──あれ? 綾波さん、ウィッグどうしたの?
 ──あれ? 綾波さん、さっきの服どうしたの? かっこよかったのに
 ──あれ? 綾波さん、コスプレやめちゃったの? なんで?
「…………?」
 行く先々で出会う人に声をかけられ、レイはそのたびに首をひねって不思議がっていた。
 図書室で、視聴覚室で、音楽室で、美術室で……。
 どうもこの時間、あまり人が寄りつかない場所ばかりに、自分のドッペルゲンガーが現れているらしいのだが。
(あの子?)
 そうも思ったが彼女はいまはいないはずである。唐突に旅に出ると書き置きを残して消えてしまった。
 実際『気配』が街にはない。レイが感じられる範囲はごく限られてはいたが、それでも第三新東京市内であれば、確実に捉えることができていたのだ。
 ──ではこの気配はなんであろうか?
(わたしに似ている……でもあの子ではない。これは……彼に似ている)
 渚カヲルに。
 レイはわずかに足を止めると、次には急ぎ足で気配の出所へと向かった。
 小走りに廊下を駆ける。そんな珍しい姿に人の目が集まったが、レイは気にしたりはしなかった。
 なにかに急かされるように突き動かされて、彼女は校舎二階の突き当たりにある教室へと向かった。そこは空き教室であり、時々素行の悪い少年少女がたむろしていることがある。
 だが……この時には人の気配が感じられなかった。その手前にある教室との境目で、レイは妙な抵抗感を感じてしまった。
 それはエヴァで使徒のATフィールドを中和、浸食し、その懐に潜り込んだ時の感覚に酷似していた。
 ただの人間であるものたちにも効果があるのか、誰もこの『領域』に踏み込もうとするものがいない。それはまさに結界だった。
 ──かつて渚カヲルが張ったものと同じであった。
 レイは緊張気味に扉へと手をかけると、わずかながらに逡巡(しゅんじゅん)し、そしてらしくなく震える手先で扉を開いた。
 ガラッと簡単に戸がスライドする。
 教室の中に踏み込んで、レイは息を吸い込み止めてしまった。静謐(せいひつ)によって満たされている空間の中、けぶるような白い夏の日差しの中に、似合わぬ茶の色をしたボロ布をかぶった者がいた。
 その者は静かに振り向いた。
 ボロ布のフードを取った少女の容貌に、レイは息を呑まされた。
 こぼれ落ちた青い髪は肩よりも長く、波打つ潮のように跳ね上がり広がっていた。
 顔の造形は自分と同じ……だが顔だけであればすでに妹の時のことがある。レイが驚いたのはその野性味にだった。
 ややあごを引き、ぎらぎらとした目つきでにらみ上げるようにしている。秀麗なまゆはつり上がり気味に張っていた。
 まるで自分とは違っていた。妹を名乗る彼女とも違っていた
 少女はボロ布の前をはだけさせていた。着ている物は時代錯誤な単衣(チェニック)だった。粗いだけの布地はヤスリほどの目を持っているのか、少女の肌を痛めつけているらしく、その肌を赤く腫れ上がらせていた。
 足は限りなく素足に近く見えてしまった。それはレイが彼女の格好を異質と感じてしまうほどに見慣れていないものだったからだ。
 履き物はサンダルだった。皮のものらしい。足首までを固めるようなものだった。
 人は自らの常識から外れたものに出会った時、言葉を失ってしまうものらしい。
 そのことに関してはレイですらも例外ではなく、だから口から発せられた言葉は、半ば思い浮かんだだけのものになってしまっていた。
「あなた……誰?」
 少女のマントが跳ね上がった。内側から吹いた風にはためいたのだ。
 レイはその風に身構えてしまった。その一瞬の隙を突くように、少女の手のひらが彼女へと向けられ……。
「────!?」
 レイは手のひらから発せられた閃光のようなものに目を焼かれてしまった。意識を奪われ崩れ落ちる。
 しかし彼女は完全に気絶してしまう寸前に、教団……そして使徒という単語を耳にしていた。




「あの……綾波さんは?」
 怪訝そうなマユミの科白に、シンジはさあとそっけなかった。
「ネルフだと思うよ?」
「アスカさんは?」
「アスカならなんだか用事があるとか言ってたから……よくわかんないけど」
「じゃあふたりきりですか」
「そうだけど」
 校門をくぐって五分ほど歩いた場所である。まだ山の途中の下り坂だ。
 上には学校があるだけだから、車が行き交うこともない。広い道をのんびりと歩いていたのだが、シンジはそういえばと疑問をぶつけた。
「どうして山岸さんって敬語使うの?」
「はぁ……たぶん碇君が山岸さんって呼ぶのと同じ理由でしょうか」
「はい?」
「もう一度シンジ君……って呼ぶのって緊張するじゃないですか。きっかけもないし」
「ああ……」
「呼んでくれますか?」
 あごを引いた上目遣いにどきりとして、シンジは鼻先を指でかきながら空を見上げた。
「ええと……」
 赤くなっている。
 マユミは少しだけおかしくなって、ふふっと笑った。
「いいですよ、無理しなくても」
「ごめん……」
「いえ……わたしも、堅苦しいままですから」
 それにとマユミは悩ましげな吐息を漏らした。
(なにか……かっこよくなってしまって)
 自分も少しは社交的になれたとは思うが、シンジはさらに格好良くなってしまっている。マユミはキスされた時のことを思い出して、少々頬をほてらせた
 あれ以来、次は何が来るのかと待っていたのだが、何もない。
 なかったことになってしまっているのかなぁ? マユミは気の迷いで唇を奪われてしまったのではないのかと落胆していた。
 ……そもそも、キスくらいでは安心できない。
(レイさんにアスカさんにホリィさんに霧島さんに)
 なにげにマナだけが名字である。やはりなじめていないらしい。
(はぁ……やっぱり、堅苦しいのがだめなのかなぁ?)
