エリュウの叫びがこだまする。
「あなたは気付かねばならない!、わたしが最も敬愛し、そして同時に憎んでもいるのが誰であるかを!」
「くぅ!」
「碇ユイを内包し、あなたを取り込み、そして綾波レイと触れ合うことで、わたしはあなたへの楔を着けられた!、愛情、そして執着心!、だからこそわたしはあなたさまを敬愛し、従いもするのです!」
 ──だが。
「同時にそれは屈従の日々でした、他者の侵食による錯覚であると知りつつも逆らえず、日々あなたへの想いに心を蝕まれ、揚げ句望まぬ戦いに駆り出されては、傷つけ合うことを強要された、誰にです?、わたしを操り強制したのは誰であったか!」
 ──それは。
「わたしがどれだけ血の涙を流しながら、やめてくれと叫んでいたか!、あなたはおわかりになられていない!」
「この!」
 両手で『光線』を受け止める。
「くぁあああああ!」
「この苦しみが、怒りが、憎悪がっ、あなたにおわかりになられますかっ、シンジ様!」
 光の照り返しを受けながら、エリュウは寂しげに微笑んだ。
「それでもわたしは愛していますよ?」
 ──なぜなら。
「それでもあなたは、生死をともにした人なのですから」
 ──ドン!
 シンジは爆発を受けてのけぞった。
「わぁあ!」
 地へと墜ちる、落下する。
「ただし、わたしにもこの執着心が、碇ユイの侵食によるものなのかどうなのか、もはや区別を付けることができませんが」
 だからこそ、彼はシンジを憎んでいた。
 否定することは、碇ユイへの拒絶と同義であるから。
 それは自分と彼女とを区別するための、垣根となる感情だから。




「お静かに!、お静まり下さい!」
 その頃、山の上では大変な騒ぎになっていた。
「どけ!」
「ああ!」
 悲鳴を上げて倒れ込んだのはミヨコだった。
 皆を必死になだめようとしているのだが、しかし聞く側にはそんな余裕が見受けられない。
(いけません)
 ここは神の座なのである、神子が皆の前へと現れる唯一の場なのだ。
 それを守らねばならないと、彼女は必死の思いで立ち上がろうとして、ただ一人だけ、座したままの青年を見付けてしまった。
「あ、あの」
 藁をもすがる思いで手助けを求める、しかし……
 ──おかしい。
 彼女は強烈な違和感に襲われた。
 彼は……、若かった、とてもこの場に参入できる者ではない、なのに、居る。
 誰かの付き添いであろうか?、それもない、左右に座っていた者は騒いで外に出ようとしている。
 そのどちらかが主人であるなら、彼も一緒に立ち上がっていてしかるべきなのだ。
 いや、よくよく考えてみれば、彼はいつ入って来たのだろうか?、案内したのは誰だっただろうか?、それは自分であるはずなのに、どうにも見覚えが彼にはなかった。
 そして……、こんなに近くに居るのに、その顔をはっきりと認識することができないのだ。
 彼女は目を凝らして、ようく確かめようとした、次第にその姿がくっきりと『視え』始める、そして。
 ──彼女は驚きに目を剥いた。
 白い髪、白い肌、赤い瞳。
 それは。
「教団!」
 叫んだ男の首が飛んだ。
 夫人の顔にぴしゃりと弾けた血しぶきがかかった。
 黒い瞳に、非常にスローモーに、生首が回転しながら転げ落ちる様が写し込まれた。
「きゃああああああああああ!」
 ──最初の一薙ぎで、五人の首と胴が切断されていた。
 ばたばたと死体が周囲に倒れ伏す。
「ば、化け物!」
 ヒィッと腰を抜かした男が、這いつくばって後ずさった。
 立ち上がった教団の『使徒』には手が無かった、スーツの袖口からは白い触手が二本、ぶらりと垂れ下がっていた。
 今は血塗れていた、先端がビチビチと蠢き、血を弾き飛ばす。
「チッ!」
 極道の道を歩む者は、やはり神経が豪胆だった、懐に手を入れて飛び道具を向ける、銃声、しかし使徒は高速で触手を動かし、弾丸を弾いて見せた。
「ヒッ!」
 使徒は男の眉間を触手でもって貫いた、先端は後頭部抜けて男の背後に居た男性を驚かせた。
 使徒は残った右の触手を巫女へと放った、しかし巫女の直前で、その触手は痺れたようになって動きを止めた。
 ──金色の障壁が皆の目に写る。
 陰陽師が錫杖を鳴らす。
「けっ、かいと言うのか……」
 誰かが口走る、それに合わせて皆が動いた、逃げ出そうとする者、戦おうとする者、様々に別れた。
