足りておられないと見える」
 ──ぐにゅりと肘から先の形状が変わった。
 スーツの袖までも融合変化している、肩が丸く殻状に変化して、加速器を形成した、腕が太り、銃身を形作る。
 シンジは驚いた、その形には見覚えがあり過ぎたからだった。
 ──それはエヴァンゲリオンが使う、陽電子砲のミニチュアであった。
「エリュウさん!」
「これがわたしの覚悟です」
 エリュウは加速器を回転させた。
 地下の冷えた空気が熱せられる。
 シンジはその熱さに怯えを浮かべた。
「何をするつもりなんですか、エリュウさん!」
「……彼女は危険なのです」
 ようやく真相を語り出す。
「アダムとリリス、その双方が融合を果たした結合体と合一化してしまっている彼女という存在は、わたし共のような、『彼女たち』であったなどという不確定な存在とは、根本からして違うのですよ、彼女は『旧世界』におけるあらゆるものの母なのです、母であったものたちの一つとなったものなのです、あなたの母であり、わたしの母でもあるのです、人類の母であり、使徒の母でもあるのです、おわかりですか?」
 わかろうはずがなかった。
「『あの世』より派生した、全ての生命の始祖たる存在であるのです、その彼女があなたを求めてこの世界へと介入を果たそうとしているのです、次元の壁すらも越えて、降臨しようとしているのです、根源的始祖となり果てたものと同一化してしまっている彼女の降臨は、この世に破格の混乱を招きかねないものなのですよ、彼女は唯一、あなたがお作りになられた『法則』の強制力が通じぬばかりか、あなたに制約を課すことができる存在なのです、より上位にある者として、あなたを産んだ母として」
「そんな……」
「彼女は、『混沌の姫』として、永劫の眠りにつかねばならないのです、希望を断たれて」
「でも……」
 悔しげに口にする。
「でもあなたにそんな権利があるんですか!」
「おわかりになられるはずです」
 何故ならと訴える。
「あなたと共に在る娘が、『司書』を名乗っているように、わたしはあなたが生み出されたこの『混沌の世界』を『校正』するために存在している、『間引く者』なのですから」
 ──では。
 彼は戦いの引き金をカチリと弾いた。


 ──ドン!
 山の一角が吹き飛んだ。
「今度はなにぃ!?」
 降って来る土石からミナホを庇ったままの状態で、リョウコは夜空を見上げてぽかんとした。
「うそ……」
 空に人が飛んでいた。
「やぁ!」
 少年の声が夜を切り裂く。
 翼を巻き付けるように回転しながら、シンジは光を纏わせた手刀をエリュウへと振るった、それをエリュウは砲身で弾く。
 ──ボキン!
 砲頭が折れた。
 エリュウは『金色』の、神経筋のような網状の翼を羽ばたかせた。
「小器用な方です、発露を接触時のみに抑えることで、エネルギーの放出を控えるとは」
 しかし。
「いつまで保ちますか?」
 ボキボキと音を立てて砲身が修復されて行く。
「自己修復!?」
「わたしもまた『初号機』なのですから、このくらいの『性能』は備えておりますよ」
 光が放出される、電子は大気をイオン化しながらシンジを飲み込んだ。
「うわ!」
「逃げられませんよ!」
 避けようとして、上に、右に、下にとランダムに移動するのだが、浴びせ掛けられる光はぴったりと追って来る。
「あなたの力はあまりにも大き過ぎるものです、己の身を焼き尽くしかねないほどに、そしてリリンであるあなたは、自我意識の確立を肉体に依存している」
「くっ!」
「肉体を失ってなお、魂だけとなっても意識を保ち続けることができますか?、肉の身の再生のためには、最低限思考するだけの意識は肉体に残さねばならない」
「この!」
「無駄ですよ」
 シンジはやるしかないと思い切ろうとして、とどまった。
(あっ!)
 忘れていた自分を強く罵る。
 真下にミナホたちの姿が見えたからだ。
 他にこの間追いかけ回してくれた、修験者たちの姿もあった。
(ここじゃだめだ!)
 しかし逃げる風を装って場所を変えることはできない。
 なぜならエリュウの目的は、あくまであの『樹』であるからである。


 ──そして頂上では。
「何が起きているんだ!」
 さわぐ実力者、権力者たちの間に腰かけていた青年が、全身から脂汗を滴らせて、小刻みに痙攣を始めていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。