 自分は手を出しづらいような距離を取っているように思われてしまっているのかもしれない。

 マユミはアスカとのことを思い返した。

「僕、ちょっと見回りしてくるよ」
「じゃあ部屋にはアタシが送ってくから」
 そんなわけでエレベーターの中にはアスカとマユミだけが入り込んだ。
 ボタンの傍に立ち、アスカは腕組みをして小窓から流れる壁をぼんやりと見つめた。
 マユミは居心地が悪そうに対角線の位置に立って身を小さくしていた。
「……ねぇ」
「はい!」
 ビクンと反応したマユミの態度に眉をひそめる。
「……ほんと、余計なとこでシンジに似てんだから」
「ご、ごめんなさい」
「いいわ! 許したげる」
 アスカはマユミの顔を見られるように立ち直した。
 角に背を預ける。
「ねぇ……」
「はい」
「あんたシンジのこと……どう思ってんの?」
 え? マユミがどういうことかと理解するよりも早く、アスカはもっとも強いカードを切った。
「あたし、シンジとシた」
 徐々にその意味が伝わっていく。
「ってもあんたがこっちに来る前の話よ……でも関係ないでしょ? あたしはあいつとシたし、あいつはあたしを相手に選んだ」
 マユミはどういうつもりだろうかと膝をがくがくと震わせた。
 そんな様子に目を細める。
「勘違いしないでね? 牽制してるわけでも攻撃してるわけでもないの。ただあんたはどうするつもりなんだろうって思っただけ」
「どう……って」
「だってそうじゃない」
 アスカは肩から前に流れている房に指を絡めた。
「そのことはファーストやホーリィも知ってる。マナも他の連中もね? それでもシンジから離れるつもりはないみたい。じゃああんたはどうなのかなって思ったのよ」
 エレベーターが目的の階に到着する。
「じゃあ……惣流さんと碇君は付き合って」
「ない。付き合ってるわけじゃない」
「え!? それなのに?」
「そうよ? 悪い? 今のシンジは善くも悪くもそういうシンジなのよ」
 扉が閉まる。
 ブゥ……ンと低い換気扇の音が耳に触った。
「そのことも訊きたかったの……あんたわかってんの?」
「はい?」
「シンジが……シンジがあたしたちの知ってるシンジじゃないってこと。あたしたちの知ってるシンジのことを知ってるだけのシンジかも知れないってこと」
 ああとマユミは胸をなで下ろした。
 そのことならもう納得していたからだ。
「わかってます……わたしの知ってる碇君じゃないってことは、碇君から聞きました」
「そうなの!?」
「はい。だって……わたしだって『シンジ君』の知ってるわたしじゃないから。わたしは『あの街』であったことを知ってるだけの自分だって思ってます。どちらもわたしだけど、ここで育ったわたしにも忘れられない思い出ってあるから」
「そう……」
 アスカはわずかに苦い記憶をわき上がらせてしまっていた。
 ──綾波には、前、聞いたんだ。
 深くは考えていなかったが、シンジは話すべき時には話そうとしている。話さないのは相手に面倒くさがられるのではないかと感じた時ばかりである。怯えて口ごもってしまうのだ。
 そして以前の自分は……確実にシンジにとって敬遠すべき人種であった。
 ここでもそうなのかもしれない……そういう方面では怖いと怯えて、避けられてしまっているのかもしれない。それはあまり面白くない想像であった。それからもう一つ。
 アスカはなにやら癇に障るものを感じてしまっていた。それはマユミが、実に幸せそうにしたことだった。
 ──それはマユミがシンジによって救われた幼児期の事件に関わりがあることなのだが、彼女にそれを知る術はなかった。
 マユミは顔を上げた。もう萎縮してはいなかった。
 それどころか幸せにか、顔を紅潮させている。
「わたし……一度ふられてるんです。碇君には」
「そうなの?」
 あの街でのことです。マユミはそう前置きをして話を続けた。
「ううん、ふられたというのもちょっと違うんです。だって『シンジ君』は、わたしの気持ちになんて気づいてもくれませんでしたから」
「そうなんだ……そうでしょうね」
 あのシンジなら、そう思う。
「はい。でもここにいる碇君は違います。ちゃんとわかってくれてます」
「あ、そう」
「……うまく言えないけど、前のことがあったから好きになったんじゃないんです。好きになった理由も違うんです。わたしは碇君や惣流さんのことを思い出す前から、碇君が迎えに来てくれることを望んでいましたから」
「前から?」
 なんかムカツクわね? アスカはちょっとだけいらっとした。
「それっていつのこと?」
「……教えられません」
「どうして?」
「大事な思い出ですから」
 退()けない。そうぎゅっと唇を引き締めた彼女の姿にけなげさを感じて、アスカはわかったわよっと引き下がった。
「負けました! けどここだけだからね」
「は? え?」
「あたしだってシンジのことが好きなのよ。あたしはみんなみたいに共有とかで納得なんてできないの。だからそっちまで負けるつもりはないってこと」
「は……はい」
