レイが何かをしているのなら、それは悪巧み以外にはあり得ない。
 そんな偏見を抱いていたからかもしれないが、加持はだからこそ面白がっていた。
 ──そしてここにも。
「というわけだ」
 戦略自衛隊第八駐屯部隊。
 彼らが基地としている松代の施設。その地下にある密室にて、なにかの企みが進行していた。
「この確認された『モンスター』は、現在南太平洋を北上中だ。今週中には領海内に入るだろうが……この情報はまだネルフには伝わっていない」
「その前に我々で押さえてはしまわないのですか?」
「……先日の件がある」
 男は苦々しげに口にした。
「我々には汚名をすすぐ機会が与えられることはもはやない」
 悔しげにはしたものの、少年は黙って引き下がった。
 二十人ばかりが居る。その半数は子供で、半分は大人だった。
「我々に命令が下るとすれば、それは治安維持以上のものではない……そこでだ」
 彼は大人の側に目を向けた。
「工作部隊には、隠密裏に第三新東京市に入ってもらう」
「目標はチルドレンですか?」
「いや、この三人だ」
 と、男……笠置は貼り付けていた三人の子供の写真の傍を叩いた。
 マナ、ムサシ、ケイタの三人組が写っている。どこから漏れたものなのか、とうとう戦自は尻尾をつかんだようである。
 笠置は威圧的に全員の顔を眺めてから口にした。
「先発隊にはテロ活動を行ってもらう。それによる都市部の混乱を理由に後発隊が街へと乗り込む。表向きの理由は治安維持を持ち出すが……あくまで目標はこの三人だ」
 ついで第三新東京市の地図を叩いた。
「……ネルフ内部に逃げ込まれないよう、タイミングを合わせる。方法は別に指示する。最悪でもシェルターへ避難するよう誘導せねばならん。そのような行動を選択するようにも問題を発生させる」
 それからと付け加えておく。
「作戦の趣旨はあくまで三名の捕獲だが、緊急の場合には『処理』も検討に入れていることを明言しておく。以上だ」
 ──彼は馬場一等佐に後を任せると、会議室を先に出た。
 廊下を歩く……一人ではない。議場の外で待っていた少女が、静かに彼の後についていた。
 ──場違いなフード付きのマントを羽織った少女である。
 体を表す線から少女であると知れるだけで、顔は目深にかぶったフードによって隠されていた。
 フードの先からは、青い毛先がちらついている。
(好かんな)
 彼は背中にじっとりと汗が噴き出すのを感じていた。この得体の知れない相手からは、言いしれぬ恐怖を感じるのである。
 ──切り札である。
 切り札として、彼女はお山様……神子さまより押し付けられた少女であった。その力のほどは知れない。しかし圧倒的な存在感は、神子さまに匹敵しうるものが感じられた。
 怖くなるのだ。
 どうしても。
 震えが走る。
 抑え切れない。
 畏怖に似ているその感情をもてあまし、彼は逃げ出したくなる気持ちに囚われていた。
「君には先に行ってもらう」
 こくんと頷いたようだった。
(一体、どういう……)
 存在なのだろうかと訝しむ。
 しかし『存在』と表現した無意識の心情にこそ正解があったのだとは気付けなかった。
 彼はその程度には堅物だった。




 ──数日後。
「ん!」
 起き抜けに聞こえたそんな気合いに、シンジは寝ぼけまなこをこすりながら、声の主を捜してしまった。
「早いんだね」
 どこから持ち込んだものなのか? 人の大きさほどもある姿見の前で、レイが自分のかっこうを確認していた。
「どこか行くの?」
「うん、デート」
「そうなんだ」
 学校の制服なのだが、リボンが蝶ネクタイになっていた。
 それを揺らすようにして真ん中に合わせると、レイはじゃあねと手を振った。
「二・三週間出かけてくるから」
「わかったよ……って、デート?」
 シンジは首をひねって考えた。
「誰とだろ?」
 ──ロビーを抜けて、レイは玄関前に横付けにされていた黒い車へと乗り込んだ。
「お待たせー!」
 中には二人の男が待っていた。
「なぁに冬月ちゃんてば、ふくれっ面して」
 このこのと頬をつつく。
 後部座席は向き合う形で二列のシートがしつらえられていた。レイが座ったのは後部側の、ゲンドウの隣だった。
「碇……」
 コウゾウは並んだ二人の姿に嫌悪を覚えたのか、怒りをこらえて口を開いた。
「どういうことだこれは?」
 ゲンドウの態度は変わらなかった。
「彼女も連れて行く」
「だからどうしてだ!」
 怒っちゃいやんとレイが言った。
「旦那さんが愛人を同伴するって言い出したからって怒ってるようじゃ、器量ってモンが知れちゃうよん?」
「旦那……」
「愛人だと?」
「ま、冬月ちゃんが苛立ってる理由って、あたしの顔にあるんでしょうけど?」