 ──地獄絵図が展開された。
 使徒は先に貫いた男の体を振り回して、逃げようとした男の背に叩きつけた、抱き受けてしまうことになった男性の影から二人が発砲、これを使徒は引き戻した触手で弾いて躱した。
 跳弾が誰かに当たる。
 突き、刺し、薙ぎ払う、揚げ句斬り飛ばす、神殿内部は鮮血によって彩られることとなった、床には血がぶちまけられる。
「ミヨコさま!」
 と、もう一人の巫女が両手を広げて立ちはだかった、鞭のようにしなり、触手が彼女を薙ぎ払う。
「カッ!」
 壁に叩きつけられて、彼女の口から血が咳交じりに吐き出された。
「ミナヨっ!」
 陰陽師が守りに入る、使徒は鞭を交互に振り回して、界の境面を叩いた、一撃、二撃、速度は増し、目には止まらなくなる、風切る音と、連続した打撃音が耳朶を叩く。
 そしてついに、破裂するような音が鳴り……
 ミヨコは咄嗟に、庇ってくれたミナヨと、陰陽師の盾にならんとした。
 ──全てが遅く知覚される。
 モノクロの世界の中で、蛇のようにくねり、触手が宙を踊り来る。
 残像現象すらも起こすほどの速度で、それは夫人ごと背後に居る二人をも、貫き殺すはずだった。
 ──ガン!
 銃声。
 普通の銃よりも音は軽かった、それは破壊力よりも『初速』を求めた銃だったからだろう。
 背後より追いすがって来た物に弾かれて、鞭は軌道をずらされ、ミヨコの頬を浅く裂いて、壁に突き立った。
「ああっ!」
 よろけ倒れたミヨコであったが、彼女はとぼけた口調を耳にして、気を失うことなく顔を上げた。
「おいおい」
 ふぅっと、銃口から立ち上る硝煙を吹き散らす。
「この日のために、一ヶ月も潜入捜査をやって来たってのに、まったく」
「加持さん!」
 必死に、ミナヨが媚びる声を出した。
「よぉ」
 手を振ってやる。
 ミナヨの不倫相手の男だとミヨコは思い出した。
 ──加持リョウジ。
 彼の射撃は正確だった。
 弾丸に匹敵する速度で飛ぶ触手の軌道に合わせて弾を放ったのだ、同一の軸線上に乗った弾丸は鞭を背後から弾き飛ばした、もし外れていれば、その弾丸は触手と共に夫人の体を貫いていたことだろう。
 それをやってのける技量を加持は持っていた。
「それにしても……」
 加持は呆れた様子で、室内を確認した。
 死体がひのふのみと口にする。
 血と、臓物、中には頭蓋骨を叩き割られて、目玉と舌を不格好にこぼしている遺体もあった、脳漿が彩りを添えている。
 使徒は体ごと振り返ると、加持……、ではなく、加持の腰の辺りから、ひょっこりと顔を出している少女に対して目を細めた。
 ──ガン!
「きゃ!」
 レイはなにすんのよぉと驚いた、加持が鼻っ面で急に銃を撃ったからだ。
 散った火花に目をぱちぱちとする。
 壁を見ると、弾かれた触手が突き刺さっていた。
「油断大敵だな」
「お礼は言わないからね」
「へいへい」
「加持さんっ、加持さん!」
 恐怖に感覚が麻痺しているのか、ミナヨは使徒の脇を抜けて加持の元へ駆け寄ろうとした。
 ──腰が抜けて、四つんばいのままで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が汚かった。
「ヒッ!」
 彼女は頭上でした音に頭を抱えて丸くなった。
 目障りだと感じたのか、使徒が鞭で叩き潰そうとしたのだ、その鞭をレイが両手で掴んでいた。
「これで貸し借り無し!」
「礼は言わないんじゃなかったのか?」
 にやりと笑って、加持はヒィッと悲鳴を発しながら猛然とほふく前進をして来た彼女を抱き上げた。
「しかし……」
 泣きじゃくる彼女をよしよしと甘えさせながら溜め息を吐く。
「俺は普通に、汚職を調べに来ただけなんだけどな……」
 それがどうしてこういうことになるんだろうかと、暗澹とした気持ちになる。
「やっぱり友人は選ばなきゃならないってことかな?」
「ぶぅ!」
 不満に頬を膨らませるレイである。
「それはこっちのせりふー」
「おいおい」
「大体ねぇ、こんな代わりがたくさん居る人たちなんて、どうだって良いじゃない」
「しかしなぁ、引き継ぎ無しに死なれると困るんだよ、政治が混乱すると景気が悪くなるからな」
「そっか……」
 レイは濡れていない床を選んで器用に跳ねた。
 解放された鞭が三度揺れて加速を付ける。
 ──ガン!