「って、し・た・む・く・な・っつってんでしょうが!」
 アスカは彼女の口に両の親指を突っ込んで引っ張った。
「いたいれふぅ!」
「だったら!」
 頬の裏側を爪で掻いてもてあそぶ。
「ちゃんと前見てしゃべりなさいよ! これからは……そうね、例えば今日も惣流さんが一緒なんですか? くらい言ってみなさいよ! それくらいの嫌味は言えるでしょ!?」
「れ、れも!」
「わかった!?」
 マユミは涙目で……口を変に開かれたままこくこくと頷いた。
「わかりまひたぁ!」
 アスカはいっそう強く引っ張り広げて、ぱちんと音を鳴らして解放してやった。
「ひどいです……惣流さん」
「アスカ! なんか鳥肌が立つのよね、そういう呼び方って」
「惣……アスカさんは!」
 マユミは焦って呼び方を改めた。
 アスカが拳を振り上げたからだ。それも笑顔で。
「なに?」
 マユミは両の頬を手で挟むようにしてさすりながら訊ねた。
「アスカさんは……それでわたしたちを二人っきりにしてくれるんですか?」
「あんたばかぁ?」
 アスカはほとほと呆れたといった調子で口にした。
「なぁんであたしがあんたのいうことなんか聞かなきゃなんないのよ?」
 なにか理不尽だ……とマユミは思った。

 ──そんなやりとりがあったのだ。

(アスカさんの気持ちはわかったけど……)
 隣を歩くシンジの顔をちらりと見上げる。
(だからってわたしも今の気持ちは大きいですから)
 そっと唇に指を当ててふふっと笑う。
「……でも僕には君の気持ちがわかるよ」
「そう?」
 坂を下りた場所にある喫茶店である。
 そこでは日本人とはかけ離れた容姿をした二人が逢い引きをしていた。アスカとカヲルの二人であった。
 向かい合う位置に腰掛けて、ともに紅茶を口にしていた。
「レイもホーリアさんも霧島さんも綾波さんも……全員が利害の内に共存している関係だからね。僕たちもふくめて『恋愛感情』や『好感意識』を抜きにしたって、その関係がわかたれてしまうようなことは絶対にない」
 アスカは小皿の上にカップを置いた。
「それが問題なのよねぇ……」
 ほおづえを突いて外を見る。
「別に喧嘩したって、意見がすれ違ったって、あたしたちはこの世界では特別なつながりを持ってるから……絶対に他人になったりしないって、そういう甘えがあるから、どうしても、ね」
「危機感が足りない?」
 カヲルはアスカの真似をしてカップを置き、窓の外の下校する生徒たちを眺めた。
「だから真剣になりきれないということかい?」
「あたしは真剣なつもりなんだけど?」
「でもシンジ君が君のこだわってるシンジ君ではないから迷っている」
「……あんたはどうなの?」
 表情以上に目が真剣だった。
「関係ないさ」
「関係ないって……」
「シンジ君だよ。シンジ君はね?」
 カヲルは照れるから見つめないでくれとちゃかした発言をした。
「山岸さんの言葉は的を射ているよ。僕たちは異相のずれが生んでいる存在であって、全員があの世界で死んでいるんだ」
「あたしも、あいつも?」
「解放したんだろう? 魂も肉体も力も。再構成された君という存在があって、シンジ君という存在がある。ただ君は最初から君であって、シンジ君は途中から自分に目覚めた。その差が君たちの意識差に通じているんだよ」
「そういうことかぁ……」
「シンジ君はね……この世界で生まれた自分というものを失いたくないのさ。苦痛や苦悩を味わってきた自分をとても大切にしているんだよ。そこにはこだわりたい人たちもいるからね? それでいて神になった自分のことも気にかけているのさ」
「やっぱりいるの? どこかに……神様のシンジが」
 その答えを君は知っているはずだよと混乱させた。
「『ここ』に存在しているシンジ君が、シンジ君の一意識でしかないということは承知しているんだろう? それが答えさ」
「……シンジの全部が欲しくても、あたしは全部には触れられない」
 そういうことさと席を立つ。
「まあ……二兎を追うもの一兎も得ずさ。シンジ君は多重世界に存在しながらも一つではあるんだ。この世界のシンジ君だけを虜にしたって意味がないけど、この世界での関係は必ず他のシンジ君たちへと波及する。一兎ずつ手に入れていけば君は君のシンジ君を取り戻せるよ」
「取り戻すってねぇ!」
「彼に恋をするなら一途でないともたないよ?」
「だったらあの子はどうだってのよ!」
「山岸さんかい?」
 カヲルはレシートに手を付けた。
「正直そこまで警戒する理由がわからないね」
「Mだからよ」
「は?」
「ほら……マユミってさ、M的じゃない? だってさ……普通に結婚して普通に家庭を守って、ダンナが帰ってくるのを胸を弾ませながらいつまでも楽しみに待ってるタイプ。それでいてエッチなことにははじらうけど嫌がんないで……って、なんか男の欲望丸出しの願望をそのままやっちゃいそうなタイプじゃない。だからよ」
「はぁ……それが警戒する理由かい?」
 そうよ! とアスカは真面目に叫んだ。