 二人は目を剥いて驚いた。
 間近に見ていたのだ……それなのに次の瞬間には、少女が大人の女性に変わっていた。
「ユイ君……なのか」
 コウゾウは呻くように声を震わせてしまっていた。
 衣服まではそうはいかない。シャツの裾は身長が伸びたためにスカートの中から出てしまっていた。おなかが見える。
 スカートも不自然な長さになって、むっちりとしたふとももが目を引いた。
 レイはその足を組み合わせると、ボタンが飛びそうになっている胸の前に腕を組んだ。
「お久しぶりですね……なぁんてね」
 しゅぽんと元のサイズに戻った。
「幻覚……」
「じゃないよ?」
 レイはいそいそとシャツをスカートの中に押し込んだ。
「君は一体……」
「なんなんだ?」
 レイはそれはまだ秘密だと口にした。
「意地悪してるわけじゃないよ? ただ今どんなことを口にしたって、都合よく利用するための嘘を言ってるんじゃないかって思われるだけだろうなって思うだけ」
「……こちらが君の言葉の真偽を見分けられるようになるまでは、なにも語るつもりはない……と?」
「騙すわけじゃなくてね」
「人は信じたいものを信じる」
「そういうこと」
 しかしなと言いかけるコウゾウに、ゲンドウは焦るなと目で制止をかけた。
 レイもまたそのことをからかう。
「そうそう。いっくら愛しのユイちゃんの身姿だからって、動揺激しすぎよん?」
 コウゾウは彼女の言葉を無視して訊ねた。
「お前はなんともないのか?」
「……ユイの姿をしているというだけで動揺するようでは、今の地位にはいられん」
「それはそうだろうが……」
「ユイによく似た女性をけしかけられたことは一度や二度ではない……ユイの親族から選び出された女を使って揺さぶりをかけられたこともあった。お前も慣れるべきだな」
「……俺はそこまで泰然とはできんよ」
 それでもふぅっと大きく息を吹き出して、コウゾウはなんとか気持ちを落ち着けた。
 代わってレイへと話しかける……しかしコウゾウは知らないだけであった。
 ……ゲンドウには免疫があったのだ。レイに手を吹き飛ばされたことで、ユイはただ一人であり、それ以外の者はユイではないのだという認識が、しっかりとできあがってしまっていた。
 ゆえに、彼は動揺を引き起こさなかったのである。
「君は……人間ではないのか?」
「うん」
 コウゾウは思わず否定しろと言いかけた。
「素直に認めないで欲しかったな」
 レイは首を傾げておもしろそうにした。
「じゃあどこぞに生きてる仙人の仲間だとでも言って欲しかった?」
「そうなのかね?」
「ぜんぜん違う……あたしは『種類』も『分類』も違う。第一もしそうだったらどうするの? 仙界が現世に干渉してきてるとなったら大事よ?」
 うっと唸ったコウゾウである。
 それはそれで非常にまずい事態だからだ。
「……目的くらいは聞かせてもらいたいものだな」
「サードインパクトの阻止」
「ほう?」
「安心した?」
 レイは体を前に倒して、下からのぞき込むようにして笑った。
「あたしは別に、そこのお父さんやおじいちゃんの邪魔をしようってつもりはないのよ?」
 コウゾウはお父さん……とゲンドウが呟いたのをしっかりと聞いてしまったが、聞かなかったことにした。
「おじいちゃんというのはわたしのことかね……」
「うん。まああっちの『もうろくじじい』も含めてもいいけどね!」
 体を起こす。
「あたしがお父さんの誘いに乗ったのは、この話もしたかったから」
 ちらりと運転席を見る。
 それに気が付いて、ゲンドウは手元の操作で仕切り板を上げた。
「これでいいだろう」
「ありがとう、お父さん」
 これはわざとだ……とコウゾウは思った。
 ゲンドウの頬がひくついたからだ。
(そういったシチュエーションに弱かったのか)
 思わず見つけてしまった『可愛い一面』に吐き気を催す。
「にあわんぞ」
「なにがだ」
 レイはわかっていたからか、必死になって笑いをかみ殺した。
「ま、まあそのことはあとで」
「そうだな」
「なんの話だ」
「お前はそうやって仏頂面になっていろ。で?」
「うん……あたしは知ってるってことだけは伝えておこうと思ったのよ」
 ええととスカートの中……股の間に手を入れて、どうやって入っていたのか分厚い冊子を二冊取り出した。
「はいこれ、資料」
「……」
「なに?」
「そんなところに隠さないで欲しいものだと思ってね」
「あ、照れた? 大丈夫。ぬくくないでしょ?」
 いっくらあたしでも股の間に挟んで歩いたりしませんと、だったらどうやって収めていたのか訊きたくなるようなことをレイは言った。
「人類補完計画……」
「なに?」
「これは……その素案だ」
 コウゾウも驚いたが、中身はまさしくそのものだった。