 加持の狙撃がフォローした、レイは両のたなごころを合わせて小脇に引いた。
「か・め・は・め・……」
 何かふざけたことをしようとする、しかし、敵は一人ではなかった。
 ──ドガァ!
 天井をぶち抜いて、何かが瓦礫と共に床に落ちて来た、床板が割れて跳ね上がり、転がっていた死体がまるで生きているかのように踊って見えた。
「なんなの!?」
 レイは空中で姿勢を整え、『壁』に着地して床に下りた。
 そこに最も嫌な敵を見付けて顔をしかめる。
「あんたは!?」
 スーツのほころびが消えて行く。
 埃は自らの手で払い落とす。
「まったく、面倒な方ですね」
 新たに戦いに参入したのは、シンジと戦っているはずのエリュウであった。




「むっ……」
 彼は全身に走った痛みに対して顔をしかめた。
『東方殿』
『ご無事で』
「お前たち……」
 東方は自分がどうなっているのか確かめようとして、筋肉が上げる悲鳴に苦痛を訴えた。
「くうっ!」
『しばしお待ちを、爆竜』
『うむ』
 爆竜は守りを雷虎に任せると、内圧を高めてエネルギーの充填を開始した。
「ここは地面の下か」
『土砂に埋められておりますゆえ』
 一人と二体は球状の光によって守られていた、シンジを捕えるために用したトラクタービームを反転させて、一種のバリアを作り出しているのだ。
「わたしは、良い、それより……」
 彼はわかりきっている話を聞いた。
「樹は……」
 爆竜のビームが土砂を吹き上げ、噴き散らす。
 空間は完全に埋まってしまっているわけではないようだ、それでも樹は半分がた埋まってしまって、無残に折れ、枝葉を散らしてしまっていた。
「これでは……」
 その惨状に絶望する、しかし、彼の表情は徐々に驚きに取って代わられた。
「おっ、おお?、おお!」
 光が東方を眩しく照らした。




「ちぃ!」
 奥歯を噛んだままで鋭く息を吐く。
 舌打ちにも聞こえるものを発して、シンジは体を丸くした。
 ──地面に直撃する。
 シンジは派手な土埃を上げて斜面を転がり登った、勢いが良過ぎて地肌を巻き込み刈り取ってしまう。
「ぐっ!」
「シンジ君!?」
 ようやく止まった時、シンジは自分を見下ろす二人の視線を感じ、痛みよりもその状況への対処を優先することにした。
 周囲に居る男たちが当てにならないと感じたことも、その一つの原因だった、どうするべきか迷っているだけで動いてくれない、しかしそれもまた仕方のないことだった。
 ──シンジがあまりにも、彼らの捜している少年に似ていたからだ。
 年の頃さえ切り離して考えれば、血縁か何かの筋に当たる者だとしても、十分に納得のいくことだった。
「やれやれ」
 重力を無視して舞い降りて、エリュウは髪を撫で付け形を正した。
「無茶が過ぎるというものですよ?、シンジ様」
「う……」
「あなたの力は確実にあなたの体を蝕みます、何万年という単位でね」
 起き上がろうとするシンジの様子に、ミナホもリョウコも気を呑まれて後ずさった。
 脂汗を滴らせながら、両手で地面突っ張ねる。
「まだ無理を重ねますか?」
「……」
「あなたさまに残された時間は、そう、『五十五億年』と言ったところでしょうか」
 は?、っと呆気に取られたのはミナホだった。
 話はよくわからないが、だからと言って冗談を言っているようにも聞こえない。
「ですが僅かな消耗すらも、『我がシンジ様』との戦いにおいては、致命的な差とさえなりかねないもの、違いますか?」
 シンジは両手を地面から離し、よろめきならがも両足で立った。
「そんなの……、知るもんか」
「強情な……」
 突如、足元がぐらぐらと揺れた。
「なに?」
 地盤が緩んでいたからか、木々が揺れに堪え切れず倒れ始める、めきめきと根が引き千切れる音がして、シンジは慌てて『二人』を庇った。
「くっ!」
 糸を振るって蜘蛛の巣状に展開させる、巨大な傘を作ってシンジは倒れ込んで来る大木を避けるためのシェルターを完成させた。
『は……』