「あたしともホーリィともファーストとも違う。『普通』のタイプ! 結婚って普通の夢を当たり前に持ってる。あたしたちみたいにアクティブじゃない受け身な女の子……だからよ。そんな子とならって、シンジは結婚を考えるかもしれない」
「それが問題なのかい? 君は奥さんになりたかったのか」
 知らなかったよというカヲルに、アスカはアンタばかぁ? といういつもの言葉を撃ち放った。
「べっつに結婚なんてしたくないっての。でもね、独占はしたいのよ。わかるでしょう?」
「だから……好きな人には最期に戻るべきは自分であるとして欲しい?」
「そうよ!」
 ようやくカヲルはなるほどと納得した。要するにアスカの危機感とはそういうことだったのだ。
 マユミは結婚して家にこもるタイプである。旦那は外で好きにするだろうが、必ず家に帰るだろう。
 尽くしてくれるマユミといちゃつきたくて。
 ところがアスカの持つイメージには、日本的な住宅に住んで子供を抱いてパパいってらっしゃいなどという絵は存在してなどいなかった。感性として理解できないからだ。だが人は傷ついた時、必ず逢える、慰めてもらえる人に惹かれるものだ。どこにいるかわからない人には甘えられない。それは当たり前の理屈だった。
 そんな『魅力』を持ち得ない自分は、絶対に勝てないと思っているのだろうとカヲルは察した。だから笑った。
「そうだねぇ……確かに一度、二人のなれそめを聞いてみるのもいいかもしれないね」
「……この世界での?」
「そうだよ」
「思い出す前って話だったけど」
 カヲルは意味ありげに微笑んだ。
「そう……二人は旧東京で事件に巻き込まれるよりもずっと前からの知り合いなんだよ。山岸さんが使徒の共振に巻き込まれて、『以前』の記憶を取り戻すよりもはるかに前からのね……そう」
 ──シンジが自身に目覚めるまでの、もっと前から。
 急に黙してしまったカヲルの雰囲気に飲まれてか、アスカには知ってるなら教えなさいよと詰め寄ることができなかった。
「やあ」
 唐突にカヲルは、レジ側にある入り口に向かって手を挙げた。
「約束通り、呼んでおいたよ」
「悪い!」
 やってきたのはケンスケであった。ようやくの本命のご到着に、アスカが不機嫌にそっぽを向く。
 ケンスケは少し傷つきながらも、めざとくカヲルにレシートをくれとお願いした。
「俺が……」
 しかしカヲルは、いいよと遠慮をする仕草を見せた。
「それに、彼女の分もあるからね」
 あとはとカヲルは耳打ちをした。
「相田君……彼女はとても気位が高いんだよ。こんなささいなことですらも借りになってしまうと警戒しているような人間なんだ。彼女は猛獣並みだからね、下手に尻尾を踏まないように、忠告だけはしておくよ」
「わ……わかった」
 ごくりと喉を鳴らして、ケンスケはカヲルを見送った。
「ご、ごめん! 渚が君の方がいいっていうからさ」
「座ったら?」
「あ、ありがと」
 ぎくしゃくと座る。
「……それで、話って?」
 そんなぶっきらぼうな物言いも、怯えさせるに十分すぎるものだった。
「実は……」
 緊張しているのは仕方のないことではあった。
 沖縄旅行以前に彼女の家に押し掛けて、カヲルにあしらわれた経歴があるのだ。
 それでもそのことが彼女に伝わっていないと感じられたのか、ケンスケの舌は次第になめらかになっていった。饒舌に語られる内容は誇張されていて信じるに値しないものではあったが、しかし別段驚くべきようなものではなかった。
 あくまでアスカにとってではあったが。
「データを盗まれた上に監視されてる……ねぇ」
 ああそうだよとケンスケは身を乗り出した。
「僕のパパってさ、ネルフで働いてるんだけど、時々ネルフの話をしてくれるんだよね」
「知ってる」
「話したっけ? でさ……怖いことになるから綾波とかシンジとかを撮るのはやめろっていわれてたんだけど」
 本当にこんなことになるとは思ってなかったと彼は言った。
「調子に乗り過ぎてたってことは認めるよ。だけどさ、データを全部おしゃかにした上に、プリントしてあったものまで根こそぎ持ってくなんて尋常じゃないよ。しかもマンションの人、誰も見てないっていうんだぜ?」
「それが?」
「わかんないかなぁ……あの量を運び出すのに、誰にも見られずになんてできるはずがないんだよ」
 アスカははぁっとため息を漏らした。そういう意味で言ったのではないのだ。だからそれがどうしたんだと退屈したのだ。
 アスカの興味はケイタへと移っていた。大変だったろうなぁと本気で思う。
「……ネルフが動いただけなんじゃないのぉ?」
 だからアスカはそうやってフォローしておいてやることにした。
「うん……それも考えてみたんだけどさ。だったらパパに懲罰問題が降りかかってるはずだしね」
 アスカは呆れた。
「軍隊じゃないんだから……」
「軍隊だろう? ネルフは」
 意識の違いかなぁとアスカは思った。
(そこまできっちりとした規律を持ってるわけじゃないんだけど)
「じゃあネルフ以外のなんだってのよ?」
「それがわからなくて……」