 懐かしい記憶がよみがえってくる。
 ──傷心もいい。だが……もうお前ひとりの体じゃないことを自覚してくれ。
「まあ? 神様でもなければ取り戻せないっていうのなら、神様になる道をたどるのもわかるけどね」
 彼はレイの言葉にはっとした。
「そこまで知っているのか」
「あ、シンジはお母さんがエヴァの中にいることは知ってるけど、お父さんがなにをしようとしてるかについては知らないからね」
「だが君は知っている……」
「そう」
 にっこりと笑う。
 彼らはそこに、知り合った頃には既に失われていたユイの無邪気な一面というものを見てしまった。
 そしてレイはその破壊力を知っていた。
「『お母さん』が死んだのは本当に事故だった……でもサルベージの結果はお母さんに帰るつもりがないようにも思えちゃうものだった。だからコウゾウおじいちゃんはお母さんの意志だって感じたようだけど……」
「違うというのか?」
「それも信じる信じないの話になるからやめとこうよ……とにかくお父さんはだったらお母さんと対等に話せる存在になるしかないと思い切って、人類補完計画をぶち上げた」
 ゲンドウはそうだと認めた。
「碇……」
「いまさら隠してもはじまらん」
「はったりだったらどうする」
「もうろくしたな」
「なんだと?」
「はいはいそこまで」
 まったくもうとレイは割って入った。
「お二人とも顔をつきあわせるとすぐそうなんですから……」
 そもそも……としかりつける口調も声音もユイそっくりで、二人は黙って叱られてしまった。
 ──不覚にも懐かしさに囚われてしまったからである。
 しかしいつまでも浸っているわけにはいかなかった。
「わかった……話が終わるまでは黙っていよう」
「じゃ……ってどこまで話したっけ? ああ……で、コウゾウおじいちゃんはお父さんがお母さんに会いに行った後の後始末を請け負うつもりだった。アダムとリリスを使った超進化はお父さん一人の身に起きて、怒り狂ったご老体の暴挙が……って展開を想像してるんだろうけど、老人方は老人方で、世界全体の閉塞についてを憂えている」
 そんなに捨てたモンじゃないのにねぇと肩をすくめる。
「もうろくじいさんたちは全人類に公平に超進化を与えるつもりでいる……それはそれではた迷惑な話なんだけど」
 レイは微妙な間を置いた。
 その駆け引きの結果、残されたのは碇シンジと惣流・アスカ・ラングレー。そして赤くなった星だけであったのだが……その状態をサードインパクトと呼んでいるのは彼ら体験者だけなのである。
「……問題は、どっちの計画にも『サードインパクト』の可能性があるってことなのよね」
「『共振消滅』かね……南極のような」
「そゆこと。本来アダムは自分と同じ魂たちをその身に還元して、あらたな生命の胞子に変えてばらまくはずだった……んだけど、南極隊が予想外にがんばってくれちゃったおかげで、その魂はアダムと共に次元の狭間に漂ってしまった」
「だがアダムはここにある」
「碇!」
 義手であった手が奇妙な寄生生物によって有機化していた。
 手袋を取ってそれを見せたゲンドウのうかつさに、コウゾウは思わず慌てたが、彼はレイの反応を見て気を落ち着けた。
「……君はこのことも知って」
「うん」
「…………」
「まああたしに秘密はないと思ってくれてけっこうですよん」
 安心してよと微笑んだのだが、それはコウゾウの弱くなった心臓に余計な負担を強いただけだった。
「話を続けてくれ!」
「はぁい」
 レイはゲンドウを見上げてちろっと舌を出した。
 いたずらっこそのままに。
「そのアダムなんだけど……」
 ゲンドウが手袋をはめるのをなにげに見つめる。
「アダムは再生されてしまった……肉だけだったけど。でも巨大な質量体には魂が宿るものなのよね。ってこれは時田サンのお言葉だけど。そんなナリをしていてもアダムは腐ってもアダムだったってこと。その小さな体に莫大な情報を詰め込んでいるの。つまり密度がタンパク質の圧縮率なんかでは語れないくらいに高いのね? だから消えたはずのアダムの魂が」
「戻ろうとしているのか」
「それが使徒たち。じゃあ異相体は?」
 はっとする。
「アダムと共に消えた生物たち!?」
「ご名答」
 だから葛城さんには内緒にしてねとレイは頼んだ。
「もしかすると異相体の中には葛城さんのパパの魂が戻ってきてたのも居たかもしれないから」
「なんということだ……」
 愕然とする。
「では業が業を呼んでいるというのか、我々は」
「まあたしもそういった人間の業が生んだ存在だとでも思ってちょうだい」
「シンジは」
「は?」
「シンジは俺の業の産物かと訊いている」
「ああ……」
 レイは頬にかかる髪を指に絡めていじくった。