 二人がその光景にぽかんとする、自分の半分から三分の二程度の身長しかない少年が、現実だとしてはどうしても認められないことをやってのけたからだった。
「うわぁ!」
 そんな彼女たちの意識を現世に引き戻したのは、地滑りに巻き込まれて落ちていった男の悲鳴だった。
「……」
「……」
 ミナホとリョウコの二人は『あ、落ちてく』と、非常に間抜けたことを考えた。
「これは……」
 ほんの僅かに宙に浮いて平静を保ちつつも、エリュウは酷く顔をしかめた。
「地竜の解放が始まりますか」
「竜?」
「あなたさまはご存じでしょう?、地脈というものの存在を」
 シンジはそれだけで了解した。
 素晴らしく頭が回転する。
(地脈、気の噴き出し口とかって言われてるけど、要は地核がらみのエネルギーの噴き出し口で、磁場が安定してるって場所のことなんだよね、そうか、だからあんな樹が育ったんだ、暗闇の中でも腐りもしなかったのは、下から地熱と養分を与えられていたからなんだな、そんな特殊な環境で育った樹だから、寄生してたカビも影響を受けて変質しちゃってたんだ、そして変質したカビは宿主であった樹と共棲関係を結んで)
「これはまさに、神話の通りの運びとなりますね」
「神話?」
「ドリュアドの伝説でありますよ、ドリュアドにまつわる説話は幾つもありますが、その多くは宿主である樹を切り倒され、人を呪ったというものです」
「エリュウさんが樹を焼いたから」
「そうです、伝説ではこうあります、かつてその土地に住んでいた王は、ドリュアドに心を奪われ、恋をして、幾度も求婚を重ねましたが、ドリュアドにとって最も愛するもの、それは己の宿でもある樹でありました、その考えが王に嫉妬を呼び覚まし、王を暴挙に走らせたのです」
「なにをしたのさ?」
「王は激情にかられて、樹を切り倒そうとしたのですよ」
「……」
「ドリュアドはそんな王を恐れ、王の命を奪いました」
 表情に憂いを浮かべる。
「わたしも、そうしたかった」
「……」
「シンジ様を呪い、取り殺すことができれば、わたしは解放を迎えられたというのに」
「綾波みたいに言うんですね」
「わたしもまた絶望の産物でありますから」
 表情を戻す。
「そしてドリュアドもまた同じでありましょう、わたしだからわかるのです、逃れられぬ責め苦、それも生まれた時より定められし業、『わたしだからわかるのです』、死こそが最高の解放であることもあるのだと」
「そんなの」
 シンジはくっと歯噛みした。
「そんなのおかしいよ」
「ですが事実です」
 轟音が鳴る、最後の土砂崩れが派手に起こって、ようやく崩落が落ち着いた。
 一転して静寂に包まれる、耳が痛いほどの静けさの中、風が吹く。
 埃が流れる。
「……物心がついた時だと思える、最も古い記憶を、シンジ様は思い出すことができますか?」
「なにを……、なにを言い出すんですか、急に」
「わたしは思い出せますよ、そう、それは碇ユイ、彼女に嬲られた時の記憶です、直接神経を触られて、まさぐられた時に感じたあの嫌悪感!、それをわたしは忘れることができません」
 だから。
「それがノイズとなっていたのでしょうね、本来、碇ユイとシンジ様との間では、百パーセントのシンクロ率が保証されるはずでありました、ところが『わたし』がシンクロというものに対して生理的嫌悪感を忘れられずにいたために、抵抗を示してしまい、結果シンクロ率は低迷した」
 だがそれも。
「碇ユイの慕情に毒され、シンジ様を愛するようになるまでの、わずかな期間のことに過ぎませんでしたが」
 シンジは鋭く吐き捨てた。
「気持ちの悪いことを言わないでよ」
 しかしそれでもよくわからないことがある。
「エリュウさんは、どうしてあの樹を燃やそうとしたんですか、そんなことをすれば、地脈が解放されて、大変なことになるってわかってたんでしょう?」
 もちろんだとエリュウは頷く。
「そのために、今日この日を目安に、着々と下準備を積んで参りました、本来は山を制圧し、それからじっくりと封印を施すつもりでありましたが」
 溜め息を吐く。
「しかしあなたさまが先んじてしまった、シンジ様の介入が避けられぬのであれば、やむをえません」