 口にする。
「最初はネルフじゃないかと思ったんだ。でも違うみたいだから……って、そういうことを話してたら、渚がそういうことは君が詳しいから紹介してくれるって言って」
(あ〜〜〜あ)
 めんどくさい。それがアスカの正直な気持ちだった。
 裏の事情についてはおおむね知っている。つまりカヲルは適当にごまかしておいてくれというのだろう。
 ──と。
 バン! っと音がして窓を見ると、少女が両手をべったりと貼り付けてにぃっと笑っていた。
 そのままずりずりと動かして入り口がわへと回っていく……店内に入ってきた。
「アスカ!」
 あちゃ〜っとアスカ。
「デートなんだ? やるぅ」
「……」
「ふぅんアスカって別にシンジ一本ってわけじゃなかったんだぁ……で、こっちがアスカの……あれ?」
 目を丸くして固まっているケンスケがいる。
「ばか……」
 アスカは手のひらで顔を覆い、マナのドジさ加減に頭を痛めた。




「で、惣流さんを売ってきたんだ?」
「そういう言い方はやめてもらいたいね」
 ネルフである。
「それかい?」
「これだよ」
 肩にかけていたバッグから、ケイタはケーブルを切って取り外してきた固定カメラと、それに繋がっていたらしいケーブル部分を取り出した。
 立ち会っていたリツコとゴドルフィンが身を乗り出す。
「これが?」
「はい……こちらのカメラはたぶんなにもないと思うんですけど」
 一応チェックしておいてもらおうと思って運んできました……そうケイタは技術部主任を頼った。
「問題はこっちのケーブルです」
 ヘビの首を持って持ち上げるようにする。
「ケーブルの先に付いてるこのカード」
 カードの上にはチップが貼り付けられていた。カード自体が基盤となっているようだ。
 裏返すと鉄金具のコックが二つあり、皮を剥いて剥き出しにされたケーブルの二カ所を挟み込んでいた。
「どういうものなの?」
「カードの向きに注意してケーブルに接続し、接続部分の真ん中を切ります。これでカメラからの映像はカードを中継(リレー)することになるわけです」
「チップは?」
「……押すとカメラからの映像を録画し始めます。その上でループ再生しても不自然ではないように編集まで行います。そうしてバッファが溜まったら、チップはメモリ内で編集したデータをカメラからの映像だとして送りだします」
「しかし画像の解析で引っかかるのでは?」
「そうよ! MAGIなら……」
 その解析プログラムが問題なのだとケイタは話した。
「このチップには蛍光灯のちらつきを映像にかぶせるようプログラムが組み込まれています」
「ちらつき?」
「はい。カメラには写って、人の目には見えないものです。もちろんこれもランダムプログラムですから、MAGIが解析をしたならば引っかかっていたでしょう」
 リツコははっとした様子を見せた。
「MAGIには……そんなプログラムは入ってない」
「それどころかこの手の状態に関しては、フィルタリングをするように設定されていますよね」
「そうね……」
「自然な状態のものを撮っているからこそちらついている。それがMAGIの判断を狂わせていたんですよ」
「盲点ね……」
「人を模した思考形態を持っているMAGIのアバウトさにつけ込まれたということでしょうか?」
「そうなりますわ……もっとも監視カメラの映像について、この手の周波数帯にまで及ぶようなチェックプログラムを作らなければならないと発想することさえなかったのですから、つけ込まれる以前の問題ではありましたが」
 悔しそうに歯がみしている。
 MAGIが悪いのではない。発想の貧弱な自分が悪かったからだ。出し抜かれた。それは自分の上をいかれてしまったということでもある。
「しかしよくもまぁこんなに早く解析できたものだね」
 えらいねぇと真顔で褒めるカヲルである。
「どうやったんだい?」
「どうもこうも」
 肩をすくめる。
「チップ自体がネルフ製だったよ。だからMAGIですぐに解析できた」
「なんですって!?」
「これでまた犯行に加わっている人間の幅が増えたわけですな」
「そうですわね……」
 リツコは下品な舌打ちを漏らした。
 MAGIの手が加わっているチップを作れる場所は、ネルフの内部以外にはあり得ない。
 そしてネルフ内でチップに組み込むようなプログラムを開発できる環境を整えている部署となるとさらに限られてくるのだ。
 MAGIに繋がっている端末には、目的用途に応じたソフトのみがインストールされている。
 つまり……技術的な開発を行っている部署以外には、MAGIを使ってプログラムの開発を行える施設などないということになるわけである。
「足下をすくわれた気分ですわ……」
「予想以上に不穏分子は根深く広がっているようだ」
「カメラの細工についてはMAGIのプログラムを変更することによって確認することができるでしょう……たぶん。僕はMAGIの専門家じゃないけど、できますよね?」
「……ええ」
 なんでわたしはこんな子供にまで使われているんだろう?