「大丈夫……あの子は『もう』人間だから」
「もう?」
「そう……いろんなことがあったからね」
 遠い目をする。そのためにゲンドウはそれ以上の答えを求められなくなってしまった。
「そうか」
「うん。今でもちょっと人間の域から出てるところがあるけど……それは可能性の範囲だから」
「可能性? 人としてのか」
「人間ってのはシンジくらいのポテンシャルは秘めてるってこと。ただ人間が編み出した科学ってものに照らし合わせた訓練では、絶対に身に付かないものを手に入れてるだけ」
「魔法かね?」
「それも違う。一度覚えたことは自然にできるようになるものでしょう? それと同じこと。あくまで人体に可能な範囲のことしかできない」
「あれで人の範疇かね……」
 コウゾウは糸を操り、ビームを撃ってみせた姿を思い出して戦慄した。
「だが……だとすればシンジ君はユイ君に会えるのではないのかね?」
「はぁ?」
「そこまで高みへと登っているというのなら……」
 ああとレイは納得した顔を見せた。
「高みに登るの意味が違うって……シンジは『この世界』での頂点を極めた……極めかけた? だけなのよね。生体としての頂点に立ちつつあるだけ。ところがお母さんはバーンとこの世界の外に行っちゃったのよ。それはあたしたちから見れば高みに登ったように見えるけど、実際には風船みたいに漂うだけの存在になっただけ。それも、ユイお母さんは風船をふくらませてる空気になってしまっただけ。だからシンジって持ち手がいないとどこにも行けない」
「エヴァのことか? エヴァが風船であり、彼女は中にいると」
「でも中に詰まっているのはお母さん一人じゃない。下手をすれば他の世界がまるごと詰まってたりして」
「……」
「そこでは碇ユイちゃんの大冒険! なんてのが行われているかもしれないんだけど……まあそれはまた別のお話ってわけで」
 行われているのかっと思ったがコウゾウの理性がそれを叫ばせなかった。
「とにかく……お父さんがこっちの勝手をあるていど認めてくれたことで、あたしとしてもそろそろいいかなーなんてさ」
「なにがだね?」
 んもう! っとレイは唇を尖らせた。
「おじいちゃん頭悪すぎ!」
「……利害は一致する」
「そゆこと」
 さっすがパパ! レイはゲンドウの腕に組み付いた。
「そういうことだから協力してよぉ」
「やめないか」
「碇!」
 言葉遣いが変化してしまっていることに危機感を抱いて、コウゾウは慌て気味に口を開いた。
「そう簡単に信じていいのか!?」
「……かまわん」
「だがお前は!」
「別にこの娘を信じたわけではない」
 んまっというレイの声をゲンドウは無視した。
「……だが、シンジを裏切るような真似はしないはずだ」
 うんうんと頷くレイである。
「お父さんもでしょ?」
 ゲンドウは自分自身を皮肉った。
「俺はシンジを傷つけてばかりいる」
「でも本当は傷つけたくはないんでしょう? 傷つけてしまうだけの自分に嫌気がさして逃げちゃった。それが尾を引いてるだけなんでしょう?」
 優しい目をする。
「……でも零号機のからみでレイちゃんが事故っちゃって動けなくなっちゃったから、どうしても呼び寄せなくちゃならなくなった。さぞかし断腸の思いだったでしょうね。零号機の目処が立たなくなってしまったために、確実に起動できるであろう初号機とシンジが必要になってしまっただなんて。違う?」
 ゲンドウは何を考えているのかわからない様子を見せた。
 目を細めている、自分の運命を、その皮肉を笑っているのかもしれない。
 彼は窓の外の景色を眺めると、遠い昔の記憶を引きずり出した。それはシンジを捨てた日の記憶だった。
 男だったらシンジと名付ける。あの時は確かに親になるのだなと喜んでいた。しかし同時に実感していることもあったのだ。
 自分は親になってしまった人間であって、親になるつもりはなかったのだなと。
 感傷に浸りきる。そんなゲンドウを現実へと引き戻したのはレイだった。
「大丈夫。シンジはちゃんと承知してるから」
 これにはさすがに驚いたようだった。
「知っているだと?」
「うん。だからシンジはお姉ちゃんに優しいんだから」
 これは嘘だが、何かしらの感動を二人に与えたらしかった。
 ──策士であるというよりは、ずるがしこい。
「ま……そんなこともあってさ。あたしとしてはお父さんとはぶつかりたくないのよね」
「なぜだ?」
「ぶつかることになった時、シンジは間違いなくそっちに付くから」
「なんだと?」
 レイは眉間にしわを寄せて、その上に指を当てた。
「これが困ったことにねぇ……一緒にいて楽しい『お友達』って、そっちの方に多いのよね。だからたぶん、シンジはそっちに味方する」
「だがシンジ君は君の……」
 なんだろうか?