 彼は恐ろしい考えを述べた。
「このまま地脈の解放により、山ごと吹き飛んで頂きましょう」
「な!?」
 絶句するシンジにさらに告げる。
「『シンジ様』に叱られてしまうことになりましょうが、やむを得ません、島ごと消えていただきます」
「そんなことしたら!」
「ご心配なく、被害も、影響も、この島一つに留まりましょう」
 ──なぜなら。
「『約束の時』にまで影響が及んでしまいますからね」
 ──世界が影響を押さえましょう。
 シンジはくっと歯噛みした。
 たとえどれ程大きな事件を起こしたとしても、あの『閉鎖された街』での戦いは、順当に消化されることに『決定』されているのだ。
 二千十五年からの一年近い数ヶ月間、エリュウはそのスケジュールさえ守られれば良いと考えている、しかし。
「そんなのっ!」
 シンジは大きく右手を振った、糸がしなりエリュウを襲う。
「無駄だということが!?」
 ドッと背中に来た衝撃に、エリュウは目を見開いた。
「な……」
 背中を見る、木刀が突き立っていた。
 リョウコの木刀だった。
 柄にはシンジの糸が巻き付いている。
 長々と話している間に、シンジが罠をしかけていたのだ。
(してやられたということですか!?)
 視線を戻す、シンジが居ない。
 いや、シンジは自分の懐に居た。
山吹色サンライトイエロー波紋疾走オーバードライヴ!」
「かはっ!」
 奇妙な金属音が辺りに響いた、エリュウの体がぐにゃりと歪む。
 その感触に、シンジはしまったと喚きを上げた。
「これって現し身ダミー!?」
 エリュウの顔をした人形は、にやりと笑って崩れ落ちた。
 地に染み入りながら、溶け、混ざり、肥え、そして大きくなりながら身を起こす。
 その怪物、化け物は、山の一角を取り込みながら、巨大な敵へと変貌を開始した。

 そして雲間に隠れていた人物が、その時になって動きだし、レイを強襲したのである。

「くっ」
 レイは顔を上げ、自分の邪魔をした者を睨み付けた。
「なんであんたが出てくるのよ!」
 使徒の背を庇うようにして、エリュウは冷めた瞳で見つめ返した。
「わたしにとっては、あなたこそ何故となりますが」
 ちっとレイは舌打ちをする。
 お互い、狙いは一つであろうと、目的の内容は違っているだろうが。
「シンジはなにやってんのよ」
「わたしの人形と戯れておられますよ」
「……再教育しちゃる」
「『お荷物』を背負われているようですからね、ですからあのような粗悪な人形にもてこずることになる」
 ふんっとレイは鼻で笑ってやった。
「なぁに庇っちゃってんのよ、ヘンタイ」
「愛に国境はありませんよ」
「あんたはどっちの味方なのよ」
「あなたこそいい加減子離れをなさってはどうですか?」
「そんなの勝手!」
「同じ言葉をお返ししましょう」
 エリュウは遺体の数を確認した。
「少ないですね」
 殺された者たちはともかくとして、レイの乱入により、少なくとも十人ばかりが逃走に成功している。
「アテが外れちゃった?、残念ねぇ」
 だが勝ち誇ったレイの物言いに対して、エリュウはニヤリと笑い返した。
「問題ありませんよ」
 蔑み返す。
「山ごと吹き飛ぶことになりましょうから」
「にゃにおぅ!?」
「そうなれば島原防堤に穴が空きます、流れ込む海水が全てを洗い流してくれることでしょう」
「加持のおっ……、さんって、もう居ないか」
 さすがにはしっこいと呆れ返る。
「さて……」
 エリュウは左袖をめくり、時計を確認した。
「残り十分と言ったところでしょうか?」
 ──地鳴りがする。
「それを過ぎれば」
「調子にっ」
 レイ。
「乗るな!」
 話に夢中になっていたエリュウの隙を突き、レイは素早く間合いを詰めた。
 その高い鼻に蹴りをくれる。
 しかし僅かに身を引いたエリュウの動きに、鼻面をかすめるだけに終わってしまった。
「逃げるな!」
「そうですね」
 攻勢に出ようとする、レイが受け止めようとする、そこに横から茶々が入った。
 ──ガン!