 リツコはふと考えてしまった。
「だけど大がかりなことになるのは間違いないわ」
「となると急ぐべきかどうかの判断を仰がねばなりませんな」
「なぜです?」
「……このカードの捜索と取り外しとカメラの再設置を、誰が行いますか?」
「それは……」
 はっとする。
「技術部や……そのほかの」
「そうです。それでは延々と裏をかかれ続けることになるだけです」
 彼に頼んだのは……と口にする。
「誰にも気づかれないよう、これらの証拠部品を回収するような真似をできる人間に、他に心当たりがなかったからです」
「……まだ気づかれていない?」
「向こうが動き出すのはそう遠くないことでしょう……それだけに先手を打てる貴重な時間は無駄にしたくない」
「……でも」
「わかっています。司令がいない今、どこまでのことが許されるのか、その問題もあります」
 自分は一兵士ですからとずるい逃げ方をした。
「ただ……安易な方法も存在します」
「一応お聞きしておきますわ」
「サードチルドレンの処刑です」
「な!?」
 彼女は絶句するとともに、カヲルの前でなんということを口走るのかと非難の目を向けた。
「それがなにを意味するのかわかっているのですか!?」
「ええ……ネルフにとっても悪くはない話なのでは? ネルフにとって使徒を倒す力は何者にも代え難いものではあるが、あれほど強力である必要はないはずです。ならばこれまでのことを公にして処分してしまえばいい。そうすれば不穏分子も溜飲を下げるどころか、上層部の行きすぎた判断に自分を見つめ直すということもするはずです。心変わりを始めるでしょう。そうなれば後は簡単です。不穏分子は決してネルフ打倒で共闘をしているわけではないのですから、おそらくは逃亡の手段を欲している連中と、サードチルドレンへの復讐心で凝り固まっている人間との間には、大きすぎるヒビが入ることになるはずです」
「……ネルフの転覆をもくろんでいるわけではない。それはそうですわね」
「ええ。スパイ連中とても、あくまで諜報を目的として潜伏していた者たちです。彼らは逃げ出したがっている。問題は彼女たちが彼らをかくまう理由です。なにをさせようというのか……」
「シンジ君を狙っているのでしょう?」
「それだけにしてはやることが大がかりすぎます。そもそもそれが目的の全てだとは限らない」
「は?」
「我々が知っているのは、彼の手にかかった男たちの女性が、遺体を盗んで不穏分子をかくまっているようだ……ということだけなのですよ? 後のことは憶測に過ぎません。隔意を持っている彼女たちを、また別の誰かがそそのかしている可能性もあるわけです」
「……そう、ですわね。そう」
「はい……具体的な裏が見えない以上、手出しが難しいな」
「やはり他の部署のものを交えて協議し合うべきでしょうね」
「ではこの場でのことはお願いします。お伝えください」
「あなたは?」
「……わたしはあくまで部外者ですから。混ざらぬ方が好いでしょう」
 では行こうかと彼は三人を促した。
 実は現在──戦略自衛隊より怪獣発見の報が届き、作戦部が慌ただしく情報の収集を急いでいた。
 四人は小部屋を出ると、発令所へと向かうことにした。
「レイ?」
 その途中、リツコはエスカレーターの途中で、逆に下りてくるレイの姿を見つけてしまった。
 怪訝そうなリツコたちにちらりと横目をくれたレイは、その視線を前に戻そうとして、渚カヲルの目線とぶつかった。
 ──ふっ。
 意味ありげな冷笑に、レイはそのままじっとカヲルの姿を追った。
 しかしカヲルは、ポケットに手を入れたひょうひょうとした態度を示して、そのまま歯牙にもかけなかった。
 一度も振り返ることのなかった彼に、何故に笑われてしまったのか? 彼女には推し量ることなどできはしなかった。


「日本の近海じゃない……なんでこんなに接近を許したの?」
 発令所では、ミサトが腕組みをして偉そうにしていた。マコトが報告する。
「戦自からの話では、唐突に反応が現れた……と」
「うさんくさい話ね。どうせ嘘でしょ?」
「しかし確かめる術がありませんからね」
「で……国連の反応はどうなってるの?」
「UNを使って調査を行うようです」
「国連軍で?」
「はい。目標は使徒ではないからというのが言い分のようですね」
「ネルフの出番はないか……」
 ちらりと司令と話したことが脳裏をよぎった。
「下っ端は辛いわね……」
「は?」
「使いっ走りは辛いって話よ。まあ出番が来ないっていうならそれでもいいわ」
「でも……」
「協力要請があった時には動くけど……正直、こちらはそれどころじゃないしね」
「司令が留守だからですか?」
 ミサトは曖昧に笑ってごまかした。そう思ってくれていた方がまだありがたいからだ。
(まさか足下で時限付きの発火装置が作動してるなんて話、広めるわけにもいかないしね)
 ミサトは顎を逸らしてモニタを見上げた。
 ──海。
 そこには夜の海が広がっていた。なにかが航跡を曳いている。しかしそれをしているものは海中にいて、直接姿を見ることはできなかった。
「しかしまぁ……」
 ミサトは苦笑してしまった。映像の右上には某ニュース番組のテロップがあったからだ。
「マスコミも鼻が利くようになったもんね」
「国連が海上を封鎖するまで……あと五分はかかります」
「こちらさんはそれまでの勝負か……はたして怪獣の正体をカメラに収められるか」
「もし姿を現してくれたなら?」
「こういうのもピューリッツァ賞でいいんだっけ?」
 不謹慎な軽口に対するいらぬ補足を行ったのは青葉だった。
 ヘッドフォンに手をかけて耳を塞いでいる。
「映像を送ってるヘリは、南洋でイルカを追っていたもののようですね。実況中継、聞きますか?」