 コウゾウは言葉に迷ってしまった。だがレイはそれを笑ったりはしなった。
「うん……あたしたちはもう、言葉じゃ表せないような関係なのよね。つまり殺し合いだってした仲なのよ」
「なんだと?」
「コロシアイ。お互いとても大切には思ってるけど、だからといって主義とか主張ってのは別問題なの。それについては折り合うつもりなんてどこにもないから、時々大げんかをやらかしちゃうのよね」
「それも殺し合いに発展するようなけんかをかね?」
「そう……お互い熱くなりすぎると見境が付かなくなっちゃうから……それに」
「なんだね?」
「これもまた困ったことにね……あたし、別にシンジがいなくてもかまわないのよ」
 二人はその言葉に息を呑んだ。しかしレイはゲンドウに対して、お父さんもそうでしょうと問いかけた。
「今はお姉ちゃんがいる……アスカもね? エヴァが必要だという意味では、シンジは絶対に必要なファクターなんかじゃないでしょう?」
 もちろんと続けた。
「いずれあうことになるお母さんに嫌われたくなかったら、死んでもらっちゃ困るでしょうけど」
 レイは当たり前だという言葉でも期待したのか、間を空けたのだが、そんな声が返ることはなかった。
「……あたしのやろうとしてることにも」
 ため息を交えつつ続ける。
「別にシンジはいらないのよね。だから感傷……みたいなものなのかもしれない。シンジは」
「そうだな」
「碇?」
「俺にとってもシンジは感傷なのかもしれん……レイがそうであるように。全てはユイの」
「……そうか」
「ああ。そしてシンジにとってもこの娘は感傷にすぎんのだろう。それならばわかる」
「そういうことか……」
「まあ……あたしたちはそれぞれに次のステップに進もうとしているってこと。いつまでも感傷に囚われているわけにはいかない。いつかは見切りをつけなくちゃいけない。それができないのなら」
「なんだね?」
「『諦める』しかない」
 大人二人は息を呑んだ。
「それはできん」
「そうだな……」
「うん……あたしもシンジも、それはできない相談だから、喧嘩をすることもあるの。でも別に嫌ってるわけじゃないから一緒にいるの。主義とか主張を突きつけあいながらね」
「ネルフにいるのもそういう理由かね」
「もちろんエヴァとかネルフが必要だって打算的なものもあるけどね」
 レイは子供相応の顔をして笑って見せた。
「だから今度のことは渡りに船だったかな? ちょっとキモかったけど」
「なぜかね?」
「どういうつもりで……って思うじゃない。やっぱり」
 それはそうだった。
「だから南極まで行く。来るなら来い。なんて言われた日には、船の中で船員さんたちの慰み者にされるのかしらんって思ったモン」
 ゲンドウが仏頂面になって黙してしまったために、コウゾウが取りなした。
「馬鹿言っちゃいかんよ……」
「うん。でもさぁ……赤木博士のことがあるじゃない?」
 まともに息を詰まらせたのはゲンドウだった。
「碇……」
「…………」
 黙秘権を行使中である。
「シンジはねぇ……どうするつもりなのかなぁって言ってるしねぇ……」
 ほぉっとコウゾウ。
「シンジ君は知っているのかね?」
「うん。そうするとお母さんはどうするんだろうって悩んでた」
 これもまた嘘である。からかっているだけだ……が、二人にはわからない。
「おい碇……」
「問題ない」
「どこがだ」
 当然のごとく答えはない。
「ま」
 レイは笑って続けた。
「全部はお母さんしだいね。このお父さんは優柔不断だから」
 だからがんばってとレイは言った。
「お父さんががんばってくれたら、『サードインパクト』の危険はなくなるんだから……まあ、今はまだ使徒を釣る餌って意味では必要だから、粘ってもらわなきゃなんないんだけど」
 ゲンドウ一人がユイに会うためにアダムとリリスを使ってくれれば、『サードインパクト』が起きることはなくなる。
 もちろんそこまで楽観視してはいないのだが、レイは期待を持っているようだった。
 その誘いに乗って、ゲンドウが『正史』とは違った行動をし、歪みを生んでくれる状況を。
 しかしそれを訊いた二人には、この場合の『サードインパクト』の意味合いを正確に捉えることはできなかった。
 レイは『あの終焉』のことをいっているのだ。
「同盟……すべきだな、これは」
 ようやくコウゾウも折れたようだった。
「しかし……シンジ君は本当に知っているのかね」
「なに?」
「碇のしていることを……その、赤木君に対する所行を」
「……大抵は知ってる」
「そうか……」
「けど、でも仕方ないかなって諦めてる」
 これにはコウゾウは驚きの声を上げてしまった。
「なんだって?」
 うん……とレイ。
「だってさ? 仕方ないじゃない……奥さんが亡くなったんでしょ? 泣くほど辛くて当たり前じゃない……誰かにすがらないとやってられない。そうでしょう?」
 大人二人は声を出さない。
「だから諦めちゃってるの……『ママ』についても同じことなの。本当にお父さんがなにをしようとしているのかはわかってないの。でも何をしてきたかは知ってるの。その動機についてもね?」
「理解はしているというのかね?」
「だって! ……ほんとうに死んでるわけじゃないんだよ? そこに取り戻す方法があるっていうのに、どうして諦めることなんてできるのよ? 人に迷惑がかかるから? だから諦めるの? そんなんじゃあ、その愛とか恋って本物だったのかって、言いたくなって当然じゃない!」