 即頭部を打った痛みにエリュウはよろめき、そのまま倒れた。
「は?」
 何事かと目を向けて、レイは膝立ちになっている男を見付けた。
 今の今まで腹這いになって、死んだふりをしていたらしい。
 構えている銃口からは硝煙が立ち上っていた。
 ──タツミであった。
「早く!」
 タツミの言葉はレイに向けられたものではなかった。
「は、はい!」
 ミナヨが必死に駆け出した、同時に疲労困憊していた術士も立ち上がる。
 これでタツミ、陰陽師、レイの三人によって、使徒を三方から取り囲む形になった。
「なんだ?」
 使徒の異変にタツミが怯む。
 急に身悶えをし始めたかと思えば、使徒の『皮』が剥け出した。
 人の皮が引き千切れ、下よりのっぺりとした軟体の生物が出現した。
 胴回りが倍ほどにもぷるんと膨れる。
 それは幾つもの触手を持った、イソギンチャクのような怪物であった、あのミナホたちを襲っていた怪物と、同じ系統の化け物だった。
 面白いとレイが笑う。
「ローパーか……、ギルの助けが欲しいとこね」
 すかさずタツミが口にした。
「KAIに、GILか?、良く知ってるな」
 にやりんとレイ。
「おじさん、やるじゃん」
 意味不明な誉め言葉を発して、レイは髪を掻き上げた、内奥より強い力が溢れ出す。
 そんなレイに恐怖心でも抱いたか、ローパーは竜巻を起こすように回転しながら、鞭を振るった。




「早く逃げて!」
 エリュウの形をしていたものもまた『使徒』だった。
 上半身だけの巨人、それでも十メートルはある、白い体は腐るように崩れ落ちる。
 骨が覗けた。
 顔の皮が削げ落ちる、長く狂暴な歯も抜けた、ドスンと地響きを上げて地面に突き立つ。
 使徒は顔を上げると、大きく口を開き、口腔を覗かせた。
 ──空気に紛れて、光の粒子が吸い込まれていく。
 閃光、爆発、放出されたビームは、山の下にある街を直撃した。
「あ、あ……」
 燃えている。
 ガソリンスタンドでもあったのか、さらに大きな爆発が起こり、黒煙があっという間に立ち上って月を隠した。
 ミナホ、リョウコ共にへたり込む。
「くっ」
 シンジはダメかと悟った、放心してしまっている二人に安全な場所に行けと言ったところで無駄であろうと、それにビームから散った火花で木が燃え始めている。
 すぐに火の手は広がるだろう、とても大きな山火事になることが予想された。
 巨人の顔が三人を見下ろした、いやらしく歪められる目、口を開ける、この距離であれば自分もただではすまないだろうが、『使い捨て』の使徒には、自己防衛保存の概念など元から持ってはいないらしい。
 目的を遂行する、それだけだ。
「う、あ、あ!」
 シンジは翼を出して、後ろの二人を守ろうとした、が、間に割り込んで来た影に翼の現出を中止する。
『爆竜』
『雷虎、推参!』
 ──カッ!
 発射されたビームが、爆竜と雷虎を襲う。
物質反射鏡リフレクターシールド
 使徒の雷光は二体の前で火球となり、そして正確に元の持ち主へと返された。
 ──ドン!
 爆砕した頭部の肉片と頭蓋骨の破片が辺りに散った。
『ぬっ』
『おっ!』
「まだ動くの!?」
 しかし使徒は、頭部を失ってなお腕を振り回し、爆竜と雷虎を払い飛ばした。
 その背中に、人影が飛び掛かる。
 ──真・天地拳!
 東方はそう叫ぶと、使徒の背中に拳を強く叩き込んだ。
 ──ゴキン!
 背骨の折れる音が鳴り響く。
 そしてシンジは、そこに生まれたチャンスを逃さなかった。
 ──空圧拳!