「どうせ緊張して声が裏返ってるんでしょう?」
「はい」
「やめときましょう」
 ミサトは軽く肩をすくめた。
「でも考えてみれば……使徒と違って異相体に対する行動原理の解析は、まったく進んでないのよね」
「エヴァ……敵を目指すという、あれですか?」
「そう。その上どこに現れるかわからないんだから、これはもう天災と諦めちゃって、マスコミとの協力体制をしいた方がいいのかも」
「はぁ……」
「どうせならその中に使徒を混ぜてしまうとかね……一般の人には使徒と異相体との違いなんてわかるはずもないし」
「ならその方が予算も取れそうですね」
「実際この街から逃げ出していった人たちも、この街の方がと言って戻ってきていたりもしますしね」
「そうなの?」
 そんな軽口を叩いてから十数分後。
 ようやくリツコたちが到着した。
 真っ先にマヤの元へとリツコが向かい、ゴドルフィンはミサトの傍に立ち場所を求めた。
 その隣に居心地を悪そうにしていたホリィが立つ。彼女はなにかの資料をゴドルフィンへと手渡した。
「それは?」
 見とがめたミサトの問いかけに、彼女だけに聞こえるように返事をする。
「部下たちの動向です。例の件で離れている間の報告を彼女にまとめてもらいました」
「有能なのねぇ」
「あ……はい。ありがとうございます」
「いいのよ別に。堅くなんなくったって」
「はぁ……」
 ミサトはほほえましいなぁと頬をゆるめながらも、ふと視界の隅にカヲルを見つけて目を細くしてしまった。
 なにやら面白そうにしていたからだ。
 棟の隅に立って、壁に背中を預けている。
 鼻歌を口ずさんでいるようだった……ケイタの姿は見られない。彼にここでの居場所はないからだろう。
「今のところ、こちらから報告することはないようです」
「そうですか……こちらもこれからです」
「使徒……ではないようですな」
「国連ではあれを異相体と……」
「速度は?」
「60ノットと言ったところでしょうか?」
「意外と……いや、大きさを考えればそのていどのものなのでしょうか?」
「国連軍の哨戒機からのデータ、見ますか?」
「お願いします」
 メインモニターの半分を所有し、熱分布画像が表示された。
「これは……」
「以前に出た水棲タイプとはまた違っているわね」
「リツコ……」
「形状から見てスライムのようなものだと思われるわ。あるいはクラゲかもしれない」
「予測される目標は?」
「不明よ。MAGIは海流に乗って流れてるだけなんじゃないかって見ているわ」
「あの大きさだもんねぇ……」
「UNからデータが回ってきました」
「データ?」
「はい……威力偵察を敢行したようです」
「そう……見せて」
「はい」
 戦闘機の搭載カメラからの映像らしい。モノクロの世界に海面が迫る。
 発射されるミサイルが海原より盛り上がっている半透明の丘に突き刺さった。
「なによこれ!?」
 ミサトが驚くのも当然だった。
「呑み込んだ?」
 ミサイルは爆発することなく、そのまま異相体の背中に取り込まれてしまった。
 まるで触手のように粘液めいたものがミサイルを包み込んで引っぱり込んでいった。
 ──そして発光。
 ぽうっと暗い海の底で、鈍い光が(またた)いた。
「リツコ」
「敵は流体のような特質を持っているようね」
「赤潮みたいにつかみどころがないわけじゃないのね?」
「ええ。液状生物なのか、どうなのか、判断は微妙だけど」
「推定六百メートルに達する巨大なスライムが今度の相手か……」
 今度は哨戒艇からの望遠撮影に切り替わった。
 戦闘機が低空をパスして、何かを落とす。
「なにを落としたの?」
「NN爆雷です」
 これもまた異相体の背中と思われる部分が大きく開いて受け止めた。
 包み込むようにして内部へと飲み込んでしまう……爆発。
 先程よりも明るく光り、今度はさすがに『多少』ふくらんだ。
「……凄いわね」
 発光のすさまじさに全体像もはっきりとわかった。
「……どうやら爆発は完全に封じ込められてしまったようですね。目立った変化は見られません」
「国連軍の対策は?」
「現在は貫通弾の準備を急いでいるようです」
「貫通弾?」
「中央を見て」
 リツコの指摘を補佐するように、熱感知映像がスキャニングされて、別の方向からの解析画像へと変化してしまった。
「……真ん中に高い反応?」
「ええ……コアよ」
「コア?」
「そう……これではっきりとしたわ。あれは一個の原生生物なのよ。この高い熱量を誇っているのがその核にあたる部分」
「はぁ! この間のは岩で今度はねばねばが相手か……嫌になるわね」
「そうね」
「リツコ?」
 彼女の口元は引きつっていた。
「まったく……この間の岩石怪獣を相手にして、ようやく怪獣たちのエネルギー源の特定に成功しかかっていたというのに」
 あれはなによと口走った。
「見てよあれ! ソレノイド効果を起こす細胞なんて無し! たった一個の細胞でできてるのよ、あの大きさで! わかる!?」
「は、はぁ……」
「あああああ……また調査のやり直しだわ」
 はははと引きつるミサトである。
「と……とにかくあれがゾウリムシなんかの仲間なら、核さえ撃ち抜けば止められる可能性があるのね?」
「ええ……」
 クスンとリツコ。
「でも今の攻撃を見たでしょう? 生半可な質量兵器では、あの体に受け止められてしまうだけよ」
「……陸上に上げて焼却するのが得策か」
「六百メートルもあるスライムを? 盛大な火葬になるんじゃない? 街一つ炎上させるくらいじゃ済まないかもね」
 その火炎によって起こる煙害もまた馬鹿にはならない。
 どれほどのものに及ぶだろうか?