「シンジ君がそう言ったのかね?」
「言ってない。でもあたしと同じこと思ってる」
「ほぉ?」
 コウゾウの言葉は揶揄している風にも受け止められるものであったが、レイは無視した。
 エヴァでありユイでありレイでありシンジであり……考えたくもないのだがカヲルも混ざってるかもしれないレイにとっては、シンジの考えくらいはわかって当然のことなのだ。
 ただし……それを許容できるかどうかの感情論になると、別問題だが。
「シンジだってね……お父さんを死ぬほど求めてたんだよ? 知ってるかな? シンジね、捨てられてた自転車を拾ったことがあったの。それで警察に捕まったんだけど、これでお父さんが来てくれるかなって考えてた」
 それは悪いことなのだが……。
「あのままだったらきっと、人にかまってもらうために悪いことをするような人間になってたかもしれないよ? 悪いことだってわかってても、人に迷惑をかけるなんていけないことなんだってわかってるんだけど、やめられない。そんな自分を嫌いながら生きてくような人間になっちゃってたかもしれないよ? どうしてだかわかる?」
「それは……碇を好きだからだろうな」
「冬月……」
「よかったじゃないか。嫌われてなくて」
「まあ今はどうかはわかんないけどさ」
 台無しにするレイである。
「おんなじこと! 他のなにも目に入らなくなる……どうでもいいってくらいにならないと本物じゃないでしょ。どんな気持ちも!」
「だが愛とはな……」
 目前のひげ面を見やる。
「にあわんな」
「うるさい」
「でも女冥利につきるっていうの? いいよねぇ……」
 ほうっと彼女は熱を持った頬に手を当てて陶酔した表情を見せた。
「たとえ世界を敵に回しても……なんて。そこまで求められたらどんな女でもいっちゃうかも」
「……普通はそんな感情、怖くなるものだと思うがね」
「じゃあお母さんはどうだったと思う?」
「それは……」
 コウゾウは言葉に詰まったまま固まってしまった。
「それは……」
「だめだこりゃ」
 レイはゲンドウを見上げて口にした。
「認めたくないみたいね」
「ふん」
 こちらは照れているようであった。




 ──悲鳴が上がる。
「ふん!」
 力を入れて斬り伏せる。
 刀によって確実に殺せる急所の数は、銃に比べれば格段に少ない。
 その上に肉に刃を入れ時には、骨を断たねばならないのだから大仕事だ。
 息が荒いのは慣れぬ仕事しているからだろう。パイロンである。
 彼は青龍刀の切っ先を地につけると、呼吸を整えるために大きく息を吸い、吐き出した。
「……なんだな」
 一部始終を見ていたハロルドが口にする。
「よくもまぁこんな場所で深呼吸なんてできるもんだ。血の匂いでむせかえりそうだぜ」
 周囲には十体ばかり人だったものが転がっていた。
 手足を切られ、胸を突かれた死体。頭を割られた死体。様々だ。
「気分が悪くならないか?」
「同感だ」
 珍しくパイロンは毒づいた。
「これは俺の性分に合わない仕事だ」
「俺には似合うってのか?」
「いや……お前に似合うのは無差別テロだからな」
「暗殺者様がよくいうぜ」
 パイロンはブンと風を起こすように刀を振った。刀身の腹に銃弾が二発音を立てた。
 流れ弾である。
 少し離れた場所ではレイクが酷く難渋をしめしていた。
 木陰から木陰に走り、パイロンが倒した敵の銃を奪っては、それを使っているのだが……。
「くそっ」
 毒づいて吐き捨てる。
「なんで見えるんだよ」
 パイロンも敵も……それがよくわからない。
 殺気などという不確かなものを察知しろと言われてもできるわけがない。だからどうしても判断が曖昧になってしまう。
 確かにわかるものはある……ゾクリと来る瞬間が。だがしかしそれに従って動くことができないのだ。そこまで反射的には動けない。
 ──結果。
「くうっ!」
 幹が爆ぜた。破片に目を閉じてしまう。狙撃されたのだ。
(暗視ゴーグルでも持ってるんじゃないのか!?)
 だがパイロンにやられて倒れ伏している男たちの装備品からは、ろくな武器を持っていないことが確認されていた。
 その内、悲鳴が遠くなり、聞こえなくなると、ネルフの隊が静かに現れて、倒れ伏している不審者たちを引き起こしては注射を打ち、収容をし始めた。
「こちらの被害は?」
「軽傷が数名」
「死者が出てなければいい」
「はい」
「こいつらの手当ては最低で済ませろ。尋問可能な段階にまで回復させれば十分だ。赤木研を頼ってもかまわん」
「はっ」
 そんなやり取りを耳にする。
「はぁ……」
 レイクは空を見上げて鬱になった。
「俺は……なにをやってんだ?」


「作戦は順調のようですわね」
 天井部。つららのようにぶらさがるビルからの映像に、リツコが不機嫌な調子で口にした。
 ビル群の『最下部』には監視装置が設置されている。初号機によって喪失してしまっていたものが、ようやく復旧したのである。
 光学、熱感知、様々な方法で森林部を走査している。
 あまりに映像がクリアなのは、カメラの性能と天井から地表までの距離が短いためだった。
 そのせいで、リツコは見たくもなかった人が死ぬ光景を見せられてしまったのである。
「この調子だと、今日中には終わりそうですね」
 言ったのはミサトだった。彼女はマヤの他にも退席を願った者たちに許しを与えて、発令所の中を男だらけにしてしまっていた。