 ギュンッと大気が軋む音を立てた、空間ごと使徒をねじ曲げ、しぼり上げる。
 ──パン!
 限定された空間の中、破裂した。
 内部より血によって彩られた球体が完成する。
 シンジはさらに、それを握り潰す仕草を行った、連動して球体が歪み、凝縮されて、消え去った。
「先生!」
 リョウコが焦った声を上げる。
「し、シンジ、君?」
 ミナホが迷った声をかける。
 ──地響きがする。
「な、なに?」
「いかん……、崩れる」
「先生?」
「天井が崩れたからな、このままでは」
「天井?」
「地脈はそれで安定しようが……」
 口惜しそうにするのは、あの樹のことがあるからだろう。
 正しくは、あの樹に宿っていた精霊のことが。
 シンジは山の上を見上げると、出て来た穴に向かって駆け出した、
「シンジ君!?」
 斜面を掘るように手を突いて必死に上がる。
 ほこらへと向かった洞窟は完全に陥没している、飛び出す時に空けた縦穴の上に周り込む。
 縁の土や石がばらばらと下に落ちていく、穴の大きさは直径五十メートルほどもある。
(こんな穴くらいで山が崩れるはずがない……、ってことは)
 使徒の、巨大化する際のプロセスを思い出す。
(体を構成する素材に土を使ったんだ、空洞化した岩盤が山を支え切れなくなってる)
 元々この山は、あの樹を覆い隠すために、無理矢理土を盛って形作ったものなのだから。
(なんとかしなくちゃ!)


「こんのぉ!」
 横殴りに襲いかかる鞭を、ショートアッパーで跳ね上げる、バランスを欠いた独楽は挙動を怪しくしてぐらりとぐらつく。
 発砲、タツミの銃弾が使徒の足を払い飛ばした、倒れ込む。
オン!」
 陰陽師の呪印が使徒を緊縛した、巻き散らされた札が小鬼に変わって食らいつく。
 肉を噛み、ビチビチと筋を引き千切る、腹を食い破り内腑へと潜り込む、目玉をえぐり出し、鼻の穴を広げ、唇を切り、奇声を上げる。
「あ!」
 レイは叫んだ。
「あの野郎!」
 エリュウの遺体が無くなっている。
「逃げやがったなぁ!」
 地団駄を踏まされる。
「君は、一体……」
 訝しがるタツミに、レイは不満気な顔を向けた。
「あたし、急ぐから」
「お、おい!」
「知りたかったら、国際通貨統合機構の大貫おじさんに訊いて、じゃあ!」
「大貫?」
 神殿から飛び出していったレイを唖然と見送る。
「通貨統合機構も、こちらに興味を持っていたと言うことか?」


「どけどけどけー!」
 戦自兵と銃撃戦を展開していたヤクザ風の男が振り返る。
 ──ゲシ!
 その顔面を蹴り付けて、レイは軽快に飛び越えていく。
 正面の戦自兵を薙ぎ倒すおまけ付きで。
「ふっ!」
 引き金を弾かれるよりも早く後ろ回し蹴りを放つ、山肌を駆け下りる勢いが良過ぎたのか、鼻頭を潰すにとどまらず、顔面を陥没させてしまったが気にしなかった。
「シンジはどこ!」
 崖を踏み切り、空に上がる、背中から翼を広げて飛翔する。
「なに!?」


「う、わ……」
 シンジはのけぞるように後ずさった。
 土を盛り上げ、土中から長大な腕が天に突き上げる。
(エヴァ!?)