「まあ洋上だと今度は水質汚染なんて話になるんだから変わらないんだけど……。それにあれが単細胞生物なら、分裂しないとも限らないしね。やるなら核を確実に潰さないと」
 ミサトはマコトへと確認を取った。
「子供たちは?」
「ファーストは本部内に所在を確認。セカンドとサードは上の街です」
「呼び出しておいて」
「どうするの?」
「ん……」
 ミサトは爪を噛んで考え込んだ。
 ちらりと目を、ホリィへと向ける。
「はい?」
「いや……でも」
「なんですか?」
 不審げにホリィはなにを望んでいるのかと直接訊ねた。
「いえね……やることは決まってるんだけど」
 ゴドルフィンが口を開く。
「こちらへと指揮権が譲渡されるのも時間の問題でしょう」
「わかっています……だからこそ悩んでいるんです」
 ミサトはその悩みの内容を打ち明けた。
「もし指揮権が譲渡されたとしても、相手は洋上を漂っているだけの存在です。上陸するよう誘導できたとしても、本当に陸に上がってくれるかどうかはわかりません」
 それにと付け加えかけてミサトは躊躇した。
 もちろんゴドルフィンにはその懸念の内容を読みとることなど造作もなかったが。
「……『同時強襲』の可能性も否定できませんからな。先日のこともあります」
「その通りです」
 ミサトは目で感謝した。本当は使徒のことではなく、不穏分子の動向に対する懸念を持っていたのだ。
 その意が伝わっていることに安心した上で、こう口にした。
「ですから、『誰』を残すかが問題になります」
 どの機体を……ではない。
「そうなると、組み合わせが問題になります。確実に倒すというのであれば、弐号機と3号機に任せることです。セカンドからの報告書(レポート)によると、フィフスの協力があれば、あの炎の剣を使えるそうですから」
「おそらくは一撃で決められるでしょうな」
 もちろん彼はそのことについても把握していたので、そのようには理解を示したのだ。
「しかし、そうなれば先ほどおっしゃられたことが問題になる」
 上陸させられるとは限らない。
「はい。使徒とは違って異相体はここを目指しません。ならばこちらから出向く必要があるでしょう……しかし」
 考えていることは明らかだった。
 弐号機と3号機は、空を飛べない。
「だが零号機と初号機には飛行能力がある」
「それに零号機は初号機と違って電力供給を必要とします。予備として電源を供給できる、足場となる空母を数隻用意する……のでは意味がありませんし」
 がしがしと頭を掻く。
「初号機は……正直、使いたくないんです。なにを起こすかわからないから」
 ですがそれはと忠言した。
「こだわるべきではないのでは? 個人的な好き嫌いでは」
 いえ、違うんですとミサトは否定した。
「初号機の攻撃力は絶大です……それだけに周囲にどんな被害がもたらされるかがわからないんですよ。影響が読めない。それが怖いんです」
 ああとゴドルフィンは思い出した。
 それを甘く見積もったがために、ここと上の街に、甚大な被害を出すことになってしまったのだ。
「前に……シンジ君に聞いたことがあるんです。本当はもっとうまくやれたんじゃないかって。でも言い返されちゃいました。そう思うんなら、思っててくださいって」
「…………」
「多分……彼は本当に巧くやろうとしたんだと思います。それでもあそこまで抑えることしかできなかった……。今はリミッターがかけられていますが、それもどこまで『持つか』はわかりませんし」
 有効なのか、ではない。
 いつブレイクするかわからないと言うのだ。
 さらにもっと大きな、困った問題が存在していた。
「チルドレン全員に言えることですが、どこか命に対する割り切りが強い印象を受けます。いざとなれば国連の艦隊くらいは沈めかねない」
 ホリィという枷がどこまで有効なのかもわからないのだ。
 先ほどホリィを見たのには、そのような考えを働かせていたという理由があった。
 同行させたとして、本当に抑えてくれるのか? 子供たちは彼女の乗る船を見捨てずにいてくれるのか?
 下手をするとホリィは死に、それを嘆いたシンジあたりが暴れるかもしれない。それは嫌だった。
「となれば……セカンドしかいないでしょう」
 酷い葛藤を見せるミサトを哀れんで、ゴドルフィンはそう進言した。
「セカンドは国連の、特にマリーナに対して絶大な人気があると聞きます。そしてフィフスではなく、わたしはファーストを推薦します」
 ミサトは驚いた顔になった。
「何故です?」
「お言葉のとおり、ファーストの駆る零号機には飛行能力があります。確か非常時用の予備バッテリーのようなものがありましたな?」
「え? ええ」
 慌ててリツコは言い返した。
「最大で三十分は保ちます」
「上等です。戦闘範囲外に輸送用のタンカーを配置し、これに予備バッテリーを山と積みます」
「往復させるわけですか……」
「弐号機の補佐という設定です。万が一にも弐号機が海中に没した時には回収もやらせます」
「…………」
「後はATフィールドです。異相体にはATフィールドがない。ならば零号機は役に立ちます」
「3号機よりも?」
 考えるようにゴドルフィンは話した。
「わたしは……門外漢なので、よくわからないのですが」
 リツコに訊ねる。
「あれだけの熱量を海中にいる生物に叩きつけるとなると、その……、水蒸気爆発というものは、どの程度の規模になりますか」
 リツコはやや面食らって答えた。
「……核、クラスですわね」
「そんなに!?」
「あなた以前に3号機がやったことを忘れたの?」
「あ……」
 3号機の最初の攻撃、『んちゃ砲(レイ命名)』の威力のすさまじさは確認済みである。
「そっか……」
「となれば、艦隊が全滅する可能性もありますな」
 それでは初号機を使うのと同じことである。
「これがファーストとセカンドを推すわたしの根拠です」
 炎の剣を使わぬのであれば、3号機を出す意味はない。
 どうしますかと決断を迫られて、ミサトはそうですねと受け入れることにした。
「そうですね……そうしましょう」
 では……と命じようとして、ミサトはようやく、カヲルの姿が消えていることに気が付いた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。