「ネルフ側の実力が出ている……それだけでしょう」
 いかめしい顔つきでゴドルフィンは答えた。
 彼は別段、言葉に裏を持たせたつもりはなかったのだが、そう聞こえてしまうのも無理のない話ではあった。
「装備は一流。訓練も十分に積んでいる。それでも甘さが残るのは、彼ら自身の問題でしかなかったわけです。まあ、連中への反発心から、いさかいを起こすかもしれないと懸念しておったのですが」
 ゴドルフィンのいう彼らとは、もちろんハロルドたちのことである。
「……それに関しては、多少の慣れがありましたから」
 ミサトは答えつつも、やり難いなぁという顔をした。
 それはゴドルフィンが、敬語を使うことをやめてくれないからである。
 彼は雇われの立場であるからと階級には従うつもりであるらしく、馴れ合いを演じてはくれなかった。
「慣れ……ですか?」
「ええ……シンジ君たちのことですよ」
「なるほど」
「彼らはあくまで異分子ですから……でも」
「なんです?」
「笑ってください……わたしは最初、あなたに相談するよりも、シンジ君に頼むことを考えました」
 ゴドルフィンは、特に憤慨も軽蔑もしなかった。
「……笑いませんよ」
「そうですか?」
「ええ。彼らの戦闘能力は、個々における限り確実にわたしたちの上を行きますからな」
 それでとゴドルフィンは先を促した。
「でも頼まなかった……何故です?」
「子供だからと思ったからです」
 それは正しい感性だとゴドルフィンは褒めた。
「……どんな(なり)をしていようとも子供は子供です。その感性を忘れた時、人は子供を戦力として計上するようになる。例えば自爆テロのための使いのように」
「わたしは同類ということですか」
「その手前にいると言っておきましょう。ほんの少しでも事態が進展したならば、仕方がないといって割り切る様子が見えるようですからな」
 ミサトはすぅっと息を吸い込んだ。思わず反論しかけたからだ。
「気をつけることにします……ただでさえ子供たちに任せてしまって、ろくに働いてもいないというのに……」
 こんなことまで子供に任せるわけにはと言う。
 渋い顔をしたミサトの襟章は、以前のものとは違っていた。
 ──昇進、ですか?
 ミサトが突然な呼び出しを受けたのは、まさに昨日のことであった。
「不服かね?」
「正直……理由がよくわかりません」
「君はよくやってくれている」
 コウゾウはお前からも言葉をかけろとゲンドウを責めたが、ゲンドウはそんなコウゾウの視線など気にもとめず、いつものポーズを崩さなかった。
 それがミサトの疑念をふくれあがらせた。
「よくやって……とおっしゃられますが、使徒戦においては子供たちによる働きが大きすぎます。そしてそれ以外については主に赤木博士の功績であり、やはり自分の昇進にかかるものがあるとは思えません」
 コウゾウは頑固な子だなと肩をすくめた。
「わかった本当のことを話そう──実は国連から依頼が来ていてね」
「国連から? 依頼ですか?」
「これだ」
 話に割り込み、ゲンドウが資料を指し示した。
「失礼します。これは?」
「国連による、新設組織の概要だ」
「TDF……Terrenstrial Defense Forceって、地球防衛隊ですか!?」
 顔を上げる。
「本気ですか!?」
「わたしも神経を疑ったがね」
 コウゾウは偏頭痛をこらえているのか、眉間にしわが寄っていた。
「しかし使徒のみならず怪獣も出る昨今とあっては、こういった流れもまたやむを得ないことなのかもしれん」
「はぁ……」
「そして創設に当たっては、現在迎撃を担っている我々の協力を得たいのだそうだ。特にその柔軟な発想については学びたいところが大きいらしい」
 しかしねとコウゾウは口を挟む余地を与えなかった。
「彼らの目的は防衛組織の創設にはないんだよ」
「ではなにを?」
「連中はネルフに部隊を駐留させたいんだよ。いざというときのためにね」
「……なるほど、それなら納得できます」
「夢物語だよ。そんなものが作れるのならば、ネルフなどは初めから軍組織として立ち上げることができたのだからね。ゲヒルンという研究機関を転身させるということでなんとかするのが限界だった。……まあ小国の思惑は違うだろうが」
「なんですか?」
「予算だよ。これ以上は国の存続に関わる。しかし弐号機と国連軍によって実に効率の良い作戦方式が提示された」
「ATフィールドはエヴァが中和し、戦闘は国連軍が行う……」
「そうだ。下手にエヴァを傷つけるよりも、よほど安い予算で実行できる作戦だよ」
「生き残りをかけるのならば、金よりも人と兵器を提供すると」
「これ以上の要求には応えられんというわけだよ。軍隊を失っても国を維持することはできるが、金がなくなれば兵器などただのがらくただからな」
「金食い虫である兵器を買い取らせるつもりなのでしょうか?」
「下取りくらいはさせるつもりがあるかもしれんがね……まあその辺りのこともあって、こちらとしても体制の強化をはからねばならん」
「ですが単に階級が上がっているだけでは……」
「報告は来ている」
 ゲンドウが許可を与えた。
「葛城『三佐』には不穏分子の掃討を命じる」
「それは……」
「それにわたしたちは南極へ行かなければならない。その留守も任せることになるよ」
「そんな!」
「みごとに果たしてくれたまえ。その実績から認められる尊敬と権力こそが、今は必要なものなのだよ」
 ミサトにはわかりましたと承諾する以外の道はなかった。