 その手は何かを掴んでいた。
 ──『樹』だ。
 ほのかに光る、緑の粉が降って来る、その一粒一粒が人の形を、レイの姿を模して消えて行く。
 シンジはその一つを手の平で受け止めた。
「……」
 それはカビの塊だった。
 握り込み、腕を見上げる。
 エヴァのものとおぼしき巨腕は、そのまま乾き、土塊つちくれとして固まってしまった。
 ──地滑りが始まった。
「うわ!」
 山肌が真下に向かって落ちていく。
 本格的な崩落の始まりであった。




 東方が爆竜と雷虎を使い、娘たちと共に避難する、爆竜はミナホを、リョウコは雷虎に抱えられ、そして東方は小脇に素裸の『青い髪の少女』を抱えていた。
 タツミはミナヨに追い付くと、彼女の手を取って山を下った。
 戦自兵と政治家たちの間には、地面にお互いを隔てる亀裂が入った。
 滑るように斜面が崩落していく、兵士たちは土砂に飲み込まれて消えていった。
 何人かの政治家や暴力団幹部たちも、足を滑らせて巻き込まれ、死んだ。
(高梨のおばさん、大丈夫かな……)
 シンジはぼんやりと、テレビを見ながら心配していた。
『お山』は警察によって封鎖されてしまっている、山は南側半分が崩落する形で削れてしまっている。
 土砂がどこに消えたのか?、地元の人間は不思議がっているが、シンジにはわかっていた。
 山の内部を埋めたのだ。
 そして誰が地脈の解放を押さえたのか?
 シンジはエヴァとおぼしきあの腕に対して思いを深める。
「不浄の行いが……」
 テレビの向こうでは、警察に混ざって、教団の信者らしき者たちが、布教活動を行っていた。
 そんな言葉に重ねられて、死亡と発表された政治家たちのことなどが取り立たされる。
 マスコミも嗅ぎつけて来ていた、推測と憶測によって、ここでどんな集会が行われていたのか述べられている。
 会合では不正な取り引きがどうのこうのと脚色されている。
 ちらりとテレビに映ったのはあの『樹』だった、今は枯れかけているが、それについては不安はなかった。
 急速に育った木の芽から落ちた種を、東方が回収していたからだ。
 東方は、それなりの場所で育てると言っていた、どこになるかはわからないが、隠れ里のような場所になるだろうと。
 そして、高梨夫人などの巫女や修験者は、まとまってその土地に移ることになるだろうとも。
(外じゃ暮らしづらくなるもんな)
 と、部屋の外から騒がしい声が聞こえた。
「凄いわあのカビ!、信号にノイズが混ざらないし、抵抗も限りなくゼロに近い、増殖速度も申し分ないし、ほんと、理想的なサンプル!、ありがたいわ!」
 ナオコの狂喜する声であった。
「ほんと!、どこから持って来たのか、教えて欲しいくらいだわ」
 シンジには、もちろん話すつもりなど無かった。
 精霊から生まれた妖精の一人を、シンジは連れ帰ったような気分になっていたからである。
 ──それにしても。
『違う!、わたしは被害者なんだ!、訴えてやる!』
 あの菊田という豚のような男が、テレビカメラに向かってがなっていた。
 シンジははぁっと溜め息を吐いた。
「加持さんは、もう……」
 幾ら土を掘り返しても、奉納された物品や多額のお伏せなどが出て来ることは無いだろう、何故なら。
 ──加持リョウジが、ちゃっかりと持ち逃げしてしまったからである。


 ──そしていま現在。
 誰も居なくなった奥座敷に、神子と呼ばれる少女が一人で佇んでいた。
 驚く東方を尻目に、樹の裂け目より溢れ出した黄金色の樹液が、人の形を作り上げていった。
 ──綾波レイ。
 臥せったまま、息を荒げている彼女の前に、真っ白な手が差し出された。
 彼女の赤い瞳に、優しげな微笑みを浮かべる少年の姿が写り込む。
『やっと逢えたね』
 何かが胸の奥より沸き上がり、込み上げた、それは感情という名のものだった。
 仮初めの姿であろうとも、温もりに触れたくて抱きついていた、だが、仮の肉体であったのは少年もまた同じことだった。
 少女が温もりに触れられたのは一瞬だった、儚く四散し、消えてしまった。
 ──あの時に感じた温もり、体臭、鼓動、息遣い。
 その全てに、もう一度包まれたいと昂ぶりを感じる、しかし……
 ──彼女の手には、一枚の写真。
 それはアスカのものだった、シンジと話しているアスカのものだ。
 彼女は楽しげな表情をしているアスカの上に手のひらをかざした、見る見る表情が険しくなる。
 写真越しにもわかるからだ、アスカから発散されている、シンジの『精』の気配が。
 それがどのような形で注ぎ込まれた物なのか?、想像するだに……
 彼女はぐしゃりと写真を握り潰した、拳が青い炎に包まれる、写真は黒い炭と化した。
 ──そして同時刻。
 ぶるりと紅の少女が震え上がり、それを見た少年が、どうしたのかと訊ねていた。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。