 確かにそれはそうなのだが安易に過ぎる。
 この状況下で司令と副司令の二人が消えれば、不穏分子どもが胎動を始めるに決まっているのだ。そして自分には部下となる者たちをなつかせておくための時間がない。
「この問題累積の時に、揃って二人が居なくなれば、鳴りを潜めてた連中が動き出すに決まってるじゃない。どうやっても最善どころか最悪に転がるに決まってる状況で、後でケチを付けられるに決まってるやり方でしか切り抜けられないのがわかっているのに、引き受けなくちゃならないなんて……」
 そんな具合に加持にこぼして、ならばと薦められたのが、ゴドルフィンを頼るというものだったのである。
(どこまでも人任せで……)
 しかし今は失敗などできないのだといいわけをした。
「まあ、そう悲観したものでもないでしょう」
 ミサトは上の空でゴドルフィンの言葉に相づちを打っていた。
「そうでしょうか?」
「はい。存外に優秀な指揮官というものは、多角的に物事を捉えることに優れているものです。戦場では複数の事態が起きるものです。その上でこれという英断を下すことができるのは、百人に一人という素質が必要になるものですよ」
 ミサトは笑った。
「わたしにはその素質があると?」
「少なくともわたしには無理です」
 でもと否定しようとするミサトを制してゴドルフィンは言った。
「現場指揮官の指揮など、知れたものだということですよ」
 わかりますかと、不審がるミサトに教えてやる。
「現場では全てがリアルタイムに進行するものです。我々現場で働く者はいつでも直面している事態に対してのみを考えるので精一杯です。その時に発揮される生存と作戦の遂行を目指した指揮能力と、本部から全体に対して指示を下す人間との指揮能力とでは、言葉は同じでも全く性質が異なるものです」
「なるほど……」
「それに戦争屋は、陸、海、空と、立体的に気を配らねばなりません。ですがあなたは使徒と戦うことだけを宿命付けられて選抜された存在です。はじめに必要とされた能力と、今になって必要とされている能力とに開きが生まれてしまっている。この問題を一朝一夕で解決したいというのは、それこそが驕りでしょう」
「ですが今すぐにでもと求められていることです」
「ですから利用できるものは利用なさればよろしい。戦場ではそうしなければ生き残れません。自分にないものは他人に頼る。頼られた人間はそれを誇りに思い働きをみせる。そうしたことが相互のつながりを深くしていくのです」
 ミサトは対人戦闘における自分の実戦経験を有効活用しろといっているのねと勝手に判断した。
 だがゴドルフィンは敢えて隠した言葉を持っていた。それは彼女を侮辱することにもなりかねない言葉だったからである。
(いつか来る『かもしれない』怪獣退治を行うための専門職に就きたがる人間など、みな真剣に取り合いはしなかっただろうからな)
 ……下級職員であれば給料がいいからというだけで、こんな仕事にも従事できているかもしれないが、上級職員ともなればそうはいかない。
 大真面目に怪獣の姿を想像して、それに対する戦略を組み、マニュアル化しなければならないのだ。
 そんな馬鹿げた仕事にプライドを持ってやれる人間が居たものだろうか?
 ゆえに誰もがミサトの存在を軽視して、まともだといえる戦術、戦略眼を仕込みはしなかった。
「……取り敢えず、こちらの問題は、今日明日で一応の決着を見るでしょう」
「彼らにも感謝します」
「……その言葉はかけない方がいいでしょうな」
「何故です?」
「皮肉かとかみつかれることになるだけでしょうから」
「は?」
 わからないという顔をミサトは見せた。
「彼らはこちらの不足を補う目的で協力を……」
「いいえ」
「違うのですか?」
「ええ……わたしがもくろんだのは、戦場に混乱を起こしてくれることだけなのです。連中は基本的にテロリストですから……近接戦闘を好みます」
「それが?」
「銃を使った戦闘はどこか淡泊なものです。味気がない。だからこそ甘さが抜けない。引き金を弾いて遠目に倒れるのを見るだけだから。しかし血肉を飛ばしあっての殺し合いは残酷なものです。どちらも必死になる。そして必死になったものたちが放つ狂気は……」
「殺意以上の恐怖感を植え付ける?」
 太い首を使ってそうですと頷いた。
「殺すか殺されるかの緊迫した状況下では、やらなければやられるだけだという割り切り感を育てます。……今回のネルフ側の隊長には、その割り切りができている人物を選びました」
「それでですか……」
 ネルフ側の部隊は、諜報部、保安部、他からも選び出された混成要員で構成されていた。
 その中には、隊長に抜擢された男性よりも、階級も作戦立案能力も指揮能力も勝っている人間がいくらもいたのだ。
「諜報部は索敵のために組み入れました。武力行使は保安要員に……ハロルドたちは囮として。そのことを言い含めましたが、存外にうまくいったようですな」
 ミサトは嘆息して小さくうつむき、かぶりをふった。
 子供に人殺しをさせることには、抵抗感を覚えて当たり前だと言ったその口で、人を道具のように語るのである。
(あたしには……ここまでは無理ね)
 ミサトは人が入ってきたことに気が付いて、肩越しにみた大柄な少女に、彼女はどう変わるのだろうかと気に病んだ。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。